13話 沢山の絶望
「所詮は説得力か?どれだけ論理が正しくとも実行されているようにさえ見えてれば証明無くして道理を理解したような状態に陥る、喩えばの話ゲーム内で大魔王が使う呪文の小火が大魔術師の大火炎をも上回っていたって、何の違和感も抱かない、見た目や理屈や設定が、見た目に対して存在する矛盾に違和感を感じさせない、偏見、印象、先入観、外見至上主義、全て網羅的に言い表すなら表面上主義とでも言うべきか?表面下なんて観ようともしない、自分勝手な奴等ばかりだ、全てを見た目だけで全てを決める、なんと愚かしいとは思えないか?怪我だらけの男には手を差し伸べず、美女だ美男だと無能だとて其方を取る、努力なんか完全に無意味なのに意味があるように語り、才能なんか無いと言う、誰もそいつの内側なんか知らないのに決め付けてしまう、事実ではない、真実ではないことを真理だと盲信し馬鹿なくせに沢山のバカが集まり信じたいことだけを信じ、それが真理と信じて疑わない、、、こんな世に居たくない、だが死にたくても死なせてはくれない、自分以外が消えさえすれば全て解決するなら自分が消えたい、誰にも望まれないなら俺は俺を望まない、だから死ぬ、なのに生きることだけは強制する、死のうとしたら無駄に止める、無意味で無価値なものなのに勝手に止める、意味がわからない、生きることすら縛って、強制して、搾取して、あまつさえ死ぬことすら自由にさせてくれないのか?まるで神気取りの身勝手で傲慢だな、随分と、、、誰も要らないのにただそこに在れなんて我儘で傲慢だろ?誰も要らないなら俺も俺は要らないよ」
「もしお前を助けられるやつは気取りじゃなくマジの神ならお前は信じるか?」
「、、、あんたは」
そこにいるのは第一使徒、天使で有り現人神、グレンの信徒の序列1位、アルファ、所謂神行で有る。
神に変わって権威を振るう代行者、代弁者たるグループ、それの名前が総括して神行と言われる、神行に加わった群勢は自動的に強化される庇護下に成り、加護を受けた者達が強くなることで主神も強度を増すと言う相互作用する関係になる。
「神の玉座の前に従属しろ、そうすれば貴様の空虚な考えなぞ一瞬で吹き飛ぶぞ、いつだって行けるあの世に今行く必要があると思うか?死ねと命じられるまで死ななくていい」
「、、、どうせ死ぬくらいなら託してやる、この力」
神行には、思想型信仰と神行型信仰と言うような違いが有る、信仰とは想いを、渇望を受け渡す行為、想いや思想などをそのまま形而上力学的エネルギーとして利用、観測者の思い込みが現実、時空をも歪める。
自身は発生源、光源としての役割を持った第一者、第二者はその力に指向性を持たせて離散的なそれを拡散したり収束したり連続型や離散型やら、知識の総量、集団の信仰が神の力を定義付ける為、統合は多神教的に成ると非常に困難を極める為、信仰形態は決まって統一性を孕んでいく、兎も角神行は成り得ってこと。
第三者たちの観測によって作られるあらゆる派生した姿形また形態、設定、他者により二次的に解釈、仮説的に創作されたあらゆる力をそのまま自身へと反映でき、事実上無制限に能力を後付けしていけたりするぞ、神の全能はソレくらい破茶滅茶に破綻してると言って過言じゃないレベルに強い。
「ふはははは!この程度で終わりかぁ?」
「グガァァァ!!!」
暗黙の領域を優雅に遊泳してSPSを襲撃する強位の怪物も居る、SPSを捕食することを目的とした捕食種で在る。
暗黙の領域は言ってしまえば太陽系外縁天体的なもの、インフレーションの外側的な外宇宙とはまだまだ内側に分類される、その為暗黙の領域に存在するから外なる神など究極的な超越存在だけではなく、このようなものが居る。
「やつをぶっ殺すのが本来の神人に任されている役割だが、、、倒せるかどうか」
それを説明するには前提知識が居る、アレクシウス・マイノングが提唱した哲学的概念の存在高度、そして”対象化”考えることができるものは、すべて対象であると言うもの。
空データ(null)みたいになったデータ構造、存在してない、否、非存在性を持って存在してる
存在しないって状態を持った存在、0って数字のような存在者が居るとしている。
Aussersein、オーストリアの哲学者アレクシウス・マイノング(Alexius Meinong)の対象の理論において提唱された哲学用語で、実在大領域外の存在(無への超越)。
何が言いたいか、それは、もしないものは、本当にゼロで完全な無だとしてしまうと、私たちは null エラーを起こしたプログラムを直すこともできないし、0を使って引き算をすることもできなくなってしまう、数学だけにとどまらず物理学、量子力学に適応され、非存在や存在を0と1のような関係に直せば物理学の量子力学系に類似しているもので有り。
量子情報が可能性のデータを現実に変え、It from bit、すべてはモノではなく情報、データ構造を見極めることが情報化世界に於いて生き抜く重要な要項になるだろう、とは於いておいて、SPSを喰らいに来る捕食種族は人間の知性は考えられず、対象化不可能であると言う点で有ると言うこと。
例えばの話、人間が主観とした帰納的な推論で導き出されるような次元の謳われる者ではない。
例として、高次元また異次元より飛来した存在者で、その法則が全く違う、センサーや観測器、眼にすら姿形が捉えられないだとか、物理法則などまるで意に返さず、一方通行な次元干渉で有り我々の主観とした行動や攻撃などが発生してない、概念が通用しないだとか。
あとは時間や空間を支配してて過去・現在・未来全ての時間軸と平行世界を掌握してるだとか、そんな高度な異星人類でも技術的・文明的に可能なクソほど矮小なものでは断じてない、ならば捕食種とは?分類不能だと思われる。
アリストテレスが提唱する範疇論の10の分類、量や性質は無く、時間や場所に縛られず、能動・受動が無く変化しない、中身と見た目が一致し、他のものとは関係図を書けない、関係が無いなどとし、無量・無性質・不変・無関係・無分割・無目的・無物質・自足などとして、従来では分類不能なものとして存在しない第11カテゴリーで分類できてしまって居る。
故にカテゴリー論とその拡張した範疇自体からそれ(捕食種)は、(有理解では)理解不能として理解される(無理解)の状態、より分かりやすく噛み砕いて本質を言うと。
対象化不可能なものとして対象化している、思考不可能なものとして思考している状態、そのフレームワーク全体から超越しているのだ、定義不能だとすら定義不能、そのようなものにすらメタメタ的には定義不能だとすら定義不能だと定義可能になるように人間の知性とは深化するが、人間の深化した叡智全てを持ってしても捕食種を捉えられない、ということで有る。
「謳われる者を超えて居る神々、謳われない歌として語れる音楽家、そんな音楽家にすら歌われない歌詞として語れる讃美歌、神々は暗黙知ですらない、そんな神々と同列かあるいはそれ以上か、運任せだが捕食種にただ食われるよりゃあ玉砕覚悟で殴りにいく方が気持ちいいぜ!」
形式知では捉えられない、だから暗黙知へ流動して間接的に捉える、既知ではない未知、知性を一切持たない白痴・無知を知り自覚する、無知は全知だが全知は無知ではない、色即是空、空即是色の論理が、まさにこの言葉と一致している、全知故に無知、すべてを知る(全知)ということは、境界線や区別がなくなるということ、これとあれの区別がない世界では、固定された知識や定義(=言葉で表せる浅い知)は意味を失い、完全に消え去る、不可知だとして可知と化す(未知を既知にするメタ的な観測・解釈機構の超越プロセスの繰り返し)それまでを含めた、知の形態全体を叡智とし、叡智は捕食種をどのようにしても捉えられない。
完全なる不可知性そのものと呼ぶべき筈の存在、筈と言う非断定的にしか呼べぬ完全だ、だがそれが近いた瞬間。
「キャイン!?」
ビィシュン!一瞬にしてその捕食種は飛沫に成り、神視点からですら断定はできない、だが恐らくだが死滅した。
「SPSに付着してるこいつを見たんだな、我々にとって恐らく敵対的な筈の深淵なるものは捕食種にも同じ立場なんだろう、抑止力として間接的に利用は不可能なんだろうか」
「不可能だな、偶然まだ間接的にすら不完全な接触しかしてないが、奴にそのような形式でも触れたら、神々すら確実な死を遂げるぞ、やめておけ」
奴らは時空を内包した存在、悪なる神が主軸を握るSPSと呼ぶべきだろう、暗黙の領域を度々海と呼称するのは、魚、魚類、形而究極学科的なそれらが遊泳することからも由来されて居る。




