第一章(1)
アイロシオンと呼ばれる巨大な大陸。その東側に位置する島国リルアルド。
この国には騎士学校という一風変わったシステムがある。その名の通り、騎士を育成するための学校だ。
効率よく騎士を養成するための学校。この国の主要産業に実に則したものだが、そこでの訓練は厳しく辛い。日々の訓練も大変だが、時折遠征と称される任務も過酷だ。魔獣の退治や野党の殲滅。一歩間違えれば死ぬことだって考えられるものも少なくない。
そんな任務を与えられる学校に通う少女、エリス・ティトー。まだ入学して日が浅いので、エリスがこなした任務は片手で数えられるほどしかない。本気で命の危険性があると実感した任務は今のところ一つもなかった。
三日ほど前までは。
他国の暗部組織との戦闘。今まで生きてきた中で、死ぬ可能性の最も高かった事件だとエリスは確信している。
それをどうにか乗り越えたエリスは少々大人びた顔つきになった――ということはなく、相変わらずどこかおどおどした態度でリルアルドの王都を歩いていた。死線を一度二度くぐったからと言って人間、そう簡単には変われないということだろう。
そんな自分に少々うんざりしつつ、エリスはある店の前に立った。花屋である。
「すみませーん」
色とりどりの花が並んだ店先からエリスが声をかけると、中年の女性店員が「はいはい」と奥から顔を覗かせた。
「お見舞い用の花をお願いしたいんですけど……。予算はこれぐらいで」
指を三本立てると、女性店員は人の良さそうな微笑みを浮かべて、花を見繕っていく。さすがはプロだ。素人目にも美しいと思わせる花束をあっという間に作り上げて、それを代金と引き換えにエリスに渡した。
お互いに礼を言って、エリスは目的地に向かう。花束が崩れないように、人の多い大通りを避け、人の少ない裏路地を通り抜ける。他国ならわからないが、ここはリルアルドの王都。こういう裏路地であっても、あまり危ない人間はいない。それに夜ならまだしも、今は昼間。
特に問題なく、エリスはその目的地に着いた。
そこはリルアルドの王都の中で一番大きな病院だった。大きなドアを開けて中に入ると、消毒液の臭いが鼻を突いた。白衣を着た医者や看護師が忙しそうに病院内を動き回っている。そんな中で大人しく椅子に座って順番を待つ患者たちがいる。
ここに来るのは今日で三日目。慣れた足取りでエリスはその待合室を抜け、病室へと向かった。本日の目的は先ほど女性の店員にも言ったようにお見舞いだ。先日の戦いで負傷したエリスの同居人にして姉貴分の女性――フィーネ・スクラウドの。
フィーネはあの戦闘で重傷を負った。命に別状はないものの、一か月は動けないほどの怪我だ。
正直に言ってしまえば、フィーネは決して大人しい女性ではない。読書家のエリスはいくつか本を貸しはしたが、あまり効果がないだろうと予測していた。雨の日でも黙って読書をするよりも、部屋で腕立て伏せでもする方が好きなタイプだ。
そんなフィーネが一か月もの間、ベッドに縛り付けられる。それは彼女にとっては拷問に等しいだろう。だから、妹分であるエリスはそんな彼女の退屈を少しでも紛らわせるために、足繁く病室に通っているのである。とは言っても、まだ三日目ではあるが。
エリスはそういうフィーネの同居人であり、妹分だ。その上、同じ小隊に属するチームメイトでもある。そのため、他の人たちが知らないようなことを色々知っていると自負している。例えば、凛々しい雰囲気とは裏腹にかわいい洋服やぬいぐるみが大好きだったり、お化けが苦手だったり、その他にも様々なことを。
だけど、エリスはフィーネではない。だから、知らない部分もたくさんあるのだろう。
――そう。こういう声を上げれるのだということも。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああっ‼」
一瞬、誰だかわからなかった。それもそのはずだ。このようにフィーネが年相応の女の子らしい悲鳴を上げれるなんて、エリスは今の今まで考えもしなかったのだから。
なので、それがフィーネの病室からだと一瞬遅れて気付き、酷く狼狽した。フィーネがあんな声を出すなんて尋常ではない事態だ。
エリスは花束を抱えたまま、蹴破らんばかりの勢いでドアを開けて部屋に飛び込んだ。
「フィーネさん! どうしたんですか!?」
部屋に入ってそう叫んだ後、目にした人物を見て、エリスは「あ……」と声を漏らした。
まず真っ先に視界に入ったのは、ベッドで上半身を起こしているフィーネ。足の負傷のため、立ち上がって逃げることはできなかったようだが、これ以上ないぐらい下がり、ベッドに背中をくっつけていた。入院中ということで身だしなみを整える気はあまりないようで、髪があちこちに跳ねてしまっている。
そんなフィーネは勢いよく入ってきた妹分に気付いた様子もなく、青ざめた表情でベッドの傍らに立つ女性を見つめていた。
「ん?」
振り返り、エリスを見て、首を傾げたのは白衣をまとった女性だった。地毛なのか、それとも何か使っているのかはわからないが、波打った髪の毛。気だるげな目つきをしており、その口元には煙草がくわえられている。さすがに病院内ということもあってか、火はつけられていない。
「ラヴェンナ教官……」
エリスは彼女の名を口にする。
ラヴェンナ・オルミー。リルアルドの騎士たちの上役、上位騎士と呼ばれる存在の一人だ。
騎士学校の生徒たちは『教官』と呼びはするが、厳密に言えば彼女はその立場ではない。身に付けている白衣が示すように、ラヴェンナは訓練などで負傷した生徒たちを診察する保険医だ。
そんな彼女がここにいる理由。エリスはそれに心当たりがあった。
「おまえがエリスか。アインから話は聞いているが、こうして会うのは初めてだな」
煙草をくわえたまま、器用にそう言うラヴェンナ。それで上位騎士であり、色々と忙しい立場の彼女がここにいる経緯をエリスは理解した。
そんな言葉をかけただけでエリスに対する興味を失ったのか、ラヴェンナはベッドの上で震えるフィーネに視線を戻した。それだけで普段は勝気なフィーネが泣きそうな顔をする。
「なななな何しに来たんですか?」
声も体と同様に震えている。そんなフィーネの態度にラヴェンナは困ったように後頭部を掻いた。
「そういう態度を取るな。私は別におまえを苛めに来たわけじゃない。ただアインに頼まれたから足を運んだだけだ」
「だ、大丈夫ですよ! 教官の手を煩わせるような酷い怪我じゃないですから! ちょっと肋骨にひびが入って、足に穴が開いただけなんですから!」
「……それのどこが酷い怪我じゃないんだ?」
ラヴェンナは呆れたようにため息を吐きつつ、一歩フィーネに近付く。それとは反対にフィーネは身をよじってどうにか距離を取ろうとするが、あいにくそれ以上はどこにも逃げ場などない。
「私だって忙しい中、時間を割いてここにやってきてやってるんだ。おまえの治療のためにわざわざ」
エリスも予想したように、それが彼女がここにやってきた理由のようだ。
紋章術。この世界にはそんな風に呼ばれる技術がある。コアという大気中に浮かぶ粒子を、体のどこかに彫られた紋章を通して、それぞれの特性に変換する技術。それによって人は様々な現象を引き起こすことができる。
ラヴェンナの特性は『治癒』。非常に稀有なものだった。
そんな特性を持つ彼女は、フィーネの怪我を治すためにここにやってきた。怪我を治してもらえるのだから、それを断る理由なんてないのだが、フィーネはぶんぶんと首をちぎれんばかりに左右に振っている。
「こ、ここは王都の病院ですよ! 優秀なお医者さんもたくさんいるわけですから、放っておいてもいずれ完治しますよ!」
「そのいずれを、たった数分に短縮できるんだぞ」
「そ、それはそうかもしれませんけど、私は久々の休みを満喫したいっていうか……!」
「アインに退屈だって愚痴ってたんだろう? それに休むと単位とかを後で取り戻すのが大変だぞ」
一歩ずつ近付くラヴェンナ。
確かにラヴェンナ言う通り怪我が治るメリットは計り知れない。だが、エリスにはフィーネの気持ちがよくわかる。
とうとうラヴェンナがフィーネのベッドの側にやってきた。そして、怯えるフィーネの顔を両手で挟み込むようにして掴む。
「ちょ、わ、私初めてで! こういうことはやっぱり好きな人としたいっていうか!」
「安心しろ。男女問わずにそう言う奴は多いが、最終的には身を任せることになる。女の中ではそっちに目覚める奴も多いんだぞ。何しろ私は経験豊富なテクニシャンなんだからな」
「あ、安心できる要素が何一つ――むぐぅっ!」
ラヴェンナはフィーネの唇に自分の唇を押し当てた。最初こそジタバタと暴れていたフィーネだが、徐々にその力が失われていく。
余談だが、紋章術には普通『予備動作』というものが必要になる。何かしらの『動き』を見せなければ、紋章術は発現しない。その予備動作は一人一人違い、それを見抜くこともこの紋章術が普及した時代では大事な勝利の鍵になる。
ラヴェンナ・オルミー。特性は『治癒』。その予備動作は『キス』である。




