シケイシッコウニンのアルバイト
「で、名前は?」
馴染みの喫茶店に入り、ボックス座席に座って一息。茶色を多く取り入れた、落ち着きのあるインテリアをキョロキョロと眺めていた女の子は、僕のほうに向き直る。
「フランシスだ」
そっけなく一言だけ告げると、また店内の観察に戻る女の子――フランシス。
姓か、名前か。名前だとしたらヨーロッパの男性名だけど、どこか中性的な彼女にはぴったりの名前に思えた。
「僕は樹木。藤岡樹木」
今度は僕の方を見ることさえしない。素っ気無く一言、アンティークな雰囲気のコーヒーミルに向かって言う。
「そうか。よろしく、イツキ」
あんまりよろしくない。というか、せめてこっちを向いて欲しい。
ここまでの経緯を思い返してちょっとげんなりしていると、ハスキーで甘い声がふってきた。
「お待たせしました」
タイミングよく運ばれてきたのはクリームソーダ。しゅわしゅわした緑色の海に浮かぶ白いバニラアイスクリームを見て、フランシスが目を丸くする。
「何だこれは」
そう低く呻いたきり、下から覗き込んだり上からつついてみたり、恐る恐るストローを突っ込んでみたり、色々といじる。
「クリームソーダ、知らないの?」
「……」
返事はない。が、この反応からして知らないのだろう。フランシスは恐る恐るストローを大振りのグラスから引き抜き、そうっと舌で舐めてみては目を丸くしている。
僕も無言で小さな銀のスプーンを使い、アイスクリームを崩す。それを見たフランシスは、ちょっぴり危なっかしい仕草でスプーンを握った。
さすがに、スプーンを知らないって事は無い……よな?
お互い無言でクリームソーダと格闘する間も、僕は小さな違和感をつかえさせたままだった。なんだか、映画のシーンを見ているようで落ち着かない。上手く事が運びすぎるのだ。
たまたま下校途中に欄干に腰掛けた女の子を見つけ、たまたま僕が声をかけ、たまたま女の子に(勢いで)とんでもない台詞を言ってしまい、たまたま喫茶店に入って名前を知る。こんなことが、現実にすんなり起こりうるものなんだろうか。
白い孤島が緑に染まるのを見て、僕は慌ててスプーンを突っ込む。汗が冷えて、ぞくぞくと背が寒くなった。
考えすぎだ。そのたまたまが、たまたま連鎖してしまっただけなのかもしれない。ほら、小説や漫画なんかによくある展開だろ? 主人公がたまたま隣の席の子に恋をしたり、たまたま異世界にトリップしたり。たまたま美少女に出逢ったり。
……。
いやいやいやいや、それは現実じゃない。二次元世界のお話だ。
ぶんぶんと首を振る僕を、フランシスは檻の向こうの絶滅危惧種を観るような眼で見つめていた。
「……知り合いに、腕のいい脳外科医がいるんだが」
「余計なお世話だよ!」
まとまらない思考がぐるぐるとループを始め、アイスクリームがすっかり溶けた頃、僕はフランシスにかまを掛ける事を決意した。
「フランシス」
「ん?」
フランシスはクリームソーダから目を上げた。その頬が不満げに膨れている。大きな瞳は敏捷なネコ科の動物のように細められ、雷を抱いた雲の如き不穏な光を宿していた。
「邪魔してごめん」
思わず謝ってしまう。これは僕が小中学校の九年間で獲得した、円滑な人間関係のための条件反射。嗚呼、悲しき性。
「いや、構わん。何だ」
偉そうな娘である。
「フランシスは、どうして僕に声をかけられようとしたの?」
フランシスが口を開き、すぐに閉じた。蒼い瞳は空の一点を見つめ、なにやら考え込んでいる。
「気付いていたのか」
吊り橋を渡るようにして、ゆっくりと慎重に言葉を選びながらフランシスがあの不思議な声で答えたのは、たっぷり二分間以上考えた後だった。
「うん」
もちろん何も分かってなんかない。ただのブラフだ。
心当たりは、あるにはあるんだけど。今までも二、三回あったことだ。
「イツキは鋭いなぁ」
はあー、と大きく息をついたフランシスは、スプーンをそっとテーブルに置いた。
どうやら完全に引っかかってくれたらしい。
「気付いているようだから、端的に言うよ」
思いがけず真剣な光を宿した蒼い眼が、ひたと僕を見つめた。
僕は知らず知らず息を詰めてしまう。
「君、アルバイトをしないか」
「アルバイト?」
聞き返すと、詰めていた息が栓を緩めたように流れ出た。それに合わせるように、一気に気が抜けていくのが分かる。
「左様」
薄い胸の前で腕を組み、うむうむと可愛らしく頷きながら、フランシスは軽い調子で続ける。
「私の手伝いのアルバイトだ。君以外に手伝いが出来る人間を探すのは、いささか大変でね」
見事に予想的中だ。今日は勘が冴えているらしい。ただし悪い方の、だ。何回も言うようだけど。
ええと――
「お断りします」
「早いなっ?」
せめて内容くらいは聞け、と真珠色の歯をちらつかせる。外見に反して、フランシスの犬歯は意外なほど尖っていた。0.0003秒でホールドアップ。
ああ、蛇に睨まれた蛙ってこんな気持ちだったのか……。
「フランシスの『仕事』って、何?」
もう分かりきっていることだけど、一応訊いておく。
「私の仕事は、シケイシッコウニンだ!」
どうだ! と目を輝かせるフランシス。
ここに来て、ようやく僕の勘は外れてくれたようだ。一安心。
……え? 死刑執行人?
「死刑執行人? 霊媒師とか、御祓いの専門家とかじゃないの?」
「私がそう見えるか」
フランシスが、雨の日の洗濯物並みにジトッとした目で僕を睨む。
「いや、見えない」
僕らの視線は自然と、繊細なデザインのゴシックロリータに向かっていた。確かにそれはミスマッチの極みだろう。
だからといって、死刑執行人に見えるわけじゃないけど。
フランシスは可愛らしく拳を握り締め、上を向いて叫ぶ。
僕は思わず、店内に他の客がいないことを確認してしまった。
「死刑執行人じゃない。死繋執行人だ!」
同じだろ。
「違う!」
店内の照明に白く光る髪を豪快に掻き回し、苛立ったような蒼眼で僕を射抜く。
白髪がゆらゆらと逆立って見えるのは、気のせいであると信じたい。
「『死』者・遺者間接『繋』権『執行人』、略して死繋執行人だ!」
どうだ! ともう一度胸を張るフランシス。
「えっと……?」
脳内の漢字変換が追いつかん。
「簡単に言えば、死んだ者と遺された者の間に立って、両者を繋ぐ権利の執行人だ」
どん、とテーブルを叩くフランシス。その衝撃で僅かに溶け残っていたフランシスのバニラアイスクリームが大きく沈み、また浮き上がってきた。
「そんな……」
そんな権利があったのか。
突拍子も無いフランシスの話よりも、意味の分からない初耳の職業よりも、僕はその事に驚いた。その権利を行使することが出来たら――。
「イツキは、幽霊、見えるんだろう」
うって変わった静かな調子。一句一句を区切るようにして投げかけられた言葉は、その一言よりも、ずっと、ずっとたくさんの感情や意味を含んでいた。
「何で分かったの」
応じた僕の声も、フランシスに負けないくらい複雑な響きを伴っていたと思う。
正直、完全に見抜かれていることは覚悟の上だったけれど、これほどまでに真摯な眼差しをして、優しげな調子でその言葉を投げかけた人はいなかった。
何度か聞いた、決して好きではなかったはずのその台詞が、するりと僕の心に落ちてくる。




