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【完結】真実の愛とやらで婚約破棄されたので白い結婚で辺境伯に嫁いだら、氷壁の旦那様の契約書の追記が止まりません  作者: フトダマノミコト


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第5話 冬支度の帳簿

 北の城に来て、七日が過ぎた。


 オリヴィアは毎朝、日の出とともに起き、ハンスが用意してくれた小部屋で帳簿に向かった。


 暖炉のそばの机には、古い帳簿が山のように積まれている。



(まずは、収入と支出を分けるところから。それから軍の予算と城の生活費を切り離して……)



 ペンを走らせているあいだは、王都でのことを考えずにすむ。


 婚約破棄の夜のことも、破り捨てられた引き継ぎ書のことも。


 数字は嘘をつかない。


 正しく並べれば、ちゃんと答えを返してくれる。



「奥様、お茶をお持ちしました!」



 リタが盆を手に、元気よく入ってきた。


 湯気の立つ紅茶に、蜂蜜をたっぷり溶かした焼き菓子が添えられている。



「ありがとう、リタ。……このお菓子は?」



「料理長の特製です。奥様が甘いものをお好きだと聞いて、張り切って焼いたんですよ」



「私、甘いものが好きだなんて、誰かに話したかしら」



「閣下がそうおっしゃったって、料理長が」



 オリヴィアは焼き菓子を手にしたまま、首を傾げた。


 王都の茶会では、いつも甘い菓子を選んでいた。


 けれど、それを誰かに話した覚えはない。


 ふと、到着した夜のリタの言葉が頭をよぎった。



(ふた月も前から、部屋を準備させた……。あれは、どういう意味だったのかしら)



 考えても答えは出ない。


 オリヴィアは首を振り、目の前の帳簿に意識を戻した。




 作業を始めて十日目、オリヴィアはある数字に目を留めた。


 冬に備えて買い入れる、小麦と干し肉の量だ。



(おかしいわ。去年の冬と、兵の数はほとんど変わらないのに、仕入れの量が二割も多い)



 それなのに、倉庫の在庫記録は去年とほぼ同じ。


 二割分の小麦と干し肉は、どこかへ消えていることになる。


 オリヴィアは三年分の帳簿をさかのぼり、仕入れ先の商人の請求書を一枚ずつ照らし合わせた。


 答えは、思ったよりも単純だった。



「水増しの請求、ですか」



 ハンスが目を丸くした。



「ええ。この商人は毎年、実際に納めた量より多く請求しています。前の書記の方が、確認せずに支払っていたようです」



「なんと……。三年分となると、相当な額になりますな」



「冬支度の前にわかってよかったです。今年の仕入れは、別の商人と比べてから決めましょう」



 ハンスはしばらく黙って帳簿を見つめていたが、やがて深く頭を下げた。



「奥様。このこと、どうか閣下に直接ご報告ください」




 その日の夕方、オリヴィアはハンスに案内されて、ジークハルトの執務室を訪れた。


 部屋は質素だった。


 大きな机と、壁一面の地図。


 机の上には討伐の報告書が積まれ、隅には冷めきったスープの皿が置かれていた。



(……お夕食、ここで召し上がっているのね)



 ジークハルトは書類から顔を上げ、無言でオリヴィアを見た。


 オリヴィアは、商人の水増し請求について順を追って説明した。


 三年分の請求書と在庫記録の食い違い。


 消えた小麦と干し肉の量。


 それを金額に直すと、兵士百人がひと冬を越せるほどになること。


 ジークハルトは一度も口を挟まず、最後まで聞いていた。



「……以上です。勝手に帳簿を調べてしまい、申し訳ございません」



「謝ることはない」



 低い声が、静かに言った。



「三年、誰も気づかなかった。……よく見つけてくれた」



 短い言葉だったが、オリヴィアの胸に、じんわりと温かいものが広がった。


 よくやった、と言われたのは、いつ以来だろう。


 五年間、侯爵家の帳簿を整えても、エドガーから礼を言われたことは一度もなかった。



「商人の件は、俺が片をつける。仕入れは、あなたの判断に任せる」



「よろしいのですか」



「ああ」



 ジークハルトはそう答えると、引き出しから一枚の紙を取り出した。


 見覚えのある紙だった。


 顔合わせの日に署名した、あの契約書だ。


 彼はペンを取り、末尾に何かを書き足して、オリヴィアのほうへ差し出した。



 第六条 夫婦は、夕食を共にとること。



 オリヴィアは、思わず顔を上げた。



「あの、これは……」



「報告は、夕食の席で聞く。そのほうが効率がいい」



 ジークハルトは淡々と言った。


 目線は、なぜか壁の地図のほうへ向いている。


 オリヴィアは、机の隅の冷めたスープに目をやった。



(効率、ですか。……それなら、旦那様がここで冷めたスープを召し上がるより、ずっといいわね)



「承知いたしました」



 オリヴィアは契約書を受け取り、第六条の下に自分の名を記した。


 署名を終えて顔を上げると、ジークハルトは相変わらず地図を見ていた。


 ただ、その耳の先が、わずかに赤い気がした。


 暖炉の火のせいだろう、とオリヴィアは思った。


 その夜から、城の食堂の長いテーブルには、二人分の食器が並ぶようになった。

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