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第96話

「”花運び”」

 

 凛としたその声が聞こえた瞬間、先ほどまで殺気立っていた場が、凪いだ海のように静かになった。

 聞こえたのは先程、エイガたちに絶望を与えたあの女性の声だった。

 普通ならさらに絶望するところなのだろうが、エイガはやけにその息遣いに安心できた。

 凪となったその世界で唯一動く影が2つ、二羽の銀蝶がエイガの視界を横切った。

 二羽の蝶が秋山に向かってゆっくりと飛んでいく。

 この凪いだ世界の中では彼らしか動いてはいけない、そう錯覚させるほどの存在感だった。

 秋山がハッと正気に戻る頃には、秋山の目と鼻の先に彼らは迫っており、秋山の目の前で光の粒となって弾けた。


「な……んだよこれ!?耳が……聞こえない!? 気持ち悪い!」


 秋山の剣が震えたかと思うと、空中に浮いていた全ての剣はガシャンと大きな音を立てて漏れなくすべて地に落ちた。

 秋山が過呼吸のようになって、苦しそうに頭を押さえる。

 フラフラとその場に膝をつき、げぇげぇと息をする。

 エイガは目の前の光景に唖然としながら、体を持ち上げた。

 

「な、なにが」


 コンと革靴が石畳を叩く音がする。

 エイガが音がした方向に振り向くと、そこには目元に隈を携えた、目つきの悪い男が、優しい月の光の逆光の中に立っていた。

 エイガはその男をみた瞬間、目を見開き、掠れる喉で嗚咽のような声を出した。


「……ノーマンさん?」

「最悪肉塊になってる可能性も考えてたが……よく耐えたな、お前ら」


 そこには女性の声で喋りながら、歯を見せて笑っているノーマンが立っていた。

 エイガは息を呑む。

 痛む体のことなど忘れて体を引きずりながら、彼に近づこうと腕に力を込めた。

 親を見つけた子供のように、エイガの顔には笑みがこぼれた。


「ノ、ノーマンさん?……ノーマンさんだ!!」

「そんな叫ぶな、血管が切れるぞ」

「な、なんで生きて……あとその声どうしたんすか!? アレーシアさんそっくりっす!」

「あぁ? あぁ忘れてた。ちょっと小芝居打つために」


 ノーマンが喉をさすりながら、懐から何かを取り出す。

 懐から出てきたのは、黄色のガラス玉が2つ下がったバングルだった。

 

「それは?」

「アレーシアの通信用魔道具だよ、さっきそこの坊主に連絡したのは俺だ」

「え!? あ、イタタ」

「ほら言わんこっちゃない」


 エイガが声を出した拍子に脇腹がズキッと痛む。

 痛みに耐え、血の味がする乾いた唇を噛んでいれば、ノーマンはエイガの横に歩いてきた。


「ちょっと待ってろよ、いつもみたいに魔力は派手に使えないからな」


 ノーマンが杖を取り出すと、それを石畳に突き立てて、唇に乗せるくらいの声で詠唱する。


「”千蝶”」


 ザァっと茂みが風になびいて鳴る。

 すると杖をついた先の地面から、銀の蝶が羽化するように溢れてきた。

 それがエイガとモイの体をすり抜け、徐々に光の粒となって消えていく。

 エイガはその光景を、目を盛んに動かしながら追っていた。


「……ブルムだ」

「だから違うって言ってるだろ? ブルムに言うなよ、絶対」 


 ポツリと呟いたエイガの言葉に苦笑しながら、ノーマンは杖を肩にかつぐ。


「なるほどな、エイガは皮こそ直っているが、内臓がグチャグチャ。モイは腕1本と、肝臓が弾けてはいるが、まだマシだな」

「それマシなんすか?」

「まだマシだな、少なくともお前よりは。逆に聞きたいのは、お前よくその状態で喋れるな」

「まぁ丈夫なんで」

「丈夫で片付くもんか? これは」


 エイガの体を見ながら、ノーマンはエイガたちの前に膝をつき、祈るように手を組む。

 そして治癒師たちが唱えていたあの呪文を口に乗せた。


「癒やしの女神イランテスよ、この者に祝福を」


 すると緑の光が組んだ手から漏れ出し、その光がエイガとモイを包む。


「”花運び”」


 パチンとノーマンが指を鳴らせば、銀の蝶があらわれ、エイガたちを包んだ光を拾っていく。

 そしてその光を携えたまま、まるで縫い物をするかのように光の線を引きながら、エイガたちの体の中へと出たり入ったりを繰り返す。

 エイガの腹のあたりがじんわりと温かくなる。

 光が消える頃には、血をずっと吐き続けなければ、死ぬと直感した痛みは消えていた。


「治ったん……すか?」


 エイガが恐る恐る足を立てて、立ち上がってみる。

 両足へ交互に力を入れて、どこも痛まないことを確認すると、次は軽く跳んでみる。

 1回、2回と跳んでその回数をどんどん増やして、エイガは段々とその目を輝かせていく。


「すごい……すごい! すごい! 痛くない!」


 うさぎのようにずっと跳ねながら、エイガはノーマンにその勢いのまま飛びついた。


「痛くないっす! 動いても血を吐かないっす!」

「そりゃ良かったな、仮縫いみたいなもんだからあんまり動くなよ」

「動いたらどうなるんすか?」

「死ぬ」

「ウッス動かないっす」


 先程まで跳ねていたのを一瞬で止めて、マネキンのように体を強張らせるエイガ。

 モイもきっとはしゃいでいるに違いないとエイガは振り返った。


「モイ! ノーマンさんが動いちゃダメだっ……て」


 エイガが振り返ると、まだ地面に倒れているモイがいた。

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