第二章(1)
騎士学校の敷地内には様々な施設が存在している。座学の講義が行われる校舎や、色々なものを調べる際に利用する図書館。体育館は簡易的な戦闘訓練やその他色々な用途に用いられる。その体育館よりも本格的な訓練が行われるグラウンド。それに騎士学校の敷地ではないが、より実戦に近い訓練が行われる場所も存在している。
騎士学校の授業はそれらの施設が利用されるのだが、放課後になると生徒たちに開放される。担当教官に頼んで、実戦の腕を磨く稀有な奴も存在するが、その利用方法は主に『部活動』のためだった。
キールが所属する『美術部』も校舎にある教室を利用して、その活動を行っていた。
美術部の主な活動は『今週のお題』を部長が決めてから、それを一週間で完成させるというものだ。ただし、それを完成させなかった、もしくはそれ以上に時間がかかってしまったからと言ってペナルティがあるわけではない。遠征で他国に行く生徒もたくさんいるし、大作に取りかかる生徒だっている。あくまでも、一週間というのは目安に過ぎないのである。
そんな美術部の『今週のお題』は静物画。テーブルの上に花瓶に飾ってある花があり、今週はそれを描くというもの。美術部の中ではすでに定番になっており、現部長が題材を決め切れなかったり、面倒になった時のお決まりの題材だった。
本日から始まった題材を前にして、キールはキャンパスに鉛筆で薄く線を描く。
美術部に入ったのは入学してすぐのことなので、在籍期間は一年と少し。最初は完全な初心者だったので、それに比べればまだ見られる絵にはなってきたと思う。しかし、キールの絵は美術部の中では下手な部類に入る。
「うーむ……」
キールは手を止め、腕を組んで唸った。今日も思ったように描けない。これは才能がないのではなく、今までそういう文化に一切触れて来なかったのが原因だろうと、キールは心の中で言い訳をする。
「キールさん、どうしたんですか?」
だが、入部してからほとんど時間の経っていない彼女の絵を見れば、その言い訳も空しいものに感じてしまう。
隣でキャンパスを並べるエリスが首を傾げていた。そのキャンパスを覗き見ると、まだ下書きの段階にもかかわらず、腕の差を明確に見せつけられる。まるで子供と大人のものぐらいの違いがあった。普段は人付き合いを始め、色々と不器用なエリスだが、絵を描くのは得意のようだ。
「ど、どうしました?」
口をへの字に曲げたキールを見て、エリスは狼狽えた表情をした。人見知りのくせに、人から嫌われることを怖がるエリス。親しい人物からこんな顔をされるのが嫌なのだろうが、キールとしては妬まれても仕方がないと思う。
「……おまえさ、どうしてそんなに上手いの?」
「別に上手くはないと思うんですけど……」
エリスの自己評価は大体いつも低い。そのため、その言葉も決して謙遜ではなく、本気でそう思っているのだろう。もっとも、それを知っていながらも今のキールにとっては嫉妬心から嫌味にしか聞こえないのだが。
「部長は私よりもずっと上手ですよ?」
「入部一か月でこの部の実質的なトップと比べるんじゃねえよ!」
キールはエリスの栗色の髪をぐしゃぐしゃに撫で回す。「わわわ」と慌てた声を出しつつも、エリスはされるがままだった。しばらく、そうするとエリスは乱れた髪を手で整えながら言った。
「でも、私なんて本当にひよっ子だと思いますよ。この絵もいまいちだと思いますし……」
「ほう。では、そのひよっ子に質問しよう。今の俺の絵を見て、おまえはどう思う?」
まだ下書きも序盤の二枚の絵。しかし、その差は如実に表れている。それらを見比べて、慎重に言葉を選ぶように、目を左右に動かしてからエリスは言った。
「えっと……キールさんの個性がとても発揮された絵かと……」
暗に不器用だと言われたキールは無言でエリスの髪を再び乱す。
一通りエリスに対する仕置きを終えたところで、キールは絵を描くのを再開しようとする。見れば見るほど不格好な絵だ。エリスと比べるとなおさらそう感じる。
だが、そこで止めようとは思わなかった。本気で上手くなりたいなら、嘆くのは全て後だ。ひたすらに手を動かす。それがキールに戦闘技術を教えた人間の言葉だった。
その教えを実行しようとして、鉛筆をキャンパスに当てたところで背後から声をかけられた。
「おっす。相変わらず仲良さそうじゃん、ご両人」
「同じ小隊だし、このぐらいのスキンシップは普通だろ」
キールと同学年でこの美術部に所属する女子生徒だ。気配から彼女が近付いてきているのは知っていたので、いきなり声をかけられたとしても特に驚きもしなかった。
騎士学校の部活動は『息抜き』という側面が強いので、とても緩い。時間も適当で来なければ来なくてもいいぐらいだ。下手すれば数日来なくても問題ない。
この二年生の女の子も今来たようで、一年生の女の子を三人連れていた。おそらく、どこかでお茶でもしてきたのだろう。
二年生の女子生徒はキャンパスをキールの隣――エリスと挟むような形で置く。それに倣うようにして、一年生たちもキールとエリスの近くにキャンパスを立てた。
「普通なの? 私の小隊は仕事仲間って以上の感情はないと思うんだけど。少なくとも、さっきみたいに仲良しこよしって行為はないわよ」
「うーん。そう言われれば仲いいのかもな。俺もエリスのことは好きだし」
「す……っ!?」
エリスが何やら固まってしまったが、キールは特に意識を払わずに話を続ける。彼女がこういう話をしてきた理由は予想ができる。腹の探り合いは面倒なので、キールから話を振ってやることにした。
「で? 教官の話が聞きたいんだろ?」
「ご明察。話が早くて助かるわ」
女子生徒は描く気もないのに持った鉛筆をキールに突き付けた。周囲を陣取る一年生たちも期待の眼差しでキールを見る。そんな視線にさらされながら、キールは口を開いた。
「その前にこっちから質問。おまえら、あれのどこがいいんだ?」
彼女たちはキールたちの担当教官であるアインのファンだった。
昼食時にリンクとも話していたが、アインのファンは多い。クロムガルドでは伝説的な英雄だし、アイロシオン大陸中にその勇名は轟いている。ついでに言うと、彼女をモデルとした小説まで出版されているのだから、憧れる気持ちはわからないでもない。
わからないでもないが、キールには憧れる理由がまるで理解できない。身近に接しているからこそ、あれに憧憬の念を抱くことなんてあり得なかった。
「だってかっこいいじゃないですか! 身一つなのに、あの圧倒的な強さ。この前の授業だって、三十人以上の生徒を五分もかからずに全員叩きのめしたんですから!」
一年生の女の子の一人が力説したが、キールとしては納得できない。
「騎士を目指す女子生徒から見れば、そういう風に感じても不思議はないかな。けど、男の立場としては、あれは怖いぞ。倒れた男の頭を踏み付けて高笑いしてる姿なんて見てみろ。もう女性として見ることはできなくなる。それにあの人の剣は戦場で培われたものだからな。ある意味、何でもありだ。急所を狙うこともまったく厭わない」
それは暗殺術を学んだキールだって同じだが、意味は違う。
「不能にされた男も何人もいるって話だぞ」
あくまで噂なのだが、それが事実だとしても不思議ではない。むしろ、真実味があった。
「それに酒の席では暴れ放題。エリスは知らないだろうが、去年は大変だった。酔った勢いの暴力沙汰で憲兵から逃げた回数は片手じゃ足りない。俺はこなした任務の数よりも、あの人の吐瀉物を片付けた回数の方が多いはずだ」
キールとアインの付き合いは去年からではない。リルアルドにやってきてからの付き合いだ。迷惑をかけられたことも一度や二度ではなかった。それ故に話し出すと止まらなくなる。
「大体、あの人は飲み過ぎなんだよ。町のほとんどの酒場で『アイン・フォルセティお断り』なんて紙が貼られてる騎士なんて、広いアイロシオン大陸でもあの人ぐらいのものだぞ。それも手配書の隣に。まあ、行った酒場それぞれで前代未聞のトラブルを起こしてるんだから、店側の対応もよくわかるけどな。酷い時なんて店の壁が全部壊れて、オープンカフェになってたし。そりゃ強いけどさ、騎士というか人として問題があり過ぎるんだよ」
溜まりに溜まったものを延々と吐き出し続けるキール。袖口が引っ張られる感触がして、キールは一度言葉を途切れさせた。エリスだ。
「き、キールさん、その辺にしておいた方が……」
「なんだよ、エリス。愚痴ぐらい勘弁しろよ。おまえだってこの前の遠征の時、目の当たりにしただろ? 俺が店の人に土下座して、教官のゲロ掃除させられてたところ。泣きたくなるぐらい惨めだったぞ。あれじゃ嫁の貰い手は見つからないだろうな。少なくとも俺は貰いたくない」
「そうねー。でも、キール、今日はあたしじゃなくて自分のを掃除できると思うわよ。これから血反吐が出ることになるから」
「ところがだ。そんなお茶目なところが教官の魅力なんだな」
キールは意見を翻す。エリスの忠告はこれが原因だったようだ。完全に気配を消されていたので、気付くのが遅れてしまった。致命的なほどに。
「きょ、教官、ぐ、ぐう、偶然ですね。い、今、きょ、教官のす、素晴らしさを語ってたんですよ。あ、あんなにび、美人だから、お、男はみんな引け目をか、感じてしまうって。だ、だけど、お酒を飲むと、お、お茶目で、か、かわいいところがあるって……」
「うんうん。でも、あたしにとってはあんたの方がかわいい部下なんだからね。その証拠をこれから体に叩き込んでやるから」
肩に手を置かれ、間髪入れずに力が込められる。キールはそれに逆らうこともできずに、後ろに引き倒された。後頭部を強かに打ち付け、キールの意識は一瞬暗転しかける。その視界に天井と一緒に映るのは、赤い髪の女性。キールの担当教官であるアイン・フォルセティだった。
即座に四つん這いの状態で逃げようとするキールの首根っこを掴むアイン。
「きょ、教官、俺に何かご用ですか!?」
「そりゃあ用があるわよ。本当は話だけで終わらせる予定だったんだけど、かわいい部下はどうも上司の凄さを理解してないみたいだから、教えてあげようと思ってるんじゃない」
「いえ、結構です! 教官の凄さは俺が誰よりもわかってます! ほら、この前だって酔っ払って大通りのど真ん中で大の字になって寝てたでしょ!? あんなの並の神経じゃできませんよ! 女性ならなおさらです!」
「……やっぱり上司への尊敬度が足りてないみたいね。いいわ。ちょっと処刑場まで来なさい」
「この人、隠す気もない! 俺を殺すつもりだ! 助けてくれぇっ!」
見た目は細い腕のくせに、どこにそんな力があるのか。抵抗のかいもなく、キールは強制的に教室を後にさせられた。アインに逆らってまで助けてくれようなんて人物が現れなかったのは言うまでもない。




