心の刀
「その通りだ。『徳』とは数値ではなく、淀みなき『循環』なのだ」
剛山の乾いた声が道場に響くと同時に――最後の戦いが始まる。
剛山の手が動く。現実の彼のその手は動いてはいない。だが、確かに山のごとき巨躯が静かに、鞘から「心の刀」を引き抜いていた。
同じ魂を持つ者にしか見えぬ心の刀。
そして、同じ魂を持つ者しか、これと戦う事は出来ぬ。
大和は正座したままだ。
だが、魂は立っている。
そして、全く同時に同じ構えを取っているのを、両者は肌で感じ取っていた。
誰にも見えぬ一触即発の領域。
「お前が気づいた通り、侍道における精神は、義は得た、勇はまだ得ていないなどの力の技術では在らぬ。義があるからこそ勇が生まれ、勇があるからこそ仁を貫け、仁があるからこそ礼が形を成す……というように、すべての精神が境目なく、滑らかに繋がり合って循環している状態こそが美しい円……歪みのない心なのだ」
剛山が言葉の終端を口にした刹那、動く。
大和よりも遥かに大柄な剛山は、その圧倒的な高身長と長大なリーチを容赦なく利用し、大和のはるか遠い間合いから一歩を踏み込んできた。
疾風。否、雷撃。
最短距離を一直線に貫く、鋭い踏み込み突き。問答無用の奇襲戦法。
並の刀士であれば、反応する事すら出来ない。
――だが、大和は違う。並みでは在らぬ。
「原初より伝わる『義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義』の七つだけでは、まだ角は存在する。この世界には、お前の言う通り、他にも無数の大切な精神がある。ワシも負けぬぞ」
己の小柄な体格を最大限に活かす。
突きの軌道の下へと滑り込むように身体を潜り込ませる。
雷撃は空を切った。
剛山は瞬時に刃を引くと同時に、そのまま刀の「柄」を、今、真下にいる大和の頭頂部に向けて容赦なく打ちつけにいく。
刀とは刃だけではない。柄も、鍔も、魂の形。
これこそが剛山流派。
「己の非を認める『潔さ』……苦難に耐え忍ぶ『堪忍』……万物への『感謝』や『無常を尊ぶ心』こういったものかの? しかし、まだまだあるはずだ」
捉えている。
硬質な質量が捉えている。
だが、その捉えているものが動く。
大和は潜り込んだ勢いを殺さない。さらに身体を深く沈める。丸まる。
そして地を滑らかに転がり、剛山の足元から距離を取る。
恐らく、この上からくる追撃は予想していたのだろう。
ーー綺麗な円のように転がったものだな。
そう感じた。
「これらの教え……つまり点が増えれば増えるほど、多角形の角は削ぎ落とされ、やがて『限りなく完璧な円』へと近づいていく。言葉にできない無数の心のアプローチが、お前の円をより滑らかなものに、より強固にしていくのだ」
隙など見せずに立ち上がる大和。心の刀はもう構えている。
剛山もまた、体勢を整える。開いた距離を詰め、大和と再び対峙する。
剛山の瞳には表情はない。
これが侍の瞳だ。
二度目の奇襲、小細工の類はもう大和には通じないと、察している。
間合いを探り合う二人。
だが、剛山の持つ圧倒的なリーチの利点は何一つ変わっていない。
それを使う事こそが、敬意。
「侍道とはまさに、『円を磨き続ける旅』であろう」
現実の剛山が不敵に、しかしどこか嬉しそうにそう呟いた。
その刹那、剛山の心の刀が、今度は横一文字に鋭く薙ぎ払われた。狙いは大和の首、ただ一点。




