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リルアルドの騎士学校  作者: シロ吉
第一部
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第五章(5)

 おとぎ話に出てくる化け物によく似ていることから、その現象は『魔人化』と言われる。要は紋章が暴走し、理性すらも奪い尽くされることだ。

 とは言っても、一級の紋章師にだけそういう現象が起きるのでその事例はきわめて少なく、ほとんどが謎に包まれたままだ。

 わかっているのは紋章が暴走した紋章師は人間を超越した身体能力を発揮できる代わりに、破壊の権化になるということだけ。そこに理性などは働かない。友達だろうが、家族だろうが目に付くものは全て破壊の対象となる。

 資料によると、人間の体のまま身体能力が人を越えるためか、寿命は極めて短く、半日も持たないとのことだ。

「……時間切れまで待ってやるつもりもないがな」

 フレッドは長剣を構えて、正面を見据える。そこには先ほどまでとは明らかに様相の違うキールが立っていた。

 フレッドによって露出させられたキールの右肩の辺り。そこにはリーンと呼ばれる花の紋様が彫られており、それが今、淡く輝いている。

 見た限りその花には色が付いていたが、ツタは黒いものだった。そのツタが伸びて、首や顔など目に見える部分に巻き付いていく。服の下の肌にも同じような変化が訪れていることだろう。遠くから観察していたゼーレンの時は、彼のサソリの紋様が全身を這い回り、その動いた軌跡が黒く塗られていったが、キールの場合はこういう広がり方をするようだ。

 まだ全てが飲み込まれているわけではないが、時間の問題だろう。眼球も人のものではない赤に彩られようとしていた。

「ふん。ずいぶんと醜い姿になったな、キール」

 戦友だったその黒い化け物はその声に反応するように地を蹴った。明らかに格上であるフレッドに対する躊躇や慎重さは感じられない。やはり理性のようなものは働いていないようだ。

 しかし、紋章に飲み込まれたキールは油断できる相手ではない。特に驚異的なのはその膂力だ。殴りかかってきたので何とか避けたが、その風を切る音は人間が出せるようなものではない。万が一顔にでも当たれば首から上が吹き飛ぶと確信できる。

 避けれない攻撃ではないが、その迫力に気圧されるようにフレッドはキールから一旦距離を取る。当然、それを追おうとするキールにフレッドは紋章術を使用する。あらゆる場所から鎖を出現させ、それを巻き付かせて相手の動きを封じる。それがフレッドの紋章術の特性だ。ちなみに紋章は背中に彫られており、一匹の狼が模られている。

「――ちぃっ。足止めにはならないか」

 フレッドは舌打ちをした。紋章術で作った鎖ではあるが、強度は鉄と同じ。それをキールは容易く引きちぎった。そして、目にも止まらぬ速さでフレッドに拳を繰り出す。

「やはりゼーレンよりも攻撃が鋭いな」

 フレッドは何とかその攻撃をかわしながら呟いた。当たり前の話だが、鍛えてある方がより強い身体能力を発揮できる。それはこの黒い化け物になっても変わらない。つまり、一級の紋章に頼り切りで鍛錬を怠っていたゼーレンよりも、このリルアルドで常に訓練を受けていたキールの方が厄介な化け物になるということだ。

 フレッドは長剣でキールの攻撃を捌きつつ、後退して紋章術を再度使う。今度は両手を縛り付けるが、おそらくは二秒ももたない。その間にフレッドはイヴに目をやる。

 イヴはその変貌したキールの姿を茫然とした様子で見つめている。今回の任務はあくまでも彼女をクロムガルドに連れ帰ること。そのターゲットの位置は把握しておく必要がある。

 正直に言うなら、別にキールを魔人化させる必要はなかった。キールの実力はフレッドよりも格下。さっさと斬り伏せてイヴを連れ去ればいい。魔人化などさせれば厄介なことになる。

 効率的ではないやり方。それがわかっていながらも、フレッドはキールの全てをめちゃくちゃにしてやりたかった。かつての戦友が手に入れたものを全否定してやりたかったのだ。

 だからこそ、魔人化する前のキールよりも手強くはあるが、この状況にフレッドはどこか後ろ暗い小気味良さを感じていた。

「があっ!!」

 獣のような叫び声と共に金属が砕ける音が鳴る。キールは呪縛を解くと、そのままフレッドに向かって走ってきた。

 やはり早い。単純な俊敏性や身軽さだけならば、キールは魔人化する前であってもフレッドよりも上だ。とても逃げられる状況ではない。

 剣が折られてしまう可能性もあるので、拳や蹴りは受け流すようにして回避し続ける。驚異的な攻撃力とその速度。しかし、フレッドの卓越した戦闘技術を持ってすれば、段々とその攻撃にも慣れてくる。反撃のタイミングを見極めるのもそれほど難しいことではない。

 フレッドは剣の柄をぶつけてキールが繰り出してきた蹴りの軌道をずらすと、その体に鎖を巻き付けさせる。

「哀れな人生だったな、キール」

 動きを止めていられるのはわずかな時間だが、この接近している状態ならばそれは致命的な隙になる。その無防備なキールに向かって剣の切っ先を突き出すフレッド。

 その攻撃を止めたのは考えてもいなかった人物だった。

 目の端で何かを捉え、顔面に飛んできていたそれをフレッドは寸前でかわす。その刹那、キールは鎖を引きちぎり、腕をまるで棍棒のように横殴りに振った。硬直したフレッドではその攻撃はかわせない。

 フレッドは舌打ちをすると、その攻撃と同じ方向に身を流しつつ、脇腹でその攻撃を受け止めた。威力は逃がしたはずなのに、ミシミシと嫌な音と落雷でも食らったかのような痛みが神経を貫き、フレッドは吹き飛ばされて木の幹に背中から叩き付けられた。

「……どういうつもりだ、花彫っ!?」

 口の端から血を垂らしながら、フレッドは珍しく声を荒げた。その怒りに燃える視線の先には弓を構えたイヴがいた。

 フレッドたち『銀』の目的はあくまでも彼女の確保だ。なので、その存在には一定の注意を払っていたが、まさかこんな行動に出られるとは思っていなかった。何しろ今のキールは完全に敵味方の区別がつかない状態だ。フレッドが殺されれば次に殺されるのはイヴ。それがわかっていないはずがない。

 フレッドの射殺すような視線を受けても、イヴは怯まずにはっきりと告げた。

「キールは殺させない……!」

 その声に反応したのか、それとも彼女が一番距離が近かったからなのかはわからない。キールの敵意がイヴに向けられた。彼女が次の矢をつがえる暇などない。紋章に浸食されたキールは自分を守ったイヴに走り出した。

「――くそっ!!」

 イヴがいくら守ろうとしたところで、今のキールにはどうでもいい話だ。目に付くもの全てが破壊の対象である。

 彼女を殺させるわけにはいかない。フレッドは立ち上がろうとするが、思ったよりもダメージが大きくふらついてしまう。どのみち、キールの俊敏性の方が上なのでフレッドが割って入るのは不可能だ。

 せめてもの悪あがきとしてフレッドは紋章術を使用して、キールの振りかぶった腕を縛り上げる。だが、そんな行動に意味はない。案の定、鎖は容易くちぎられた。せいぜいほんの少しだけ攻撃が遅れた程度。

 しかし、その遅れた攻撃の間にイヴはフレッドが予想していなかった行動に出た。

 イヴは弓を投げ捨てると、一歩前に足を踏み出した。体を捻ってキールが繰り出した拳を軽やかに避けてみせた。それはおそらくフレッドが鎖で微かに攻撃を止めたことと、イヴが数日間でも騎士学校で過ごしてきたことが要因として挙げられる。

 だが、それよりもフレッドは見たような気がした。わずかにイヴを殴ろうとするキールの腕の動きが鈍ったのを。

 フレッドにとって予想外な事態はさらに続く。攻撃をかわしたイヴはなぜかキールの首に手を回した。

 そして、唇を動かす。声は届かないが、唇の動きを読めば何を言っているのかわかる。

「キール、今の自分を否定しないで」

 何を言っていると思いつつも、フレッドは長剣を構える。やはり脇腹が痛む。あばら骨を二本ほど折られたようだ。その怪我の具合を確認している間にもイヴは唇を動かし続ける。

「どんな生い立ちだったとしてもキールは間違ってない。ここにいることに意味がないなんて思わないで。意味はあるよ。私には感情が見える。フィーネとエリスがあなたに向けてる感情は『感謝』。それはここにいるキールが無意味なんかじゃないって証明なんだよ」

 イヴはそう言ってから彼の頭を引き寄せる。

「それは私も同じ。キールが外の世界に引っ張り出してくれたから、私はここにいる。それを間違ってるなんて思わないで。私たちを助けたことを……私たちが助けられたことを間違いだなんて思わないで。それはキールが否定できることじゃないんだから。――これはそのお礼」

 イヴは背伸びをして、キールの唇に自分の唇を重ねる。

 そんな言葉もそんな行為も無意味だとフレッドは嘲笑する。今のキールには何を訴えかけたとしても届かない。フレッドが壊したのだから。

 ――そのはずだった。

 次の瞬間に飛び込んできた光景にフレッドは目を疑った。次いで言いようのない感情の奔流が全身を駆け巡る。

 湧き出すのは感情だけではない。表現し辛い不快感を背中から感じる。

 それに突き動かされるように、痛めた脇腹のことも忘れて長剣の柄を握り締めた。


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