第四節『鍛錬』 Abschnitt Ⅳ: “Ausbildung”
2016/1/23いろいろ変更しました
第肆節『鍛錬』
Der vierte Abschnitt : “Ausbildung”
輝真があちらの世界で厨二病を発病し、世界征服の野望に燃えていた頃、一つの出会いがあった。電車の最寄駅近くで見た一枚の汚い手書き看板が切っ掛けである。
『真の強さを求む者来たれ。鼎流古武術道場 ℡045-◯◯5-3◯◯3』
……つい……看板に書かれた電話番号に惹かれて、うっかり電話してしまったのが運の尽き……日が暮れてから、呼び出された近所の公園に行ってみれば、ホームレスと言っても誰も疑わないであろう、蓬髪・ジャージ姿の汚いジジイが其処には立っていた。……師匠との出会いである。その余りの胡散臭さに逆に『本物かもしれない……』と、思ってしまったのはかつての自分の不徳の致すところである。
鼎流などと……流派の名称を名乗っていたが、どんなにネット検索しても未だかつてヒットしたことがない。武術をやっているという人間に聞いても全く噂にも聞いたことがないという……。謎の限りである。ジジイの名は鼎鐵舟齋……それは、青春時代の黒歴史として海馬に深く刻まれて消える気配がない。
月五万円で門外不出・秘伝の古武術を個人教授……後から考えると怪しさ満載のキャッチフレーズだが、厨二病を患っていた当時の輝真にはそれがとてつもなく魅力的に見えた。……家に帰ると、両親には簡単に詐欺に引っかかったことを咎められてこっぴどく説教されたが……翌日、師匠のトコロに話を断りに行ったら、今度は自宅まで強引に師匠が押しかけてきて……両親相手に……何かがあったらしい……何があったかは知らないが……両親はそれっきりそれについては何も言わなくなった。
あれが果たして本当に古武術だったのかどうかは……未だに不明だ、幾つかの中国拳法のパクリのようにしか見えない型もあったし、大東流の真似っ子としか思えないような技も幾つも有った。完全な師匠の我流ではなかったのかとも思うほどだ。だが、その強さは間違いなく本物だった。
輝真の両親は震える手で毎月封筒に五万円を包んで持たせ、師匠は週に三回日没後の近所の公園で輝真に稽古を付けた。念入りなストレッチの後に、呼吸法・歩法などの基礎練習、型稽古……雨が降ろうが、雪が降ろうが、定期テストがあろうが、正月だろうが、高校受験だろうが、一切関係なし、1日の例外もなく3時間余りはみっちり扱かれた。そういう意味では本物だったのだろうか……。
頭でっかちで厨二病的に妄想肥大した発想で始めた古武術の練習である。厨二病が治癒するとすぐに熱は冷め、すぐに武術道場(?)を辞めようとしたが、先方がそれを許してはくれなかった。あまりの苛酷さに嫌になって、練習をサボった時も有ったが、そんな時は師匠の方から実家に押しかけてきた。その時の恐怖に歪んだ両親の顔は未だに脳裏に焼き付いている。
師匠に対する恐怖から……ではあるが、輝真は武術の修行を続け……それなりに上達した。何処から手配してきたかは不明だったが対外(野良)試合を組まされることが有ったが、幾度かは勝ち、幾度かは負けた、負けた時は更に修羅の如き特訓が待っていた。何の気紛れか……数回は師匠自身とのスパーリングもやったこともある。しかし、やればやるほどに師匠は強かったのだ……と、思い知ることになる……師匠に手が届くと思えたことは一度もなかった……。確かに実戦的で鬼のように強い師匠だったとは思う。
永遠につづくかと思われたそんな地獄のような日々……輝真がその師匠から開放されたのは、大学三年の時である。
突然である。
或る夜、公園に行っても……師匠は来なかった……何が有ったのか分からない。……その月の月謝も未払いなのに、銭にはウルサイ彼がどうして唐突に消えたのか……全く分からない。それっきりだ……。もしかすれば密やかに亡くなったのかもしれないが、残念ながら全くそれはイメージ出来ない。
あんなに苦しくて苦しくて……苦しみから早く開放されたかったのに、気がつくと、身についた習慣で毎日毎日自然に型稽古をやっている自分が居た。
大人になって、研究者になって、実験室に籠りっきりの生活を送るようになっても、身に染み付いた習慣で毎日何らかの形で鍛錬は続けていた。
そして、それは何時からか、輝真の人生に寄り添う掛け替えの無いものとなっていたのかも知れない。
………………。
……。
………………。
……そんな、あちらの世界での記憶を想起しながら、てるまは体を動かし始める。腰を落とした低い姿勢から、ゆっくりと『型』を形作ってゆく。重心の移動……呼吸……目に見えない微細な五体の捩り……かつて、輝真の肉体で身に付けたそれを、テルマの肉体で精密に正確に再現しようと試みる。
だが、身長も体重も骨格も筋肉の付き方も全く違う別人の肉体……間合い一つからでも全然変わってくる……そうそう上手くは行かない……。幾度も幾度も試行し……その度に違和感を覚え、修正を加える。『EMS』の咒紋式でしっかり鍛えたはずの筋肉が、関節が、靱帯が……悲鳴を上げる。
歩法の一つをとってすら……ままならない。重心の移動一つも……思うに任せない。脳細胞の一個一個を丁寧に末梢神経の一本一本に結びつけ……其処から放たれる信号を、筋線維の一本一本に送り届けるイメージ……。全身から得られるあらゆる信号を統合し……全身に再発信する……。細かく精密なイメージの形成……一転して何も考えない無我の境地での運動……しかも、意識しない部分で無数の思考が波のように寄せては返してゆく。ある部分の筋肉は限界を超えてフル稼働し、ある部分は意識するだけでは抜けない力を更に抜くことを要求される。
『型』はもちろん全てではない……しかし、一つの型が、無数の攻防へと変化する……一つの型があらゆる攻撃への応手となる……無限のバリエーション……無限のバリエーションとなりうる『唯一つ』……『型』には無限の段階がある……丁寧に演じれば、初心者の『型』も熟練者の『型』も大差無いように一見……見える。しかし、其処には何層にも何層にも重ねられた深み……其処には果てしない隔たりがある……たゆまぬ努力・鍛錬・経験・練功を重ねて初めて一つ深みの階梯を降りることが出来る。そんな思いを込めて一つ一つ『型』を再現してゆく……。
まだ、その足元にも追い付いていない……あの、クソジジイの影を追って……。
ゆっくりと、ゆっくりと型を演じ……新しい肉体に馴染ませる……一旦付けた筋肉から無駄な部分を削ぎ落とす……静かなる力・密かなる力……をその身に蓄える。丹田の呼吸で気を全身に巡らせてゆく。
……。
体調管理に口煩い管理術に長けたエルメンガルトは、テルマが新しく始めた妙ちきりんな『体操』について、変な動きの体操だ……とは思ったものの、特に激しい動きのないどことなく優雅な動きの体操なので、病気で鈍った身体をほぐして、手足を鍛えるにはいいと思い、テルマの『考案』した体操を彼女が実施するのを特に気に留めなかった。
厨房を取り仕切るユリアーナは、自分の調合・処方した薬膳に反応してテルマの食欲が上がってくることを喜んでいた。色々と運動をするようになって、それからお腹が空くようになった事を好意的に解釈してくれたようで、倒れる前以上に食欲を示し、順調に回復するテルマのことを純粋に嬉しがってくれていた。
最古参の使用人で乳母でも有るアンネゲルトは、テルマの何処かが大きく変わってしまったことを、察知していた。だが、テルマの表情は元気そうで……お嬢樣は何か吹っ切れたのかも……と、いう具合に善意の解釈してくれて、暖かく見守ってくれていたようである。
✳・……・✳・……・✳・……・✳・……・✳
……などというふうに、てるまが暢気に自宅療養&リハビリテーションしている間に、二ヶ月が経過しようとしていた。
そんなテルマ邸を一人の客人が訪れる。
……。
「テルマ殿におかれましては、思っていたよりも元気そうで何よりです。」
初老の紳士が爽やかな笑顔で語り掛けてくる。
「これは、イグナーツ卿……いつの間に……。お恥ずかしいところをお見せ致しました。」
型稽古の動作を止めて、テルマは訪問者の方に向き直った。
「何やら変わった動きですな。どこかの舞踊の練習か何かですか?」
「いえ、事故のあと療養のベッド生活で鈍ってしまった体を少し動かしてやろうと……その、……自分で考案した健康体操です。」
「咒紋と學問に夢中で、体を動かすことには全く興味のない學者肌の才媛とばかり思っておりましたが、仲々どうして……運動や健康にも興味がお有りだったのですね。」
「はい、健康を失くして、初めて健康の大切さが身に沁みました。今は、少し医療の方面で咒紋の研究をやっております。」
「は、は、は……実に、多芸でいらっしゃる。」
「先々月は足腰まで萎えてしまって、起き上がることも出来ませんでした……情けない限りです……そこで、一念発起致しました。」
「それは、素晴らしい回復ぶりですね。」
彼は……ふ、と気になってテルマの顔を覗きこむ。
「おや…………どこか、お顔が変わられたような……。」
「お気づきになられましたか?少し特殊な咒紋術の技法で、体の歪みを取ることに成功したのです。体の歪みが取れれば、顔の歪みも正されます。」
「おお、それは素晴らしい……道理で姿勢も随分と……。」
テルマの顔を改めて凝視し、更に少し離れて全身を上から下まで隈無く観察する。紳士のとぼけた表情に、大きな驚きの色彩が書き加えられる。
「……いや……しかし……こうやって、改めて見ると……いや、随分と、健康的で……お美しくなられた……。」軽い溜め息と同時に、イグナーツ卿が呟く。
「これならば……『麗しの華』と謳われるダニエラ嬢にも匹敵する……いや、いやいや……それ以上の……。」
「それは…………幾ら何でも、イグナーツ卿もお戯れが過ぎます……。」
「いえいえ……。ま、まぁ、ご婦人の顔をあまりジロジロと眺めるのも、不躾な話ですな。……失礼致しました。」
初老の紳士は軽く頭を下げる。
「……で、今日の訪問のご用件は、どういったものでしょうか?」
話が一段落したところで、テルマの方から切り出す。余り迂遠で冗漫な会話は得意ではないのだ。
「あ、ああ、これはまたまた、失礼いたしました。……実は、今日は『第一座』の名代で参りました……。」
「『第一座』の?」……第一座……とは、宮廷咒術師筆頭、ゲーアハルト宮中伯のこと……同じ宮廷咒術師とは言っても地位的には雲泥之差……テルマも就任以来、数年間で1、2回しかお目に掛かったことのない偉い人である。
「ちゃんと回復してから……で、構わないから、近日中に咒紋府に顔を出すように……少し話をしたい……とのことです。」
……。
その後、お茶を飲み終えると、爽やかな笑顔とともにイグナーツ卿は帰っていった。
しかし……どう考えても……悪い予感しかしない召喚である。此処数年でテルマの実績は皆無なのだ……おまけに私的に行った咒紋実験の事故で、通算四ヶ月も病欠……宮廷にも咒紋府にも顔を出していない。
『これは……解雇かな……。』憂鬱なタメ息と共に脳裏をよぎる。
『ま、そろそろかな……とは覚悟していたけれど……。』
※ 登場人物
❶ 鼎鐵舟齋/Kanae Teßhûsai
輝真の武術の師匠。古武術:鼎流を名乗っているが、詳細は全く不明。強いのは確からしい。
❷ イグナーツ卿/Ignaz
咒紋府に出入りしている帝國騎士。上品な物腰で、咒紋府絡みの伝令の役割をよく担う。
❸ ゲーアハルト/Gerhardt
第一座宮廷咒術師・宮中伯。
❹ ダニエラ嬢/Daniela
『麗しの華』と謳われる当世の名高い美姫。社交界の憧れの的。
※ 用語解説
❶ 宮中伯/Pfalzgraf
帝国貴族の階級の一つ。貴族の中でも領地貴族ではなく宮廷貴族、皇帝の側近・大臣的な地位の上級貴族。高い爵禄を賜り、宮中に権勢を振るう。宮廷咒術師の中では第一座がこれに任ぜられる。方伯より上位、侯爵より下位に概ね位置する。
❷ 咒紋府/Ministerium der Zauber
帝國に於ける咒紋術師の統轄機関。




