栄螺鬼の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
漁で栄えたある村に恵洲乃介という漁師がいた。恵洲乃介には他に四人の幼馴染の漁師仲間がいて、いつも五人組で仕事をこなしていた。
この五人は何かと共通することが多かった。全員が大の酒飲みであったり、生まれた日がそれぞれ一日違いだったり、全員が同じ月のうちに結納を上げたりと、和気藹々とした仲であった。
そして。とりわけこの五人は栄螺が好物だった。いつもいつも五人で結託していち早く仕事を終わらせると、栄螺取りに精を出した。来る日も来る日も栄螺を取っては七輪で壺焼きにして、それをアテに酒を飲むのが五人にとって何よりも楽しい時間だった。
「やっぱり栄螺は壺焼きに限るな」
しかし、五人の栄螺好きは少々度の過ぎることもあった。毎日取り漁るものだから、他の漁場をも脅かすこともあった。大きくなったモノならいざ知らず、まだまだ小さい栄螺も手当たり次第に取ってしまう。そのくせに小ぶりな栄螺を見ると、
「こんなに小さいんじゃ、中身をほじくるのが面倒だ」
などと言って食べない事もあった。
そんなものだから、この辺りの漁師たちの長は五人を捕まえて説教することもあったのだ。
「栄螺を食うな、とは言わないが少々加減と言うものをしたらどうだ?」
「そうは言ってもね、お頭。俺たちは漁師だ、漁師が海で獲物を捕ってなにが可笑しいことがあります」
これは恵洲乃介たちの殺し文句である。長も毎度毎度この文句に上手い返しが思い浮かばず、尻つぼみな言葉でお茶を濁していた。だが、今日ばかりは少しばかり食って掛かった。
「だが、漁師なら魚を取ってなんぼだろう。それに商売となれば自分たちが食うだけでなくて、売って銭にしてようやく仕事といえるんじゃないか?」
「う」
その言葉に五人は言いよどんだ。長は更に追い打ちをかける。
「それにな、栄螺というのがよろしくない。知っているだろう? この辺りには『栄螺鬼』という化け物が出ると言われている。取り過ぎてもし栄螺が化けて出てきたら・・・」
その言葉に恵洲乃介たちは吹き出した。あまりにも子供だましの説教だったからだ。
「長、そりゃぁねえよ。大の大人にする説教がまさかお化けなんて、おかしくってしょうがねえや」
こうなってしまうともう駄目だった。それからは何を言っても茶化されて説教どころではない。仕方なく、五人を家に帰したのだった。
◇
家路についている五人はまだ笑い合っていた。
「まさか栄螺鬼が出るから栄螺を取るなと言われるとはな」
「全くだ。言うに事を欠いてよ」
「それなら他の魚はどうなるんだって話だぜ。栄螺だけが漁師を怨む訳があるまいし」
「さあ。さっさと寝ちまって、明日もぱぱっと仕事を片付けてよ、栄螺の壺焼きで一杯やろうぜ」
五人にはそう言って別れ、それぞれの家に戻って行った。
◇
さて。
家に戻った恵洲乃介は、寝る前に一人で酒を呷っていた。普段小うるさい女房は用事で家を出ており、帰ってくるのは明晩になる予定であった。恵洲乃介たちの仲が良いなら、友達連中の妻たちも中々に仲がよく、五人そろって出かけていたのである。
その時。表戸を叩き訪ねてくる者があった。
「こんな時間に誰だろうか」
恵洲乃介は扉越しに声を掛けた。帰って来たのは女の声の様だった。
「わたくしは旅の者ですが、連れに路銀を持ち逃げされて困っております。部屋の隅でも構いません。どうか一晩泊めて頂けませんか」
可哀相だとは思ったが、恵洲乃介は断ることにした。女房のいない間の事であるので、男女が一つ屋根の下で寝泊まりするとなっては始末が悪い。だが、せめて泊めてくれるであろう村の年寄り夫婦の家だけでも教えてやろうと、戸を開けてやった。
すまないが、うちには泊められない・・・という言葉は出てこなかった。
恵洲乃介は外に立っていた女のあまりの見目麗しさに見惚れてしまったからである。白く線の細い美人であった。困り顔というか憂い顔というか、しおらしさがやけに色っぽかった。
恵洲乃介はすぐに下心変わりして女を泊めてやることにした。大急ぎで魚を焼き、簡単な汁物を拵えて女をもてなした。女も女で気を良くしたのか、恵洲乃介に酌をしたり、反対に酒を注がれたりして、その内に二人は大層愉快に酔っぱらってしまった。
女はわざとなのかそうでないのか、酔いでふらつくと恵洲乃介に体を預けるような体でもたれかかった。
潤んだ瞳には抗いがたい魅力があると、恵洲乃介はぐっと自分を精一杯制した。が、傍から見れば男女が事に至る一歩手前の装いだ。
◇
すると、用心棒をし忘れた戸がガラリと開いた。驚いて顔を向けると、何故か明日に帰ってくるはずの女房が立っていた。
家の中に無限とも思える間があった。
が、それも一瞬。女房は鬼が可愛く見えるほどの形相へと転じた。それを見て恵洲乃介は慌てて繕う。
「お、お前。帰りは明日なんじゃ・・・」
「おみつさんが、替えのきかない忘れ物をしちまったから皆で戻って来たのよ・・・それよりもアンタっ! 女房の留守を狙って女を引き込むなんていい根性してるじゃない」
「い、いや。違うんだよ。この人は、旅の人で一晩泊めてやることに」
「嘘おっしゃい! いえ、本当だったとしても行きずりの女に手を出すなんて・・・アタシの留守をいいことに、何をしてもバレないと思って」
「お、落ち着けって・・・そうだ、アンタからも言ってくれ」
と、恵洲乃介は旅の女を見た。しかし、いつの間にやら姿を消していたのだった。
それからは地獄絵図だった。怒られ泣かれ、蹴られ殴られ噛みつかれ引っ掻かれ、大立ち回りの末に恵洲乃介は夜でも構わず外に逃げ出した。
当てどなくしばらく歩いていると、前から数人の声が聞こえてきた。見ればさっき別れたばかりの四人が、どこかしら怪我をしたり傷を作ったりしている。
「お前ら、一体どうしたんだ」
「おお、恵洲乃介。やっぱりお前もか」
「やっぱり?」
聞けば、皆の傷は女房にのされたからできたモノらしかった。やはり恵洲乃介と同じく、旅の女の美しさに下心を出して家に入れて持て成してた頃、帰って来た女房に浮気を誤解されてしまったという。
◇
「けどよ、いつの間にか、その女が消えていやがったんだ」
「ああ。俺らのところもそうさ。どこに行きやがったんだ、一体」
そう話をしている五人の耳に女の笑い声が聞こえた。その方を向くと、先程の旅の女が波打ち際の岩の上に腰かけて、さも愉快そうに笑っていた。
「貴様らに貪り食われた栄螺の怨みじゃ」
その言葉に全員がギョッとした。そして散々笑い飛ばした長の説教が頭の中に反響する。
「栄螺鬼・・・」
誰となくそう呟いた。
それを聞くと女は立ち上がり、人の姿を止めた。異形の姿に五人は互いに抱き着き合い、情けない悲鳴を上げた。
「こちらの思うツボで女房に妬かれたな。散々壺焼きにされた同胞達の怨みを思い知ったか」
そういうと栄螺鬼は海へ飛び込み、そのまま消え失せてしまった。
◇
それからというもの、恵洲乃介たちはぱったりと栄螺を食わなくなった。
そして、この辺りの村では旅姿をした女が一人で家に訪ねて来た時は、栄螺鬼が化けたものだと言われ、決して泊めることはしなかったという。
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