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リルアルドの騎士学校  作者: シロ吉
第二部
27/43

第一章(2)

 リルアルドの騎士学校の生徒は寮に住むこともできるが、別にそこに住まなければならないわけではない。王都に実家がある人間はそこから通ったりもするし、郊外であっても朝早く出たり紋章術を駆使すれば、通うことは可能だ。

 キールは寮に住んでいない人間の一人だ。現在、アパートの二階を間借りしている。王都の中心街に近いので利便性は高い。寮と違って自由も利く。

 しかし、こういう場合は不便だと言わざるを得ない。

「寝坊なんて初めてだ……」

 そう呟きつつ、キールはひたすら走る。普段はないのだが、今日は珍しく寝過ごしてしまった。目を覚まして、ベッドのわきに置いてある懐中時計を見ると、いつもならすでに家を出ている時間だった。慌てて飛び起き、昼食の弁当も朝食も作らないまま、こうして走っているのである。

 リルアルドの騎士学校はある程度授業に出席し、色々な任務をこなすことで進級、卒業することができる。キールは意外と真面目なので、最初の授業に間に合わなくても、進級にかかわるような事態にはならないが、運の悪いことに一時間目は堅物で有名な男性教官。しかも、涼しい顔してスパルタなので、正当な理由なく遅刻などすれば、それ相応のペナルティが待っている。

 時間帯が遅いこともあり、いつも時間よりも王都は賑わいをすでに見せている。キールが走る大通りも混雑しているが、避け切れないほどではない。軽やかな足取りで見事に人を避けつつ、前進する。

 こういう俊敏性こそがキールの武器だった。剣の腕前ではなく、手数や身のこなしで勝負する騎士学校の生徒にしては珍しいタイプだ。他人には話せないような人生を歩んできたおかげで手に入れたものである。

 だが、さすがに道を全て防がれては避けようがない。その気になれば、ほんの少しぐらいならば壁を走ることもできるが、そこは交差点であいにく足場になる壁すらもない。どうやら馬車同士がぶつかってしまったようだ。

 キールはとっさに意識を集中させる。速度を殺すことなく、一直線に人だかりの中に。

 普通ならば、そんなイカれた行動をされると騒ぎになるところだが、その気配はない。当然だ。キールの体はすでに人垣の先に移動しているのだから。

 これがキールの紋章術である。特性は『移動』。入口と出口を設定し、それを通り抜ける。それがキールの紋章術の正体だ。それを一歩の内に行うことができるのである。

 だが、キールの紋章術の優位性は移動できることではない。

 二級以下の紋章術には絶対必要な予備動作。人それぞれ違う何かしらの動作をしなければ、紋章術は発現しない。それが紋章術を駆使して戦う際に大きな勝敗を分ける要素になる場合も多い。

 だが、二級より上の――一級と呼ばれる紋章師はそれを要しない。一瞬だけ意識を集中させるだけで、特性を発現できる。

 キールはその一級の紋章師だった。せいぜい目視できる程度の距離を移動することしかできないが、予備動作を一切必要としない紋章術は凄まじい優位性を誇っている。

 その紋章術を発現した結果、キールは速度を落とすことなく人垣を潜り抜けていた。そのおかげで時間に余裕が生まれてきた。

 そもそもの寝坊の原因。それは明らかだった。昨日の夢見がよくなくて、あまり眠れなかったことが原因だ。その分の反動が今日に来て、起きれなかったという話だ。実に単純な理由である。

「なんで今頃、『銀』の夢なんて……」

 ここしばらく見なかった後ろ暗い古巣の記憶。今になって夢に見たのは、やはりかつての戦友との接触があったからなのだろう。

 フレッド・シーカー。大陸最大の帝国、クロムガルドの暗部組織『銀』の幹部。キールの戦友だった男であり、つい先日、殺し合いを演じた挙句、その手で殺めた人物の名だ。

 そんなことがあったのだから、あの頃のことを夢に見るのも仕方がないと言えた。

 と言っても、これぐらいで根を上げるようなやわな体も鍛え方はしていない。せいぜい夢見が悪くて精神的に落ち込んだぐらいのものだ。

 その証拠と言わんばかりに、普通の人の速度よりもずっと早く校門に着くことができた。いつも着く時間よりは遅いが、周りには何人もの騎士学校の生徒たちがそれほど慌てた様子もなく歩いている。

 その生徒たちに混じって、キールは正門をくぐる。そして、見知った顔を見つけて、ギョッとした。

 栗色の髪をして、前髪で片目を隠した小柄な少女。キールと同じ小隊を組むエリス・ティトーだ。彼女もほぼ同時にキールを見つけ、微かに引きつった笑みを見せた後、小さく手を振った。

 エリスがそんな笑みを見せた理由と、キールが驚いた理由はおそらく同じだ。

 エリスの隣に並んで歩く少女。エリスと同じくキールと小隊を組むフィーネ・スクラウドがそこにいた。

「おはようございます、キールさん」

 キールが駆け寄ると、エリスは頭を下げて挨拶をした。エリスの頭に手を乗せることでそれに答え、怪訝そうな顔でフィーネを見るキール。

 そんなキールに気付いた様子もなく、フィーネは地面を見つめたまま、幽鬼のようにおぼつかない足取りで歩いている。気になって顔を覗き込む。普段は意志の強そうな瞳の彼女だが、今は光を宿しておらず、ぶつぶつと小声で呟いている。

「あれは数に含まれない……。同性だから含まれない……」

 などとわけのわからないことを、虚ろな目で呟いている。はっきり言って怖い。

 キールはますます不思議そうな顔をして、傍らに立つエリスに訊ねる。

「こいつ、どうしたんだ? 朝食にヤバい毒でも盛られたのか? いや、そもそも……」

 ここにいることがおかしい。フィーネは先日の『銀』との戦いで、重傷を負っており、しばらくは病院のベッドで絶対安静だったはずだ。特に足は酷い怪我だったのだが、杖も持っていないし、足を引きずる様子もない。雰囲気がおかしいこと以外は、健康体そのもののようだった。

 訊ねられたエリスは事情を知っているようで、「あー、えーっと……」と言葉を濁した後、背伸びをしてキールの耳に口を近付ける。手でフィーネに声が届かないように注意しながら、エリスは言った。

「実は昨日、病院にラヴェンナ教官がやって来まして……」

 ラヴェンナ・オルミーのことはここの教官だし、稀有な紋章術を宿しているので有名だ。キールももちろん知っている。彼女の予備動作のことも。

 なので、先ほどの不気味な呟きもあったおかげで、キールは即座にフィーネが落ち込んでいる理由も察することができた。

 フィーネは大切な仲間だ。こうして落ち込んでいたら、励ましてやるのが当然だろう。

 キールはフィーネの肩に手を置き、なるべく明るい声で言った。

「フィーネ、『そっち』に目覚めたんなら、俺と一緒に女の子を引っかけに行こうぜ」

「目覚めてない!」

 思いっ切り鼻っ柱に拳を叩き込まれて、キールは三回転ほど後方に転がった。思わず鼻を押さえるが、血が指の隙間から滴り落ちる。

「うわぁ……。今の状況でその発言はないです……」

 エリスは一歩足を後退させた。本気で引いているようだ。

「あれ? 目覚めたから、落ち込んでたんじゃないのか? てっきり自分の性癖の変化に付いていけてないのかと……」

「そんなのに目覚めるわけないでしょ!? 私の何を見れば目覚めると思ってるのよ!」

「いや、だって、おまえだったら相手に不自由しないだろ?」

「それどういう意味……」

 フィーネが言いかけたところで、一人の女の子が走ってやってきた。地面に座り込むキールを蹴飛ばして。

「おはようございます、お姉さま!」

 フィーネの腕に抱き付く少女。制服のリボンの色からしてエリスと同じ一年生のようだ。フィーネはその過剰なスキンシップに困惑しながらも、「お、おはよう」と返した。

 その少女を皮切りにして、続々とフィーネに集まる下級生の女の子たち。まるで花に集まる蝶のようだ。

「お姉さま、今日も凛々しくて素敵ですね!」

「お姉さま、今日も訓練で男共をボコボコにしてやってください!」

 あっという間に周囲を取り囲まれ、その対応に追われるフィーネ。

 フィーネはとにかく女の子にモテる。確かにフィーネは凛々しい。それに騎士学校の中でも実技の成績はかなりいい方だ。訓練で男たちを華麗に倒す姿は、魅力的に見えてもおかしくはない。もっとも、今のフィーネの反応を見る限り、本人は嬉しいわけでもないようだが。

 下級生の女の子のご要望通り、ボコボコにされたキールは紙を鼻に詰めながらエリスに近付き、耳打ちする。

「な? あいつが女の子に不自由するってのはあり得ないだろ?」

「……ですね」

 反論の余地もないようで、エリスは素直に頷いた。

 そんな光景を眺めていると、袖口を引っ張られる感触がしてキールは振り返った。金髪で宝石のように綺麗な碧眼をした美少女がそこに立っていた。

「おはよう。キール、エリス」

「あ、おはようございます、イヴさん」

 エリスが少女に頭を下げ、キールは手を上げて答える。

 イヴ・ハーデルラント。彼女はこの騎士学校の一生徒であり、エリスの同級生だ。専攻する武器は弓で、その命中精度は目を見張るものがある。その反面、エリスの話によると、座学の時間はよく船を漕いでいるらしく、筆記の成績はいまいちとのことだ。

「よかったな。ちゃんとこの学校に通える許可が得られたんだな」

 騎士学校の生徒なのだから、ここにいることは自然のようだが、彼女の場合、事情が少々複雑だ。

 キールのような優位性が高い一級の紋章師。それは紋章師の努力や才能でどうにかできる話ではない。一級の紋章師になる方法はある意味、そんなものよりもはるかに簡単で単純だ。

 一級の彫り師に彫ってもらえばいい。ただそれだけの話である。

 しかし、それが何よりも難しい。一級の彫り師なんて存在は伝説に等しい。見つけることなど、ほぼ不可能だ。

 そして、イヴはその伝説上の存在とされる一級の彫り師だった。

 無論、これは国家の秘匿事項に値する。最強の紋章師を生み出せる彫り師など、それだけで他国に狙われる存在だ。事実、キールの古巣――クロムガルドの『銀』が先日、潜入したこともイヴの身柄を確保するためだった。

 そういうわけでイヴはこの国で騎士学校に入ってから寮に住んでいたのだが、城に転居させられた。そこがこの国で一番安全なのは言うまでもない。だが、彼女の立場を鑑みれば、騎士学校に通うことはもうないだろうなと、キールは考えていた。

「よかったですね。王様の許しが得られて」

 エリスはまるで自分のことのように喜んだ。友人と呼べる人物が戻ってきてくれたことが嬉しいのだろう。彼女のように表情に表すことはないが、キールも友人と一緒に騎士学校に通えることが心底嬉しい。

 そんな二人にイヴは衝撃的なことを言った。

「ん? 許可なんて取ってないけど?」

 一拍置いて、キールとエリスは「は?」と首を傾げた。その言葉の重大性に一足早く気付いたのはキールだった。

「ちょっと待て。おまえ、王の許しを得てないのか?」

「ん。普通に城から出てきたけど」

 本気で悪いと思っていないイヴの返事に、キールは頭を抱えそうになる。彼女は自分の値打ちをまったく理解していないのだ。

 だが、キールは知っている。彼女が『外』の世界に並々ならぬ憧れを抱いていることを。それが叶おうとした矢先にクロムガルドに拉致され、軟禁生活を送っていたことを。だから、例え自分の価値を知っていたとしても、その憧れを抑え切れるか、キールは疑問だった。

 どうすればいいのか考えがまとまらないうちに、ガランガランとけたたましい音が聞こえてきた。この学校で用務員を務める老人が鳴らす鐘の音だ。これは授業の終了や、このように授業開始五分前の予鈴の役割を果たしている。

 未だにフィーネを囲っていた生徒たちが慌てた様子で校舎へと向かう。キールたちもそれに倣って歩き出す。

 結局のところ、そんな心配をしたところでキールにはどうしようもない。イヴの処遇に関して結論を出すのは、もっと上の仕事だ。例えば王やイヴと身近に接する上位騎士のような連中の。

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