集合
イーサルークの朝は早い。
夜明け前から魔法陣の調整が始まり、印という名の呪いを解きに来る人々が列をなす。セリナはその傍らで補助魔法をかけながら、一人一人の顔を見ていた。遠くから歩いてきた老人、子どもの手を引いた母親、片腕が動かなくなっていた若い男。王の印の呪いがどれだけ多くの人に根を張っているか、ここに来るたびに思い知らされる。
でも今日のセリナの集中力は強くて弱かった。見えているけど焦点はあっていない。
自分でも分かっていた。手は動く、魔法にも乱れはない。でも意識の端に、ずっと引っかかっているものがある。
コージのことだった。
エルディバの惨状が伝わってきた時、セリナはすぐに駆け付けるつもりだった。でもコージから短い連絡が来た。
「今は来ないで。自分でやらないといけないことがある」
明確な拒絶だった。
セリナは返信を何度か書いては消した。心配ですぐにでも駆け付けたい気持ちもあったが、最終的に「分かりました」と送った。それ以外に送れる言葉が見つからなかった。
それからしばらく、コージからの連絡は来ていない。アルラやラウラからの話で様子は断片的に伝わってくる。遺族の家を一軒一軒回っていること、食事をあまり取っていないこと、ため息が増えたこと。
聞くたびに胸が締め付けられた。でも行けなかった。コージが「来ないで」と言ったから。やきもきしながら待つというのは、こんなにも骨が折れるものだとは思っていなかった。
「セリナ」
ミミが隣に来た。補助魔法の合間に、こっそりと袖を引く。
「ん、なに」
「また考えてた」
「考えてなかったわ」
「してた。目が遠くなってた」
セリナは口を閉じた。ミミに指摘されると否定しにくい。この子は妙なところで勘が鋭い。
「コージの事、心配だよね」
「……心配じゃないとは言わないわ」
「ミミも心配」
ミミがぽつりと言った。いつもの明るい声ではなく、少し低い声だった。視線が手元に落ちている。
「コージ、ちゃんとご飯食べてるのかなぁ」
セリナは答えなかった。答えられなかった。
昼を過ぎた頃、セリナの端末に連絡が入った。
コージからだ。
一瞬、息が止まる。画面を開く手が、わずかに震えた。
『動ける。みんな集まってもらえる?』
それだけの短い文章だった。でもセリナはその言葉を三回読み返した。
――動ける。
セリナは端末を胸に押し当てて、少しの間だけ目を閉じた。魔法陣の低い振動音が聞こえる。遠くで誰かが話している声がする。それらが全部、少し遠くなった気がした。
よかった、と思った。
目を開けると、ミミが真横に立っていた。端末の画面を一緒に見ていたらしく、目が少し赤くなっていた。
「コージから?」
「ええ」
「なんて?」
「動けるって」
ミミがぱっと顔を上げた。さっきまでの沈んだ様子が、一瞬で別の何かに変わった。
「ほんとに?!」
「ええ、本当に」
ミミが両手を握りしめた。何か言おうとして、言葉にならなかったらしく、代わりに一度だけぴょんと跳ねた。
セリナはそれを見て、小さく笑った。自分でも気づかないうちに笑っていた。
返信を送ってから、セリナはエドワードのところへ向かった。
エドワードは格納庫の端で機体の整備をしていた。ネアが脇に立って、何やら小言を言っている。
「だから言ってるだろ、こっちは準備できてんだよ」
「準備できてるのと飛び出すのは別の話でしょ。腰を落ち着けて連絡を待てって言ってんの」
「うるさいなぁ」
エドワードがネアをあしらいながら工具を動かしていた。セリナが近づくと、ネアが先に気づいて振り返った。
「セリナさん、ちょうど良かった。このお馬鹿に言ってやってください」
「お馬鹿は余計だろ」
「コージから連絡が来たわ」
セリナがそう言った瞬間、エドワードの手が止まった。工具を持ったまま、ゆっくりとこちらを向く。
「動けるって」
エドワードはしばらく何も言わなかった。工具を置いて、立ち上がって、腕を組んだ。その目が、いつもの前のめりな光とは少し違う色をしていた。
「……そうか」
短く言った。それだけだった。でもエドワードにしては珍しく、地に足のついた声だった。
ネアがエドワードをちらりと見てから、セリナに向き直った。
「エルディバに移動するんですか?」
「ええ、そのつもり」
「分かりました。準備します」
そう言ってネアがさっさと動き出した。エドワードが慌てて後を追う。
「おい待てネア、俺の機体は俺が」
「黙って手伝って」
「だから準備できてるって言って」
二人の声が格納庫の奥に遠ざかっていく。
セリナはそれを見送ってから、もう一度端末を見た。
――動ける。
その言葉をもう一度だけ読んで、端末をしまった。行くべき場所が、またひとつはっきりした。




