赤場くんだけは理解者 4
忙しさは人の時間感覚までをも狂わせる。
この数か月間は、あり得ないほどに長かった。大学生であることすら一時的に放棄し、研究者としての仕事にほとんどの時間を捧げた。私のような無機質な人間にとっても、貴重な青春の一ページであることに変わりはないのだけれど、仕方がないことだった。仮に暇だったとしても、新着音MADを巡回して終わるだけなのだから⋯⋯むしろ人の役に立ったほうがいいだろう。まぁそれは一般的な価値観の話であって、私としては社会への貢献など、どうでもよく感じているのだけれど。
──そんな日々も、ようやく終わる。
全職務の最終工程は、研究とは直接関係のない、報告書の作成と送信。イベント出展に際して、必要な情報を書面にまとめるのだ。ハッキリ言って私がやる必要性はまったくない作業だが、教授たちは同じ部屋で違う仕事をしている。当然ながら講義なども続いているわけで、公認サボり学生である私が一番時間があるのだ。
「じゃあ、送信します」
赤場くん含め、全員がそろっている中で、ついに最後の最後、入力フォームの送信ボタンを押す。
そのクリックは、今まで何千回も押してきたマウスの、いつもとなんら変わらない押し心地だった。長い長い日々は、そんなつまらない指の動き一つで終わった⋯⋯。案外、世界も指一本で終わるのかもしれない。
背後から、みんなが喜びの声を上げるのが聞こえてくる。赤場くんも一緒になって騒いでいる。
気持ちは分かるけど、これからも多少は忙しい。展示そのものの準備もしなければならないのだから⋯⋯。まぁその辺りは、海外のEL研究施設からも少し協力してもらえるらしいから、余裕はあるのだけれど。
私はみんなの騒ぎに混ざる気にはなれず、そのまま帰宅した。赤場くんは別れ際に「お疲れ様でした」なんて言ってきた。義務でもないのに協力してくれたという点では、赤場くんのほうがお疲れ様ではあるので、感謝を胸に私は去った。
薄暗い自室はいつだって私を包み込んでくれる。ここにある機械類は私の目的を果たすために欠かせないものばかりだ。その目的だけで考えれば、あの研究室よりもよい設備が整っているとも言える。
あの研究室では、脳波を介した情報の出力だけが追及されていた。
当たり前といえば当たり前だ。出力には健康リスクがほとんどない。なにせ、考えていることが外に出ていくだけなのだから。
それに対し、脳に情報を入力するのには、相応のリスクが伴う。情報量が多すぎると脳がパンクするし、情報を入れる脳の部位を間違えても、脳が壊れる。そんな危険を伴う実験など、そう頻繁には行えない。だからこそ出力側の研究ばかりが進むのだ。
しかし新時代の黎明を起こすには、作る側ばかりが成熟してはいけない。それを感じ取る側の器もまた等しく発展するべきなのだ。少なくとも私だけは、それを味わえる立場にいなければならないし、受信側の開発が遅れて、黎明期の完全な姿を見逃すことも、あってはならない。
勢いよく椅子に座り、PCの電源を点ける。やっと、やっと自分の研究ができる。
今までの研究と展示準備は、あくまでも実験だ。黎明が発生するかのテスト。今後サイフェスが開催され、ゆうに十万人を超えるであろう参加者たちが何を設計し、何を生み出すのか。
おそらく十人くらいは、音MADか、それに近いものを作り出すはずだ。そうでなくても、私が望んだような、権利や倫理を超越したカオスが生まれるはずだ。
同時に、参加者の深層心理のデータも観測する。私が望むようなものを作り出す素質のある人間がいれば、その人物に接触を図るのもよいかもしれない。要するにあの頃のような無邪気さを持つ人間を探るのだ。
あとはそれを受け入れる入力側技術の研究を⋯⋯と思ったところで、マウスを動かす手が止まった。
何も⋯⋯⋯⋯考えられない⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
やっぱり私は疲れていたんだ。手の力が抜けていく。今日はもう寝ようか⋯⋯。
しかし、早く寝すぎるのもよくないな、と思い、とりあえずなんとなく動画サイトを開いた。
そういえば、赤場くんの新作なんかも、何本かは出ているだろう。
ほとんど無意識でマウスを動かし、『あかひー』のアカウントページへ移動した。
新しい動画は、一本だけ。
動画を開く。以前にも赤場くんが使っていた、博物館の素材だ。でもなんだか、音MADという感じがしない。いつも通りの赤場くんの雰囲気ではあるのだけれど、音楽はいままで聞いたことのないものだった。
そこで、一つのコメントが目に入った。
『案件ってマジか』
案件⋯⋯。
案件⋯⋯⋯⋯!?
一気に目が冴えた。すべての疑問が頭の中で繋がっていく。バイトを辞めても平気だったのも、その理由をあまり言いたがらなかったのも⋯⋯全部、このせいだ。
赤場くんは、金銭を受け取って動画を作成していた。
依頼主は⋯⋯この博物館の運営⋯⋯!
やっちゃったね。
次回はエグみ強めです。




