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深呼吸は平和の証  作者: Siebzehn17
再戦

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306/307

リュートの決断

 リュートは一人で会いに行く事にした。


 ティナとレイシスとアルミナには待機を頼んだ。反論されるかと思ったが、三人とも黙って頷いた。レイシスだけが「気をつけてください」と小声で言った。リュートはそれに笑顔で答えると、山道を一人で下りる。



 魔族の野営地は、思っていたより静かだった。


 物々しい雰囲気を想像していたが、どちらかといえば仕事を終えた後の集団のような空気だった。炎を囲んで座っている者、横になっている者、遠くを見ている者。アーンの要塞に人間の集団を送り届けた任務は終わっている。あとは対価を受け取って引き上げるだけ、という気配がそこにあった。


 リュートが近づくと、すぐに気づいた者がいた。


 立ち上がった。手が武器に伸びた。だが、リュートが両手を開いて見せると、その手が止まった。

 人間が一人で、丸腰に近い格好でやってきた。その意味を、魔族たちは瞬時に理解した。




 青の氏族の長は、想像より年老いた顔をしていた。


 背が高く、目が鋭い。その目は長く生きてきた者の目だった。

 リュートを一瞥して、それから短く言った。


「勇者か」

「そうです」

「一人で来るとは、度胸があるな」

「戦いに来たわけじゃないので」


 長がしばらくリュートを見た。品定めをするような目だったが、敵意とは少し違った。やがて炎のそばに腰を下ろし、顎でリュートに向かいを示した。


「座れ」


 リュートは素直に座った。


 長が傍らにいた若い魔族に何かを言った。その者が少し間をおいてから、陶器の椀を二つ持ってきた。湯気が立っていた。長がそのうちの一つをリュートの前に置いた。


「山の茶だ。毒は入っていない」

「ありがとうございます」


 リュートは椀を両手で受け取り、一口飲んだ。苦みの強い、癖のある味だった。美味いとは言い難かったが、まずいとも違った。


「美味いか」

「癖がありますね。でも、嫌いじゃないです」


 長が低く笑った。


「正直な奴だ」


 周囲の魔族たちの間に、小さなざわめきが起きた。殺気ではなく、どちらかといえば、様子を見ているような気配だ。




 茶を飲みながら、しばらく二人は黙っていた。


 沈黙を埋めようとして口を開かなかった。リュートは急かさなかった。長も急かさなかった。

 炎が風に揺れ、山の夜気が少しずつ冷えていく。


 やがて、長が先に口を開いた。


「勇者が一人で来る理由は、だいたい想像がつく」

「そうですか」

「交渉に来た。そうだろう」

「はい」


 長がリュートをじっと見た。値踏みするような目でも、怒りの目でもなかった。


「一つだけ聞かせてください。あなた方は、アーンに忠誠を誓っているんですか?」


 長が黙った。

 周囲の魔族たちも黙った。

 答えはその沈黙の中にあった。


 リュートは椀を両手で持ったまま、静かに続けた。


「アーンが消えれば、オーブの供給も止まります。それでも戦いますか」


 長が炎を見た。

 しばらく間があった。炎が揺れた。風が通り過ぎた。

 長が低く笑った。笑い声というより、息が漏れたような音だった。


「勇者に問われたら、逃げ場がないな」


 周囲の魔族たちの間に、また小さなざわめきが起きた。武器に手をかける者はいなかった。


 長がリュートから目を離して、炎を見た。


「我らがアーンに従ったのは、力に屈したからだ。忠誠などではない」

「分かっていました」

「それを知った上で来たのか」

「それを知っていたから、来ました」


 長がまたリュートを見た。今度は先ほどまでの品定めの目ではなく、何かを認めるような目だった。


「お前は、強さで押さえつけに来なかった」

「そんな事をする必要はないと思ったので」

「勇者というのは、力で示すものだと思っていた」

「力で示す事もありますけど」


 リュートが少し間を置いた。


「今日は、その必要がないと思いました」


 長がまた炎を見た。それから、ゆっくりと息を吐いた。




 結論は、あっさりと出た。


 撤退する。それだけだった。長が一言そう言うと、周囲の魔族たちの間に静かな動きが広がっていった。反論する者はいなかった。むしろ、どこかほっとしたような気配さえあった。荷をまとめ始める者、炎を踏み消す者。仕事が終わった、という所作だった。


 長が立ち上がった。リュートも立ち上がった。


 長がリュートに向き直った。


「一つだけ言っておく」

「はい」

「我らは引き上げるが、アーンを甘く見るな。追い詰められた時が一番厄介だ。力を持つ者は、失う寸前が最も危うい」


 リュートは頷いた。


「はい、ありがとうございます」


 長が鼻を鳴らした。


「礼を言われる筋合いはない」

「それでも」


 長がリュートをもう一度だけ見た。それから、背を向けて歩き出した。それが別れの挨拶だった。




 待機場所に戻ると、ティナが腕を組んで立っていた。

 リュートの顔を見るなり、全部分かったのか口を開いた。


「戦わずに終わったのね」

「うん」

「リュートらしいね」


 褒めているのか呆れているのか、判断しにくい言い方だった。でもティナの目は笑っていた。

 レイシスが小走りで近づいてきた。


「無事で良かったです。怪我はないですか」

「大丈夫。ありがとう」


 アルミナが遠慮がちに近づいてきて、リュートの顔をじっと見た。それから「良かった」とだけ言って、目をそらした。


 リュートは少し息を吐いた。




 その時、リュートはそれを感じた。


 うまく言葉にできない感覚だった。ずっと体の奥に張り付いていた何かが、少しだけ緩んだような気がした。重さというより、引っ張られているような感覚。それがわずかに、薄くなった。


 気のせいかもしれない。そう思ったが、気のせいではない気もした。


「どうしたの?」


 ティナが横から顔を覗き込んできた。


「なんか、少し軽い気がして」

「軽い?」

「うまく言えないんだけど」


 ティナがリュートをしばらく見た。それから、また前を向いた。


「まぁ、戦わずに済んだからじゃないの」

「そうかもしれない」


 リュートは空を見上げた。ライガット山脈の上空に、雲が流れていた。

 もう少しだけ、何かが変わる気がした。

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