11.魔法なんてなくたって
商会を後にしたゼノの背中に、湿り気を帯びた夕陽がまとわりつく。
視界の端には、ガラムの首から上を失った肉塊と、地に伏して呻き声を上げる商会の男たちが転がっていた。
ゼノが歩む復讐の道。その跡に残るのは惨劇の残穢だけだ。
次の目的地へと一歩を踏み出そうとしたその時、背後から声が投げかけられた。
「──実に見事だった」
振り返れば、跪く主とともに商会に残ったはずの、ジャレッドが立っていた。
ヴィンセントをあそこまで蹂躙し、その組織の威信を粉砕したのだ。慕っていたのであれば憎悪に燃えて斬りかかってきてもおかしくはない。
だが、この男は違うはずだ。
「その忠誠心は、ちょっと想定外だな」
ゼノは皮肉を込めて応える。
ひび割れた石畳が続く路地。周囲にはまばらに石造りの建物が立ち並び、人気はない。
夕闇に溶けかける一対一の対峙──。
魔法封じが解かれた今、ジャレッドとヴィンセントの主従関係に少なからず変化が生じ、彼が自らの意志でここに来たことは明白だった。
称賛のために追ってきたなどとは到底思えない。魔法を取り戻した元騎士が、散々コケにされた報復にきた――そう推測するのが妥当だろう。
ジャレッドは間違いなく腕の立つ剣士だ。枷が外れた今、その戦闘力は未知数と言っていい。だが、今のゼノには彼と刃を交える理由も、その気もなかった。
「忠誠、か……そのような崇高な想いはとっくに捨ててしまったさ」
ジャレッドは自嘲気味に呟き、遠くの空を見つめる。
「何の用だ? まさかそれを伝えるために来たってことはないだろ」
「いいや、本当に見事だった」
ジャレッドはそう言うと、拍手し始めた。
商会で放っていたあの威圧感はどこへ行ったのか。あまりの豹変ぶりに、さすがに気味が悪くなってきた。
「……本当になんなんだ? 新手の揺さぶり、なわけないな」
不気味さすら感じるその態度に、浮かんだ可能性を即座に否定しながらも、ゼノは警戒を強める。
「俺は元魔導騎士、ジャレッドだ。訳あってその肩書きを捨ててここにいる」
「いや、知らんわ! お前の身の上話なんてこれっぽっちも興味ないんだよ、俺は」
流れるような独白に対し、ゼノは柄にもなく反射的に鋭い言葉を返してしまった。
ジャレッドは顎に手を当て、何事か深く考え込み、やがて真剣な眼差しをこちらに向ける。
「ゼノ、と言ったな。俺は……その名をよく知っている」
「──!」
その言葉に、ゼノの心臓が跳ねた。
またしても想定外だった。だがこれは嬉しい誤算。
この世界に自分の死に様がどう伝わっているのか。それを知る手がかりは、この世界に目覚めてから結局一度も得られていなかった。
「その話、詳しく──」
「魔法をこの目で見て、肌で感じて確信した! ゼノ! 貴公は本当にゼノなんだな!?」
「あぁそうだ! だから聞かせてく──」
「俺は元魔導騎士のジャレッドだ! いや、今は魔法が使える元騎士! だがしかし……それは困る!」
噛み合わない。
致命的なまでに会話が成立しなかった。
ジャレッドから食い気味に被せられる自己主張の激しさに、ゼノは天を仰ぐ。
「あー……つまり何が言いたい?」
仕切り直すため、ゼノは話を聞く姿勢を取る。するとジャレッドは、至極真面目な顔で──、
「俺にもう一度、魔法封じの魔法を」
まさか元魔導騎士という肩書きに拘りがある、というわけではないだろう。意図がまるで読めない。
ヴィンセントを貶める過程で利用はしたが、ゼノにとってジャレッド個人に恨みもなければ因縁もない。おかげでどう扱うかがとても難しい。
「理由を聞いてもいいか?」
しかしここまでくると、一周回ってこの男に興味が湧いてくる。
「俺は元魔導騎士のジャレッドだ! ル──」
「それはもういい! 魔法封じが必要な理由を聞かせろ」
「あ、ああ、そうか! 俺は……騎士団から逃げている身だ。魔力を辿られないよう、自ら魔法を封じていたのだ」
「そりゃどういう……」
ゼノでさえ魔法封じの魔法を己に向けたことはない。理屈で言えば不可能ではないのだろうが、考えたこともなかった。
「とにかく、俺はまだ見つかるわけにはいかない。だから──俺から魔法を取り上げてほしい」
結局、彼がなぜ追われているのか、自ら魔法を封じたというならなぜゼノに頼るのか、その核心までは語られなかった。
人には人の事情がある。さらには魔力を辿られぬようにと聞いた以上、深追いするほどゼノの興味は長持ちしなかった。
「ま、お前の事情を無視したのはたしかだからな──《奇跡よ、沈黙せよ》」
ジャレッドに指先を向け、再び彼の魔法を沈黙へと沈める。
「感謝する」
身体の変化を確かめることもなく、短く謝辞を述べると、ジャレッドは潔く背を向けた。
「ヴィンセントのことは任せておけ。ゼノ、貴公の望みは果たさせる。それから、数々の非礼を詫びよう……すまなかった」
嵐のように現れ、嵐のように去っていく。商会の方へと戻っていくその背中を見送りながら、ゼノはぽつりと零した。
「……はっ! 名前のこと聞きそびれたな」
終始調子の狂う相手だった。
用心棒、ヴィンセント、そしてこれから向かう闇医者。復讐の熱で満ちていたはずの心から毒気が抜かれた気分だ。
気を取り直し、虚ろな記憶を辿って闇医者の拠点へと足を運ぶ。しかし、たどり着いたそこは完全な空き家だった。
復讐を遂げるべき相手が消えた喪失感か、存在しないはずの左目が、疼くような錯覚を起こした。
やむなくグラトニアの街へ向かう道中、ジャレッドの言葉をふと思い出した。
『──魔法を取り上げてほしい』
それは、復讐を誓ったゼノが人類に突きつけようとしていた結末そのものではないのか。
逃げるためとはいえ、魔法に毒された者の発想とはどうしても思えない。
思い返してみれば、なぜ貧民街の連中は魔法を奪われているのか。
まるで、かつて処刑台に立った自分と、それを罵倒した群衆の対立構造のようではないか。
単なる罪人もいるだろうが、これほど広範囲に魔法封じを課すのは、ゼノと同じ思想を持つ者を排除するためではないのか──。
己の目で確かめなければ。そう強く感じた。
その夜は通行料を払う相手がいなくなった貧民街からグラトニアへ戻り、適当な宿で深く眠りについた。
翌朝、ゼノは活気付く市場でパンなどの食料を買い込み、再び貧民街へ向かう。
商会とは正反対、奥へ進むほどに石畳は土に埋もれ、建物は湿った木材を継ぎ接ぎしただけの掘っ立て小屋へと変わっていく。
そして、崩れかけの一軒の前でゼノは足を止めた。
「オルマさん、いるか?」
かつてのように呼びかけると、奥から一人の老人が這い出してきた。怪しむように皺だらけの顔をさらに歪め、鼻先が触れ合うほどの至近距離までゼノに顔を寄せる。
「誰かと思ったら、おチビかい?」
飢えた少年の命を繋いでくれた老婆──オルマだ。誰もが自分のことで精一杯なこの地獄で、少年に僅かな食料を分け与えてくれた恩人だ。
「死んじまったと思ってたら、こんな立派になっちまって」
最後に顔を合わせたのは腕を失う前のことだ。彼女の視線が、少年の面影を裏切る眼帯と失った左腕に注がれる。
「大変だったんだねえ……」
悲痛に震えるその声に、ゼノの心にわずかな波紋が広がる。だが、皮肉にもこの欠損があったからこそ、この場所へ戻ってこられたのだ。
「気にするな、ババアこそまだ死んでなくてよかった」
「ババアだって? なんてこと言うんだい! 生意気になっちまって!」
笑いながら、オルマは杖代わりにしていた木の棒で、ゼノのつま先を小突く。
「さ、立ち話もなんだ、入りな? 粗茶しかないけどね」
「いや、それはまた……改めてな。今日は──訊きたいことがあってきたんだ」
「あら、そうなのかい。忙しいんだねえ……それで、何が訊きたいんだい?」
少年時代、この場所で感じていた違和感。今ならそれが魔法封じの術式の気配だったと理解できる。
目の前の老婆も例外ではなかった。
「オルマさんは、魔法を取り戻したいと思うか?」
「いやあ、思わないね」
一切迷いのない即答。
「魔法なんてなくたってね、人間死にやしないよ」
そう言い切った皺だらけでくしゃくしゃの笑顔は、ゼノの魂にこびりついた厭悪に小さなひびを入れる。
「この歳になると火をおこすのも、何をするにも一苦労だけどねえ……。道具が錆びないように手入れしたり、工夫しながら暮らすのも、案外楽しいもんだよ」
その在り方はゼノにとって──人間だった。
魔法という毒に侵されず、ただの人として土に根ざして生きる。復讐に燃える今のゼノよりも、ずっと高く遠い場所にいるように見えた。
「いいのか、魔法がなくても」
「そりゃあ、あれば便利だけどねえ! 魔術師やってた頃が懐かしいわい」
「……って魔術師だったのかよ、ババア」
思わず口から出た言葉に、オルマは「大昔の話だがね」と腹を抱えてゲラゲラと笑った。
少年時代、彼女から一度も聞いたことのない事実。
魔法を知り、その頂にいたかもしれない者が、その力を奪われた後の世界で「魔法がなくても死にはしない」と笑っている。
復讐とは、奪われたものを取り返す行為だ。
だが奪われたはずの当人が、奪われる前よりも豊かな心で今を肯定しているのだとしたら、自分の怒りは一体どこへ向ければいいのか。
「……また来るよ。聞かせてくれ、その大昔話を」
ゼノは、グラトニアで買い込んできた上等なパンと干し肉が入った袋を、半ば押し付けるようにオルマの手に握らせた。




