第七節『就任』 Abschnitt Ⅶ: “Einweihung”
第柒節『就任』
Der siebte Abschnitt : “Einweihung”
鯔姬主催の簡易の就任式が行われ、昨日片付けをして私物を撤去、部下ともども総員撤退したばかりの部屋を再びあてがわれた。……てるまは……いや、テルマ・アンジェリク・ツゥ・アルトブルグは美容顧問官に就任。美容など興味関心を全く持ったことのない人間に、美容顧問など……全く何の冗談かと思われるが……それが、冗談でなく行われることが、この帝國の実情なのだから哂える……。
暫く、訳も分からずに執務室で呆けていると、お呼びが掛かった……。
十六歳の若さで、ボンレスハムを通り越して脂肪の球体……と形容したくなるような体格……元来個々のパーツの造作は美しいのだろうが……肉体の維持管理の拙さと、自制心の欠如から……醜悪……と表現したくなるような、肉体を惜しげも無く、恥ずかしげも無く見せ付ける……この少女がテルマの苦悩の源泉……。ブリュンヒルト姬、帝國第二皇女……それで皇位継承権第三位……とか言うのだから……失笑せざるを得ない。
コイツがテルマが十三歳から二年間使えた主人である。出世は絶望的になったが、代わりにやっと縁が切れた……と、少しホッとしていたと思ったら……また、コイツに呼び出される。何の拷問かというシチュエーション……。
「テルマ・アンジェリク・ツゥ・アルトブルグ……参上致しました。」
「おお、テルマか……よう来た……。」
陸上の鯔か海象……と表現したくなる皇女が其処に怪しく微笑んでいる。
「美容など……この粗忽者のテルマには全く右も左も解らぬことで御座います……一体……殿下は……このテルマに何をお求めでしょうか?」
「……妾を……美しくして欲しい。」
「成程……咒紋術の力で……と、いうことですか。」
「……じゃが、……その前に、確証が欲しい。」
「どのような?」
ブリュンヒルト皇女が指を鳴らすと……一人の侍女が、奥から現れた。
テルマは彼女を知っていた……その、容姿故に、同僚からも上司からも辛く当たれれていた。女の子……ツェツィーリエ……やさしく温和しい娘だが、気立ての良さと……その容姿の不具合で知られている。身分としては、どこかの男爵令嬢だったかと思うが……容姿故か、自信のないその挙動故か……皇女にはとことん嫌われており、皇女から最下層の下人の如き扱いを受けている少女である。
「この者を……美しくしてみせよ……。これが、テストじゃ。」
「な、成程……。」
相変わらずツェツィーリエは、オドオドとした物腰で上目遣いに女主人の顔色を窺っている。彼女の境遇に同情は禁じ得ないが……しかし、それにしても……いきなり難易度高くないか⁈
「あんのぅー……私はぁ、どうしたら宜かっぺか?」
「テルマが……そなたを、綺麗にしてくれる……全てテルマの言うとおりにして、その身を任せるが良いぞ。」冷淡に哂いながら、無責任にブリュンヒルト皇女が指示する……。要するに自分がいきなり『施術』されるのが怖いので、実験台……になれ、と、いうことか……。全く……相変わらず人を人と思わないとんでもない傍若無人っぷりである。だが、従順なその娘は皇女の言うことに、全く逆らう気配を見せない。
彼女は少しオドオドした表情ながら、ペコリと御辞儀する。
「よろしくお願いしっぺなぃ。(よろしくお願いします。)」
「……。」
だが……咄嗟にてるまは答えられなかった。
「どうした?テルマよ自信がないか?」性格の悪い笑みを浮かべて、ブリュンヒルトが問い掛けてくる。
「……いえ……困難ですが、何とか成るとは思います。」
「おう……よう曰うたテルマ……。是非、この者を美しくして見せてくれぃ。」
「……心得ました……。」
「テルマ樣ぁ~よろしくお願いしっぺなぃ。」再び、ツェツィーリエはテルマに挨拶してくる。
「こ、こ、こちらこそ……よ、宜しくね。」つい、てるまも動揺して訥ってしまった。
「テルマさまぁ~本当に大丈夫だぁ~か?(本当に大丈夫ですか?)」
今度は不安そうに小声で訊いてくる。
ペルソナの鍍金が簡単に剥がれてしまって、てるまの精神狀態はモロに相手に伝わってしまっていたようである……。
「だ、大丈夫よ。」……などと、答えてしまったものの……やはりまだ自信はない。
「と、取り敢えず、じ、準備のための時間を下さい……。」
引き攣った笑顔に脂汗を浮かべながら、てるまは皇女の方を振り返って言った。
「よいぞ、十分に時間をかけるが良い。」
顔を変える咒紋術とは言っても……咒紋式の構成自体は簡単だ……。造作、容姿の変更は、①骨格の分離。②骨格の再構成。③骨格の結合。④結合部分の調整。⑤軟骨・靱帯・腱・筋肉・神経の再配置。⑥皮膚、軟部組織の再構成。簡単に言えば、切って貼る切って貼る……その繰り返しだ……これだけで咒紋術を用いた美容整形手術は終わる。何れも非常に基本的な咒紋式である『透視』『念動』『切断』『(空間)転移』『接着』『変形』の応用にすぎない……ただし、……非常に精緻で細密な制御を要する。テルマの咒紋制御能力は非常に高い、超天才的……と、言っても良いレベルである。だが、あくまでも人間のレベルである。
咒紋式でドーピングして、集中力を高めて、自分の肉体の改造に当たった。だが、テルマの場合は歪みの矯正……が主体で、原型を留めないレベルの改造手術ではなかった……遙かに難易度は低かったのだ。オマケにある程度の美醜は判っても、特別に美的感覚に優れているわけでもない。
今回のツェツィーリエの顔改造手術は……殆ど再創造に近いレベルの作業になる。
過去に『変身』の咒紋式が使われた記録は有るが、それらの殆どは、『幻覚』の咒紋式のバリエーションであり、そんなもので誤魔化すことの出来る咒紋使いは今日日居ない。
例に漏れず、あの海象女ですら……一端の咒紋使いである。
『幻覚』等を使っての誤魔化しは効かない……ちゃんと、美しく改造してみせるしか無い。
(現在、本当の意味での『変身』を使えるのは、未だに大陸の広大な領域の大半を支配する姚精族、或いは種々の神獸種族達ぐらいだと言われている……。古代には『変身』の使えた人間族も居たと言われているが……。今では完全に失伝している。)
ワガママ娘の一言で得体のしれない手術を受けさせられるツェツィーリエも気の毒だが、それを実行させられるてるま自身も気の毒だ……と、思う。
ツェツィーリエが、幾らブリュンヒルトの下僕の如き侍女の一人だと言っても、本来の身分は男爵令嬢で、何よりもブリュンヒルト姬などよりは余程か真っ当な人格を持つ生きた人間である……改造手術に失敗して、何かの手違いで殺してしまうなど……有ってはならないことである。
念入りな予行演習やら、改造手術のための何らかの補助手段が必要だと思われる。現時点では明らかに許容量超過だ
取り敢えず、皇女の元を退出する前に、被験体の全身はスキャンさせて貰い、詳細データは取らせてもらった。データは記録用の宝珠に焼き付けて……帰宅してから検証してみるつもり……。
あれこれ思案を巡らせるてるま……。
宮廷からの帰り道……てるまはずっと考え込んでいたが、自分の有する手駒の中で、或る一つの明確な希望を見つけ……漸く笑顔を浮かべることに成功した。
「そうだ、この手があったか……。」
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帝都オストハウプト郊外に有るテルマ邸……貴族の屋敷として決して広い方ではないテルマの自宅だが、研究室と実験室は小さいながらも別棟で、簡素ながら十分に実用的な広さと堅牢さを確保している。当然、宮廷からの俸給だけではこれだけの規模のものが建つ訳もなく、建設費用には実家での援助がかなり入っている。
その実験室をすっぽり覆う、強力な対咒紋結界を展開し、帰宅早々に実験は開始される。
ただ、前回の実験の結果は……例の如く……テルマの肉体が生死の境界を彷徨った、例の事件であり、女主人思いのメイド達……エルメンガルト、アンネゲルト、ユリアーネからは、時空咒紋式実験の再開には難色を示されたが、今回は十分な安全措置を講じることと、皇女の命令すなわち公務であること……を、力説すると……彼女等もしぶしぶ引き下がった。
世界は……無数に分岐する『時間線』から成り立っている……所謂『並行世界』の概念に近いだろう。咒紋使いが持つ『咒晶石』は、こうした時空構造に対しても何らかの多次元的干渉作用を有していると思われている。だが、その多く……いや殆ど全部……はまだ未解・未知の領域……遺跡から見つかる資料によって類推される神話上の『古代咒紋帝國(仮)』に於いては、咒晶石についてもっと多くの機能が確認されていたと思うが、今ではその機能の幾つかが断片的な記述から憶測されているに過ぎない……、そう……飽く迄も憶測に過ぎない。テルマは天才的な閃きで、その幾つかを復刻して利用してみせた……ものの……輝真に言わせるとそれは冒険を通り越して、殆ど自殺行為だと思えるほど恐ろしく無謀なこと……。テルマに生命があっただけでも儲けもの……というべきであろう。
だが、その生命を賭してテルマ自身が解析した実験結果は、実に多くの情報を齎してくれた……時空を操作するある種の咒紋の性質、それは……時間基軸からブレない範囲ならば……些細に異なる時間線の範囲内、並行世界間で『存在』の相互移動が可能になる。これは、人類:人間族以上に咒紋に堪能なこの世界の優位種族:姚精族、地靈族、龍族、その他種々の超種族達……の多くが、彼らが『次元界』と表現する、隣接する時間線を日常的に行き来する能力を有していることからも、裏付けられている。が……テルマはこの時空系の咒紋の独自の利用法を考案していた……彼女の創作した咒紋式……は、今回の問題の解決にも間違いなく役に立つ筈。
幾つかの咒紋式を重ねて発動し……そして……その現象は引き起こされた。
てるまは、その結果に満足気な笑みを浮かべる。
※ 登場人物
❶ ツェツィーリエ/Zäzilie
帝都の北、ロスカスタニエ/Rosskastanie地方のとある男爵の娘。ブリュンヒルト姫の侍女の一人。宮中では器量良しではないことで知られる。性格は純朴で素直。
※ 用語解説
❶ 人間族/Menschen
現在、世界で最も繁殖している知的生命体の一つ。人間。
❷ 姚精族/Elfen・Albe
深い森に住むと言われる古種族。高い咒紋文明を持っていると言われている。滅多に人の前にその姿を現すことはない。
❸ 地靈族/Zwerge
地の底に住むと言われる古種族。工芸に優れた技術を持ち、咒紋による優れた工作技術を持つ。
❹ 龍族/Drachen
峻険な山に住むと言われる神獣族の一つ。高い戦闘能力と高い知能、深い欲望を持つと言われる。邪悪な者も清廉な者も居るが概して他種族を嫌う。
❺ 男爵/Baron・Freiherr
世襲貴族としては最下位の身分だが、多くは地方の豪農で決して貧しくはない。准男爵より上位、城伯・帝國伯より下位に概ね位置する。




