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第98話

「え?」


 引きつった笑みで何を冗談をと言おうとしたエイガだったが、ノーマンに嘘をついている様子はない。


「決めろ、エイガ。この世界で生き抜くのに、一番大事なことだ」

 

 エイガの呼吸と鼓動が少しずつ早くなる。

 そんなことが許されていいのか? と、良心が問いを絶え間なく投げかけてくる。

 ゆっくりと向き合うようにエイガは秋山を見た。

 秋山は苦しいのか、地面に力なく横たわり、腹は激しく上下している。

 エイガはいじめられ、腹をつぶし、道路でもがいていたアリを秋山に重ねていた。

 目の前で苦しんでいる青年は、エイガたちを先程まで殺そうとした相手であり、散々傷つけて、暴言を吐いた相手だ。

 その命は、あのアリと同じで生かすも殺すも、前に立っているエイガ次第。

 高校時代の美しい記憶を持ってしても、許せないほどのことを、秋山は成していた。

 裏切られた悲しみと、罪悪感が――自分では抱えきれないほどの激情が、エイガの頭が処理しきれずに、怒りという1番効率のいい感情の処理をしたがっているのを感じる。

 怒れ、お前はそれだけのことをされたのだと、誰かに耳元で呟かれた気がした。

 しかし、出てきた言葉はなんとも凡庸な答えだった。


「いいです」

「なんだと?」


 ノーマンの声がワントーン低くなり、エイガはビクリと肩を揺らした。

 甘いと叱られるのかもしれない、しかしこんな怯えで、決めていい答えではないと思った。

 決意が揺らがないよう、目をギュッとつぶりながらエイガは、ノーマンと秋山に背を向けた。

 そしてもう一度震える声で言った。


「何も……したくないっす」

「だがこいつは――」

「俺だっておかしいって思ってます!」


 エイガは拳を握りしめながら、目からは涙が溢れてきていた。

 本当なら自分とモイを散々痛ぶり、殺しかけた彼を殺したほうが、絶対にいいとエイガも分かっている。

 ただエイガの中にいた昔の自分が、委員長に救われた自分が、委員長を罰することに酷く反対した。

 脳内で委員長を殺そうとしたエイガの前に立ちはだかって、やめてと叫んでいた。

 どれだけ酷いことをされたとしても、彼はエイガが一番辛い時に救ってくれた相手に他ならなかったのである。


 「すみません、でも無理っす」

 「……甘いな、お前は」

 

 ノーマンは足元の秋山を一瞥すると、秋山は顔を青くしながらもどこか安堵の表情を浮かべていた。

 その姿を見たノーマンはチッと舌打ちをしたかと思うと、足先でもう一度秋山を小突いた。

 すると秋山はまた胃液を吐き出す。


「ゲェ」

「……醜いな」

「の、ノーマンさん」


 振り返ったエイガの肩から手を離し、ノーマンはまたエイガの頭を撫でる。

 その瞬間、エイガの肩から力が抜け、そのまま腰が抜けたために、その場に尻もちをつく。

 

「戦争では裏切った仲間は殺す。それが見せしめにもなるからな。それは理解しておけよ」

「……はいっす」


 どこか遠くを見つめながら、ノーマンはそう言った。

 月明かりにモノクルが反射して、どのような顔をしているかはわからなかったが、どこか寂しそうだった。


「あの……」

 

 エイガが迷いがちに声をかけると、ノーマンがこちらを振り向いた。

 

「わかってるっす。きっとこの世界はそんなことが許されないことも。ノーマンさんは選ばせてくれるだけ優しいってことも」

 

 優しいと言う言葉に反応したノーマンは、驚いたようにエイガを見つめた。

 その視線にエイガはへにゃりと力なくノーマンに笑いかける。

 


「大丈夫っすよ、大丈夫っす。俺ノーマンさんが考えてるほど弱くないっす。この国にいる間は、ノーマンさんの傍でだけでしか、わがままは言わないようにするっす」


 エイガはおもむろに立ち上がり、ズボンの砂を払ってノーマンに向き直った。


「でも選べるなら、俺は殺さないっす。ありがとうございますっす、ノーマンさん。優しくいさせてくれて」

 

 そう明るく笑うエイガに、ノーマンは呆れたようにため息をついた。


 「お前はまったく……どうだかな」

 

 しかしノーマンのその顔はどこか嬉しそうだった。

 

「まぁその方が波風は立たんしな、お前がいいならそれでいい。俺の後ろに隠れられるなら隠れとけ」

「はいっす」


 元気に返事をして笑うエイガの頭を、ノーマンは優しく、ぐりぐりと撫でた。

 嬉しそうにエイガが目を細める。


「帰るか」

「はいっす!」

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