長壁の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
ある晩の事。
姫路城に仕える侍たちが、夜番の暇を持て余して誰が始めたとも知れずに怪談話に興じていた。
様々な怪談話が出る中で、この姫路城の天守に住まう『長壁姫』の話が持ち上がった。長壁姫の話は、城仕えの侍のみならず城下の町人にも知れ渡るほどのありきたりの怪談であった。
しかし、今日に限っては単なる怪談話で済まなかったのだ。悪乗りした一人の侍が、今からくじに当たった者が一人で天守閣に臨み、長壁姫の話の真偽を確かめようではないかと提案してきたのである。
皆が薄気味悪いと思ったのだが、そこは侍の車座。臆病者と揶揄されるのも癪に障るので、反対する者がいなかった。
こよりで簡単なくじを作り、皆でそれを引いた。すると、その中でも最も年若い小姓の森田と言うものが当たった。他の者たちは若輩の森田の事だから、きっと泣き言を言い出すだろうと思っていたのだが、森田は
「反対をしなかったくじに当たった故、拙者が行って参ります」
と、果敢にも本当に天守へと上がっていったのだった。
◇
暗い城内を灯りも持たずに進んで行く。灯りを付けられないのには訳があった。
天守に住む長壁姫は人を嫌うと伝えられており、年に一度だけ城の主のみが会う事を許されている。その為、天守に立ち入ることは禁じられており、その姿を誰かに見られる訳にはいかなかったのだ。
とは言え、それもかつての伝説という扱いになって本気にとる者は誰もおらず、今では現当主であっても天守に立ち入ることは滅多になかった。
やがて森田は天守に辿り着いた。
ここまでくればと、森田は携えていた手持ちの行燈に火を付けた。
重々しい扉を押す。すると見かけの割には容易く戸が開いた。だが、おかしいことにも気が付いた。この天守は普段は宝物庫としても使われており、厳重に鍵がしてあると記憶していたからである。
中に入って部屋を照らせば、確かに聞き及んだ通り、骨董や刀、鎧の類が整頓されて置かれていた。不気味な雰囲気も一入であったが、森田は怯むことなく、さらに奥へと進んで行った。
その時。
「何者であるか」
と、後ろから声を掛けられた。
森田は慌てて、振り向いた。
するとそこには、上質な絹の衣に身を包み、年の頃で三十くらいであろう妖艶な美女が佇んでいた。
森田はその美しさと、急に声を掛けられた戸惑いとで返事ができなかった。
「我はこの姫路城の天守に住まう長壁である。そなたは何者じゃ」
その言葉に森田はすかさず控えた後、厳かに答えた。
「拙者は森田図書と申しまする」
「ふむ・・・では森田とやら。ここへは何をしに参った? 城仕えであれば。この天守には年に一度きり城主だけが立ち入ることを許されておるという事を知っておろう。それともこの城の者どもは、その約束さえも忘れてしまったのか」
「決してそのような事はございませぬ。今でもこの天守に入ることは禁じられております」
「では、一体何をしにここまで参った」
森田は覚悟を決め、今宵ここまでくることになった理由を言って聞かせた。
◇
「如何な理由とは言え、掟を反故にしたことは言い逃れいたしませぬ。しかしながら、これは全て拙者の一存でござる。如何なる裁きも甘んじて受けます故、どうか城は元より城主様にも災いの起こりませぬよう、何卒何卒」
と、森田は平身低頭に謝り続けた。
「あい分かった。此度の始末、其方の素直さに免じていかなる咎めも与えませぬ」
「有難き幸せ」
「とは言え、其方もここまで来てこの長壁に出会ったという証が欲しかろう」
長壁姫はそういうと、傍にあった兜の錣(兜の首周りを守る部位)を引きちぎると、それを森田に渡してきた。
「それを我に会った証にするがよい」
森田は今一度平伏し、お礼の言葉を述べた。
「それから二つ約束をしてもらう。一つは二度とこの天守には立ち寄らぬこと。もう一つは例え誰に聞かれたとしても、我の姿について話してはならぬ。それを守るならば、我も其方との約束を守ろう」
そう言い終わると、長壁姫の姿は再び天守の闇の中に溶けていった。
後には耳が痛くなるほどの静寂と、引きちぎられた錣が残るばかりであった。
◇
この出来事は、瞬く間に城内に広まった。やがて森田は殿に直々に呼び出され、件の錣を収めることとなった。
「これは確かに天守に置いてあった兜の錣。それも到底人間の力でちぎったとは思えん」
周りにいた重鎮たちも、恐る恐るその錣を調べていた。
「やはり天守に住まう長壁姫はただの言い伝えではなかったか・・・森田とやら」
「はっ」
森田は呼び出されたときから、禁を破った責任を取る覚悟をしていた。例え腹を切ることになっても、致し方ないと思っていた。
「掟を破って天守に忍び入った事は確かに大罪じゃ。しかし、この城の守り神たる長壁姫が許した其方を、今になってワシが裁く訳にもいかぬ。よって長壁姫と同じく無罪放免とする」
「有難き幸せに御座います」
「ところでな、森田。長壁姫というのは絶世の美女だと聞いたことがあるが、それは真であったか?」
殿からのその問い掛けに、森田はドキリと心臓が動いたのが分かった。
「どうじゃ?」
「恐れながら、拙者にはお答えできませぬ。長壁姫の容姿ついて語ってはならぬという約束に御座いまする。お慈悲を賜りましたことは感謝いたしますが、こればかりは例え腹を切ることになってもお答えできませぬ」
「左様か・・・約束を破り、災いが降りかかりでもしたら一大事じゃのう・・・森田よ」
「はっ」
「其方には、長壁姫との約束を守るよう固く命じる」
「畏まりました」
「うむ。長壁姫との約束、きちんと『ヒメ事』に致せ」
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