第五節『面会』 Abschnitt Ⅴ: “Visitation”
2016/1/23いろいろ変更しました
第伍節『面会』
Der fünfte Abschnitt : “Visitation”
元気になっているところをイグナーツ卿にバッチリ目撃されているので、今更、体調不良で病欠……の言い訳は効かない。仕方ないので……腹を縊って四ヶ月ぶりに咒紋府に顔を出すことにする。
咒紋府は帝國内の皇帝直轄領における、全咒術師の統括機関である。第一座は、領地を持たない宮廷貴族の中でも大臣待遇の宮中伯の爵位を持つものが就き、第二座から第十二座までは、宮廷貴族の中でも高級官僚待遇の帝國伯の爵位を持つ者が就任する。……それぞれが、咒紋府に執務室を持ち、大勢の配下を従えて公務を執り行っている。
そして……テルマは第十三座……本来定数外の人員である。爵位は与えられなかったので、父親の身分である帝國伯から帝國伯令嬢と呼ばれているが、決して女帝國伯ではない。執務室は咒紋府の中ではなく、宮殿の一角、物置だった部屋を改装して与えられた。……配下はおらず、雀の涙程度の家庭教師の俸給を賜って就任した。ブリュンヒルト姬の気紛れで気に入られて登用され、気紛れで煙たがられて遠ざけられ……振り回されっぱなし……である。其処まで含めての俸給だったかと思うと、出世に浮かれていたテルマの記憶が過ぎり、自分の浅はかさに溜め息が出る。
第一座の執務室を訪れると、案の定……というか、何時もながら……というか、ゲーアハルト宮中伯は公務にて外出中……で帰りは何時になるか分からない……と、口元の黒子が色っぽい秘書官の女性から回答が帰ってきた。ちゃんとアポを取っていなかったコチラが悪いので、選択肢の選びようもなく……そのまま廊下に並んだ面会希望者の待合椅子で待たせて貰うことにする。
…………
朝から待って……凡そ5時間程が経過したであろうか……。
少しだけアルコール臭のするゲーアハルト宮中伯が、お供を連れて帰ってくると、テルマの椅子の前を通り過ぎた。会談、会食も職務の内だから、食事の時にワインでも出たのであろう、泥酔さえしていなければ飲酒はとりわけ批判されるべきことでもない。……少しだけ酒臭い恰幅のいいカイゼル髭と禿頭の壮年男性……それが、宮廷咒術師第一座ゲーアハルト宮中伯だった。最初、彼の視線はテルマの上を一旦素通りした……しかし、わずかに逡巡して、再び視線が戻ってくる。
暫く妙に熱い視線が注がれているのを不快に感じつつも、てるまは生立すると第一座宮廷咒術師に向かって微笑みかけた。
「えー……失礼……お名前が思い出せないのだが……御婦人は?……どちらの?……」呼び付けた人物の名前が出てきていないであろう、ゲーアハルトの少し間の抜けた台詞に、出来るだけ礼儀正しく答えようと努力する。
「私、宮廷咒術師の第十三座……定数外の末席を汚す者、……テルマ・アンジェリク・ツゥ・アルトブルグと申します。以前、閣下とは、就任の折に一度、陛下主催の園遊会で一度お目にかかっております。本日はご召喚に預かり取り急ぎ馳せ参じた次第でございます。お目通りの了解も得ず勝手に押しかけてきたご無礼は平にご容赦を、時間が有りませんでした故……。」
「ああ、ブリュンヒルト姬の家庭教師を任じられた……あの……ふむ……記憶にある顔とは少し違うような気がするが……。」僅かに考えこんで疑問を口にする。てるまは身分証明のために懐から宮廷咒術師の証明書である紋章の刻印されたペンダントを取り出して見せる。
「体のひずみを修正する、新しい咒紋式を自らに施してみた結果にございます。」
「……研究熱心なのだな…………ま、立ち話も何だ……執務室に入るが良い。ドロテーア……何か飲み物を頼む。……このお嬢さんにもだ。」ゲーアハルトは秘書官の女性に声を掛けると、テルマには目線で入室を促した。
テルマの執務室の六倍ぐらいの面積のある、高級家具に囲まれた部屋に通され、豪華なソファーを勧められた。
熟成した紅茶の芳醇な香りが室内を満たす。振り返ると可憐としか表現しようのない美しい秘書官がお茶を運んできていた。
優雅な動作で給仕された紅茶。カップを手に取って一嗅ぎするだけで、最高の技術で淹れられた、最高級の茶葉の香りであることがすぐに分かった。秘書官がが退出したのを確認すると、書類の片付けを手早く済ませて少しだけ乱暴に腰を降ろす宮中伯。自らもティーカップを手に取る。
「さて……アルトブルグ帝國伯令嬢……二年前、貴女は皇女殿下の家庭教師役を拝命したと思うが……報告ではここ一年以上、授業が行われたという記録がない……どうしたものかな?」
何気なく爆弾的な問を投げかけてくる第一座にてるまは臆することなく返答する。
「皇女にすっかり嫌われてしまいました。授業もさせて頂けません。……今ではまるで、蜚蠊でも見るような目で見られてますよ。」
笑顔のてるまに……。
「ふむ……このままでは、宮廷咒術師に留まるのは難しいぞ……。」
「そうでしょうね、でも……留まれないのでは仕方ないです。」あっさりと答えてみせる。
「……だが、アカデミアの天才児と謳われた貴女のこと……このまま……退任して消えてゆくのは、実に惜しい。」
「そうですか、……ご評価ありがとうございます。でも、過去は過去御気に召されずに、職務を全うされて下さい。」
「だが……もしも……もしも……だぞ……」喉仏の動きで……彼が固唾を呑んだのが分かった「そなたが希望するならば……つまり、キミの気持ち一つで……宮廷咒術師に留まれるように取り計らっても良いのだぞ……。」突然に、変な雰囲気でゲーアハルトがテルマの肩に手を回してくる。
「と、……言いますと?」
さり気なく手を振り払って襟を正す。
「はて?……宮中伯は、私のどのような気持ち……の事を表現されているのでしょうか?」
「儂は、今新たな秘書官を募集しようかと考えておる……公私ともに、親身になって仕事を手伝ってくれる、咒術師としても有能な秘書官だ……。」
「閣下の秘書官といえば、才色兼備のお茶の達人、先ほどのドローテア嬢がいらっしゃるでは有りませんか?」今は扉の外に消え去った美女を見送りてるまは問い掛ける。
「あれは……先日若い貴族と婚約が決まってな……余り、その……長時間勤務が難しくなってきておる。私生活の充実も必要だ……長時間手伝わせるわけにもイカンだろう。」ねっとりとした視線を……流石のテルマも強く意識する……。ハゲの中年の愛人になれってか?
「なるほど……ま、いいです。せっかくのご提案ですが、謹んでご辞退させて頂きます。テルマはさっさと家庭教師の大役も、宮廷咒術師も辞任して、ど田舎の寒村に引っ込みます、大人しく隠居します。閣下、過分なお心遣い感謝致します。大変、失礼致しました。」
対話……には、するべき対話と、してはならない対話がある……。今のゲーアハルトは、相手にすべきではない……と直感が告げている。困っている立場の女性に地位を利用して関係を迫るパワハラ&セクハラ上司など……本当にトンだ俗物である。テルマはさっさと踵を返して執務室を後にしようとした。宮廷咒術師を辞任する決意などとっくの昔に出来上がっている。
『パキン‼』鋭い音がてるまの脳裏に響く……。常時展開してある個人用対咒紋障壁が自動作動した信号音……何らかの咒紋攻撃を受けたサインである。振り向くと、ゲーアハルトが杖を持ってこちらを凝視している。
「閣下……何のお心算でしょうか?」
「折角ヒトが恩情のある提案をしているというのに、最後まで話を聴かぬとは……躾の成っていない小娘だ……。」
「……幾ら第一座だとしても、これは……宮廷法典に違反する行為ですよ……重大な犯罪です……皇帝陛下に見つかれば大事ですよ……大声を上げても宜しいのですか?」
「……無駄だ、この部屋には常時防音の咒紋式を展開してある。更に対咒紋結界も張ってある……外から中を察られる心配も、干渉される心配もない。因みに、今は出入口もしっかり『施錠』してある。儂の咒力パターンでなければその扉を開くことは出来ない。」
「……成程……。つまり、中で何があっても外には漏れないと言うことですね。そして、その扉は閣下の許可がないと開かない……余程のことがない限りは……。」
「話が分かると助かる。」
「ふむ……。」
てるまの口角が釣り上がる……。
「自分の方が優位に立っていると言う認識は……。」
てるまの顔に、嬉しくてたまらない……と言う感じに、サディスティックな表情が広がる。
「砂上の楼閣のごとく非常に脆いものであると……ご理解戴く必要がありそうですね。」
てるまは即興で咒紋式を展開し……ゲーアハルト宮中伯の施した『施錠』の更に内側に『封印』の結界を展開した。
「さ、宮中伯……今日はお招きに預かり恐悦至極……折角の機会ですから……私の方から……ちょっとした芸をお見せ致しましょう……。閣下に於かれましては、存分に堪能して戴ける筈……。大きな声で御声援頂ければ、幸いに存じます。」
少しして……
完璧な防音のなされた空間に……男の悲鳴が、醜く響き渡った。
数時間に亘って……。
誰にも聴かれることなく……。
※ 登場人物
❶ ドロテーア/Dorothea
ゲーアハルトの秘書官。公私共にゲーアハルトを助けているが近々結婚する予定らしい。香茶を淹れる名人。




