格納庫の姫
夜明け前のシュライト城の格納庫は、昼間とはまるで別の場所のような静けさがある。
リリノアがそこに来たのは、空がまだ暗いうちだった。折り畳みの椅子を一脚持ち込んで、作業台の上に借りてきた図面を広げた。ランタンの光の下で図面を見ていると、あっという間に時間が過ぎていく。気づけば窓の外が白みはじめていた。
「姫様、昨晩もほとんどお休みになっていないのでは」
ロダンが腕を組んだまま、呆れたような声で言った。背後に立つ執事の影が長く伸びている。
「眠れなかったのよ。見ていたら考えたくなってしまって」
「…いつもどおり過ぎて安心していいのやら、嘆いた方がいいのか微妙なところですな」
リリノアは返事をしなかった。図面の推進系の部分に書き込んだメモを指先でなぞりながら、もう一度数字を確認する。この流路の取り回しが気になって仕方がなかった。もう少し改善できるはずだという確信があるのだが、どう変えれば良いかの答えがまだ出ていない。
格納庫の扉が開いたのは、そこからさらにしばらくしてからだった。
「あれ? リリノアさん。朝早いね」
光司が入ってきた。どこか目元に疲れの色はあるものの、今日は少し顔つきが違う。ひどく落ち込んでいた先週よりは、幾分か息をしているように見えた。
「コージ。少し良いかしら、この図面の事で聞きたい事があって」
「うん、いいよ」
光司が近づいてきて、作業台に両手をついて図面を覗き込んだ。リリノアはその横顔を一瞬だけ見てから、すぐに図面に視線を戻した。
「この推進系の熱効率なんだけど。ここの流路を変えれば推力の損失を抑えられると思うの。でもどこをどう変えれば良いかが、まだはっきり分からなくて」
「あ、そこ僕も悩んだんだよね」
光司が少し身を乗り出した。
「実はここに迂回路を設けてみたんだけど、それだと今度は全体の重量配分が崩れちゃって」
「重量配分が崩れる? どのくらい?」
「ちょっと待って」
光司がポケットからメモ帳を取り出して、図面の脇に数字を書き始めた。リリノアはそれを真剣な目で追う。光司の手が止まった。
「このくらいの差なんだけど。少しとはいえ、全開にすると誤差がおおきくなりすぎて…」
「…そうね。だったらここをこうして、対流をつくりながら徐々に推力をあげていけば」
リリノアが光司のメモ帳を指でとんとんと叩いた。
「で迂回路をもう少し内側に寄せれば、重量の偏りを相殺できるんじゃないかしら」
光司がリリノアの指先を目で追い、それから図面に目を移した。少しの間、黙って考えている。
「あ、それだ」
ぽつりと言って、すぐに書き直し始めた。
ロダンがそっと壁際に下がった。こうなったら朝食の時間まで終わらないだろうと、長年の経験から分かっていた。
それから二人は、気づけば日が一番高くなるまで話し込んでいた。
フレームの話をしている時の光司は、いつもと少し違う。難しい顔をしているのは同じだが、その難しさの質が違う。悩んでいるのではなく、考えているのだ。リリノアにはその違いがよく分かった。自分もきっと同じ顔をしているだろうから。
「リリノアさんって本当にフレームが好きだよね」
光司がふと顔を上げて言った。責めているわけでも、からかっているわけでもない、ただそのままの言葉だった。その口元に、小さな笑みが浮かんでいた。
本当にわずかな笑みだった。でも確かにそこにあった。
「当然でしょう。これほど面白いモノは他にないわ」
「うん、そうだよね。僕もそう思う」
光司はそう言って、また図面に目を落とした。
リリノアは少しだけ間を置いてから、自分も図面に視線を戻した。
ロダンがこちらを見ていることには気づいていたが、今は気にしないことにした。
光司の端末が鳴ったのは、昼前のことだった。
画面を見た瞬間、光司の手が止まった。リリノアは顔を上げなかったが、気配で分かった。何か、重要な連絡が来た。
「リュートから」
光司が短く言って、画面を開いた。映像と静止画、それに短いメッセージ。
「居場所が分かった」
リリノアは図面から顔を上げた。光司は端末の画面を見つめたまま動かなかった。映像の中には山岳地形と、岩壁と、その中に消えていく人の流れが映っている。
「山をそのまま使った要塞ね」
リリノアが画面を覗き込みながら言うと、光司が少し顔を傾けてこちらを見た。
「出入口が一箇所しか映ってないのが気になるわ。こういう設計をする者は必ず複数の経路を用意する。隠れた出入口が他にもある筈よ」
「そうだね。内側の構造が分かれば、もっとはっきりするんだけど」
「それなら少し心当たりがあるわ」
光司が端末から顔を上げて、リリノアをまっすぐ見た。
「ハードとソフトが違うって、前に言ってたよね」
「ええ」
リリノアは椅子から立ち上がって、作業台に向き直った。
「話せる事は全部話すわ。座って」
光司が素直に椅子を引いた。メモ帳を新しいページに開いて、ペンを構える。
その姿を見て、リリノアは少しだけ胸の力が抜けた。
この人はちゃんと、前を向いている。
格納庫を出る頃には、外はすっかり昼の光になっていた。
光司は城壁の方へ歩いて行った。一人で考えたいのだろうと、リリノアは見送るだけにした。
ロダンが隣に並んだ。
「お昼はお召し上がりになりますか」
「そうね。食べましょう」
歩き出しながら、リリノアは格納庫を振り返った。
図面はまだ作業台の上に広げたままだ。続きは午後にする。やりたいことがまだたくさんある。
「ロダン、昼食の後で少し時間を作って」
「はい」
「シャイニングブレスの改修案、まとめたいの」
ロダンがまた溜め息をついた。でも今度はいつもより少し、軽い溜め息だった。




