第一章(4)
キールは料理を苦に思ったことは一度もない。ほぼ毎日自炊しているし、騎士学校には弁当を持参している。しかも、この国の主要産業のおかげでレパートリーは豊富。毎回、同じ弁当ということはないので、飽きたりもしない。そういうのをキールは意外と楽しんでいた。
しかし、今日は寝坊したせいで弁当を作る暇がなかった。
騎士学校に入って一年と少し。そういうわけでキールはこの騎士学校の食堂で初めて料理を購入していた。
このリルアルドの主要産業は傭兵業であり、他国に行く人間は多い。また移民も少なくない。そのため、料理の種類は非常に豊富だと聞いていたし、実際、キールのレパートリーよりも多い。
それを横目にキールが選んだのは、どこの国でもあるサンドイッチだった。そして、それが乗ったサンドイッチを前にキールは腕を組んで、「うーむ」と悩んでいた。
キールは『銀』というクロムガルドの暗部に在籍していた過去を持つ。そこで得たものは多い。例えば普通の生活では習得できないような体術や剣術、武器の投擲技術などの戦闘技能。気配を立つ技術。
騎士学校という特殊な状況下において、それらは非常に役立っており、キールは二年生の中でも指折りの生徒となっていた。消し去りたい過去の産物としては悪くないものだ。とは言っても、真っ当な騎士の剣術とは違い、暗殺者向けの戦闘技術なのは否めないが。
だが、その過去の産物は騎士学校において役立つものばかりというわけではない。日常生活で支障を来すような楔も打ち込んでくれていた。
その一つがこれだ。
「……大丈夫、だとは思うんだけど……」
皿の上に乗ったサンドイッチを見つめ、そう独り言を呟くキール。
キールが懸念しているのは『毒殺』。要するにこのサンドイッチに毒が入っていないかを心配しているのだ。
無論、このサンドイッチに毒が入っていないことなんて容易に想像できる。当たり前だ。このサンドイッチは適当に持ってきたもので、誰が手に取るかなんてわかるわけがない。無差別に毒を仕掛けるなんてメリットはまったくない。
しかし、キールは毒を扱う訓練も『銀』で受けている。キールが請け負う任務は武器を使う戦闘が主だったが、毒を使う場面は何度も見てきた。その非日常的な経験がキールに自炊をさせ、こうして購入したサンドイッチを食うことを躊躇させている理由だ。
冷める心配はしなくていいが、いつまでもこうして眺めているのもよろしくない。時間は有限だ。
キールは覚悟を決めて、サンドイッチを手に取った。それを恐る恐るかじろうとした時、肩が叩かれ、耳元で「やあ」と声をかけられた。極度に緊張していたためか、その肩がビクッと大きく震えた。
振り返ると、そこにはキールと同じ騎士学校の制服に身を包んだ二人の青年が立っていた。一人は目が細く長身の青年。痩せており、柳のような印象を受ける。もう一人は眼鏡をかけている青年だ。こちらは身長はそれほど高くなく、男前というよりは中性的な顔立ちをしている。
「ご、ごめんね。そんなに驚くとは思ってなかった」
眼鏡の青年の方が叩いたようで、困惑した表情を浮かべている。もう片方の手にはトレーが乗せられており、その上には湯気が立ち上る料理が乗せられていた。『本日のオススメ』と同じメニューだ。
「珍しいな。おまえがそんな風に驚くなんて」
苦笑しながら、目が細い青年はキールの対面に座った。メニューのメインはキールと同じサンドイッチだが、スープやサラダなど、おかずは豊富だ。
目が細い青年はジン・レイズリー。眼鏡の方はリンク・スノーヴィル。騎士学校内で知り合ったキールの友人である。
「で、どうしたんだよ。随分悩んでたみたいだけど、腹でも痛かったのか?」
ジンが訊ね、サラダにフォークを突き刺した。キールは「そんなわけじゃねえけど……」と返す。『毒殺に怯えてました』なんて馬鹿げた理由を言えるはずがなかった。
キールの隣に座ったリンクは『本日のオススメ』のメインである肉料理をナイフで切りながら、「わかった」と唐突に言った。
「ズバリ、恋の悩みでしょ」
「どこからそんな話が出たんだ?」
その的外れな回答にキールは呆れてしまった。だが、それとは裏腹にリンクはクスッと笑う。
この前の騎士祭で行われた劇でリンクは女装姿を披露したらしく、まったく違和感がなかったと聞いている。
これを見ると、「なるほど」とキールは納得する。中性的な顔立ちでこんな悪戯な笑みを見せられると、心臓が高鳴りそうになる。しかし、それを認めると、自分の中で何か大事なものが崩れてしまいそうなので、何とか内々で処理した。
そんなキールに構わずにリンクはかわいらしい笑みのまま続ける。
「違うの? ラッセルがハーレムクソ野郎って揶揄してたけど。今度、剣にそんな銘を刻み込んでやるって息巻いてたよ」
「……あいつの親父さんに話して、炉にぶち込んでもらうしかないな」
騎士学校の生徒は専攻武器を選び、自分でそれを入手し、手入れをしなければならない。そのため、騎士学校の生徒のほとんどが馴染みの鍛冶屋を持っていた。
ラッセルとはキールが贔屓にしている鍛冶屋の息子である。ここの女子生徒にはすこぶる評判が悪いことで有名な鍛冶屋だが、腕は確かなので男子生徒の利用率は意外と高い。この二人もその鍛冶屋の常連であり、ラッセルとは友人関係にある。
「実際、おまえの小隊はハーレムじゃねえか。出会いを求めにこの学校に入った好色野郎だって噂されてるぐらいだぞ」
「そ、そんな噂流れてんのか?」
「ま、流したの俺なんだけどな」
ジンは笑いながらサンドイッチを食べ始める。キールが懸念していた毒は入っていないようだが、この時ばかりは毒が入っていればいいのにと思った。
ジンが問題なく食べ始めたのを見て、キールも憮然とした態度でサンドイッチをかじり始める。当たり前だが、毒なんて入っていなかった。
不名誉な噂を流した張本人であるジンは、そんな口をへの字に曲げたキールを目にしても悪びれた様子もなく口を開く。
「そんなに怒るなよ。男としてはちょっとぐらい妬んでも仕方ないだろ? おまえの小隊は割合がおかしいんだから」
その点は確かに認める。どこの国でも騎士は男の方が多いので、この騎士学校でも男の割合が必然的に多い。それは最初から予測されていたようで、寮も男子寮の方が大きく作ってあった。そういう事情もあり、小隊を組むと大抵は男子の方が多くなる。
それを鑑みればキール所属する小隊は確かにおかしいのだろう。
リンクは肉を飲み込んでから「まあ、そうだね」とジンの言葉を引き継いだ。
「フィーネさんは男勝りな部分はあるけど、美人の部類に入るだろうし、エリスちゃんはかわいい。それにアイン教官はかっこいいし綺麗だもん」
その点については納得できるが、その輪の中心にいるキールとしては反論したい。
「おまえらは表面的なところしか見てないから、そんなことが言えるんだよ。フィーネは暴力的だぞ。潔癖だから下ネタなんて言えば、鉄拳制裁――ってか、槍が飛んでくる。エリスは小動物みたいでかわいいのは認めるが、あれはあれで対人恐怖症だからな。休日は引きこもってるし、心配になる。教官は……まあ、うん、あれだ。あれを女性として見るのは……」
思い出されるのは飲んだくれて暴れている姿ばかり。あんなのとまともに付き合える男性がいたら、王から直々に勲章をもらってもおかしくはない。
そういう癖の強い連中の集まりがキールの小隊だ。傍から見れば羨ましいという気持ちもわからないでもないが、渦中の人間からしてみれば他の穏やかな小隊の方がよっぽどマシに見える。
「そう言われれば、キールは毎回フィーネちゃんにぶっ飛ばされてるな。今朝も殴り飛ばされてたって噂だし。まあ、マゾっ気があるなら、それもそれでありなんだろうけど……。だけど、キールさんの嫁候補はまだいらっしゃるでしょ?」
ジンは口元だけ笑みを見せながら、スープにスプーンを突っ込んで熱い水滴を飛ばしてくる。それを手で払うキールにリンクがニヤニヤと嫌な笑顔を見せながら言った。
「ほら、あの子だよ。この前、騎士学校に入ってきた……」
「ああ。イヴのことか」
この二人はもちろん、イヴが一級の彫り師であることなんか知らない。いや、この二人だけではなく、リルアルドの中でも限られた人物しかその事実を想像もしていないだろう。
しかし、この数日間でイヴはリルアルドで有名人になっていた。まず目に付くのはあの容姿。人形のように整った顔立ちをしているし、あの碧眼もかわいらしい。それに長かった髪をバッサリと切り落としたという変貌も目立つ要因になっていた。それから小柄ながらも大きなあの胸。真っ当な男ならば目が行かないはずがない。
だが、イヴを有名人にしたのはもっと別のことだった。
数日前にこの国の王都で行われた『騎士祭』と呼ばれる大きな祭り。他国でも有名であり、観光客も数多くやってくる。そして、この騎士学校のメニューのように、この国の料理には国境らしいものは見当たらない。そのため、美食家のような貴族たちも料理目当てで訪れることも珍しくなかった。騎士祭はそんな観光客が訪れる最たる例だ。
そんな食文化の一端を示すように大食い大会というものが騎士祭では開かれる。各国のメニューを延々と食べ進め、食べるのを一分でも止めれば終了。そこまでの食事量を競うという大会である。ちなみに騎士祭の最初から行われていると聞く。
今までは大柄な男たちが優勝してきたわけだが、今回は大きく違っていた。なんと小柄な少女――イヴが優勝してしまったのである。淡々と小さな体に消え続ける料理。その姿から一部の間で『健啖神』や『豊食の女神』などという異名で呼ばれていた。
その競技は最初のイベントであり、初日の午前中に行われる。キールがイヴと出会ったのはその後のことになる。その時も何か食べていたのだが、あの細い体の一体どこに入るのか本当に不思議だ。紋章術の特性なのではないかと疑ってしまう。
そういう理由があり、彼女は騎士学校内、さらには王都の中で有名人になっているのであった。
「ちくしょう。どうしてこいつの周りばっかり……。俺の小隊にもかわいい後輩とか入ってこないかな」
ジンはがつがつとやけくそのように食事を進める。キールはサンドイッチを飲み込んで口を開く。
「あれは友達ってだけだぞ。イヴもそう思ってるはずだ」
それも初めての友達。キールの場合、『表の世界での』という言葉が頭に加えられるが、イヴの場合は本当に最初の友人なのだ。。彼女が他の人間よりもキールに心を開いているように見えるなら、それが理由だろう。
それを聞いて、リンクが引きつった笑みを見せた。
「あれだけ女の子が周りにいてそういう反応ってことは、キールってもしかしてそっち系の人?」
「げ……。だったら、俺とか超危ないだろ」
ジンが密かに椅子ごと体を引いて距離を取ろうとしているのを見て、リンクが何を言おうとしているのか察した。机を叩いて、強く抗議をする。
「んなわけあるか! 俺はまともに女の子が好きだっての! 今度ラッセルと娼館に行こうって話を進めてるんだぞ! それにおまえなんて選ぶわけないだろ! それだったら、まだリンクを選ぶわ!」
ここは公衆の場だ。こんな場所でこんな話を、しかもこんな大声ですべきではない。それに気付いたのは全ての言葉が口から飛び出した後だった。キールたちが陣取るテーブルをほとんどの生徒たちが注目しており、友人二人――特に相手役に選ばれたリンクは白目をむいて気絶しそうになっていた。
そんな周囲を見回して、キールはホッと息を吐き出した。ジンはそれを見て訝しむ。
「……え? この状況のどこに安心する要素があった? おまえの評判はエロか、ホモかに確定したところなんだけど……」
「いや、フィーネが周りにいなかったみたいだから、死にはしないなと……」
「凄くかわいそうだな、おまえ……」
心の底から同情した声でジンはそう言った。
ほどなくして周囲は平静を取り戻したが、ちらちらと視線が向けられるのを感じる。どこからか、『あの二人ならどちらが受けで、どちらが攻めなのか』と議論が交わされているのまで聞こえてきた。
ここにいることはある意味、毒よりも死に近い――というよりも、死にたくなるので、キールは早々にサンドイッチを胃の中に押し込んだ。最後にそれに蓋をするように水を飲んで、キールは立ち上がり、食べ終わった皿を置く流しの方に向かい始めた。
ここの食堂を利用するのは、キールたちのような生徒だけではない。アインやラヴェンナのような教官たちもここで食事を取ったり、そのついでに生徒の指導方針について話し合ったりする。
そんな教官たちが座る一角を通り過ぎるキール。どうやら真面目な話題のようで、堅物で有名な若い男性教官が熱心に経験豊富そうな老人教官の話を聞いている。案の定、そんな場所にアインの姿なんてない。
酒もない真面目な話し合いの場なんて、アインには似合わない。だが、ああ見えても彼女はこの国の上位騎士だ。重要な話を別の場所で聞かされていたとしてもおかしくはなかった。表面的には平和なこの国でも、厄介事の火種は少なからず燻っている。
その一つがキールの視界に入った。
この前、綺麗に整えてもらったという肩までの金髪。まだ新しさの残る騎士学校の制服。それに何より彼女を挟むようにしてテーブルに並ぶ皿の山。
イヴだ。彼女は窓際の席に座っており、一枚の紙とにらめっこをしていた。どうやら悩んでいるようだと、雰囲気で感じ取ったキールは食器を片手に持ったままイヴに近付いた。それから、サラサラの金色の髪に手を置いた。
「ん。キール」
「よう。昼飯はうまかったか? ――って、その皿の量を見れば訊くまでもないだろうけど」
「ん。けど、ちょっと塩が利き過ぎてるのもあった。せっかくの野菜の甘みがちょっと殺されてるのが残念だったかな」
これだけの量を平らげておいて、ちゃんと味の評価をしている辺りが恐ろしい。
「で、何を悩んでるんだ?」
キールはイヴが眺めていた紙に目をやる。それは部活動の紙だった。
貴族の子息たちが通う学校では、同好の士が集まり、様々な活動をするらしい。それをキールたちは『部活動』と呼んでいた。例えば、リンクが参加する『演劇部』などがそれに含まれる。運動をすることもできるし、何か興味のある研究に打ち込むこともできる。時折、友好国間で対抗戦や研究成果の発表も行われるとのことだ。
このリルアルドの騎士学校もそれを参考にしているのか、そういう活動を行っていた。ただし、それは普通の学校のように対抗戦などに出ることが目的ではなく、あくまでも厳しい訓練の息抜きという意味合いが強い。
「そんなに難しく考えるなって。別に入らなくてもいいんだからな」
イヴが見ている紙にも書いてあるが、キールは一応教えてやる。ただの息抜きだ。『入らない』という選択肢も当然ある。家に帰った方が落ち着くという生徒もいるし、腕を磨く時間にそれを使いたいという生徒だっているのだから。
イヴは部活動の案内が書かれている紙を眺めながら訊いた。
「キールは何か入ってないの?」
「俺は美術部だ」
文字通り絵を描く部活。芸術に国境はないようで、本当に上手な人間は他国で行われるコンテストに出品したりしている。
それを聞くと、イヴは意外そうにぼんやりとした印象を与える目つきを微かに見開いた。
「キールって絵が好きだったの?」
「好きってか、前々から興味はあった。綺麗なものとか観たら、頭に焼き付けるだけじゃ限界があるからな」
以前は血生臭い環境下にいたからなのかもしれない。そういうものに興味を持ったのは。もっとも、まだ上手いわけではないが。
「フィーネとエリスは?」
「フィーネは水泳部。エリスは俺と同じ美術部だ」
ちなみにエリスは過去の経験から対人恐怖症であり、最初は『入らない』という選択をしようとしていた。しかし、閉鎖的な人間関係になることを心配したフィーネから強く入部を勧められ、キールと同じ美術部に入った。半ば強引な入部ではあったが、元からエリスにはそちらの才能があったらしい。一年生なので入部して時間が経っていないにも関わらず、すでにキールよりも上手いように思える。
それを聞いたイヴだが、参考にはならなかったのか、「うーん」と難しそうに唸った。
「候補とかないのか? 興味あるのぐらいは目星付けてるんだろ?」
「ん。気になってるのは料理研究部」
あまりにイヴらしい回答にキールは唇の端を持ち上げた。
料理研究部とは文字通り各国の料理を作ったり、それらの技術を応用して創作料理を作ったりする部活動だ。この前の騎士祭でも出店を出しており、それなりに好評だったと聞く。作るのはともかく、食べるのが大好きなイヴがそれに入るのはおかしな話ではない。
だが、彼女はまだ決心がつかないようで、「むー」と頭を悩ませていた。キールがいくら助言を与えたところで、最終的に決めるのはイヴ自身だ。
「ま、嫌だったら辞めるのも簡単だから、気楽に決めろよ」
キールは最後にそんなアドバイスを与えて、彼女から離れる。
「でも、こういう風なことで悩むのも楽しいね」
イヴの言葉にキールは「かもな」と返して、食器を片付けに向かう。
生まれてきてからずっと隔絶された世界で生きてきて、そこから抜け出せたかと思えば、クロムガルドに軟禁される羽目になったイヴ。だからこそ、何もかもが新鮮で楽しいのだろう。
その気持ちはキールにもわかる。
しかし、同時にそれをわかってもいいのかという気持ちもキールにはあった。この生はフレッドを――かつての戦友を手にかけたからこそ得たものだ。
ここにいることを間違いだとは、もう思っていない。それでもキールは時々考えてしまうのだ。『今』を楽しむ資格が果たして自分にあるのか、と。




