コージの寿命問題の発覚
廊下を歩いていたら、声が聞こえた。
格納庫に続く通路の途中、半開きになった扉の向こうから光司の声がした。誰かと話しているようだ。セリナは特に気にせず通り過ぎようとして、聞こえてきた言葉に足が止まった。
「右手については、ナノマシンで補ってるから機能的には問題ないんですけど、代償がありまして」
知らない声が返す。
「代償、というのは」
「寿命が、十年ほど削れています」
セリナは動けなかった。
廊下の石壁が、急に冷たく感じた。半開きの扉の向こうで、光司が淡々と続けている。まるで今日の天気でも話すように。
「ナノマシンを使った時点で確定していた事なので、今更どうにもなるものでもないんですが。まあ、七十歳まで生きられる計算なので、大丈夫ですよ」
そこから先は、よく聞こえなかった。
耳の中で、何かがざあっと鳴った気がした。
気づいたら扉の前に立っていた。
自分がそこまで歩いていた事に、気づいていなかった。扉を押し開けると、光司が振り返る。隣にはエルディバの技術者らしい男性が座っている。その人が何か言ったが、セリナには聞こえていなかった。
「セリナ? どうしたの」
光司が立ち上がった。セリナを見て、すぐに何かを察したようだ。
「聞こえてたの?」
セリナは答えられなかった。
光司が技術者の男性に目配せをすると男性が静かに部屋を出て行った。扉が閉まる音がした。
二人きりになった。
「セリナ」
「十年」
自分の声が、思っていたより低かった。胸の奥に、黒いものがゆっくりと広がっていく。怒りとは少し違う。悲しみとも少し違った。ただひどく、冷たい。
「寿命が、十年削れているんですか」
「うん。でも七十歳までは生きられるから、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃありません」
自分でも気づかないうちに、声が震えていた。
光司が少し困ったような顔をした。困らせるつもりはなかったのに止められなかった。
「なんで、言わなかったんですか」
「心配させたくなかったから」
「それでも」
言葉が続かなかった。黒いものが、胸の奥でじわじわと広がっていく。目の奥が熱くなってきた。
「言ってくれれば、一緒に考えられたのに」
声が上擦った。みっともない。でも止められなかった。
光司がセリナをまっすぐ見た。少し間を置いてから、静かに言った。
「ごめん。言うべきだったね」
その一言で、かえって目が熱くなった。謝られると思っていなかった。怒られた方が、まだ楽だったかもしれない。
「大丈夫、という言葉は」
セリナは一度、唇を引き結んだ。
「今は、信じられません」
「うん、そうだよね」
「でも」
深く息を吸った。黒いものはまだそこにあったが、少しだけ落ち着いた。
「続きを、聞かせてください。全部」
その夜、ミミが知った。
コージの部屋の前を通りかかった時、扉が少し開いていた。中から光司が出てきて、廊下でばったり顔を合わせた。いつもと同じ顔をしていたが、目の奥が少し疲れていた。ミミにはそれが分かった。
「コージ」
「うん?」
「何かあった?」
コージが少し止まった。廊下の窓から夜風が入ってきた。
「ミミにも話しておかないとと思ってたところ」
部屋に入って、二人で向かい合って座った。コージが話し始めた。ミミはじっと聞いていた。
右手の話。ナノマシンの話。十年という数字。
聞き終わってから、しばらく黙っていた。
コージが「大丈夫だよ」と言いかけるのが見えた。その言葉が出る前に、ミミは口を開いた。
「コージのばか」
思っていたより大きな声が出た。
目を上げると、コージが少し驚いた顔をしていた。ミミは顔を伏せた。目が熱くなってきた。こんなつもりじゃなかったのに。泣くつもりなんて、全然なかったのに。
「なんで言ってくれなかったの」
「心配させたくなかったから」
「心配するよ! そんなの当たり前じゃないっ」
声が震えた。ミミは膝の上でぎゅっと手を握り締めた。コージが何か言おうとするのが気配で分かった。でも、もう少しだけ待って欲しかった。
「ミミはコージの事が好きなのに。好きな人がそんな事言ったら、心配するに決まってるよ」
言ってから、顔が熱くなった。でも後悔はしなかった。
コージが静かに言った。
「ごめんね、ミミ」
その声が、思っていたより柔らかかった。ミミは顔を上げなかった。うっかり顔を上げたら、泣いてしまいそうだったから。
「コージのばか」
もう一度だけ言った。今度はずっと小さい声だった。
翌朝、三人が揃った。
セリナとミミが並んで座っていた。昨日よりは落ち着いた顔をしていたが、二人とも目の下に少し疲れが見えた。光司が向かいに座って、少し間を置いてから口を開いた。
「二人に話しておきたい事があって」
二人が光司を見た。
「全の印を、返すつもりでいる」
「返す、というのは」
「もともと借りていたものだと思ってるから。返せば、もうこれ以上削られない」
セリナがミミを見た。ミミがセリナを見た。
光司が続けた。
「十年の分は、もう取り戻せない。それは変わらない。でも、これ以上増えないようにはできる」
セリナがゆっくりと息を吐いた。ミミが膝の上で手を握り締めた。
「それは、いつ」
「アーンの問題が片付いてから。順番がある」
二人ともしばらく黙っていた。光司も黙って待っていた。
やがてセリナが静かに言った。
「分かりました。でも」
少し間があった。
「終わったら、ちゃんと全部話してください。今度は隠さずに」
「うん、約束する」
ミミは何も言わなかった。でもずっと握り締めていた手が、ゆっくりと開いた。
光司が深呼吸をした。
「すーはー」
ミミが顔を上げた。
「なにしてんの、コージ」
「なんとなく」
セリナが小さく笑った。ミミも少しだけ、口元が緩んだ。
窓の外で、朝の光が差し込んでいた。




