第一章(3)
料理を覚えたのはこのリルアルドにやってきてからなので、四年前から始めたことになる。
「あんたって毎日こんな風に料理作ってるわけ? 意外にマメよね」
「信頼してる店ってのが少なくてな。考えてもみろよ。まったく知らない人間が作るんだぞ。毒でも盛られてたらどうする!? そんな緊張感に襲われながら飯食うぐらいだったら自分で作った方が何倍もマシだ……っ‼」
「だから、あんたこの前の任務でも一人で保存食食べてたのね。あんた、どれだけ後ろ暗い人生送ってきたわけ? 他人のことをそこまで信用できないなんて……」
「俺としては初対面の人間をそこまで信用できる奴の神経を疑うね。ま、信用してるはずの奴でさえもいきなり俺を殺そうとする世の中だけどな」
キールの視線にフィーネは目をそらす。さすがに理由も聞かずに槍で殺す寸前まで追い詰めたことは悪いと思っているようだ。
もっとも先ほどの酒場のように信用できる店が少ないという理由以外にも料理を作る理由はある。料理をするということに楽しみを感じているのだ。それは以前のキールならば考えられないことだったので、その反動でもあるのだろう。
そんなわけでキールの料理の腕前はこの四年間の修行である程度の水準に達したと自負している。ただし、今日は任務で数日空けていたので保存の利く食料しか置いておらず、作れるメニューは限られる。
本日の献立は干し肉と根菜のたっぷり入ったスープ。それから、保存用に硬く焼かれたパン。さすがにこれだけではかわいそうなので、ジャムも付けてやる。
「悪いな。帰ってきたばかりだから、質素なものしか用意できなくて」
「ううん。キールのご飯は初めてだから嬉しい」
イヴはスープを食べ始める。その隣の席に着いたエリスにもスープをついでやった。
「ほら、おまえも食べろって。おまえはただでさえ小食なんだから」
「は、はい。いただきます」
イヴに比べると遠慮がちにエリスはスプーンですくって口を付ける。そして、エリスはいつも見えている右目を軽く見開いた。薄い桃色の唇から「おいしい……」と感嘆の声が漏れた。
「そりゃよかった」
褒められると素直に嬉しい。キールが笑顔を向けると、エリスはなぜか顔を赤くして俯いてしまった。イヴも気に入ったのか、黙々と食べ進める。
微笑ましい光景なのだが、それを台無しにする人物が一人。
「キール、酒とかないのー?」
そんなことを言いながら戸棚を漁るアイン。その口には干し肉が加えられている。生徒とはいえ、他人の家なのだから少しは遠慮してもらいたいものだが、傍若無人を絵に描いたようなアインにそんな苦言を呈しても無駄だ。
「料理酒ぐらいしかないですよ。俺が酒に強くないの知ってるでしょ? わざわざ買ってまで飲もうとはしませんよ。せいぜい飲むのは教官に付き合わされた時ぐらいです」
「えー、あんた、何のために王都に住んでるのよ」
キールが住むこの王都はリルアルドの中で一番活気に溢れている。騎士学校の生徒は寮にも住めるのだが、キールはあえてこの部屋を借りている。利便性を考えた結果であって、酒を楽しもうと思ってここを選んだわけではない。どこかの赤い髪のうわばみとは違うのだ。
「酒で思い出したけど、あんた酔いはもういいの?」
「ん? ああ、そういや冷めてるな。死の恐怖が全部吹っ飛ばしたんだろうな」
そう言うと、声をかけてきたフィーネは再び視線をそらした。何の釈明もさせずに槍を振り回したことは悪いと思っているようだが、なぜかフィーネはキール相手に素直に謝らない。
そんな彼女の性格を知っているキールは特に不機嫌になったりはしないのだが、エリスは気を使ったように話題を変えてきた。
「そ、それにしてもイヴさん、こんなに食べきれるんですか?」
スープは同じ皿を使っているので量はそれほど変わらないが、イヴの前に出されたパンはエリスの三倍はある大きさに切り分けられていた。エリスが少食だということを差し引いても、女の子が食べる量にしては多い。
キールの家に来る途中でお互いの紹介は終わっているが、エリスはイヴのことをほとんど知らない。その量を疑問に思うのは当然だった。
「いいんだよ。こいつはこれぐらい余裕なんだから」
イヴは華奢な体に似合わず健啖家だ。並の男よりも食べることを知っているので、キールは自分が食べる量よりも多めに出した。
「むしろ、足りないかも。このジャム、おいしいもん」
会わなかった空白の時間でイヴも成長したらしい。キールは苦笑して明日の朝食用にと用意していたパンもイヴの皿に追加してやる。イヴはそれを見て「いいの?」と首を傾げた。
「いいよ。どうせ明日には買い物に出る予定だったんだ。それに手間暇かけて作ったジャムをおいしいとか言ってもらえると、もっと味わってもらいたいって思うのは自然なことだろ?」
「はあっ!? それってあんたが作ったの!? 本当にマメね、あんたって」
感心しているのか、呆れているのかわからないアインの口調。その手には料理酒。確かにそれぐらいしかないとは言ったし、同じ酒なので味は変わらないのだろうが、酒場であれだけ飲んでおきながら、そんなものにまで手を付けるとは思わなかった。
そんなイヴとのやり取りの何かが気に食わなかったようで、フィーネは唇を尖らせる。
「……そんなに食べたら、太って機敏な動きができなくなるんじゃないの? 体の管理もできないようじゃ、騎士失格だと思うけど」
嫌味っぽいフィーネの言葉。普段のフィーネならばこんな言い方はしない。勝気な部分はあるが、本来は面倒見がよく他人を気遣える性格だ。それなのにイヴには攻撃的な面が目立つように思えた。キールには皆目見当も付かないが。
もっともイヴにはそういう棘があまり通用しない。彼女は気にした様子もなく答えた。
「ん。大丈夫。私、太らない体質だし」
それはこれ以上ないほど的確に、フィーネのくすぶっている火種に油を注ぐ言葉だった。イヴにはまったく悪意がない。そして、日々体重や体型と戦っている世の女性たちには酷な話だが、イヴの言っていることはおそらく本当だ。キールとイヴが一緒に過ごした時間はほんの数日。それだけでイヴの食欲は思い知っている。あれから四年。相変わらずの食欲とこの体型を見ればその言葉は真実味を増す。
フィーネはそれを聞いて、肩を震わせた。あれは本気で怒り出す合図だ。フィーネはそれからすぐにイヴに襲いかかった。
「キ――――ッ‼ その胸か‼ その胸なのか!? その胸に全部栄養を吸い取られてるんだな‼ 私も食べれば大きくなれるのか――――っ‼」
半分泣きながらイヴに突進するスレンダーな体のフィーネ。それをキールが止める。
「お、落ち着け! 世の中にはどうしようもないことだってあるんだ‼ ないものねだり――ってか嫉妬はやめろ! みっともないからっ‼」
「どうしようもないってなんだ!? みっともないってなんだ!? 私の胸はどうしようもなくてみっともないって言いたいのか!? こう見えても大きくなるように毎日お風呂でマッサージとか、好きでもない牛乳を我慢して飲んだりとか色々と努力してるんだから――って何を言わせてんだっ‼」
「違っ!? 俺は何も言わせてないっ‼ おまえが勝手に暴露しただ――けっ!?」
キールの正面からフィーネが消え、背中に回り込まれる。キールの腰に手を回し、野菜を地面から抜くようにして放り投げるフィーネ。予想外の荒業にキールは宙を舞ってベッドに背中から叩き付けられた。その時には彼女の標的はイヴからキールにすり替わっており、馬乗りになって追撃を加えようとする。キールはとっさにフィーネの両腕の手首を掴んだ。
攻防を繰り広げるキールとフィーネ。しかし、この場でそれを仲裁してくれそうな人間は誰もいない。イヴは食事に夢中だし、エリスはおろおろと二人の様子を見るだけ。アインに至っては二人の試合を肴にして、料理酒をラッパ飲みしている。
フィーネは体重を乗せてまで拳を叩き込もうとするが、単純な力比べならば男のキールに軍配が上がる。フィーネは犬歯をむき出しにして、封じられた拳の代わりに疑問をぶつけた。
「大体どうしてあんな子がここにいるわけ!? あんたに会いに来たの!?」
「それは絶対にねえよ! あっちも俺がここにいることに驚いてたの、おまえも見てただろ! それに単に会いに来ただけでリルアルドの騎士学校なんかに入るか! つーか、仮にそうだったとしても、おまえがそこまで怒る理由にはならないだろ!?」
叫ぶように指摘すると、フィーネの力が一瞬弱まった。怒りで赤かった顔をさらに真っ赤にした後、「うるさい!」と一喝する。その隙を突いて、キールはフィーネを横に投げ飛ばした。騎士学校の生徒たるもの、この程度の格闘術は心得ている。とはいえ、本気で投げ飛ばしたわけではないので、フィーネは難なく受け身を取った。
「おまえ、はしゃぎ過ぎ! ちょっとは落ち着けって。おまえが知りたがってることを今から訊いてやるから」
キールはすぐさま二回戦を開始しようとしているフィーネを止めてから、イヴを見る。彼女は食べるのを休憩しているようで、コーヒーの入ったマグカップを手に取った。ズズッと少しだけ音を立てて飲み、目を閉じて赤い舌を出す。ミルクは入れていたが、どうやら苦かったらしい。テーブルの上に常備してある瓶を手に取ると、その中に入っている角砂糖を何個もマグカップの中に放り込んだ。
甘ったるくて仕方がないはずのコーヒーを平然と飲むイヴにキールは話しかけた。
「イヴ、どうしてこんな辺境の地にやってきたんだよ? おまえ、その目でもっと色んなものが見たいからって山を降りただろ?」
騎士になりたいなんて一言も言っていなかった。すると、イヴは一口飲んだだけで虫歯になりそうなコーヒーを飲むのを止め、キールに視線を移した。
「別に世界の色んなものを見たいっていう目的は変わってないよ。ただお金は必要だし、ここの騎士の話は色々と聞いてたから」
おそらくリルアルドの『輸出品』についてだろう。確かにこのリルアルドの騎士は任務で色んな国に行ける。それを利用すれば遺跡のような珍しいものもたくさん見れる。
「それにここは移民についても厳しくないから。素性もそんなに詳しくは調べられないし」
「なるほど」とキールは納得した。イヴの言うことは正しい。この国は移民が多く、そのためあまり移民に対して厳しい制限はない。無理な国もあるようだが、このリルアルドでは実力さえあれば騎士になれるし、入学試験に合格すれば、その前の段階である騎士学校にだって入れる。
それにイヴの経歴は少々特殊なものなので、根掘り葉掘り調べられれば面倒なことになりかねない。その辺りのことをうるさく調べられないのは、彼女にとって好都合だったのだろう。
それはイヴだけではなく、キールも同じだった。
「それでこの国にやってきて、騎士学校に入ったってことか」
「ん。それにここは色んな食文化が入ってきてるでしょ? おいしいものがたくさん食べれるから、そういうのも楽しみなんだ。けど、一番楽しみなのはキールと同じ学校に通えるってことだけど」
イヴが満面の笑みを浮かべると、フィーネの舌打ちが聞こえてきた。
キールとしてもここでイヴと再会できたのは困惑もあったが、嬉しい誤算だった。キールにとって彼女は恩人だし、その恩をいつか返したいとも思っていた。それに旧友とこうして親交を温め合うというのは初めての経験で、悪いものではない。
ただ疑問は残った。なぜこんな半端な時期なのかということ。エリスたちが入学してからまだそれほど時間が経っていない。その時期に合わせて、騎士学校に入るのが普通だ。
理由が考えられるとすれば、このリルアルドにやってきたのが急だった場合。最初から計画されたものではなく、なし崩し的に入国し、路銀を稼ぐために騎士学校に入った。そう考えるのが、一番しっくりくる。
だとすれば、イヴはどういう事情があってここにやってきたのだろうか。それが頭の片隅に引っかかったが、それよりもここで旧友と出会えたことの方が嬉しい。その嬉しさが一抹の疑問をキールの頭の中で覆い隠してしまった。




