全の印の異変
深夜の格納庫は静かだった。
昼間は整備の音や話し声で賑やかなのに、夜になると別の場所みたいにしんとする。光司は作業台に向かいながら、その静けさが少し心地よかった。シャイニングブレスの設計図を広げて、ライガット山脈の地形データと見比べながら考えを整理している。リュートから送られてきた映像を何度も見返して、アーンの拠点への侵入経路として使えそうな箇所に印をつけていた。
考えなければならないことは山ほどある。
外からの制圧と内部への潜入、どう組み合わせるか。フレームの数と配置。タイムライン。想定される迎撃の規模。頭の中でいくつもの場合分けが動いていた。こういう時は不思議と眠くならない。考えれば考えるほど、次の問いが出てくる。
しかし、ふと手が止まった。
胸のあたりに、妙な感覚がある。
それは、痛みではないが不快でもない。
ただ、何かがいつもと違う。フレームに例えるなら、エンジンの回転数が微妙に遅れているような、そういう感じだ。全の印が、どこかぎこちない。
気のせいかと思って、また設計図に目を戻した。でも数分後にはまた気になっていた。
白夜が作業台の端からこちらを見ていた。
「どうしたのじゃ、主よ。さっきから手が止まっておるぞ」
「うん、ちょっと」
光司は右手を胸に当てた。全の印の場所に、そっと触れる。
「なんか、変な感じというか、違和感があるっていうか」
「怪我か?」
「違う。体じゃなくて、印の方」
白夜が少し首を傾けた。その目が、いつもより真剣な色をしていた。
「フレームで言うと、どんな感じじゃ」
「整備したばかりなのに、嚙み合ってない感じ。でも原因がさっぱりなやつ」
白夜がしばらく黙った。光司も黙った。格納庫の外で風が通り過ぎる音がした。
「主、無理をするでないぞ」
「うん」
白夜はそれ以上言わなかった。光司も深く考えるのをやめて、また設計図に向き直った。でも頭の片隅に、その感覚がずっと引っかかっていた。
翌朝、アナベルが格納庫に来た。
アナベルが自分からここに来るのは珍しい事だ。光司が顔を上げると、アナベルは少し迷うような顔をしてから口を開いた。
「少し、話せるか」
「いいよ」
アナベルが作業台の前に立った。光司は手を止めた。
アナベルの顔がいつもと少し違う。何かを確かめたいのに、確かめ方が分からないような顔だ。
「この頃、古代竜のまどろみの中で何かが変なんだ」
「変、というと」
「うまく言えないんだが」
アナベルが少し眉をひそめた。言葉を選んでいる。
「いつもは穏やかな呼吸が、ここ最近少しだけ乱れている。竜が苦しんでいるわけじゃない。ただ、何かに引っ張られているような、そういう感じで」
光司は黙って聞いていた。
「私だけの感覚かもしれないと思っていたんだが、お前に聞いてみようと思って」
「実は」
光司は少し間を置いてから、昨夜の話をした。全の印の違和感。フレームに例えた時の感覚。アナベルがじっと聞いていた。
話し終えると、しばらく二人とも黙っていた。
アナベルが静かに言った。
「似たような頃から、か」
「うん」
「偶然じゃないかもしれないね」
断言はしなかった。でもその言葉の重さは、光司にも伝わった。竜のまどろみと全の印。別々のものが、同じ時に何かを感じ取っている。
光司は設計図から目を離して、窓の外を見た。朝の光が格納庫の床に細く差し込んでいる。
「アナベル、印って、もともとどこから来たんだろう」
ぽつりと言った。自分でも、なぜそう口に出したのか分からない。今まで疑問にすら思わなかったことが、でもずっと頭の片隅にあった問いが、今になって出てきた気がする。
アナベルが光司を見た。答えを持っているわけではなさそうだったが、その問い自体を軽く扱う気もないようだ。
「私には分からない。でも、そう問いを立てた事は、大事な気がする」
光司は窓の外を見たまま、少し考えた。
フレームの調子が悪い時は、原因を探す。外から見えなければ、内側を開ける。それでも分からなければ、もっと根っこのところを確かめる。
印も、同じかもしれない。
「もう少し、様子を見てみる」
「ああ、私もそうする」
アナベルが静かに頷いて、格納庫を出て行った。
光司はしばらく、窓の外を見ていた。
白夜が膝の上に乗ってきた気配がした。いつもどおりだから、気にするなという雰囲気。
光司はまた設計図に向き直った。やるべきことは変わらない。でも頭の片隅に、さっきの問いがまだ残っていた。
印って、どこから来たんだろう?




