第二章(2)
騎士学校の敷地外。そこに第二グラウンドと呼ばれる場所がある。その名の通り、騎士学校が所有する予備のグラウンドのことだ。広さは騎士学校内にあるグラウンドの半分ほど。授業に使用されるには少々手狭である。
だが、一対一の模擬戦を行う場合は充分な広さだ。
西日が射し始める時間帯。その第二グラウンドで対峙するアインとキール。
「教官、本当にやるんですか? 今度酒をおごるってことでさっきの話の件は手打ちになったはずでしょ?」
「微妙に改竄するんじゃないわよ。あたしは酒と『これ』って言ったでしょ」
アインは抜身の剣をキールに向けた。つまりは手合わせだ。
それをエリスは二人の真ん中で見ていた。部活を抜け出して、ここにやってきたのはキールが心配だったのもあるが、アインに『来なさい』と命令されたからだというのが理由としては大きい。
審判役を命じられたエリスは二人の剣を見比べながら、躊躇うような口調で言う。
「で、でも本当にいいんですか? キールさんの剣は本物ですけど、教官のそれは……」
その抜身の剣は本物ではなかった。刃先の丸めてある剣で人はもちろん、紙すらも切れないものだ。キールのものと比べると、凶器にすらなり得ないものだが、アインはヘラヘラと笑った。
「いいのいいの。これが本物だったら、キールが死んじゃうでしょ」
「だけど、教官の方が……」
「へ? ああ、キールの剣があたしに当たるわけないじゃない。髪の毛一本にも触れさせる気ないし」
その言葉を受けて、キールは明らかにムッとした顔をした。それと同時に剣の柄を握る手に力が込められたのをエリスは見た。どうやら、本気でやるようだ。
そんなキールだが、次のアインの言葉を聞いて、その怒りの表情をギョッとしたものに変えた。
「あ、これは総合訓練だから。紋章術も使っていいわよ」
エリスも驚いて目を見開いた。
紋章術を使えるとしても、アインは紋章術を使わない。正確には使えないに等しいらしい。
紋章というのは一般的に三級までとされている。しかし、実際にはその下に『四級』と呼ばれる紋章が存在していた。
大気中に浮かぶコアという粒子を自身の特性に変換させることで、紋章術を発現させることができる。エリスは普通の紋章を持っていないのでよく知らないのだが、そのコアの制御を無意識に行っている。例えば、火の特性を使用した際、自分の体が燃えないのはこの制御が原因とのことだ。
アインが持つ紋章――四級の紋章はこの制御ができない欠陥品だ。アインが持つ火の特性の場合、自分の体まで燃やすような使えないものらしい。
そのため、アインが紋章術を使うのをエリスは見たことがなかった。
「教官、それ本気ですか?」
キールが困惑するのも無理はなかった。
それに対してキールの紋章はイヴに彫ってもらった一級。予備動作すらも必要とせず、念じるだけで特性を発現できる反則に近い紋章だ。
そのキールの困惑を一笑するアイン。
「それぐらいのハンデがなければ戦いにならないじゃない。それでも、あたしをビビらせるのは無理だと思ってるぐらいなんだけど」
アインは相変わらず自信たっぷりだ。ここまで不遜な言葉をぶつけられては、キールもさすがに面白くないのだろう。それ以上は何も言わず、左手に持った剣を逆手に、右手の剣を順手に構えた。
対峙するアインは剣をだらりと下に切っ先を向けたまま構えない。構えのない構え。それがアインの戦う体勢だ。しかし、心構えはできているようで、ピリピリとした気配がエリスの肌に刺さる。
それでも、手合わせを始めるべきかエリスが迷っていると、傍らに人が立つ気配を感じた。
「この手合わせ、俺が取り仕切る」
エリスの隣でそう言ったのは、長身で黒髪の男性だった。
「ハイド」
そこに現れた男性の名をアインは意外そうに口にした。
ハイド・シュナーベル。この国の上位騎士で、この学校の教官でもあるアインとまったく同じ立場の男性だ。まだ二十代前半で、非常に端正な顔立ちをしているので、女子生徒に絶大な人気を誇っている。何人もの女子生徒に告白されたと聞くが、浮付いた噂は一切ない。
『悪いが生徒と付き合う気はない。立派な騎士になった時、心が変わってなければもう一度来てくれ。その時は真剣に考えさせてもらう』
冗談交じりで告白した女子生徒にも大真面目にそう返したらしい。
それが彼の特徴を大きく表している。堅物なのだ。それもとびっきりの。
「なんであんたがここにいるわけ?」
「おまえがカウンティを連行したって話を聞いてな。グラウンドにいなかったから、こっちに足を運んだんだ」
「ふーん。それにしても、どういう風の吹き回しよ。あんたが許可も取ってない生徒との訓練を許容するなんて。しかも、真剣での」
「おまえが真剣だったら、さすがに止めてる。だが、おまえは訓練用の剣だし、何より一度言い出したら聞かないだろ。それに万が一の事態になったら、ティトーでは止められない。だから、止められる俺が審判をやる。そういう理屈だ」
ハイドはそう言って、手を上げた。荷が重いと感じていたエリスとしては、それを断る理由はない。二歩、三歩と徐々に後ろに下がる。エリスが安全圏まで離れたのを気配で察したのか、ハイドはその手を振り下ろした。
それを合図にまずキールが動いた。キールの俊敏性は元々高い。それに加えてどのような体勢からでも攻撃できるボディバランスと手数を武器に敵と戦う。その高い俊敏性を持って、アインに一直線に迫る。
その体が唐突に消え、アインの背後に現れた。
あれがキールの紋章術の特性、『移動』だ。彼の特性はトンネルのようなもので、入口と出口を設定し、それを一歩で通り抜けるというもの。一級の紋章師なので、予備動作も必要としない。消えるタイミングも現れる場所も予測できるものではない。
「ほい」
そのはずなのだが、アインは背後に現れたキールの下から振り上げられた剣を訓練用の剣で容易く受け止めた。そして、そのキールの剣を訓練用の剣で受け止めたまま、アインは右足を軸にして半回転する。その勢いを利用して、キールに殴り掛かった。
相手は『血風』と謳われた最強の騎士だ。キールも自分の攻撃を止められることは予測していたのだろう。大して慌てた様子も見せずに、一歩足を後退させた。その一歩で紋章術を使用し、キールは姿を消す。
そうして現れたのはアインの頭上だった。そのまま、空中から襲い掛かる。
「甘いっての」
しかし、アインはそれにも超人的な反応を見せ、剣を振るった。目にも止まらない鋭い一撃。キールは左の剣でそれを辛うじて受け止めたが、空中では踏ん張りが利かない。キールは空中で回転しながら吹き飛ばされる。
それでも、キールは攻撃の手を止めない。右手に持った剣をアインに投げ付けた。空気を切り裂き、流星のように飛ぶ剣だが、アインの反射神経の前ではそんなものは止まっているも同然だ。剣で払うことはもちろん、指で挟んで止めることも可能だろう。
その剣が突如消え、エリスは息を飲んだ。
エリスは紋章を有してないが、その代わりに極めて特殊な能力を持っている。それが普段隠している左目だ。
紋章は特殊な道具で肌に入れるものだ。内臓のような部分に入れることはできない。だが、時に先天的に紋章術に似た能力を持って、この世に生を受ける事例がある。コアの影響によるものだという仮説が一般的だが、それが正しいという証拠はどこにもない。
エリスはその稀有な事例の一つだった。エリスの左目はある特殊な能力を秘めていた。特性を変換させたコアを別の色で見ることができる。例えば、キールの紋章術の場合、その出入り口と設定した場所を普通のものとは違う色で視覚化できるのである。これは紋章術が戦闘に活用させる今の時代、大きな優位性を誇っていた。
そのエリスの左目に映る色の違う部分。それはアインのすぐ後ろだった。そこから剣の切っ先が姿を現す。
初めて見るが、あれがキールの数日前に得た新たな紋章術の特性のようだ。手で触れたものを移動させる特性。一度に設定できる出入り口は一つだけなので、必然的に一つのものしか移動させられないのだが、死角から攻撃することも容易く、その利点は計り知れない。
「だから、甘いって言ってるでしょ」
その見ることすらも難しいキールの攻撃を、アインは再び無造作に剣を振って弾き飛ばした。それでアインの言うことは正しかったと確信した。いくらキールが一級の紋章師であっても、あの女傑に傷を入れるなんて不可能だ。
「ほう。あれがカウンティが持つ一級の紋章の特性か。確かに予備動作らしきものは見当たらないな。視線すらも必要ないか」
「え? ハイド教官、知ってたんですか?」
傍らに立つハイドがそう言ったのを聞いて、エリスは目を見張る。すると、ハイドは肩を軽く竦めて見せた。
「驚くことはないだろ。上位騎士でも知ってる奴は知ってるさ。あいつが一級の紋章師って話だけじゃない。それを彫った一級の彫り師が、ハーデルラントだってこともな。ついでに言うと、この前の賊がクロムガルドの暗部組織の連中だって話も当然知ってる」
ハイドは上位騎士の中でも、かなりの実力者だと聞いている。一説によると、アインとまともに戦える数少ない騎士の一人らしい。それにリルアルドの王に近しい人物でもあるとのことだ。そういう重要な話を聞かされていたとしても不思議ではないのかもしれない。
そんなことを考えていると、今度はアインの方が攻勢に出た。剣一本になったのを好機と見たのだろう。事実、土煙を上げながらも体を止めたキールは防戦一方になる。
剣二つが激しくぶつかり合うのを見ながらハイドはさらに言った。
「なるほど。クロムガルドの暗部にいたという話も本当らしいな。体術、剣術共に騎士見習いの域ではないか」
ハイドは非常に高潔な教官だ。曲がったことが嫌いで、正々堂々という言葉を好む騎士に相応しい人物だった。無論、頭が固いだけではなく、きちんと融通を利かせられる大人の部分を持ち合わせてもいる。
そんな人物からすると、キールの過去はあまり気に入らないのかもしれない。ハイドはわずかに苦虫を噛み潰したかのような表情をした。しかし、すぐにそれをいつもの仏頂面に奥に消してしまった。
「しかし、さすがにアインには敵わないようだな。そろそろ止めるか」
エリスが目を戻すと、キールがアインに蹴り飛ばされるところだった。剣の腹で受け止めたようだが、凄まじい一撃だったようで、キールの体が宙に舞う。そして、それを追撃するためにアインが追った。
「きょ、教官!」
訓練用の剣なので切られることはないが、鉄製のものであることには変わりない。あんなもので殴られれば、骨ぐらいなら容易く折られてしまう。思わず駆け寄ろうとするが、エリスの位置からではどうあがいても止めるのは不可能だ。
そんなエリスの栗色の髪を一陣の風が揺らした。エリスはその予想外の風にわずかに目を閉じる。
瞬きほどの薄い時間の切れ間。エリスが次に見た光景は、ハイドがキールの着地点に回り込んでいる姿だった。キールの肩を支えるようにして受け止め、アインの振り下ろされる剣を高く蹴り上げた足――正確には靴の裏で止めるハイド。もちろん、これはアインの剣が本物ではないからこそできる芸当である。
「そこまでだ。これ以上はこいつが怪我する」
ハイドはそう告げて、キールを立たせる。キールも騎士学校では相当な実力者で、その上、一級の紋章師なんて肩書きを持ってはいるが、アインはそれよりも数段上だったようだ。あれほど短い攻防だったのに、肩で息をしている。
「ちぇっ。せっかく体が温まってきたってのに」
対するアインは息一つ乱していない。つくづく人間離れしているとエリスは思う。
エリスは水の入った水筒を持ってキールに駆け寄る。それを受け取って、一気に喉の奥に流し込むキール。
アインは剣を鞘に戻しながら言った。
「あんたね、いくら一級の紋章師でも、それに溺れるようじゃその辺の二流の騎士と同じよ。剣の腕も体術もまだまだ。あれじゃあ宝の持ち腐れ。紋章術もさっきみたいに簡単に防がれるわよ」
「一応、死角から攻撃してるんですけどね。さっきみたいに防げるのは教官ぐらいじゃないですか?」
キールは水筒から口を放して、不満そうに言う。すると、アインは鼻で笑った。
「何言ってるのよ。死角からの攻撃が一番注意を払ってるに決まってるでしょ。そこを攻撃されたら、反応が早いのは当然じゃない。それなりの騎士だったら、あんたの攻撃なんて簡単に防げるわよ」
「ちなみにそれなりの騎士ってのは?」
「あたしが確実にできるって言い切れるのは、そうね……。クロムガルドの騎士団長、副騎士団長クラスだったら、例外なくそれぐらいはできるでしょうね。後はこの国の上位騎士たちもできるでしょ。ねえ、ハイド」
「まあ、あの程度の攻撃なら特に問題にはならないだろうな」
「そんな人たちと比べられても……」
キールがなおも不満そうに言うと、アインはその額を指で強く弾いた。
「比べるなって、あんたね、そんな連中が目の前に敵対者として現れたらどうするつもりよ。一対一でやり合う機会だってあるかもしれないでしょ。もし、そんなことになったら、簡単に殺されてあげるつもり?」
「……うっ」
ぐうの音も出ないほどの正論をぶつけられ、キールは言葉に詰まった。
そんなキールから視線を外し、先ほどよりも赤くなった空に向かって手を伸ばした。
「うーん。それにしても不完全燃焼だわ。汗一つもかいてないし……」
それから、口元に手を当ててハイドを見るアイン。
「ねえ、ハイド。よかったらちょっと遊ばない?」
「そんな艶っぽい目で色気のない相談を持ちかけるな。遊びじゃ済まなくなるのが目に見えてる。それに訓練が目的じゃなかったはずだ。カウンティに用事があったのを忘れたのか?」
ハイドがそう言うと、アインは「あ」と声を出した。どうやら本当に忘れていたようだ。呆れたように盛大にため息を吐くハイドを尻目に、アインは「そうだったそうだった」と笑ってからキールに向き直った。
「キール、あんたに騎士任命の話が来てるわよ」
それはキールにとってだけではなく、エリスにとっても青天の霹靂と言える言葉だった。




