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リルアルドの騎士学校  作者: シロ吉
第二部
40/43

第四章(4)

 リルアルドの王都と流通の盛んな港町サン。それを繋ぐ道は真っ先に整備が整えられた場所だと聞いている。馬車が行き交い、王都に物資を運ぶ役割を担うので当然だろう。石畳の道路は雨が降っても道が悪くなるということはない。

 そして、等間隔に街灯も備え付けられ、夜間であっても安心して行き来できるようになった。これは現在の王――ユーゼスが即位してからのことだ。

 ただし、その便利な道も今現在はリルアルドの騎士たちによって封鎖されており、一般人の通行はできなくなっていた。

 その道でアイン・フォルセティは適当な店で適当に購入した剣を肩に乗せて立っていた。サンの町よりも王都寄りの道の上。そこでアインは二人の人物と対峙していた。

「あらあら、ここは通行止めだって騎士さんたちに言われなかったのかしら?」

「ああ、悪いね。ただし、こちらも急用があるんだ。少々無茶をして通らせてもらった。それにしても二重の守りか。ここの騎士たちは仕事熱心だね」

「まあね。こっちも先日どこかの誰かさんが好き勝手してくれたばかりだからね。神経質になってるのよ。今度こそ、そのクソ野郎どもを捕らえてやるってね」

 アインは獰猛な肉食獣を連想させる笑顔と剣の切っ先を対峙する二人――眼鏡をかけた幼い少女と仮面の男に向けた。

 少女の方はわずかに表情を硬くしたが、仮面の男は相変わらず涼し気な笑みを口元に浮かべたままだ。

「さて、そうなると私みたいな善良な市民はあなたの言う捕獲対象に当てはまってしまうのかな?」

「そうね。真昼間から仮面を着けて、町中を徘徊してるような奴は捕獲対象と言わざるを得ないわね」

「怖い怖い。ならば、他の道を探したいところだが……」

 仮面の男は振り返った。そこにはアインと同じように道の真ん中に立ち塞がる人物がいた。この国の上位騎士の一人、ハイド・シュナーベルである。

「くだらない問答はそこまでにしてもらおうか、『銀』。大人しく投降しろ」

 ハイドは威嚇するようにつま先で石畳を叩く。明らかに革とは違う鉄の音。その鉄板の埋め込まれた靴こそが彼が愛用する武器だ。

 身に付けているのはそれだけではない。脛を覆うグリーブ、手を守るガントレット。それは彼の完全武装だった。

 それを見ても仮面の男――シーモアは笑みを崩そうとしない。投降の意思がないのは明白だ。それを余裕と受け取ったアインは不機嫌そうに眉を寄せる。

「あたしたちを相手にここを抜けられると思ってるわけ?」

「いや、簡単ではないのはわかってるさ。クロムガルド帝国の元『赤』の騎士団長にして、リルアルドの上位騎士、序列第三位、『血風』のアイン・フォルセティ」

 当然と言えば当然だが、アインの素性はバレているらしい。アイン自身も別に隠すつもりはないので、それは構わない。

 シーモアは次にハイドに目を向けて、「それに」と続けた。

「上位騎士の序列第五位、ハイド・シュナーベル。――いや、その怒りに燃える目。ここにいる君はリルアルドの上位騎士としてではなく、ロンダルシア王国の第二王子としてこの場に立っているのかな? ハイド・ロンダルシア」

 アインはその言葉には目を見開いた。

 ロンダルシア王国。かつては『水の王国』と呼ばれた美しい国だったが、現在はクロムガルドに併合されている。

 ハイドはその亡国の出身というだけではない。そこのれっきとした王族。しかも、第二王子という場合によっては王座に就いていてもおかしくない立場の人間だった。

 ただし、それはハイドの父が併合に調印しなければという話である。

 先のクロムガルドとの戦争でロンダルシアは大きな打撃を受けた。表向きは平和的な併合だったが、武力を背景にした占領に近いものだったのは言うまでもない。クロムガルドの騎士団の総長が極めて適切にロンダルシアの民を扱ったので、大きな混乱がなかったのは救いだと言えた。

 ハイドはその最中、王の側近たちの手引きにより、リルアルドに逃がされていた。その後、母方の姓であるシュナーベルを名乗り、リルアルドの上位騎士の一人として名を連ねているのである。

 母が貴族ではなく平民だったので、上位騎士になってもハイドがその素性に気付かれることはなかった。知っているのはリルアルドの中でもごくわずかだ。

 その事実まで『銀』が把握しているとは思わなかった。しかし、ハイドは目つきを鋭くしただけで、特に驚きはしなかった。

「……俺のことまで知っているのか」

 アインはその静かなハイドの声で理解した。あれは冷静なわけではない。跳びかかる寸前の猛獣のような敵意。それを必死に理性という鎖で繋ぎ止めようとしている。だが、それは無駄なことだった。

 先の戦争での傷跡も癒えないままの併合。あれは政治的な判断だ。もしも、それに調印しなかった場合、ロンダルシアは戦火に包まれていただろう。それをハイドは理解しているからこそ、実質的な降伏を受け入れた父を憎んだりはしていないようだった。

 しかし、目の前にいるのはロンダルシアが亡国になった直接的な理由を作ったクロムガルドの人間。しかも、彼にとって第二の故郷とも言えるリルアルドで好き勝手に動き回り、混乱を起こしている『銀』の首領。

 それを目の前にして、普段は冷静なハイドが怒りを抑え切れるはずがなかった。

「なら、俺がクロムガルドの連中――しかも、明確な敵に対して容赦する気がないということもわかってるな!」

 ハイドは鉄が埋められた靴で石畳を蹴る。

「――ったく、先手はいつもあたしの役目でしょうに!」

 それに一瞬遅れる形でアインも剣を構えてシーモアに迫る。

 騎士学校なるものを作り、精鋭を生み出し続けるリルアルド。その中でも屈指の実力を誇る上位騎士の二人。その二人が迫るが、シーモアは特に慌てた様子もなく、眼鏡の少女に一言だけ呟いた。

 どうやら離れるように指示したらしく、眼鏡の少女はその場から距離を取る。あの少女も『銀』の一員なのは間違いないが、そこは真面目なハイド。さすがに明らかに弱いと思われる幼い少女を狙うような卑怯な真似はしない。アインも実力的に明らかに劣るであろう少女よりも、ただ者ではないと直感させるシーモアを優先する。

 先手は当然出遅れたアインではなく、ハイドだった。

 ハイドは淀みない動きで鍛え上げられた蹴りを繰り出した。周囲の空気ごと消し飛ばしそうな鋭い前蹴り。当たり所が悪ければ、一撃で意識を刈り取ることができるだろう。

 シーモアは横にそれを避けるが、ハイドもそれを予測済みだったのか、体を捻って前蹴りを回し蹴りに変更する。それはシーモアも避けれなかった。

 グリーヴによる痛烈な一撃。それを食らったと思ったが、シーモアはいつの間にか腰に差していた剣のうち一本を抜き、その攻撃を受け止めていた。しかし、威力を完全に殺すことはできず、シーモアは石畳の上を靴底で滑る。

 その進行方向で待ち構えるのはアインだ。

「ようこそ!」

 アインが横薙ぎに剣を振るう。それをシーモアは体を限界まで反らして避けた。猫のような柔軟性である。

 そのまま地面に手をついて後方に回転する。そして、着地するや否やシーモアは剣を迫っていたハイドに向かって振った。ハイドは一瞬足を止め、それを腕のガントレットで受けた。その隙にシーモアは後方に跳んで二人から距離を取った。

「さすがはリルアルドの最高戦力。舐めてかかることはできないようだね」

 シーモアは口元に浮かべていた笑みを消し、もう一本の剣を腰の鞘から抜き取った。両手に持たれた剣。長さは今、アインが使っているもの――一番、普及しているものと同じぐらいだ。

 剣を抜いただけなのに、明らかに彼がまとう雰囲気が変わった。それを受けてシーモアとは対照的にアインは唇の端を持ち上げる。これは久々に出会う手練れの匂いだ。

 それをハイドも感じ取ったようだ。

「なら、こっちも本気で行かせてもらう」

 ハイドがそう言うと、アインの赤い髪が揺れた。風だ。

 ハイドが先ほどまでとは違う速度で駆け抜けた。身体能力によるものだけではない。紋章術の補助があってこそ出されるものだった。

 ハイドは三級の紋章師だ。特性はアインの直接の教え子であるフィーネと同じ『風』。しかし、その練度は天と地ほどの差があると言わざるを得ない。ハイドは風の特性を極めた者だ。

 世の中に多く普及する二級と三級の紋章。彫ってもらう値段も二級の方が高いので、誤解されがちだが、二級の紋章が必ずしも三級の紋章よりも優れているわけではない。確かに二級の紋章は四大元素に縛られないので、特性の把握に時間がかかる点は二級の紋章に軍配が上がる。しかし、その評価は使い方、そして練度によって簡単に覆る。

 風の特性を使う紋章師の多くは、外に風を放出しようとする。フィーネも例外ではなく、突風やかまいたちで相手を攻撃する。

 ハイドの使い方はそうではない。体に風をまとうのだ。今の移動速度はその風を追い風になるように調節して出しているのである。

 それはもちろん移動にだけ利用されるわけではない。攻撃にも応用される。

 ハイドは蹴りを繰り出した。その攻撃速度も先ほどまでとは明らかに違う。まとった風を蹴りと同じ方向に合わせて放出し、速度を著しく上げているのだ。

 蹴りの連続技。その速度を完全には捌き切れず、シーモアは一瞬怯んだ。その隙に渾身の後ろ回し蹴りを食らわせるハイド。完璧には決まらなかったが、たたらを踏んだシーモアをさらなる連続攻撃が襲う。

 風の方向を一瞬で操らなければならないのだから、それが容易いことではないのは、紋章術を使わないアインでもわかる。それを可能にしているのは、常人の域ではないセンスとたゆまぬ努力だ。それこそがハイドをリルアルドの中でも屈指の実力者にしている最大の理由だった。

 欠点があるとすれば、彼の予備動作のせいで紋章術の持続時間が短いという点だろう。

「さて……」

 ここでいつまでも手をこまねいてるわけにもいかない。というより、あんな極上の相手を見せつけられて、アインの血がたぎらないわけがなかった。

「あたしも混ぜろ!」

 アインは躊躇せずにその戦闘に飛び込んだ。

 ハイドの攻撃の間隙を縫って突き出された剣。それを左の剣でシーモアは受け流した。しかし、それによってアインはシーモアの懐に入り込むことに成功した。そのまま、仮面を割る勢いで左の肘を顔面にぶつける。それが当たる直前にシーモアは体を逆さまにしながら宙に跳び上がって、アインの攻撃から逃れた。

 だが、攻撃はそれで終わりではなかった。即席とはいえ、上位騎士のコンビだ。その跳び上がったシーモアに、ハイドも空中に跳び、追撃を加えようとする。

「甘い!」

 そのハイドの追撃をシーモアは逆さまになったまま、体を独楽のように回転させて迎え撃つ。ハイドはその思わぬ反撃に体を亀のように縮こまらせて、ガントレットとグリーヴで身を守った。

 アインはならばと、シーモアの着地点に回り込もうとするが、その前にナイフが飛んできた。シーモアがハイドを防いだ瞬間にナイフを取り出し、それをアインに投げ付けてきたのだ。しかも、狙いは全て急所。アインにとってそれを防ぐのは容易いが、それでも足は止められた。

 その間にシーモアは体勢を整えて、危なげなく着地する。

「やるわね。特にあの身のこなし」

 あの立体的な動きは見事だと言わざるを得ない。だが、同時に既視感を覚えていた。同じ感想を抱いたハイドがそれを口にした。

「似ているな、カウンティの戦い方に」

 一つ大きく息を吐き出すハイド。

 確かに似ていた。キールの戦い方に。

 キールは片刃で小回りの利く短い刀身の剣を使っているのに対し、シーモアは普通の騎士が持つ剣を使用している。このような武器の違いはあるが、あの身のこなしや立体的な戦い方はキールと同じものを感じる。

 それをシーモアはあっさりと肯定した。

「それはそうだろうね。キールに戦い方を教えたのは私だ。まあ、キールだけが例外というわけではなく、『銀』には何人もそういう子供たちがいるがね」

「つまり、あんたはキールの師匠ってこと?」

「ああ。あの子には人一倍目をかけてた。愛弟子って奴かな」

 仮面のせいで表情は窺えないが、懐かしんでいるかのような雰囲気を醸し出すシーモア。『銀』を抜けたことにわだかまりを持っているようには思えなかった。

「『血風』の。今のあの子はキミの部下なんだろう? あの子はちょっと色々と考えすぎるところがあるからね。その辺りのことを気にかけてやってくれると嬉しい」

 まるで親が子を心配するような口調。それにアインは驚かされた。

 そして、その後にシーモアの口から出た言葉に、アインは別の意味で驚愕した。

「さて、そろそろそちらの王子様も少しは呼吸が整ってきたかな? 厄介な紋章術を使うための時間稼ぎは充分かい?」

 今の世の中は紋章術で戦うことは珍しくない。というよりも、当たり前だ。キールのような一級の紋章師は例外として、その際に重要になってくるのが予備動作である。それを見抜くことで勝敗が大きく左右されることも少なくない。

 紋章術の発現するタイミングを見抜くことで避けやすくなるし、対策も立てやすくなる。もっとも、それを逆手に取った戦法も現代の戦いにおいては常套手段となっているが。

 ハイドは三級の紋章師。当然、紋章術の発現には予備動作が必要になる。彼の予備動作は『呼吸を止める』というものである。呼吸を止めるため、持久力は短く、体力の消耗も激しくなるが、フィーネのような『手をかざす』という予備動作とは違い、見極められにくい予備動作だ。

 それをこの短時間で見抜かれた。しかも、あれだけの猛攻を捌きつつ。

「恐ろしい奴ね……」

 アインは素直に賛辞の言葉を贈る。シーモアはそれを特に誇る様子もなく答えた。

「音に聞こえた『血風』に褒められるほどのことではないさ。ただの経験則による分析だ」

 予備動作は決して被らないわけではない。フィーネのような予備動作は比較的多い部類に入る。なので、経験からそれを察するのは決して不可能ではない。

 だが、ハイドのようなわかりにくい予備動作を見抜くのは、簡単なことではない。凄まじいまでの戦闘経験。もしかしたらアインよりも上なのかもしれない。

 それを悟ってもアインは臆したりしない。逆に笑った。

「本当に極上の相手ね」

 悪い癖だとは自覚しているが、どうにもならない。強い相手と戦うと、恐怖よりも楽しさが勝ってしまう。戦士としての性だ。

 アインがその衝動に身を任せて走り出したのと、シーモアが動いたのは同時だった。ちょうど真ん中で二人の剣がぶつかり合う。

 押し負けたのはアインの方だった。一本の剣をぶつけるには問題なかったのだが、もう一本の剣がアインに迫ったのだ。横から迫る剣をアインは身を反らして、どうにかかわす。

 さらに追撃を加えようとするシーモアを、紋章術を使って背後に回り込んだハイドが蹴りで止めた。そのまま、蹴りの連続技に持ち込む。

 その間にアインは喉元を軽く擦った。完璧には避け切れなかったようで、ピリッと焼けつくような痛みと共に指先に湿った感触を感じた。アインの反射神経でも皮一枚を持っていかれたようだ。

 あと少しで喉元を切り裂かれていたという事実。

「ははっ、上等!」

 気分が高揚して、アインはますます笑う。強敵と戦うのは、酒なんかでは味わえない最高の快楽だ。

 再びアインの剣とシーモアの剣がぶつかり始める。その一方でハイドの紋章術で速度と威力を増した蹴りも時折体術を交えながら捌いていく。

 本当に強敵だ。

「さぁて、上げてくわよ!」

 気分に比例するように剣を振る速度を上げる。

『銀』とはいえ、生粋の戦士なのか、シーモアも口元の笑みをさらに濃くする。アインの猛攻に防戦一方となりつつあるが、こういう相手は一つ間違えると瞬時に立場が入れ替わる。

 だが、こちらはリルアルドのトップ騎士二人。シーモアが優れた戦士であっても、その均衡は長くは続かなかった。

「そこっ!」

 ハイドの攻撃をシーモアが剣で防いだ瞬間、アインはその左手の腕の辺りを斬った。血が噴き出したが、浅いというのは手応えでわかっていた。それでも、その致命的な隙をハイドが見逃すはずがない。

 殺気が一段と濃くなったのを肌で感じ取ったのか、シーモアはハイドの喉元めがけて剣の先端を突き出した。ハイドは身を屈めて、それを避け、右手を地面に付けてシーモアに足払いをかける。立体的な戦いに長けるシーモアはハイドの足払いを避けて、宙に逃れる。それを予測していたハイドは地面に付いた右手の筋力と紋章術を使って、自分も空中へと体を半回転させながら宙に上がる。そのまま、後ろ回し蹴りをシーモアの腹部に食らわせた。

 シーモアはその一撃を片方の剣で防いだが、ハイドの渾身の一撃だ。シーモアは大きくバランスを崩した。

「アイン、やれ!」

 さすがに限界だったのか、ハイドは息を吐き出すと同時にアインに向かって叫ぶ。

 言われずとも理解している。ここを見逃すアインではないし、見逃せるほど甘い相手でもない。アインは地を蹴って、宙に浮いたシーモアの後を追った。

「終わりよ!」

 アインは剣を両手で持ち、相手の肩から斜めに剣を振り下ろした。いくつもの戦場を駆け、何人もの敵兵を斬ってきたアイン。その経験がこの手応えは致命傷だと教える。アインは狂戦士だと自覚しているが、快楽殺人者ではない。戦うのは好きだが、この相手の命を奪う感覚は決して好きではなかった。

 アインは地面に降り立ち、シーモアは地面に転がる。

「殺したか……」

 紋章術を長時間使用した反動で、ハイドは息を弾ませながら確認する。

「ええ。これほどの手練れなら一対一でやり合いたかったんだけどね」

「状況が状況だ。それは仕方がないだろうが……。そうか、殺っちまったか……」

 先ほどまでは怒りで頭が沸騰していただろうが、多少鎮火して冷静になったのか、ハイドはため息交じりに呟いた。アインは唇を尖らせた。

「何よ、仕方ないじゃない。こいつ、強かったし、生け捕りにする余裕なんかないわよ。下手したらこっちが殺られてたわよ。それにあんただって、『やれ』って言ってたじゃない」

 アインだってハイドの言いたいことはわかっている。相手は『銀』。そんな連中を潜入させたクロムガルド側に明らかな非があるので、外交上はそれほど問題はない。大事な情報源を殺してしまった。これは大きな痛手だ。

「だけど、まだ挽回できるでしょ」

 アインは視線を王都へ続く道に向ける。そこには眼鏡をかけた幼い少女。シーモアと戦いながらも二人は少女に気を割きつつ、逃がさないような位置取りを怠らなかった。

 少女は気丈にもキールと同じような剣を一本だけ逆手に構える。だが、こちらは上位騎士二人。自決にさえ気を付けておけば、捕らえるのは容易いことだろう。

 アインとハイドは少女との距離を詰めていく。

「大人しくしなさい。怪我するのは嫌でしょう?」

「ははっ。とても誇り高き『血風』の言葉とは思えないな。それではまるで悪役だよ」

 アインはその声にギョッと身を強張らせた。目の端では同じように驚いたハイドが、「がはっ」と息を漏らして崩れ落ちる光景を捉えた。わき腹に強烈な膝蹴りを食らったようだ。

 アインはそれを瞬時に把握し、ハイドを倒し迫る人物に剣を振ってその足を止めさせた。そして、距離を取る。

 状況は把握したが、それに理解が追い付かない。アインは驚愕に彩られた目で、その人物を見つめた。

「あんた、どうして生きてるわけ?」

 斬ったはずのシーモア。服を濡らす血が傷の深さを物語っているが、彼は平然とそこに立っていた。

 反対にハイドは崩れ落ちて立ち上がれずにいる。咳き込んでいるので意識は失っていないだろうが、咳に血が混じっている。あばら骨が折られただけではない。折れた骨が内臓を傷付けている可能性が高かった。

 完全に不意を突かれた一撃だった。順番次第ではハイドではなく、アインがああなっていても不思議ではない。

 それも当然である。あれは致命傷だったと、斬ったアインが一番よくわかってる。あんな風に立ち上がり、一撃を食らわせるなんてできるはずがなかった。

 この光景を理解できないが、アインはそれでも片手で持った剣の切っ先をシーモアに向けた。緊張に表情を強張らせるアインに対し、シーモアは持っていた剣を鞘に二本とも収めて、パチパチと拍手する。

「いやいや、しかし驚いたな。油断していたつもりはなかったんだけど、さすがはリルアルドの上位騎士。私を殺せるとは思わなかった」

 斜めに切り裂かれ、破れた服とそこから覗く肌。それをアインの目が捉えた。左胸の辺りにわずかに見える紋章だ。

「花……?」

 花を模った紋章は決して珍しくない。むしろオーソドックスなものだと言える。それでも、アインはあの少女と一緒にいるのだ。『花彫』と呼ばれるあの少女と。このあり得ない現象の原因は紋章術なのは間違いない。これを関連付けるのは自然なことだった。

「あんた、もしかして、一級の……!?」

 シーモアはわざとらしい口調で言った。

「それに答える義理はないな。昔のキミならともかく、今のキミはリルアルドの上位騎士だ。そして、私は『銀』。明確な敵国とは言えないだろうが、他国に情報を与えてやる必要はない」

「へえ、『銀』ってことは認めるわけ? この一件、戦争になってもおかしくない事態なんだけど?」

「今さらだ。とっくにキールからの情報で私たちの素性は掴んでいたんだろう? こんな特徴的な仮面も付けてることだしね」

 仮面を触り、今までの微笑とは性質の違う笑みを口元に浮かべるシーモア。どちらかと言えば、アインが戦闘中に見せる笑みに近い。獰猛で、寒気を感じさせる笑顔。それを顔に張り付けて、シーモアは「それに」と続けた。

「これで戦争にしたいなら、それでも構わないさ。全力を持って潰すだけだ。リルアルドにその覚悟があるなら、仕掛けてくるがいい」

 肌がひりつくような殺意。戦ってる最中に足りなかったものだ。これが加われば、この男はさらに手強くなっていたことだろう。

 その殺意を発したまま、シーモアは訊ねる。

「さて、どうする、『血風』? もう一人の上位騎士は戦闘不能のようだが」

 事実だ。ハイドは動けないし、あの怪我の具合から見て動かすべきではない。

「キミ一人で私たちを止めるかい?」

「……まるであたし一人じゃ止められないとでも言いたげね」

 そのシーモアの言いようにカチンときた。アインはこういう言い方が一番ムカつくのだ。

「――舐めんじゃないわよ」

 低い声と共に殺気を一段と濃くする。どういうからくりか知らないが、この男はそう簡単には死にはしない。なら、殺す気でやっても問題にはならないだろう。それに本当に死なないとしても、ここに留める手段はいくらでもある。

 その魔獣すらも怯えさせる殺意を受けても、シーモアは顔色一つ変えずに言った。

「さすがだね。別に挑発したわけじゃないんだが、これは何度か殺されかねないな。だけど、そこで動けなくなってる仲間を見捨てられるかな?」

 シーモアは腰の辺りからナイフを取り出す。キールが使うものと似た投擲用の短刀だ。それを動けないハイドに向かって、躊躇なく投げ付けた。

 その意図に一瞬早く気付いたアインは、ハイドの前に出て投げられた短刀を剣で全て叩き落した。それと同時にシーモアは眼鏡の少女と共に逃走を図る。

 もちろん、それを追おうとするが、それを阻むために飛んでくるナイフ。アインが狙われているのなら、それを弾きながら追うぐらいは朝飯前だっただろうが、狙いは動けないハイドだ。卑劣だが、これ以上ないほど効果的な手段だ。

 ナイフが飛んでこなくなる頃には二人の姿も気配も消えていた。

 アインは剣を鞘に入れて、悔しそうに赤い髪を掻いた。

「ったく、とんだ醜態ね。上位騎士の名が泣くわ」

「悪い。足を引っ張っちまったな……」

 座り込んだハイドは息も絶え絶えにそう言い、アインは肩を竦めた。

「仕方ないわよ。あの状態から復活できる隠し玉があるなんて誰も予測できないでしょ」

 アインはポケットに手を伸ばした。そこには紋章術が施された例の紙が入っている。

「それにしても花の紋様か……」

 アインは紙を取り出しながら呟いた。

 否定はされなかったが、肯定もされなかった。従って確証はないが、アインはあれが一級の紋章だと確信していた。

 一級の紋章はほとんどが謎に包まれている。わかっていることは予備動作も何もいらずに、紋章術を使用できるという点。

 それに先日の一件でキールの紋章術が変化した。いや、あれは進化と呼ぶべきだろう。だとすると、一級の紋章はどんどん有用なものに変化していく可能性がある。

 瞬時に傷を治したあの紋章術は、その進化したものなのかもしれない。そう考えれば、あの強力な紋章術も説明できるような気がした。

 だが、だとすれば一体誰があれを彫ったのだろうか。イヴの言葉を信じるならば、彼女ではないだろう。クロムガルドにいるというもう一人の彫り師が彫った可能性も決して否定はできないが、キールが仕留めた一級の紋章師は両方とも花の紋様ではなかった。

 ハイドが咳き込み、アインはそれで我に返った。気にはなるが、当事者が誰一人としていないこの状況では何もわかるわけがない。アインは紋章術を彫ることはもちろん、使うことすらもろくにできないのだから。

「あー、聞こえる?」

『ええ、聞こえてますよ。ご無事で何よりです』

 ほんの少し前まで部下だった新米騎士の聞き慣れた声。

「ごめん、取り逃がした」

 バツが悪そうにアインが言うと、心底驚いた声が紙から聞こえてきた。

『え、教官――あ、いえ、アインさんが逃がしたんですか?』

「まあね。ちょっと予想外のことが起きたのよ。詳しいことは後で報告するわ。あたしは今から奴らの追撃に移る。で、ハイドのことを頼みたいんだけど」

『ハイド教官――じゃない、ハイドさん、どうかしたんですか?』

「結構な深手を負わされてね。命に別状はないみたいだけど、すぐに手当ては必要ね。とてもじゃないけど、あたしと一緒に追撃できるような状態じゃない」

『わ、わかりました。すぐに医療班を手配します』

 意外な報告だったためか、多少の戸惑いを見せつつも、紙の向こう側の新米騎士は答えた。

 アインはそれを聞いてから、紙を懐にしまう。

「というわけでハイド、あたしは連中を追うから。大人しくしてなさいよ」

「わかってる。そっちも気を付けろよ」

「誰に物を言ってるのよ」

 アインは不敵に笑い、街道を駆け出した。その先にあるのはサンの港町。そこにいるはずのキールからの連絡は未だにない。

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