指先一つの天変地異
「ギャハハハ! 今日は美味い酒が飲めそうだな!」
大通りに面した賑やかな酒場。
先ほど路地裏で俺を泥水に突き飛ばし、なけなしの銅貨を奪っていったCランク冒険者のガルズたちは、早くも奪った金でエールを煽り、下卑た笑い声を上げていた。「あの落ちこぼれ、今頃泣きながらネズミでも呼んでんじゃないの?」
女斥候のミーシャが、肉に齧り付きながら下品に同調する。
その、楽しげな宴の席に。
ギィ、と静かに酒場の扉を開けて、俺は足を踏み入れた。「あ?」 最初に気づいたガルズが、あからさまに不快そうな顔で眉をひそめる。
「なんだレオン、お前。まだ殴られ足りねえのか? 稼ぎならもう一コインも残ってねえぞ」
酒場中の冒険者たちの視線が、一斉に俺に集まる。
いつもなら、俺はここで俯き、彼らの嘲笑を耐えるだけだった。
だが、今の俺の背後には、椿色の髪を揺らす『一角の少女』が静かに従っている。
「ガルズ。俺の金を返せ。それと――俺の一族を侮辱したことを、今すぐここで這いつくばって謝罪しろ」 俺の冷徹な声に、酒場が一瞬、静まり返った。
次の瞬間、割れんばかりの爆笑が沸き起こる。「ハハハハ! おい聞いたかよ! 謝罪しろだってよ!」
ガルズが椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、巨大なバトルアクスを肩に担いだ。
「おいおい、裏で妙な女を拾ったからって調子に乗るなよ、ゴミ虫が。その上玉の女を俺たちに差し出すってんなら、命だけは助けてやっても――」
ガルズが、椿に向けて下品な手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
「――不敬です。その薄汚い四肢、我が主の視界から排除します」
氷よりも冷たい声が響く。
椿が、その白く華奢な指先を、チッと軽く鳴らした。パチン。
小気味よい音が、静まり返った酒場に響く。
直後、轟音すらなく、ガルズの右腕があった空間そのものが、爆発的な魔力の奔流によって一瞬で消失した。 切断面は超高密度の漆黒の魔力で焼き切られ、血すら流れない。ただ、そこにあったはずの肉体と、握られていた鉄の斧が、塵一つ残さず消滅していた。
「あ……え……?」
ガルズは、自分の右肩から先がなくなっているのを呆然と見つめた。
遅れて、脳に激痛が達する。
「ぎ、あ、ああああああああああああッ!? 俺の、俺の腕がぁぁぁぁぁッ!?」 床に転がり、狂ったように絶叫するガルズ。
酒場にいたすべての冒険者たちが、何が起きたのか理解できず、ただ恐怖に目を見開いて硬直した。魔法の詠唱も、前兆すらもなかった。ただ指を一つ鳴らしただけで、Cランクの重戦士が文字通り『削り取られた』のだ。「ヒッ、あ、ああ……っ」
ミーシャがガタガタと椅子ごとひっくり返り、床にへたり込む。彼女の股間からは、恐怖のあまり生暖かい液体が染み出していた。
「主様」
椿がレオンの前に跪き、真紅の瞳で俺を見上げた。「この羽虫ども、私が指先一つで、魂ごとこの世界から消し去りましょうか?」
武器も持たず、生身のままで世界を滅ぼせる魔王。彼女にとって、目の前の冒険者など、ただの塵に等しい。 だが、俺は静かに首を振り、腰のボロい短剣を抜いた。「いや、椿。手出しはそこまででいい」
あの日、アルティが俺に握らせて逃がした、一族の意匠が刻まれた唯一の短剣。
俺の目は、かつての怯えた落ちこぼれのものではなかった。
「こいつらは、俺の獲物だ。……自分の手で、処理する」「……御意。我が主の歩む血の路、特等席で見届けさせていただきます」
椿が嬉しそうに微笑み、一歩下がる。
俺は、床でのたうち回るガルズの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「ひ、ひぃ……た、助けてくれ、レオン、悪かった、俺が、俺が悪かった……!」
「ガルズ。言ったはずだ。お前たちの首を落として、復讐の糧にするってな」 命乞いをするガルズの首筋に、短剣の刃を当てる。
椿の花が、首からポトリと落ちるように。俺の復讐の旅路は、この路地裏の小悪党の血から始まる。
「――まずは、お前からだ」
冷徹な一閃が、酒場の闇を切り裂いた。




