第二節『咒紋』 Abschnitt Ⅱ: “Zauberei”
2016/1/23いろいろ変更しました
第貳節『咒紋』
Der zweite Abschnitt : “Zauberei”
テルマの現在の正式名称はテルマ・アンジェリク・ツゥ・アルトブルグ、この名だけでアルトブルグ帝國伯令嬢テルマという意味を示す。彼女は帝國國立咒紋アカデミアの二〇五代主席卒業生にして、帝國咒術師協会の数少ない特Sクラス咒術師、更に弱冠15歳にして史上最年少のゾーネヴルツェル帝國・宮廷咒術師でもある。
ゾーネヴルツェル帝國の帝國伯:郷士であるツゥ・アルトブルグ家に生まれた彼女は、幼い頃から名高い咒術師である父の指導のもと咒紋術を習い始めた。その頃から神童と噂されていたらしいが、彼女の本格的な活躍は上京し、帝都オストハウプトの帝國咒紋学院に入ってからのコトである。六歳で帝國咒紋学院に入学した彼女は、いきなり低学年総合トップに躍り出て頭角を顕した。更に飛び級に飛び級を重ねて帝國咒紋学院を通常の⅓の期間で修了し、十一歳にして首席で卒業。卒業後も幾つもの咒紋研究と論文でその実力を認められ、十三歳の若さで異例の大抜擢により史上最年少の宮廷咒術師となった。
そんなテルマに与えられた最初の仕事は第二皇女であるブリュンヒルト姬の家庭教師……。
実は事実は逆で……異例の大抜擢で宮廷咒術師になった事の方が、ブリュンヒルト姬付きの家庭教師に任命された事のオマケなのである。だが、兎に角テルマの家庭教師の生徒であるその皇女……ブリュンヒルト姬は、激しい情緒障害の持ち主だった。早くに側室だった母親を亡くし……取り巻き達に甘やかされて育ち……極基本的な対人関係についても何も学ばずに成長した。我儘で傲慢……プライドだけはすこぶる高いときたものだ。若くして帝國咒紋学院を卒業したテルマの卒業発表の咒紋術実演を観て、同年代のテルマを自分の家庭教師に欲しいと駄々をこねたのも彼女である。テルマを家庭教師に迎えて、最初こそ張り切って毎日熱心に授業を受けていたお姬樣だが……或る時、テルマが授業中の態度の悪さを見かねて少し厳しく窘めたところ……それからヘソを曲げたのか、熱が冷めたのか、パタリとお呼びが掛らなくなった。テルマの方から幾度足を運んでも、けんもほろろの門前払いを食らったり、露骨な居留守を使われたり、はたまた本当に脱走されていたり……。全く開店休業の狀態が続くようになった。
『そろそろお役御免になる日も近いかな。』……と、半ば諦観の気持ちで考えていたテルマだった。ブリュンヒルト姬の方も最初はテルマに八つ当りしていた感じだったが、最近では本格的に興味関心は年齢相応、地位身分相応の別方面に移り変わりつつあるようで……。どうやら美食やら観劇やらに夢中になっているご樣子……。
宮廷咒術師十三座……末席とは言え若くしてその地位に就き、彼女の人生はさぞ栄光に満ちたものになるかと思いきや……実際には頼りなげな十三歳の少女で、しかも下級貴族出身の身……最初の任務に失敗したら……次には責任ある仕事など巡ってはこず、……かと言って職務時間中は宮中から勝手に出ることも許されず……。最近は、与えられた執務室の中で、仕方なく朝八時~夕方五時まで一日中無駄に豪華な椅子に座って文献的研究を行う毎日……十五歳になる頃にはすっかり窓際族だった。
開店休業狀態、趣味の研究で時間をつぶす毎日……その中で彼女が思いついたのは、星靈体を飛ばして異世界と交信する『界渡り』の咒紋式研究である。それは古代咒紋術の文献に部分的に記載されたものの、失伝している時空咒紋式の復刻。肉体さえ宮中に居れば、星靈体だけ出歩いても特に問題はない……という、実に宮廷規則の間道を探す、せこい発想から始まった研究であったが、一旦研究が始まると學者魂に火が点いてしまい、テルマは時空咒紋式の研究に寝食を忘れて没頭しはじめた。全く本末転倒なヤツである……輝真の部分が呟く。
しかし、テルマは正に天才……そんなに時間を取ることなく……遺跡から発見された古文書の一節にあった虫食いだらけの咒紋式を未完成ながら補完し、『界渡り』を不安定ながら実行可能なモノに再構成してしまった……。
彼女がその新たなる咒紋式の試運転ために行った実験……それが、次元世界の境界を開き……幾つもの時間軸を遠く飛び越え……二十一世紀の日本に繋がり、偶然にも輝真の実験にリンクして……輝真に書き込まれるはずの人格データがテルマの方にダウンロードされてしまう。……かくして、在り得ない事故、起こる筈のない事故が起こった。
…………。
輝真=テルマとでも言うべき新たなる存在、てるま……は、一連の出来事について考察していた。
「帝國伯令嬢……。」
静養中のてるまは自宅ベッドの上で物思いに耽っていたが、女中頭のエルメンガルトに呼び掛けられて思考を中断した。真面目で几帳面な性格の彼女は、父の代から仕えてくれている仕事人間で、オストハウプトの屋敷ではテルマの周りの女使用人達を纏めてくれている。些か堅苦しくは有るが常に女主人の事を思っていてくれているのはよく判る。
「ん?……あ、エルメンガルト。」
「あ、余り気分の優れないご樣子ですが……お躰……本当に大丈夫ですか?」
真剣に心配してくれているのがヒシヒシと伝わってくる。
「ああ、問題ない。少し考え事をしていただけだ……暫く、一人で考え事をさせて貰えると有り難い。」
「承知致しました。……しかし、まだ、帝國伯令嬢は、意識不明の重体から回復されたばかりです。治療術師の許可も出ておりませんので、ご無理は禁物と存じます。くれぐれもご自愛下さいませ。」
「分かった分かった……。」苦笑しながらエルメンガルトを下がらせると、彼女は不承不承退出した。
テルマは執務室で行った大規模な時空咒紋式実験による『事故』の為……一週間にも亘って意識不明の重体だったらしい。特に最初の頃は重積狀態の全身痙攣やら、異常な高体温やら、病的な発汗やら、突発的な心停止やら……一時は生死の境のボーダーライン上を行ったり来たりしていたようだ。優秀な治療師達も原因不明の異常事態に、頭をひねるばかり、対症療法だけで本質的な治療に関しては完全に匙を投げていたという……。その間、テルマの快復を信じて氷嚢をコマメに取り替えてくれたり、湿らせたタオルを使って地道に水分を補給してくれたり、汗だくになった衣類を着替えさせてくれたり、排泄物の世話をしてくれたりして、交代交代24時間体制の付きっ切りで看病してくれたのがエルメンガルト、アンネゲルト、ユリアーネら、古参の使用人達であった。皆、主人と使用人という枠を超えて必死に看病してくれたようだ。もし、彼女達が手を抜いていたら今ごろテルマの肉体は死んでいたかもしれない。
目が覚めた時、羽布団と毛布の下は、上半身は簡易なタオル地の寝間着だけ、おまけにお襁褓狀態……年頃のテルマからすると中々に羞恥プレイ的鮮烈体験であった……。未だに全身の筋肉が激しく硬直して痛い。まともに身動き一つ出来やしない。……肋骨も何本かヒビでも入ったのか大きな声で笑えない。車椅子を使いながらエルメンガルト達に付き添われて漸くトイレに行ける狀態だった。
推察するに一連の病狀は……人格データを別人の脳に無理に上書きしたこと……によるショックや激烈な拒絶反応だったのだろうが、……振り返ると実に危ないところ。
しかしながら……全身ボロボロの肉体以外は実に快適……完全に生まれ変わったような感覚である。これまでのシガラミから解き放たれ、古い殻を脱ぎ捨てたような……とでも表現しようか?再構成された新たな人格……は、体感的には混合比率は輝真:テルマ=7:3ぐらい……三十五歳と十五歳というそれぞれの世界で過ごした歳月、年齢の比率が、そのまま意識の度合いや精神構成の割合に現れているということかもしれない。とても妙な感じだ。……だが、内面的には完全に生まれ変わったとは言っても、肉体はテルマという少女のものモノそのまんま。輝真的には、少し其処はやりにくい。
取り敢えず、病気静養……という、大義名分のもと、しばらく宮廷に参内せず、自宅で居られるのは非常に有り難かった。その時間を利用しててるまは、記憶の整理と知識の統合を行っていくことにした。
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テルマの世界……では、そんなに科学的思考は発達していない。咒術とか咒紋術……とか言われる魔法めいた謎の技術が高度に発達しており、それを利用するそれなりの技術体系……は有るが、古代咒紋帝國……とやらの、遺跡から発掘した考古学的技術を中途半端な形で理解して利用しているだけで、基本的文明レベルは中世ヨーロッパ止まり……大掛かりな咒紋文明の発達には至っていない。
そもそも、『咒術』『咒紋術』とはなんぞや……と言う処からだが……『咒力』を使って『咒氣』に生じた『咒紋』を操作する技術……ということになる。咒紋の操作は先人達によって無数にパターン化がなされており、その咒紋を組み合わせて『咒紋式』を組み立てることで咒紋術の力は発動する。
咒氣や咒力は通常の視覚でない部分で、観えるもの……で、この世界に重なり合っているように存在する。テルマは当然この能力を持っており、この咒氣や咒力を観る能力は『咒眼』と呼ばれる。伝統的な咒紋使いの家に生まれた者は、この咒眼を強制的に預かるために、乳児期のうちに『咒晶石』なる結晶体をその額に埋め込む手術を受ける。有機物のようにも無機物のようにも見えるその結晶体を埋め込まれた乳児は、若くして咒紋に対する感受性を手にすることが出来るという、『咒晶石』が脳に直接干渉するとでも言うのだろうか?別に咒晶石をペンダントやサークレットや指環、また杖の装飾などという形で身近に置いてもいいらしいのだが、やはり実感的には手術を受けたもののほうが才能の発現率に勝るようだ。
テルマはこの咒晶石の力で小さい頃から咒眼に覚醒し、咒紋使いとしての道を歩み始めた。
だが、咒眼を持っており、咒力で咒氣を操作できるからといって、すぐに『咒術師』になれるわけではない、ある程度粗削りでも、念動や透視のような超能力めいたことは多少は可能だが、正確に咒紋を配列し、咒紋式として組み上げることが出来なければ、所詮市井の咒紋使い……止まりである。高度に理解力、記憶力、応用力、発想力が問われる部分である。しかし、テルマはこの世界の人間としては非常に合理的な考えの持ち主で、特に理解力に優れており……他人の気付かないことに気付き、他人の思い付かないことを思い付く事に長けていた。独自の高度な咒紋式を幾つも考案し、新たな発見を幾つも成し遂げている。自画自賛ではなく、客観的に言っても、彼女は超一流の大咒術師だった……それでも、……それでも尚、この世界この時代の枠組の範囲内でのこと……。
巷で使われている一般的な咒紋……の、内容を見ると、随分と細やかで緻密では有るが、火を灯す、光を放つ、物体を動かす、瞬間移動する、生命力を強化する、精神感応を行う、透視を行う、未来を占う……といった。基本的な咒紋能力の強化・効率化・複合化による応用版に過ぎないモノが殆ど……多くは軍事用、良くて日常生活のちょっとした補助……程度の利用法……が、せいぜいである。発想の幅は非常に狭い……輝真の世界で発達していた科学の技法を応用して咒紋のもっと違った利用法はないか?
テルマの記憶に有った数々の咒紋パターンとその効果を一つ一つ想起しながら、輝馬の記憶に有る科学的な概念の注釈を加えつつ……てるまは、今一度咒紋と言うモノを考えてゆく……。物理学、化学、生物学、樣々な概念と照らし合わせながら……極簡単な咒紋から始めて、単純で難易度の低い……だが全く新しい、独自の咒紋式を組み立ててみる。仮説の構築、実験による立証、考察、応用法の考案……無数に、無数に試行錯誤してゆく……。十分に繋がらない部分はあるものの、少しずつ、少しずつ、科学と咒紋は結び付いてゆく……てるまの頭脳の中で……。
一人静かに考え……夜が更けてゆく。
※ 登場人物
❶ エルメンガルト・ハイケ・イルメントラウト・ヘルツォーク/Ermengard Heike Irmentraud Herzog
アルトブルグ家からテルマに就けられたメイド頭。神経質で細かくて頑固だが、基本的にテルマのことを常に案じる職務に忠実な善意の人。残念ながら行かず後家である。
❷ ユリアーネ/Juliane
アルトブルグ家からテルマに就けられたコック長/厨房メイドにして薬師。テルマの健康管理を生き甲斐に、日々仕事に励んでいる。
❸ ブリュンヒルト姬/Brünhild,Prinzessin von Sonnewurzel
帝國の第二皇女、側室の娘でヒステリックかつワガママである。
※ 用語解説
❶ 咒紋/Zauberei
咒術の基本になる世界に張り付いた基質・咒氣に発生した紋樣・パターン。
❷ 咒紋術・咒術/Zauberkunst・Zauber
咒紋を用いて常物理現象を超えた超常現象を起こす技。
❸ 咒力/Zaubercraft・Craft
咒紋使いが咒紋を操作する為の力。
❹ 咒氣/Äther
咒紋が存在する媒体となるためのモノ。
❺ 咒紋式/Zauberformel
咒紋を組み合わせた作動回路。この回路の作動が咒紋術の基本となる。
❻ 咒紋使い/Zauberer
咒紋を使うことの出来る人間のこと。
❼ 咒晶石/Zauberstein
咒紋使いが額につけている石。逆にこれを額につけることで高い確率で咒眼を得、咒紋使いになれる。
❽ 咒紋エネルギー/Mana
咒紋を操作するために必要なエネルギーのこと、通常物理エネルギーと相互に互換性がある様子。咒力の発揮のためには必要不可欠。
❾ 咒眼/Zauberaugen・Augen
咒紋を感知する能力。
❿ ゾーネヴルツェル帝國/Sonnewurzel Reich
オストハウプト/Osthauptを首都とする帝國。




