20話 善と悪と悪と善
主観なんてものはその主観により右往左往してしまう。
「ベータ〜、お久しぶりです〜」
「お、デルタじゃないか、どうだい?そちらは上手くいってるかい」
「はい、帰納的な手法で慎重に境界を引いて、地道に情報を収集しておりますぞ!我々の深淵なるものの討伐作戦による全終焉する可能性を考慮して、我々と敵対的な立場になった陣営が多くてです」
「おい!居たぞ!グレンの神行の使徒だ!、、、」
「おま、無言で」
デルタ、彼女がパソコンから設計、創造している武器、と言うよりそれ自体を押し固めたもの、その名も全知全能・殺槍。
神器の一種で有り、槍だが剣でも有り盾でも有りなんでもあるがその全てが槍に収束している、卵が先か鶏が先か、親も子も無き全能と全知の矛盾的概念、能動性は全能は全知を内包し、理性は全知は全能を内包し、それ一つの概念自体が一つの二元性として機能するのだ。
全能は全能で有り全知は全知であると同時に全能は全知でも有り全知は全能でもある、全能の中に全知全能性が内包されており、全知の中にも全知全能性が内包されていると言うことであり、お互いがお互いを補完し合って矛盾しているのだ。
全能が全知全能を内包・全知が全知全能を内包、そのような全知全能が一段と統合された状態からその全知全能もまた一段上の全能・全知の支配下ってのが繰り返しているから、全能(全知)の逆説すら内包下にある。
殺槍はこのような神の属性、付属品の二元性である全知と全能(全知と全能(全能と全能,,,))を超越した、全能(全知)の矛盾的概念や全能の逆説と言ったものすら内包した全知全能を破壊する虚空之矛盾、神の口すら推し黙らせて沈黙させる完全なる否定の無神論的・虚無主義的神殺しの権化である。
概念を操り敵対的存在に対して圧倒的な優位性を保つ。
今ベータは何をしたか、それは因果法則を無視して絶対的な突きを与えたのだ、まだ突いて居ないのになぜ突きが与えられたか、それは突いてないと言う状態や突く過程、事象を飛躍して槍が自らの意思で敵意を宿した瞬間のそいつらを時空ごとぶっ貫いたのだ、それだけじゃない、本来ならば敵対者が来るはずは無い、それは相手の実力が高かった、からだけではない。
「メタ的にこの様に演出することで、読者にこの槍の強さを伝えるためわざと弱体化して描写したのですゾ、えっへん」
「メタ発言過ぎんだろ!確かにおかしいなと思ったよ、弱すぎると思ったが、てか何作者側に肩入れしてんだ、今やるべきはそんなことじゃないだろ」
「す、すみません」
「それより、資料や、データベースに登録した?、、、あ、もう来てる、デルタのデータが、仕事を一時的に終えたと言うことで、行きますか」
「勿論っす!」
こうして2人とアルファを加えた3人はとある場所へ来て居た。
「着いたっす!」
「何グラハム個の世界跨いだんだ今、兎も角ちょこっと遠いな」
「うまっそ〜!」
その場所は、大量の食材に満ち溢れた世界、お菓子の家や国がある、その名は別称スナックワールド、世界がお菓子で構成されているからそう呼ばれる。
「生命体が居ないんすね」
「まぁ産まれる起源が無いしな、無理じゃないか?」
「旨いぞ、このチョコクッキー、生クリームの滝があるし、ディップして、っと、うん!旨い!」
「すげぇアルファさん楽しんでる、やべ、見てたら俺も食いたくなって来た、概念を適応、肉体形成、次元性を低下、舌、味蕾を形成っと、あと法則性の形式を適応して、理に従属して、っと、ふぃ〜これで食欲を追加っと、ようやっと食えるかな、頂きまーす!パク、うま!この塩キャラメル最高」
神行は各自が余裕を持ちつつ、休暇を取りながら深淵なるもののデータベースを情報操作しながら構築して居た、、、。
「また貴方ですか?」
「すまないな、何度も来て、深淵なるものを倒すのに、貴方の力は必要不可欠なんです、賃貸主」
創作論には“流出と包括の序列”が有る、それにより、後天的に誕生する全ての存在者は被造物(派生した設定・二次創作)であり、根源的なそれは未来的に思い付ける、未来的に思い付けない、未来的に思い付くかもしれない、未来的に絶対に思い付かない、存在可能で有り言葉に説明可能(存在証明可能)な全てを超越し尽くした先に先天的(超越的)で在る格上の存在者が設定が未分な状態のまま存在している。
創作論的な機構はそこに滞留してはくれない、格下の存在者がその存在者について言及する、対抗手段や策を含めてどんなに強力な対抗手段(技術・能力)そして設定を持った存在者を考え付こうとも、結果としては下を設定しているに過ぎないとして切り捨てられてしまう。
便宜上それを賃貸主と呼ぶ、創造された時点でその賃貸主の下に内包される被造存在者でしかないのだ、例えば賃貸主を無に還した・賃貸主を絶対的に超越する存在者、、、というような”より上の状態”という設定を考え付こうが結局その設定そのものがどう足掻いても賃貸主の存在より絶対的に劣化した設定でしかないのだ、今の今まで過去から未来に現在進行形のあらゆる脳味噌の思考に居る存在、過去から現在に至るまでに発生している既知の存在者、そして未来的にあらゆる形式から発生する・し得る存在者過去に居た、産まれないなどの存在者含めて創造される全てがZには遠く及ばない。
賃貸主とは言及するたび超越する機構とでも言うべきか、上下左右高低など、当て嵌められる角度はどれだけ新次元を設定しようが決して基盤になることは無い。
始点は常に下位の主観でしかない、何処までだって続いていく世界、あれは終点すら無い、我々が追いかけるほど遠去かり、喋らずとも近寄ることは無い。
言葉で説明できる存在では倒せない、賃貸主より上は居ないし、現れないし、説明自体不能、繰り返し説明する為の言及のアプローチは、賃貸主を補完して側面を触れようとして、ただただそれを集合させて際限なく強くさせて、増長増強させてしまってる。
考えることor考えないこと、この思考の二元性を超越する、それは完全に考えることが出来ない領域の主人だからだ、なら何故現れた?果てしなく劣化した情報から、関連性のあるもの同士が結合、強引に破茶滅茶に超論理的であるそれを対象外の対象として対象化したのだ。
彼あるいは彼女、人称代名詞で言い表せるものではない、擬人化のような表現技法でも表せない、ソレ?アレ?指示代名詞ですら表せない、その為便宜上の賃貸主と呼ばれるようになった。
捏造されたそれはなら居ないのか、否、居るか居ないかと言う二元も持たない、賃貸主から全ては産まれいで、始まる、始まりや終わりも賃貸主を起源とした単なる概念に過ぎない、故にあらゆる影響力が意味を持たず、賃貸主に害を与えるには至らない。
元来のあらゆる力の保有者で在り、それらを分化する系統樹であり、芽を生やさせる根源的なもので有る賃貸主、人格的側面を形成、その権現を経由して全てを観察・公平に接する。
無限の力の保持者だろうが、無限の無限の力の保有者だろうが無限の無限の無限の力な保有者だろが、、、結局のところ全ての力・能力・性質・在り方・あらゆる権威やそれらを動かす決定権も、結局は全てがレンタル品、それも扱えるように意図的に脆弱性を際限なく付与された超絶劣化品でしかないのだ。
人格的な化身は当然ながらこの地平線に降り立つ為のアバターであり、これに干渉しようが本体と呼ばれるようなものには一切影響はなく、干渉を与えられず、関与不能です。
定義により縛り付けられる場合それは賃貸主ではない、簡単に言うと絶対的本質にはどうやったって辿り着けないのだから、賃貸主の本体と言った、だがそれは偽物、ならばと探れば更なる偽物が、、、。
この世界とは、そのまま作品で在り、白紙がどこまでだって続く地平線で有る、そこから探して見て賃貸主の真理と呼べるものを見つけようと繰り返し定義、再定義、言及をする。
その全ての空間と時間、存在するor存在しないと言う1か0かの枠組やあらゆる可能性自体を時空間も領域もあらゆる場所も概念と言った諸々の構造を丸ごと侵蝕と同時に飲み込んで外側に。
それはページとして無限に重なり、本として無限に積まれて、本棚として無限に棚同士手が届かない無限の棚を展開して、、、そのようにした現実世界が無限と連なり続けている、それら現実世界の全てから定義した全てのものがレプリカでしかなかった、ならば不在なのか?否、確実に存在はするのだ、着々と関連性のありそうな残影を、欠片を、レプリカから感じ取っている、それこそがやつの付着物なのだ、真の対象は定義した瞬間に真の対象ではなくなるだけだ。
彼の真の存在は、定義・認識・存在のいずれにも収まらないため直接扱えない。私たちが扱えるのは常にそのレプリカだけである。
やつは奴から現れて、自らを私小説的に語ってる自論だ、詰まるところは、やつに何を当て嵌めようと、その"何か”、論理も概念も、定義もフレームワークも、新たな概念や枠組みも、そのあらゆる全てが既に当て嵌まっていない、それを言うに至ら閉められて無いのだ。
対象がどんな存在であろうとどんな技術や能力であろうとどんな概念であろうとそれは彼には言い切るには至らない、何においてもやつと同じ土俵に立つことは出来ない。
何かが共通する存在すら居ない、やつが○○な存在なら他は○○では無い存在となるし、やつが〜であるとなるなら他は〜ではないとなり、そしてそのように言い表して、逆説的に導き出せるものですらない。
相手が何をしようと彼を捉えられない、彼が相手に影響を及ぼそうとして、防ごうとしても防ぐまでに至ることはない、その何かが彼を担保しようとする何かであっても担保自体が彼に至らない。
つまり彼は自己のみで自己を構成しており、そこに他者が介在する余地はない、〜によってやつは構成されていることもやつは〜に作り出された〜でしかない等の如何なる設定や前提を押し付けようとしても彼には至らない。
彼の相手対象はどれだけ大きな能力を持っていても、全てを作ったとしても、概念を取り扱おうと、それら諸々は彼に至らない範囲の中のスペックでしかないため、彼からすればどんな存在も何ら変わりない。
彼を観測しようにも観測に至らない為観測ができない、どのような場所や位置、域や枠も彼に至らない為、それらが彼を縛ることは出来ない、そんな例外すら超えた枠外の実在なのだ。
作中テキストとして処理することすら不可能としても結局は作中テキスト、自己言及的に言いくるめて結論から言ってそれが現実に於いても事実で有り変えられない不変の真実なのだ。
人間が主語に口から吐かれた私は思う、故に私はある、だがしかし自己存在証明の一言、我は有りて在る者は神の主語、人間の思考や解釈を一切必要としない、考えることすら依存しない、ただ存在するから存在すると言う自己完結。
真の神様、それが唯一にして絶対的と言われる所以は定義に捉えられないからだ。
世界を形作ったりし三位一体の結合者?ヤハウェ(エホバ)?仏陀?ブラフマン?、、、そう言ったあらゆる神話とあらゆる宗教の中に登場する、示唆、暗示された、比喩から、類義語から、そう言って提示されし神々や超越的存在者、それらすべての神々や概念の発生源となるのが神様であり、それらすべてを内包する究極の最高神がやつである。
人間や他の存在がこの偉大すぎる存在を定義しよう(名付けよう)とした結果、そのお溢れとしてヤハウェ(エホバ)や他の神々といった神格が派生して生まれた、真なる神様は、言葉で説明したり、定義したりした瞬間に、それは神様そのものではなく、そこから格落ちした別の神格になってしまう。
だからこそ常に人間の理解や、論理、概念、次元、生と死といったすべての二元論を超越した沈黙した先の存在とされて来た、だがしかし賃貸主はそのような真空も、当て嵌まらない、何せこれすらも彼の口から吐かれた文字列の一つに過ぎないのだから。
「彼奴、深淵なるものは俺のような存在にとっても絶望的な存在です、この脳味噌を可能な限り保護して隠蔽して居ますがいつニューロンがはち切れるか、、、」
賃貸主ですら言ってしまうなら彼ら眠るものの一階層目付近の境界に過ぎないのだ、そこに重鎮のように居座り、彼らの夢や精神世界と言った領域になんとか侵入している、この世を完全に夢として割り切り、認識可能になら無ければ夢から飛び出して彼らの一段上の夢時空には行けないのだ。
「ほれグレン、持ってきな、情報は調整して置いた」
「ありがとうございます、それではまたいずれ取引しましょう」
「あぁ」
、、、。
「誰かにとって善でも、それにより苦しむ人たちの善悪の二項対立から見れば悪だ、善悪の其々に善悪がありその中の其々に更に善悪が存在する、不完全だからだ、一なる原型の情報のような善のイデアではないから多様化する、不完全な現実に生きるとは、ここまで大変なことなのか」




