第三章(3)
『銀』の構成員として他国で活動を行う場合、何よりも大事になるのは『情報』である。その国の人口や風土はもちろん、王都程度ならば細かな地理まで把握している。諜報活動を行うとなると、その辺りのことは文字通り死活問題に繋がる。
それはアイロシオン大陸の話だけではない。このリルアルドの情報も、リリー・オーキスの頭の中には詰め込まれていた。
しかし、リリーがこのリルアルドに実際に足を踏み入れたのは、今回が初めてである。リルアルドの特産品や歴史的な建造物、その他珍しいものの知識も頭の中に入っているが、そんなものを見ている時間はどこにもない。リリーたちは任務が目的なのだから。
頭から被れるフード付きの黒いマントを身にまとい、夜の闇に同化しながら建物の屋根を駆ける。その数はリリーを含めて三人。
途中トラブルはあったものの、三人は無言で王都を駆け抜け、外れの方までやってきた。リルアルドの治安の良さは聞き及んでいる。あらゆる場所に街灯があるのが、その要因の一つだろうが、この外れの方までやってくると、グッとその数は落ちる。リリーが今見下ろす場所は、申し訳程度に街灯が置いてあるだけで、ほとんどが夜の帳が落ちている。
「さて、目的地には警備の騎士もいるって話だ」
先頭に立つ男がフードを頭から外した。黒いフードの下から現れるのは見事な黒髪だ。結構な年齢のはずだが、白髪のようなものは一本も見られない。だが、そんなものよりも目を引く異様なものが顔に着けられていた。
顔の上半分を覆う仮面だ。それが彼の異様さを際立たせるものであり、トレードマークでもあった。
クロムガルドの諜報や暗殺を請け負う組織『銀』。それを束ねるのが彼、シーモアと呼ばれる人物である。
「ここから先の戦闘は私とリリーが引き受ける。エマ、君は何もしなくていい。君の仕事はその後だからね」
「わかってます、団長」
エマは視界を確保するためにフードを外す。そこに現れたのは眼鏡をかけた少女の顔だった。まだ幼さが前面に押し出された顔立ち、そして小柄な体。まだ十代にも達していないような子供の姿がそこにあった。
『銀』という組織には子供という概念は存在しない。実力があれば実戦投入されるし、場合によっては部隊を指揮する立場を任せられることもある。かつてのキールや、現在リルアルドに拘束されているはずのテオがいい例だ。
ところが、このエマの場合、実力はそれほど高いわけではない。訓練は積んでいるが、リリーの知るあの二人に比べれば、発展途上なのは否めなかった。
それでも、リリーやシーモアと共にこのリルアルドに潜入している理由は、彼女の紋章術の特性にある。今回の任務において、エマの紋章術は非常に役立つのである。
「さて、この先は戦闘を少なからず挟むことになるはずだ。でも、私たちの目的はリルアルドと事を構えることではない。あくまでもリルアルドに置いてあるものの奪還だ。決してリルアルドの騎士を殺すような真似はしないように。わかってるね、リリー」
「……はい、団長」
クロムガルドが誇る十二の騎士団。そのトップは『団長』と呼ばれる。『銀』は騎士団ではないので、シーモアを『団長』と呼称するのはおかしい。しかし、リリーや他の構成員は昔から彼をそう呼んでいた。
釘を刺されたリリーの中に微かに湧く反抗心に気付いているのか、シーモアは口元に笑みを浮かべた。それからリリーの髪を優しく撫でた。
「報告によるとキールがフレッドを殺したみたいだからね。君の気持ちはわからないのでもない。けど、ああいうのはもうなしだ。わかってるんだろう?」
「はい。申し訳ありませんでした……」
リリーは素直に頭を下げた。先ほどの行動がまずいのは明白だ。隠密行動が当然なのに、感情に任せてあんな行動を取ってしまった。しかも、相手はリリーとシーモアを知るキール。この国に余計な情報を与えたのは間違いない。愚の骨頂にも程がある。
しかし、それがわかっていながらも、リリーはキールを許せなかった。
かつての同僚で弟のように感じていた存在。彼が『銀』を抜けた際、追手としてリリーが差し向けられ、結果、直接的に手にかけた。『銀』の構成員としてはセンチメンタル過ぎると自覚しているが、そのせいでリリーは何日も眠れなかったりした。
そんなキールが生きていた。その報告を受けた時、複雑な心境ではあったが、心が軽くなったように思えたのも事実だ。
だが、それも次の報告を聞くまでの短い時間である。キールがフレッドと戦い、殺したと聞かされ、どす黒い殺意の中にその喜びは消えてしまった。
リリーは胸の辺りの服を掴んだ。そこにあるのは小さなペンダント。昔、フレッドが潜入先で買ってプレゼントしてくれたものだ。どういうつもりだったのかは未だにわからない。ただの気まぐれだったのかもしれない。それでも、リリーにとってそれはかけがえのない宝物だった。
「フレッド……」
彼が命を落とした地にやってきたせいで、少し感傷的になったのかもしれない。誰にも聞こえない声で彼の名を呟いた。
正直に言ってしまえば、リリーはフレッドのことが好きだった。そんな感情を抱けるほど余裕のある環境ではなかったし、彼にそういう気持ちがあったのかは甚だ疑問だが、リリーは自信を持って言える。彼を愛していたと。
だからこそ、キールが許せない。それがかつての弟分だったとしてもだ。その憎しみがリリーを暴走させ、あんな行動を取ってしまったのである。
「それじゃあ始めようか」
シーモアの言葉でリリーは我に返った。今は任務中だ。キールのことはとりあえず考えないようにして、目先のことに集中する。
シーモアが建物から飛び降り、リリーとエマもそれに続く。三人は猫のようなしなやかさで音もなく地面に着地し、人目に付かないうちに一気に目的地に向かって走り出した。
軽やかに三人は跳び上がり、腰ぐらいの柵を超えて、その目的地の敷地に足を踏み入れる。
そこはいくつもの墓石が並ぶ墓地だった。先ほどまで石畳の地面だったため、土の柔らかさが一層靴の裏から伝わってくる。街灯はあるが、町よりも暗く感じるのは夜の闇のせいだけではないだろう。この鼻を突く独特の空気も、それをより強く感じさせる要因になっていると思われる。
もっとも、リリーもエマも普通の女の子らしい感情はほとんど持ち合わせていない。こんな薄気味悪い雰囲気の場所でも、自らの任務を果たそうとするだけだ。
「情報によると、この墓地の中央に管理所、それから死体置き場があるみたいだね」
リリーとエマの上司であるシーモア。当然のようにその声には恐怖の欠片も感じられない。
リリーたちの目的は早い話が墓荒らしである。そういう連中が少なからずいることを警戒してか、こういう場所であっても騎士が数名待機しているということだ。
『銀』はあらゆる国に根を張っており、構成員が人知れず身を隠している。そこからの情報によると、待機している小隊は一つ。つまり、三、四人というところだろう。
その一人だと思われる剣を腰に下げた騎士らしき人物が、三人が向かう建物の中から出てきた。手には足元を照らすためのランプ。こんな夜も更けた時間に、こんな薄気味の悪い場所にやってくる人間がいるとは想像していないようで、思いっきりあくびをしながらドアを閉めた。
真っ先にそれに駆け寄ったのはシーモアだった。リルアルドの騎士たちの練度は高いと聞く。だが、諜報や暗殺を主な仕事にする『銀』。それを率いるシーモアの隠形の技術は群を抜いている。騎士に気付かせることもなく、背後に回り込むと首に手を回して一瞬で気絶させた。
音もない見事な技。何が起きたのかあの騎士はわかっていないだろう。目を覚ましても、何者かに襲われたという自覚すらないはずだ。
気を失い、地面に倒れ込む騎士を近くの墓石に背中を預ける形で座らせて、シーモアは彼が持っていたランプの灯を吹き消した。
「まず一人目。さあ、残りも油断せずに行こうか」
シーモアは踵を返して、その気絶した騎士が出てきた建物へと向かう。あそこが死体置き場兼この墓地の管理所だ。
シーモアはリリーにとって尊敬すべき『銀』の団長だが、同時に謎の多い人物でもあった。何歳なのかも不明。その名前も本名なのかわからない。そもそも、仮面を外したところを見たことがないので、顔すらも知らない。
何年も同じ人物が『銀』を率いているという信憑性の低い噂があるので、もしかしたら『シーモア』という名前は『銀』のトップに与えられる称号のようなものなのかもしれない、とリリーは推測していた。さすがにリリーが『銀』に入ってからは変わっていないと思うのだが。
そういう得体の知れない人物だが、実力は高い。単純な戦闘技術はもちろん、先ほどの隠形術。それに連なる暗殺術。その上、作戦の立案能力とその実行力。どれを取ってもぴか一だった。
だが、そういう人物ではあっても、未来を読めるわけではない。こういう不測の事態が起きれば、見事な隠形術も役に立たない。
「なあ、さっきのお菓子なんだけど、全部食べちゃっても……」
少々太った騎士が建物の玄関から顔を覗かせた。リリーたちにとって予想していなかった事態だが、それは相手にとっても同じことだ。リリーたち三人を見て、ぽかんと間を開けた後、腰に下げた剣の柄に手を当てた。
「な、なんだ、おまえたち!?」
太った騎士がそう問いかけるが、それに答えようとせずリリーはいち早く接近していた。剣が抜かれる前に、その手を自分の手で押さえ込み、残る右手の掌底を顎に食らわせる。
その騎士が気を失ったのは手応えでわかったが、リリーの意識はすでに建物の中に向けられていた。リリーの視界の端。そこにもう一人椅子に座った騎士がいる。
「リリー、ちょっとごめんね」
そんなシーモアの言葉が聞こえると同時に、リリーの顔の正面を小さな物体が通り過ぎた。それが何なのか気付くと、リリーはシーモアの意図を理解し、その場に屈む。そのリリーの頭を何かが押さえ付けた。シーモアの手だ。
「――うっ!」
何かがぶつかる音と小さな呻き声。シーモアが投げたものが建物の中にいる騎士の顔面に当たったためだろう。通り過ぎる一瞬で確認したところ、小石のようだった。
その怯んだ隙を突き、シーモアはリリーの頭上を飛び越えて建物の中に入った。そして、そのままの勢いでその騎士の腹に靴底をめり込ませた。椅子やテーブル、その上に乗っていたお菓子などを巻き込んで、騎士が倒れる。もちろん、死なないように手加減されているだろうが、その一撃は彼の意識を容易く断ち切った。
しばしの沈黙が訪れ、シーモアは口を開いた。
「どうやら警備の騎士は彼らだけみたいだね」
派手な音を立てたのだが、誰も出てくる気配はない。リリーはわずかに緊張の糸を解いた。
「だけど、これで私たちの目的がバレてしまったんじゃないでしょうか?」
「構わないさ。墓荒らしなんて名誉が傷付くだろうが、あいにく私たちには傷付くような名誉は持ち合わせていないからね。気付かれると困るのは、その先にあるものさ」
「その先?」
リリーが首を傾げながら、エマを伴って建物の中に足を踏み入れる。だだっ広い空間、部屋の端には二階に伸びる階段がある。おそらく上には仮眠室でもあると思われる。天井を含め、いくつもある室内用のランプには火が灯されており、部屋は明るい。
シーモアはリリーの質問には答えず、部屋の隅――二階へと伸びる階段の下にあるドアを開けた。そこには地下へと続く階段がある。
「どうやらここが目的地みたいだね」
シーモアは近くにあった携行用のランプにマッチで火をつける。それを掲げながら、地下へと足を踏み入れる。リリーとエマもその後を追う。
あまり誰も入りたがらないのが想像できるかび臭い階段。シーモアを先頭にそこを進んでいくと、すぐに一枚の両開きの扉にぶつかった。そこはかとなく不気味さを漂わせる扉を、シーモアは躊躇いもせずに開けた。
そこは真っ暗な空間だった。ランプに火も灯されていないし、地下なので窓もない。完璧な暗闇の空間。それを削り取るのはシーモアが持つランプだけ。そのランプを顔の高さまで持ち上げるシーモア。わずかにその削り取られる闇の部分が大きくなり、リリーたちの視界が確保される。
そこは一つの部屋だった。全容までは暗くて把握できないが、一階ほど広くはない。そこにベッドが等間隔で並べられている。
その一つに誰かが寝ている。シーモアはそれに近付き、ランプの灯りを当てた。
「なんだか凄く久しぶりに顔を見た気がするね、ゼーレン」
そこに横たわっていたのは、同じ『銀』に所属するゼーレン・カリリウスだった。数日前にリルアルドにやってきて、戦死したリリーたちの同僚である。リリーはその変わり果てた姿を見て、表情を強張らせた。
「……これが例の『紋章に喰われた』という状態ですか?」
血は綺麗に拭き取られていたが、その体は異様なものだった。全身が真っ黒に染まっている。これが事前に聞かされていた紋章が暴走した結果のようだ。
「そうだ。けど、安心していいよ。こういう風に暴走するのは一級の紋章師だけだ。君たちの紋章が暴走するようなことはない」
「どうして一級の紋章師だけが……?」
無口なエマが珍しく戸惑った表情でシーモアに訊ねた。すると、シーモアは顎に手を当てて、考え込むような仕草を見せた後、呟くように言った。
「そうだね……。表現が難しいんだけど、一級の紋章は『真に迫っている』からだろうね」
「真に迫る? どういうことですか?」
「ちょっと喋り過ぎたね。ここから先のことは君たちは知らなくてもいいことだ」
シーモアは微笑んでエマの頭に手を置いた。口調こそ優しげだが、有無を言わさぬ口振りだ。『銀』は任務に置いて疑問を抱くべきではない。そう教えている人間からそんなことを言われれば、これ以上の追及はできない。エマは口をつぐんだ。
「そんなことよりも、まずは一つ目の任務だ。エマ、頼んだよ」
シーモアに促されて、エマはゼーレンに近付く。同僚の死体。それを前にしても、幼い少女らしい表情を見せることはない。少しも臆することなく、エマはゼーレンの黒い体に手を置いた。
そっと目を閉じるエマ。すると、ゼーレンの体に変化が訪れる。少しずつその黒い体が小さくなり始めたのだ。
これがエマの紋章術の特性、『縮小』である。二級の紋章で文字通り対象物を小さくするという特性だ。予備動作は対象物に触れ、目を閉じるというもの。生き物は小さくできなかったり、小さくするまでに時間がかかる上に、その予備動作のせいで紋章術を使っている時はろくに身動きも取れないという欠点だらけのものだが、場合によってはこれ以上ないほど重宝する。この任務のように。
その動作を見届けている間に、シーモアが声をかけてきた。
「リリー、何か言いたいことでもあるのかい? 随分と難しい顔をしてるけど」
「ええ、まあ……。答えていただけるなら」
「答えられる範囲でなら答えてあげるよ」
シーモアの言葉にリリーは「では」と一呼吸置いて質問する。
「前回の彼らの任務、花彫の確保ということでしたが、どこまでが本当のことなんですか?」
「どこまでも何も、第一の目的は花彫の確保だよ」
一級の彫り師である『花彫』――イヴ・ハーデルラント。クロムガルドから逃げ出した彼女の確保、それがゼーレンたちに与えられた任務だった。
「『第一』ということは『第二』の目的があったということでしょう? それは何ですか?」
「聡明な君のことだ。推測はしてるんだろう?」
リリーは頷く代わりに、エマの紋章術で小さくなるゼーレンを見た。それをシーモアはどこか残酷な声色で肯定した。
「それは正解だ」
「やっぱり……」
任務が与えられた時からおかしいとは思っていた。
前回の任務。その重要度は決して低いものではないので、一級の紋章師であるゼーレンを投入するのは決しておかしな話ではない。だが、彼の紋章は戦争のような乱戦で最大限に役立つ特性だった。前回のような隠密性の高い任務では役立たない。
『銀』は暗部組織ではあるが、その任務は多岐に渡る。決して隠密性ばかりを求めているわけではない。彼の『爆破』の特性も、エマの紋章と同じように時と場合によっては非常に役立つこともある。それにゼーレンの紋章は念じるだけで発現できる一級だ。前回の任務でなくても使い道は多かったはずだ。
それなのに、ゼーレンを使った。よりにもよって、彼の紋章術があまり活躍するとは思えない任務に。そこに何かしら別の目的があるのではないかと、リリーは最初から考えていた。
「初めからゼーレンをここで始末するつもりだったんですね」
「まあね」
シーモアはあっさりと肯定する。それにリリーは驚きはしたが、心のどこかで納得もしていた。
ゼーレンはあまり使える人材ではなかった。戦闘技術も低くはなかったが、ずば抜けて高いものではなかったし、性格も粗野だ。秘密裏に部下や組織内で対立する人間を排除してきたことも、薄々察していた。その辺りの事情もあり、『銀』に相応しくない人間として内々に処理されたとしても不思議でも何でもない。
「では、なぜゼーレンを一級の紋章師に? 他にも相応しい人間はいたでしょう?」
「その理由は以前も話した気もするけどね。一級の紋章師は誰でもなれるわけじゃない。彫り師と波長の合う人間じゃないと、紋章術は使えない。その波長が合う人間がゼーレンだった。それだけだよ」
確かにその話は以前聞いた気がする。一級の彫り師は、彫る際に波長の合う人間の願望や欲望を見抜き、それを紋章として彫るらしい。だから、前提として『波長が合う』という条件が必要になる。誰でも一級の紋章師になれるわけではない。
それを理解していても腑に落ちない様子のリリーを見て、シーモアは苦笑を口元に浮かべた。
「私の答えに不満を持ってるね、その顔は。それなら一つサービスをしよう。これは本来、教えるべきことじゃないから、もし知られたら、『深淵』に怒られてしまう。秘密にしておいてくれよ」
そう前置きをするシーモア。ちなみに『深淵』とは『白』の騎士団長――つまり、十二の騎士団を束ねる総長に与えられた二つ名である。
「ゼーレンを一級の紋章師にすると決めたのは私だ」
「どうしてですか?」
「波長が合ったということが最大の理由だが、彼なら『壊れやすい』と思ったからだ」
『銀』に所属し、様々な醜悪な現場に立ち会ってきたリリー。そのリリーが思わず寒気を覚えてしまう口振りだった。何とは明確には言えないが、得体の知れない不気味さを感じる。その感想はエマも同じだったようで、息を飲む気配が彼女の背中から伝わってきた。
一瞬の沈黙が周囲を包む。ジジッとシーモアの持つランプが油を燃やす音だけが、闇の中に妙に響いた。
シーモアの言う『壊れる』の意味はすぐに理解できた。ゼーレンの死に様がそれを物語っている。
「要するにゼーレンは最初から『こう』なるために、一級の紋章師になったってことですか? どうして、そんなことを……」
「そこから先は教えられない。ただ、まあ彼にはちょっと気の毒だったと思うけどね」
少しも気の毒がっているようには聞こえなかった。もっとも、ゼーレンは意味もなく部下を手にかけたりしているので、同情の余地はまるでないのだが。
「……もう一ついいですか、団長?」
答えられないかもしれないとも思ったが、リリーは訊かずにはいられなかった。
「フレッドもここでこうなる予定だったんですか?」
「いいや、違うよ」
首を横に振って即答された。嘘偽りは『銀』の常套手段だが、その言葉に嘘はないとリリーは直感した。
「君の推察通り、第一の目的は花彫の確保。だけど、その裏にゼーレンの始末があった。その実行役だったのがフレッドだ」
随分と小さくなったゼーレンの体。もう少しすればポケットに収められるサイズになるだろう。それを見届けながら、シーモアは続ける。
「おかしいとは思わなかったかい? 今回の任務、なぜフレッドが選ばれたのか?」
「ゼーレンの始末が目的だとしたら、それをやり遂げられる人間が必要だったからではないんですか?」
「もちろん、それもある」
ゼーレンは予備動作なしで特性を発現できる最強の紋章師だ。一緒に潜入していたテオやソフィアも幹部候補なので決して悪い腕ではないが、彼らでは仕損じるかもしれない。対して、フレッドは『銀』でも指折りの実力者。その上、同じ一級の紋章師だ。確実に仕留められるだろう。
「だけど、それだけが理由じゃない。ゼーレンがフレッドをライバル視してたのは知ってたかい?」
「それは、まあ……」
リリーは首肯した。あそこまであからさまだったら、誰だって気付く。
「一級の紋章を暴走させるには、その紋章が根付いてる信念や願望を破壊する必要があってね。ゼーレンの場合は、他の誰を殺してでも自分という存在を認めさせたかったんだ。自分が一番だから、自分の前に立ち塞がる人間を全員殺してしまいたかった。それが『爆破』という形で現れた。そして、自分では勝てない。さらに一番になれない自分に価値がないと思い込ませれば、紋章は暴走する。それが予想できたからね。フレッドにこの任を与えた。ゼーレンが任務中にフレッドを殺そうとする可能性は決して低くなかった」
「ということは、ゼーレンを殺すだけじゃなく、紋章を暴走させた上で殺すのが隠された任務だったんですか?」
「そう。付け加えるなら、その上でそうなった死体を本国に持ち帰るというのが任務だったんだけどね」
それが失敗したために、こうしてリリーたちが派遣されたわけだ。
「それを任せたのはフレッド一人だ。難しい任務ではあったが、彼は私が最も信頼している部下の一人だからね。ここで死なせたのは私にとっても予想外で、大きな痛手だ」
任務最優先の『銀』を率いている人間の言葉とは思えない湿った声のように思えた。
「それも紋章を暴走させて、冷静な判断ができなくなったことが致命的な死因になるとはね。キールが生きてここにいるとは、予測していなかったな。あの子は死んだと思っていたから、仕方がないことなんだろうけどね……」
リリーも手心を加えることなく致命傷を与えたし、このリルアルドに根付く『銀』もキールと面識がない連中ばかりだった。仕方がないと言えば、仕方がないのだろう。
しかし、そんな言葉で済ませられるほど、リリーの心は単純ではない。感情で動かないように訓練されているが、感情を全て捨てているわけではないのだ。その最たる例が先ほどのリリーの行動だ。
「団長、終わりました」
エマが小さくなったゼーレンの死体をすくうように両手で持ち上げる。それをシーモアは「ご苦労様」と言いながら、摘まむように受け取ると、腰にぶら下げていた布袋の中に入れた。
これで任務の一つは終了だ。残された任務はあと一つ。
「さて、フレッドの方も回収しないとね」
シーモアの言葉にゼーレンの時には抱かなかった嫌悪感を、リリーは感じた。
「それは紋章を暴走させたからですか?」
その動機は不明だが、紋章を暴走させたことがゼーレンの死体を回収する理由だ。ということは、同じ現象が起きたことがフレッドを回収する理由だと連想するのは自然なことだった。
「そんな怖い顔で答えづらいことを訊かないでくれよ」
それは肯定と同義だった。しかし、シーモアの言葉はそれで終わりではなかった。
「その答えは両方だ。フレッドが紋章を暴走させたから回収したいというのは、『銀』としての理由だ。だけど、半分は私的なものだよ。他国にフレッドを預けたままにしておきたくない。そういうことだよ。私だって人並みの感情はあるってことさ」
シーモアはそう言って、リリーの頭に手を置いた。その手の温もり。リリーはそれを信用することにした。




