最後の修行
使い古された板張りの床を鳴らし、大和は道場の奥へと歩みを進めた。薄暗い灯火の向こう、仁王立ちのまま腕を組み、庭の夜色を眺めていた剛山が、気配を察してゆっくりと振り返る。その佇まいは、やはり一本の巨大な大樹のようだった。
大和は師の数歩手前で足を止め、静かに声をかけた。
「師匠、最後の修行に参りました」
剛山は微動だにせず、ただその巌のような眼眸だけで大和をじっと見つめた。しばしの静寂の後、深く重い声が道場に響く。
「うむ。その不退転の決意、しかと受け止めた」
剛山は腕を組み直すと、大和の全身の肉体と、その奥にある魂の揺らぎを値踏みするように視線を巡らせた。明日にはこの地を去る愛弟子の、これが本当に最後の夜になる。
「だがお前の言う通り、これが最後の修行だ。並大抵の覚悟では務まらぬぞ。しかし、その魂を疎かにせず、一歩一歩と磨き続ければ、必ずや望むべき道は開けるはずだ。……まずは、お前がどのような『最後の教え』を望むのか、その志を教えてもらおう」
剛山の視線が、大和の腰に携えられた見えない刀へと落とされる。大和がこれから向かうのは、あらゆる魔力が絡み合う未知の大陸だ。師として授けられる最後の道標をどこに置くべきか、剛山は己の胸中を探るように言葉を紡いだ。
「大和よ、剛山流の道をお前は求めるのか……。それとも、剛山流に足らぬの道を求めるのか。……ふむ。改めて、ワシも剛山流とやらを己に問いかけるとするか」
剛山はゆっくりと歩き出し、大和の周囲を円を描くように巡った。その足音は一切の無駄がなく、道場の空気をじりじりと引き締めていく。
「お前が求めるのは、刀技なのか……? それとも、その刀を作り上げる為の力なのか……? あるいは、刀だけでは足らぬ困難な道に出会った時に、使うべき魔法なのか。……安心しろ。魔法は剛山流で在らぬだけで、ワシも心得はある。さぁ、お前が求める『最後の修行』を伝えてくれ。これが最後の教えだ。ワシの全てを持って旅立つがいい」
あらゆる選択肢を差し出され、大和は静かに息を吸い込んだ。師の言う通り、大陸の巨大な力に対抗するための「より実用的な魔法」をここで乞うこともできたはずだ。しかし、大和の心はとうに決まっていた。
「改めて、己の在り方……我々の『義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義』の精神……侍道を学びに参りました」
大和の声は、夜風に消されることなく、真っ直ぐに道場の壁へと吸い込まれていった。
「師匠が今、言った教えは、その心を強くし……そして自分の力で見つけたいと思います」
そう言い切ると同時に、大和は羽織の裾を払い、その場に静かに腰を落とした。
畳の上に膝を揃え、背筋を真っ直ぐに伸ばし、両手を太ももの上に置く。これまで何千、何万回と繰り返してきた、寸分の狂いもない美しき『正座』。技や力という目に見えるものではなく、己の『心そのもの』を磨いてくれという、言葉以上の不退転の覚悟の証明。
大和のその姿、その眼差しを正面から受け止めた剛山は、僅かに眉を動かした。だがすぐに、その眉は戻る。
「実に見事な志である」
剛山もまた、大和と向かい合うようにして、その巨体をゆっくりと畳へと沈めた。
微かに道場が揺れる。大和と正面から向かい合い、正座を交わす。
大きな山と、小さき山。だが目線は同じ。
師弟の立ち話は終わりを告げる。
「最後の修行」が始まろうとしていた。




