9.揺蕩う香
「香を多めに焚いてもらえますか? あぁ、君たちはアレを片付けてください」
ヴィンセントの指示に、商会内の人間がそれぞれ動き出す。
ガラムの欠片と腐敗臭のせいで台無しになっているが、室内は質の良い調度品が随所に飾られ、気品に溢れる空間だった。
入るついでに破綻させた、膜のように張られた結界は悪臭を遮断するものだったらしい。
ゼノは部屋の奥側にある大きな卓に合わせた、上質な長椅子に座り込んだ。
「お、いい椅子だ。これのために何人死んだんだか」
かつて奪われた金貨も少しは足しになっているのだろうか。
徐々に香の匂いが貧民街臭を上回り始めたが、後ろではまだ忙しなくガラムの残骸を片付けている。
片付けを見届ける前に、ヴィンセントが逆手剣の男とともにゼノの前に来た。
「──お待たせしましたね、名前を伺っても?」
「ゼノだ」
短い返答にヴィンセントは一切動じない。剣の男も主の反応を窺うように、チラと視線を動かすだけだ。
「ゼノさん……私はヴィンセント。こちらは護衛のジャレッドです。公正な商取引のために側に置かせてもらいますよ」
「小僧、妙な真似はするなよ」
「おい、どこが公正なんだ? 別に構わないが」
律儀に紹介してから、対面に座ったヴィンセント。あくまで初対面という体で進めるつもりらしい。ゼノとしてもそれで問題ない。
そんな中、敵意むき出しで卓の横に立ったジャレッドへと目を向ける。
腰の剣を納めている鞘には、特徴的な彫刻が施されている。角の生えた目に十字架が突き刺さったような紋章──少年の記憶の中で見覚えのあるそれは紛れもない、騎士団所属の証である騎士剣だ。
肩から先を失ったはずの左腕が、ほんの僅かに痛みを訴えた。
貧民街の商会が、正規の騎士を護衛として雇っているとはなかなか考えにくい。騎士崩れを拾った、というのが妥当な線だろうか。
「さて、商談──と仰っていましたが、まずは商会の用心棒と何があったかを訊いても?」
「通行料を払った。奴が貧民街のやり方に合わせるよう言ったから、眼球を金にした」
ゴミとして袋に詰められて部屋を出ていった男を指して、ゼノは端的に応える。
ここで嘘を吐く必要はない。迷惑料が必要なら有り金全て渡してやってもいい。だが、この男の狙いはそこではないだろう。
なぜなら──、
「──はて、眼球を金に……それが貧民街のやり方とは、聞いたこともありませんが」
このモノクルの男は、正面に座る男の眼帯を前にして、あえて神経を逆撫でするような発言をするのだ。
感情を揺さぶり、主導権を握り、場を支配する。
腐っても貧民街の頂点に君臨し続けるだけの知略は侮れない。
そうやって狡猾に立ち回ってきたという裏付けがあるから、この商談は面白いのだ。
香の匂いが室内に満たされていく。
ゼノの反応を窺うように一拍置いてから「仮に」と、モノクルを指先で撫でながらヴィンセントは続ける。
「その惨いやり方が貧民街にあったとして、命を奪うのは──些かやりすぎでは?」
「いや、生きてたぞ」
「……はい?」
表情は変えないが、ヴィンセントは一瞬の戸惑いを見せた。首から下を見ていないのだから、当然の反応ではある。
ゼノは卓の横で、威圧的に見下ろしてくる男に目を向けて挑発的に鼻を鳴らす。
「このジャレッドとかいう護衛が斬った時に言っただろう? 二度も、って」
モノクルと元騎士が視線でやり取りし、言葉の続きを促すようにゼノへと視線を戻した。
あの用心棒の話題はもうどうでもいいのが本音だが、ため息一つと引き換えにぐっとこらえて続ける。
「通行料を受け取った報告をさせるために連れてたんだが、それをみていきなり斬りかかってきた奴がいてな」
「……それが商会の人間で、首を切り離した、と」
「あぁ、ちゃんと鍵をかけていないから──斬れ味だけは無駄に良かったみたいだ」
ガラムが使った風系統の魔法は、残念ながら彼の専売特許ではなかった。向かってくる商会関係者は揃いも揃って風系統魔法の使い手だった。
と、つまるところ、彼らが扱う武器自体そういう術式が仕込まれた魔導具だった、というわけだ。
そのカラクリを見抜いている、という事実を暗に伝えたのだが、ヴィンセントはしっかり汲み取ったようだ。
「それはそれは、大変ご迷惑をおかけしたようですね。証拠だなんだと野暮なことを言うつもりはありませんが、商会としても少しばかり損失が大きい。ですが、商会長としての管理不足は否めないところです。──用心棒の件については、痛み分けとしましょう」
捲し立てて責任の所在を有耶無耶にする話術、平たく言えばただの威圧だ。残念ながらゼノには何の効果もない。
ジャレッドは納得いかない様子だが、ゼノは「あぁ」と短く肯定し、用心棒の一件を片付けた。
甘ったるい香の匂いが充満し濃くなってきた。
「──漸く本題に入れますね。商談の内容、聞きましょうか」
長い足を組んだ膝の上に手を置き、堂々とした態度で先を促すヴィンセント。
仕方なく付き合った退屈な時間稼ぎが終わり、自然とゼノの口の端は吊り上がる。
「あぁ、本当にようやくだな……俺の目的は一つ」
言ってから、右手を卓の上に突き出し、昨晩作った“魔力結晶”を虚空から取り出す。
漂う香を蹴散らし、空間を引き歪ませながら現れた魔力の塊に、モノクルの奥にある切れ長な目が僅かに見開かれる。
それが《暴食のライラ》の権能に対する反応か、魔力結晶への反応かは定かではないが、ひとまず説明は必要なさそうだ。
「この一点ものの魔力結晶を、王都に向けて流通させてほしい。王都の──聖ベルラド教会に届くように」
「教会に……魔導具、のようですが」
一見すると魔力を結晶化しただけの代物に、この男は瞬時に術式を見出している。急ごしらえとはいえ術式は隠すように細工してあるのに、だ。
やはりこの男には、魔法が視えている。
「こんなものを……? 一体何が目的です?」
「わかるだろう? 見ての通り──爆破だよ」
「……なんだと?」
卓の横で置物と化していたジャレッドまで反応を見せた。
どんな凄腕であっても、ひと晩で魔導具として構築できる術式などたかが知れている。
せいぜい内包魔力を少しずつ圧縮して限界が来ると崩壊するだけの、時限魔力爆弾が関の山だった。
だがその内包魔力は集落一つを吹き飛ばせるほどの質量だ。
「どうだ、ヴィンセント? お前が大好きな魔導具だ」
「……商談、もとい依頼内容は把握しました。ただ、相応の対価がなければ話にならないでしょう」
「それなら、一年前に支払った迷惑料じゃ足りないか?」
思い出したついでに揶揄っておく。
「あぁ、やはりその仕返しですか」
だったら何だ? と言いたいところだが、ゼノにとってそれだけじゃないのが難しいところだ。
ブレイドから王都の話を聞いた際、三百年前にゼノを追い詰めた司教の名──ベルラドが教会として残っていることを知った。
だから、モノクルへの返答は──、
「ハッ! 冗談だ。ただの私怨だよ、教会への」
打算などない。本心だ。
「何があったのかは知りませんが、その報復に加担しろと? あり得ないでしょう。教会……ひいては国家に牙を剥く凶行ですよ。そこによほどの益があるとしても、引き受けることはできませんね」
「だろうな。ただ……お前に選択肢があると思うか?」
ゼノの強気な言葉に、ヴィンセントはその真意を確かめるようにモノクルに触れた。
「よほど対価に自信があるようで」
「いや、対価はない。引き受けないなら、貧民街の連中にかけられた魔法封じを取っ払う」
──処刑台の記憶と、貧民街の記憶。
そこには共通して魔法封じの魔法が存在していた。
処刑台ではゼノが。
貧民街では少年以外が。
行き場のない罪人の吹き溜まり。そこには魔法を奪われた人間しかいなかった。しかしどういうわけか、ヴィンセントはその魔法封じという名の枷を外す鍵──もとい、方法を知っているらしい。
魔法を使えない人間には当然魔導具も使えない。だが、ガラムを始めとした商会の連中が魔導具を使っていたのが何よりの証明だろう。
すぐ横のジャレッドは、魔法封じがかけられたままのようだが。
生殺与奪を握られ続け、被搾取側だった連中に魔法などという牙を与えれば何が起きるかなんて、分からないはずもない。
ゼノが生み出した魔法封じの魔法は処刑台の時のように、自身にその枷が嵌められていないのであれば対処することは容易い。
魔法封じの魔法といえども、それが魔法である限り、ゼノの魔法封じから逃れることはできないのだ。
とはいえヴィンセントにとってはにわかに信じがたい話だろう。
香の匂いがより一層強くなり息苦しさすら覚える。
「……ここにきて、恫喝ですか?」
呆れたように吐き捨てたヴィンセントは、心底退屈そうに目を伏せた。
「商談だなんてバカバカしい。魔法封じがなんですか? お好きにすればいいでしょう。さ、お引き取りを──ジャレッド、送ってさしあげて」
「ああ、任せておけ」
主の一言にジャレッドの剣気が急激に膨れ上がる。
「おお、いいのか? 武力行使なんて」
「今回は縁がなかった。破談ですよ、残念です」
まるで逃げるように、ヴィンセントは否定もせずに言い切って立ち上がった。そのまま自室にでも戻るつもりなのだろう。
「腹を割って話そうって言ったはずだが、随分と余裕だな──これのせいか?」
ゼノは手近な調度品──美しい花瓶に魔力を潜り込ませ、内側から粉砕する。
ジャレッドにとっては突然花瓶が割れただけ。だがヴィンセントにとってはそうではない。
「──っ」
空気が変わった。
それは比喩ではなく、甘い香の匂いが一瞬濃くなり、無風の室内でふわりと流れたのだ。
意思を持ったように一点に集まり、悪意をもって取り囲む。
長椅子に深く腰掛けたゼノに、背を向けたまま硬直する主に代わりに、ジャレッドは剣を抜き──、
「妙な真似はするなと──」
「──やめろ!! ジャレッド!!」
商会長の悲痛な叫びが、室内の時間を一瞬止めた。
「さぁヴィンセント、どうする? 商談を続けるなら大歓迎だ。破談だって言うならそれで構わないが──武力行使はこっちの領分だろう?」
魔法が存分に行使できる環境でゼノが後れを取ることはない。
調度品に見せかけた魔導具には、香に含まれる魔力を媒介として、ヴィンセントの身を護るよう術式が仕込まれている。
花瓶の粉砕は、その絶対防御がゼノの前でいかに無力であるかを意味していた。
「言っただろう、お前に選択肢はない。……あぁ、安心しろ? ここで死ぬか、国に歯向かって死ぬか、貧民街の反逆で死ぬか──どれを選んでも地獄なのは変わりないが、この商談に乗るのが一番死に様を選べることだけは保証してやるさ」
満ち満ちた香の魔力に這わせたゼノの魔力は、部屋の隅々へと行き渡り、盾をなくしたモノクルへ、無数の剣となってその刃を向けていた。




