第三章(4)
リルアルドは王政の国だが、同時に法治国家でもある。法治国家である以上、法律が存在し、国民はその下で生活を営んでいる。その法を犯せば、上位騎士であっても罰金を納めなければならないし、場合によっては牢に入れられる。悪質なものになれば、死罪だってあり得る。
王都にはそういう罪人を裁く裁判所があり、その敷地内には公開処刑場も存在している。要はギロチンと呼ばれる悪趣味な代物だ。もっとも、ここ数十年使われたことはなく、罪人を震え上がらせるためだけの物体になっているが。
そういう裁判所があるので、城で罪人を裁くことはない。専ら政を行うための場である。そのはずなのだが、今、この城は一種の裁判所になっていた。
一直線に伸びた高級感のある絨毯。天井には豪華なシャンデリアがいくつも飾られており、その灯りのおかげで部屋の中は昼間のように明るい。ここは王との謁見が行われる部屋なのだろう。その絨毯の上に簀巻きにされて転がされているキールはそう推測した。
罪人のキール。そして、その罪を裁く裁判官はキールの正面で座り心地の良さそうな椅子に座っている人物だ。このリルアルドの若き王――ユーゼス・リルアルド。よく新聞に取り上げられるし、肖像画も載せられていたので顔は知っている。まさかこういう形で会うとは夢にも思っていなかったが。
その裁判官となった王は釣り上がった目でキールを睨み、重苦しい声で言った。
「さて、小僧。言い残しておくことはあるか?」
「いきなりか! せめて弁護人ぐらいは呼べよ!」
相手は王でキールは騎士学校に通う若造。こんな言葉遣いはまずいのはわかっている。その証拠にこんな時間にもかかわらず、集まった近衛兵や侍女たちの狼狽が伝わってきた。
だが、当の本人はそんなこと意にも介さない。そんなことをしなくても、彼の怒りはすでに頂点に達していた。
「そんなもの呼ぶ必要なんかあるか! 問答無用に死刑に決まってんだろ! 俺の妹を野外で押し倒すような真似しておいて、それ以外の選択肢を選べると思ってんのか!」
これがリルアルド王、ユーゼスの怒りの理由であり、キールの罪状である。ちなみにその被害者、ルカ・リルアルドはユーゼスの隣に立っており、その罪状を改めて聞かされて顔を赤くして俯いた。その姿が余計に何かあったと周りに思わせる。
「だから、それは誤解だって言ってんだろ! 不可抗力だ!」
「不可抗力だろうが何だろうが、俺の妹を押し倒したことには変わりないだろ! この際、事の前後はどうでもいい! 女を押し倒してそういう感情を持たないわけがない! それだけで万死に値する!」
「どういう理屈だ、それ! そもそも、そんなちんちくりん、押し倒したところで欲情なんてするか!」
「なんだと、貴様!? 俺の世界一かわいい妹を相手に欲情しないっていうのか!?」
「超絶めんどくさいな、あんた!」
まだ若いが頼りになり、常に国民のことを考えてくれる王。そのため、国民にも慕われているのだが、一皮むけばただのシスコン野郎だったようだ。外面がいいのは、兄妹通じるものがある。
そのシスコン野郎は左右に並ぶ騎士の一人に目をやった。
「そんなに弁護人が欲しいなら呼んでやる! おい、アイン! おまえの知り尽くした部下なんだろ!」
「よりにもよって、その人を選ぶか!? あんたにとっても知り尽くした部下だろ!?」
彼女がいることにキールは最初から気付いていた。見慣れた顔だし、城にいるのにずいぶんとラフな格好だ。部屋着のように見える。さすがに甲冑なんて身に着けてはいないが、立派な格好をしている騎士たちの中で、かなり異質な存在である。気付かない方が無理だった。
王の呼びかけに応じて、一歩前に出るアイン。その手に握られているあり得ないものを見て、キールは声を上げた。酒瓶だ。
「おぉい! あんた、何飲んでんだ!? 酔っ払ってこんなところに来たのか!?」
「あー、それは誤解ね。順番が逆。飲んでここに来たんじゃなくて、ここで飲んでたんだから」
この国の王とは立場を超えた飲み友達。そういう噂があったことは知っていたが、どうやら本当のことだったらしい。もちろん、それを良しとしない人間は少なからずおり、あからさまに眉をひそめる衛兵もこの場にはいた。アインはそんなもの気にした様子もなく、赤ら顔で酒瓶を持ち、空いているもう片方の手でキールを指さして爆笑している。
キールの指摘通り勝手知ったる部下のようで、ユーゼスはアインのそんな態度を気にした様子もなく訊く。
「で、アイン、どうなんだ? こいつは?」
「んー。まあ、一言で言って――『たらし』ね」
この状況でおおよそ最悪と思える言葉を言い放つ上司。キールは絶句し、ユーゼスはこめかみに青筋を浮かべる。その隙にアインは続ける。
「ヘタレ野郎のくせに周りは女だらけ。あの女生徒が少ない騎士学校で女子ばかりが集まる小隊で黒一点なんてあり得ない状況にいるしね。これはもう一種の紋章術なんじゃないの? 特性は『魅了』、もしくは一人の女に絞れないから『優柔不断』ってところね」
「それのどこが弁護だ! 酔っ払って饒舌になり過ぎだろ!」
キールはジタバタと手足を動かすが、如何せん簀巻きの状態なので、芋虫がのたうち回っているような状態になるだけで、まったく効果を成さない。
そんな中、さらに状況をややこしくしそうな人物が姿を現した。
「ルカ、帰ってきたの? 私、もうお風呂に入っちゃったよ。って、キール? 何してるの?」
王座の後ろの厚いカーテンの奥、王族たちが生活を営む空間があると思われる場所から顔を覗かせたのはイヴだった。彼女の言った通り、風呂に入ったばかりのようで、その金色の髪はまだ濡れている。頬は上気しており、寝巻きなのかゆったりとした服を着ている。出会った時に着ていた動きやすさを重視した服とも、最近見慣れた騎士学校の制服とも違う姿。その姿が新鮮で、キールは思わず見とれてしまう。
王として色々な人物と接するためか、観察眼は鋭いようで、ユーゼスはキールのそんな姿を見逃さなかった。
「ほう……。なるほど。アインの言うこともあながち的外れというわけでもないようだ」
ユーゼスは幽鬼のように立ち上がると、キールを睨み付けた。
「やっぱり死刑で」
「おい、このシスコン! 誤解だって言う当事者の俺の意見は完全無視か!」
話が振り出しに戻る。それにうんざりしたのか、盛大なため息が吐かれた。その発信源はアインとは別の見知った騎士だった。その騎士は一歩前に出て進言する。
「陛下。目撃者もいたのですから、この者がルカ様を押し倒したというのは事実なのでしょう。ですが、結論を出すのはそうなった経緯をお聞きになってからでもよろしいのでは? 邪な目的があったかどうかはそれからでも判断できるでしょう」
そう言ってキールに助け舟を出したのは、アインと同じ上位騎士兼騎士学校の教官を務めるハイドだった。なぜこんな時間に城にいるのかは疑問だったが、さすがにアインとは違い、場違いな格好ではなかった。
「私もこの者のことを少し知っていますが、女性を野外で押し倒すような度胸があるとは思えません。アインの言う通り『ヘタレ』だと認識していますので」
キールとしては実に釈然としない物言いだったが、ユーゼスは少し冷静さを取り戻したようだ。椅子に再び腰を下ろし、先ほどとは違い、落ち着きのある口調で訊ねた。
「で、小僧。どうしてルカを押し倒したりなんかしたんだ?」
それで真っ先に報告しなければいけなかったことを、ようやく口に出すことができた。
「『銀』が……クロムガルドの『銀』が入り込んできてます。その中の一人に攻撃されて、その子を助けるために……」
「『銀』が……?」
ユーゼスが先ほどとは違う意味で顔色を変えた。周りの人間の反応は二分される。アインやハイドのように『銀』という組織を知っている様子の騎士たちは眉をひそめ、ほとんどの侍女のように知らない連中はきょとんとした表情を浮かべた。ちなみに当事者だったはずのイヴはなぜか後者に含まれていた。
「キール、その話、嘘じゃないわよね」
「こんなたちの悪い嘘、吐きませんよ。しかも、場合によっては前回よりも深刻かもしれません。何しろ、『銀』の団長まで入り込んできてるんですから」
質問を投げかけたアインはキールのその言葉に目を見開いた。ユーゼスが肘掛けを叩いた。
「おい、なんでその話を最初にしない!?」
「あんたが聞く耳持たなかったんだろ!? それから、さっさとこれ外してくれ!」
アインが近付き、キールの拘束を解く。話の深刻さのせいか、人払いがされ、謁見の間は極端に人の気配が薄れる。キールとユーゼス、上位騎士のアインとハイド、それから前回の件から話の中心になりかねない一級の彫り師のイヴがその場に残された。
縛られていたせいで凝り固まった筋肉を解すキールに、ハイドが話しかける。
「カウンティ。『銀』の団長というのは、どんな奴だ? 特徴とか知っておきたい」
「男です。年齢とか素顔は一切わかりませんが、一目見ればわかります。顔の上半分を覆う仮面を常に着けてるので」
それが『銀』の団長のこれ以上ない特徴だ。
剣術や隠形術、暗殺の技術など、物心つく前からあの人に師事を受けていたが、キールは最後まで仮面を外した姿を見たことがなかった。
今度はユーゼスが口を開いた。
「素顔がわからないってのは、いかにも暗部組織らしい話だ。小僧、名前とかもわからないのか?」
「シーモア。これが本名なのかはどこにも保証がありません。その名前以外の人物が団長を務めたという話も聞かないので、それは称号に近いのかもしれません。ファミリーネームも聞いたことがありませんし」
キールのその回答にユーゼスはアインを見た。その視線を追うようにキールもアインに目をやる。すると、彼女は肩を竦めた。
「あれは暗部組織よ。あたしにも知らないことはいっぱいある。名前はもちろんだけど、『銀』に頭がいたことすらも知らなかったわよ。そいつがあたしたちと同じように『団長』って呼ばれてたことも含めてね。キールがそう言うんならそうなんでしょ」
それで納得したのか、ユーゼスは「ふむ……」と頷いて考え込むように目を閉じた。ハイドはそれを横目に見ながら、「カウンティ」と再びキールに声をかけた。
「連中はおまえとルカ様を攻撃したって話だったが、それは奴らの我々に対する宣戦布告と取っていいと思うか?」
はっきりとはハイドは言わなかったが、暗に『この状況で』と言っているのは確認するまでもない話だった。ファブニールと戦争をしているのに、リルアルドまで敵に回すとは考えにくい。
キールは「ルカ」と先ほどまでの調子で言いかけ、この場のことを思い出して、慌てて付け加える。
「ルカ、様が狙われたのははっきり言って、とばっちりでしょう。攻撃してきた奴の狙いはあくまで俺だったんだと思います。そして、この国とやり合うつもりかは微妙なところですね。あいつが俺を狙ってきた理由は個人的なものだと思います」
「ふーん。女に恨まれる理由に心当たりがあるわけ?」
「……まあ」
キールの歯切れの悪い答えをどう取ったのか知らないが、アインはそれ以上追及しようとはせずに、話を変える。
「さて、そうなるとますます疑問ね」
ユーゼスは「ああ」と頷いた。
「ハイドの言う通り、この状況でうちまで敵に回すとは思えない。だが、奴らはこの国にやってきてる。この時点で外交上、かなりの悪手だ」
ユーゼスの言うことは正しい。万が一、リルアルドがファブニールと手を組んで戦争なんてすれば、クロムガルドは大きな痛手を負いかねない。具体的には併合した地区が暴動を起こしたりする可能性がある。
「小僧に姿を見られた時点で撤退するってのは充分に考えられるが、団長なんて奴を送り込んできたのを考えると、任務も果たさないで逃げ出すってのも疑問が残る」
ユーゼスはそこでイヴに目をやった。
「一番可能性が高い連中の狙いはイヴなんだが……」
「あの一件に関しては抗議したんじゃないの?」
「もちろんしてる。しかも、かなり強い抗議をな。ま、当然のようにクロムガルドは認めようとはしなかったが。それでも、今度あんなことをすれば、うちも出るところに出ざるを得ない」
それこそ戦争になるのは間違いないだろう。国民を誤魔化せないだろうし、国も誤魔化す気はないだろう。そんなことをすれば、弱腰な国王に矛先が向きかねないのだから。
「それにこいつは今、うち預かりの騎士見習い。しかも、前回とは違って事情は把握してるから、それなりに気遣ってる。こっそりとさらうってのは無理があるし、自国民をさらわせるような真似もさせん」
当事者のイヴは相変わらず眠そうな緊張感のない顔つきだが、話の深刻さは伝わっているようで何も喋ろうとはしない。その代わりにハイドが口を挟んだ。
「戦争にならないためというのももちろんですが、それ以前にハーデルラントがクロムガルドにとって喉から手が出るほど欲しい存在かというのは、自分としては疑問ですね」
「どうしてよ? この子は一級の彫り師よ。それだけで魅力的な人物ってのには変わりないじゃない。それこそ『銀』がさらってもおかしくないほどに」
「確かにこいつは魅力的な存在だ。だが、クロムガルドにとっては、いれば重畳というだけで必須ではない」
アインの質問にそう返すハイド。キールはアインと一緒に首を傾げた。
「ハーデルラント、確認しておくが、おまえが紋章を彫ったのは今までで何人だ?」
「キール一人だけ」
その簡潔な答えを聞いて納得した。先日の一件で出くわした『銀』の一級の紋章師はフレッドと爆破の特性を持つ青年の二人。そこから導き出される答えは一つだけだ。
「つまり、クロムガルドには最低でももう一人、一級の彫り師がいる。国王としては、友好国とは言えない微妙な立ち位置の国が、そんなカードを持っているというのは極めて深刻な問題だ」
ユーゼスはため息交じりにそう告げ、次いでイヴに訊ねる。
「イヴ、念のために訊いておきたいんだが、その一級の彫り師がどんな奴か知ってるか?」
イヴは「ううん」と首を横に振った。
「私は軟禁されてて移動できる場所も、会える人も限られてたから。波長が合うか調べるためか、騎士っぽい人とも何人か会ったことあるけど、私と同じ目を持つ人は見たことない」
一級の彫り師はイヴと同じような碧眼を持つらしいので、事情を知る人間からすれば一目瞭然だ。
全員が重苦しい沈黙に包まれる中、アインがそれを破った。
「確かに由々しき問題だけど、この際、その話は置いておかない? あたしたちがここでそいつについて議論したところで、どうしようもないでしょ。今、大事なのは『銀』の連中が何をしに来てるのかってこと。しかも、団長なんて大層な人物まで連れてね」
「正論だな。小僧、『仲間の奪還』という可能性はあるか?」
先日の一件で襲撃し、キールたちと直接刃を交えたのは四人。その中の二人を捕らえ、彼らは現在牢で拘束されていた。
ユーゼスの質問にキールは「それも微妙ですね」と言った。
「『銀』はヘマをすれば、簡単に切り捨てられますから。フレッドや爆破の特性を持ってた奴みたいに一級の紋章師――替えが利かないような人間ならともかく、幹部だろうと替えが利くようなら捨てられます。むしろ、暗殺の方が可能性としては高いです」
「あいつらは貴重な情報源だ。選りすぐりの騎士たちが見張ってる。あいつらを出し抜いて、暗殺するなんて不可能だ、と思いたいところなんだがな」
歯切れが悪いのは絶対的な自信が持てないからなのだろう。普通の刺客程度ならば問題ないだろうが、『銀』の団長がどの程度の強さなのかわからない。実際に相対したことがあるキールの見立てではアインレベルでないと止めるのは難しいと思われる。
打つ手が見つからず、その場に沈黙が訪れた。彼らを拘束すべきという点は議論の余地はないが、隠形にかけて『銀』は専門家だ。隠れることに徹した彼らを見つけ出すのは難しい。結局のところ、彼らの目的がはっきりしなければ、どうすることもできないというのが本音である。
その重苦しい沈黙を破ったのは、ドアが開け放たれた音だった。次いで、一人の騎士が謁見の間に入ってくる。人払いをしているにもかかわらず、こうして入ってくるということは火急の要件だろうということは、すぐに察した。ユーゼスも咎めようとはせずに、彼が近付いてくるのを王座で待つ。
その騎士は王の前に膝をつくと、焦りを感じさせる早い口調で言った。
「緊急の連絡です! 国籍不明の賊が入り込み、墓場の騎士たちを襲撃したとのことです!」
「墓場?」
その『賊』というのが『銀』だということは全員が一瞬で悟った。だが、その意外な出現場所にアインが訊き返し、その騎士は「はい」と頷いた。
ユーゼスも意外なのは違いなかっただろうが、冷静に言う。
「損害は?」
「そこを警護していた騎士が数名軽傷です。それから、死体が持ち去られたようです」
「死体が?」
この報告にはユーゼスも眉を持ち上げた。とりあえず、そこでその騎士を下がらせる。
「死体安置所なんて身元不明者の死体ぐらいしか置かないでしょ? ってことは例の一件の死体?」
アインの問いかけにユーゼスは「ああ」と首肯した。
「クロムガルドがこのまま知らぬ存ぜぬで通すつもりだったら、あの異変について調べる予定だったんだ。それが済んだら、埋葬ってことであそこに運んだんだがな。まさか、その前に奪いに来るとは思わなかった。それもこんな強引なやり方でな」
「面と向かって引き渡しを要求すると、前回の一件がクロムガルドのものだったと認めることになる。だから、『銀』を動かしたということでしょうか? だけど、何のために?」
「お葬式をあげるつもりとか?」
ハイドの疑問にそう口を挟んだイヴ。その場にいる全員がそれを鼻で笑い飛ばした。キールがさらに続ける。
「まさか。そんな感傷的な理由で『銀』が動くわけがない。何か大きな理由があるはずだ」
死体を回収する大きな理由。それが『銀』の目的だったのは間違いないだろうが、その真意がまるでわからない。
「理由はわからないけど、そうなると奴らはまだ半分しか任務を果たしてないってことになるんじゃない? ユーゼス、もう一つの死体はどこにあるの?」
アインが言った。その通りだ。彼らの目的が死体の回収ならば、その死体はもう一つある。キールが手にかけた元戦友の死体が。
「まだこの城の地下だ。明日には盗まれた奴の隣に運ぶ予定だった。その後は同じように解体して調査、そして埋葬のつもりだったんだがな」
ユーゼスはそう言ってキールを見る。
「後手に回った形ではあるが、連中の狙いは見えたな。どういうつもりかはわからんが、奴らの目的は死体の回収のようだ。小僧、奴らこんな墓荒らしみたいな恥知らずな真似をする理由に心当たりは?」
「残念ながら。『銀』に在籍してた時もこんなおかしな任務、引き受けたことも聞いたこともありませんよ」
「――ちっ。使えない小僧め」
理不尽な舌打ちをするユーゼス。ここに連行された一件がまだ尾を引いているらしい。相手は国王なので面と向かって口にすることはないが、キールもその一件のせいで、国王に関しては悪感情の方が勝っている。嫌っているのはお互い様だ。
「盗られたものは仕方がないわね。奴らの目的がわかっただけでも良しとしましょう。それにまだ半分残ってる。一泡吹かせることはできる」
アインが好戦的な笑みを見せて言った。
相手は『銀』。隠形にかけては専門家だ。この場にいるイヴ以外の全員が気付いているだろうが、リルアルドにも彼らの息がかかった人間が潜入しているのは間違いない。彼らが手引きをすれば、まず見つけ出すのは不可能に近い。先手を打つことはできない。
それを理解していながらも、ユーゼスはアインと同じ種類の笑みを浮かべて「そうだな」と相槌を打った。どうやらこの二人は本質的に近いものを持っているようだ。
「舐めた真似してくれた礼はしてやる。だが、その前に本格的にあの死体を調べるべきだな。今度はおまえにも立ち会ってもらうぞ、イヴ」
「え? でも、私、検死なんてことできないよ?」
「わかってるさ。おまえがあの異変についてほとんど知識がないってこともな。だが、それでも一級の彫り師なんだから、何か気付くことがあるかもしれないだろ。可能性は低くても、試す価値はあるだろ」
「だったら、昼のうちにするべきですね」
ハイドが具申する。確かにこんな盗人のような真似、視界が著しく狭められる夜の方がやりやすい。
「そうだな。というわけで、イヴ、間違っても学校に行ったりなんてするなよ」
「えー……」
「……おまえな、自分の立場わかってるんだろうな。本当だったら、騎士学校に通わせること自体、拒否したいところなんだぞ。それを認めてるだけでも破格の待遇だと自覚しろ」
イヴの不満そうな声にこめかみをピクピクと動かすユーゼス。一級の彫り師である彼女が騎士学校に通っているのは、やはり納得できていないらしい。この先、『遠征』なども含まれる。その点は大丈夫なのだろうかとキールは思ったが、それはここで口に出すべき話題ではないので慎む。
「そう心配するな、ハーデルラント。陛下直々の依頼だからな。明日の休みに関しては単位に響かないようにしてやる」
「ハイド、微妙に的外してる」
アインの呆れ顔にハイドはわずかに首を傾げた。その姿にアインはますます呆れた様子を見せたが、「まあいいや」と肩を竦めた。
「とにかくこれでお開きってことでいい、ユーゼス?」
「そうだな。『銀』が再び動くまで、こっちも手の出しようがない。これ以上はどうしようもないだろ」
アインはそれを聞いて、「よっし」と左の手のひらを右拳で叩いた。
「飲み直しよ、ユーゼス! ベッドの下の奥にある高そうなワイン、飲むわよ!」
「なぜ俺の秘密の隠し場所を知ってるか、それも非常に気になるんだが、よくこんな深刻な話をした後にそんなこと言い出せるな、おまえ」
どことなく慣れた雰囲気のユーゼス。おそらくアインのこうした部分は何度も見ているのだろう。
「メリハリよ、メリハリ。たまには気を抜かないと、いざって時にいい太刀筋を振るえないの。ってわけで、堅物で有名なシュナーベル教官。あんたもたまには付き合いなさいよ」
「飲まん。俺が下戸なのはおまえだって知ってるだろ」
ハイドは憮然とした態度で言った。この教官の酔っ払った姿というのは微塵も想像できなかったが、どうやら飲めない体質だったようだ。
「わかったわかった。じゃあ、その場にいるだけでもいいから。飲むのはキールに任せましょ」
突然、話を振られてキールは「いやいやいや」と首を横に振る。
「俺だって帰りますよ。帰らせて下さいよ。もう嫌ですよ。教官の酒に付き合わされるの……」
この教官とはリルアルドにやってきてからの付き合いだ。酒の席に巻き込まれたのも一度や二度ではない。その経験則が自然とキールを涙目にする。
そして、その経験則はキールが泣いて頼んだところで無意味なことも知っている。
「大丈夫、大丈夫! 酔い潰れたとしても、来賓用のベッドはいくらでもあるんだから!」
「キール、お泊まり? だったら、私の部屋で寝ようよ」
「――えっ?」
イヴの無邪気な提案にキールは動揺する。ヘタレだなんだと不名誉な称号が付いているのは知っているが、キールだって男だ。そして、イヴは非常に魅力的な体を持っている。そのイヴと同衾というのは、色々と妄想が膨らんでしまうのは年頃の男の子としては仕方がない。
そんなキールを現実に引き戻したのは、地の底から響くような声と肩に食い込む指の感触だった。
「小僧、イヴの部屋で寝ることだけは絶対に許さんからな……」
いつの間にか目の前にやってきていたユーゼス。意味がわからず、混乱するキールにアインがそっと耳打ちをする。
「ルカの希望でね、イヴとルカ、同じ部屋なの。それにベッドは広いから二人で一緒に寝てるらしいわよ」
なるほどとは思ったが、同時に心配にもなる。こんなシスコン男が国王で、この国は本当に大丈夫なのかと。




