第六話『自我とエス』
『美は魂を覚醒させ行動を起こさせる
-ダンテ・アリギエーリ-』
「お前の為に特別、時間を作ってやったんだ。好奇心が強いというものは良い。お前の好奇心を満たす為にお前が知りたい情報をやろう」
フロイトは頭部から繋がったシーシャから煙を吸い、肺に煙を満たすのと同じ程に部屋を煙で満たす為に優しく吐き出した。
セオドロスはどこに視線を変えても煙が映るようになった。
煙の匂いで十分に満たされた体内は、煙を正常のものと判断し、鼻は甘い匂いを感じるのをやめてただ今の空間を何も起きていないものとした。
セオドロスは煙が空気に溶けていくのを見つめながらあの時の血と水、そして拭えないインクの心象風景が頭の中にチラつくのを感じた。
「継承者…継承者は、体内に星の核を入れ、偉人……他者の概念を植え付けることで造り出せるとお聞きしました」
「合ってる。もう少し自信を持つといい」
フロイトにそう言われたセオドロスは少しだけ咳払いをして背筋を伸ばした。
「暴れないのですか?堕ちた星のように」
フロイトはシーシャの煙を吐き出すと「暴れる時もある」と理路整然と答えた。
「怪物のコアを入れてるんだ。無事なわけがないだろう」
セオドロスはその答えを聞いてカミュのことがチラついた。カミュが暴走するのならどうなるのだろうか?
「星の核は概念を力とするものだ」
フロイトが立ち上がり奥の棚から何かを取り出さんとガサゴソと探し始めた
「孤児…偉人…星の核……この三つの性質のバランスを保ったまま生かす為にはこの三つに共通点を見出してギャップを少なくした後にメンテナンスをする必要がある」
「メンテナンスですか」
「身体ではなく、心の…な」
フロイトは棚から天秤を取りだし、元の椅子に座った。
「私の提唱したものを知っているな」
「エス、自我、超自我ですね」
フロイトはポッケからライターや葉巻を取り出し膝に乗せた。
左手では常に天秤を持っている。
「わかりやすい例えをすると、星の核がエス。孤児が自我。偉人が超自我だ。」
セオドロスは少し考えた後に、おおよそ納得したように頷いた。
「孤児の精神性が残っているからこそ、アイツらはアイツらとして上手く扱えるのだ。これで仮に偉人の意識の方が強かったらどうなると思う?」
フロイトは片方の天秤の皿にライターを置いた。
ライターの重さはそれと同じほどに天秤を傾けさせた。
「……?よく分かりません」
「偉人の概念に呑み込まれるのさ。生前のその人の癖が無意識下で現れるようになり、孤児の頃の自我を覆い尽くさんとするほどに仕草や性格が偉人に近くなる」
セオドロスは訝しんだ。
「今の継承者となにが違うんですか?」
セオドロスの脳内にはアインシュタインのことが思い浮かばれた。彼は貴方が誰なのかを聞いた時、すぐさまアインシュタインと答えた。これは偉人になっているということではないかとそれをフロイトに説明した。
フロイトは笑った。
「その程度はまだ均衡が保てているだけだ。いいか?そいつがアインシュタインに染まりきったのならばね……そうだな。科学者の系統があまり暴走することはないが、なるとすればあいつは菜食主義者になったりするかもな」
セオドロスは「科学者の系統」というフロイトの表現に少し引っ掛かりを覚え、それを聞こうとしたがフロイトの言葉がそれをさせなくしていく。
「にしてもアインシュタインに会ったのか。元気だったか?」
セオドロスは急な質問に言葉を詰まらせながらも元気であったことを伝えた。
「そうか、アイツとは手紙でいつもやり取りしなんだ。また今度酒でも共に飲もうかな」
フロイトはウキウキとした表情を隠さなかった。
しかし解説をしている途中だと言うのを天秤の重さで気付くと、葉巻を持ちながら落ち着くために深呼吸をした。
「それでだ。その偉人として染まりすぎて孤児としての自我が無くなり超自我に飲み込まれる…するとどうなると思う?」
フロイトはライターが置かれていた器の中にその葉巻を置いた。
重さでより天秤が傾く
元来としての超自我で言うならば、超自我に飲み込まれた人間は「〜すべき」という規範が襲い、完璧を求めることで生きづらさを感じやすくなる。
それを偉人に置き換えるならばどうなるのか…?
「偉人に…な、らなきゃいけないと思うのですか?」
フロイトは笑って不正解を告げた。
「偉人という概念を持った存在になる。」
フロイトはまだセオドロスが理解しきっていないのを確認すると、一つ一つ整理してあげようと質問攻めにした。
「復習。星の核とは?」
「堕ちた星のコアにして力の源です」
「堕ちた星とはどんな存在だ?」
「全ての人類から神話や宗教についてを学習し、怪物や神、天使などの存在を奪い成り代わった怪物です。
人々が想像したものが形となったもので、存在としては神話や宗教だけではなく都市伝説や伝承などの存在も奪うと聞きました」
「他者から得たソレについての認識を、己とする訳だ」
フロイトは答えを言ってあげることにした。
「孤児の自我が呑み込まれ、偉人そのものとしての堕ちた星になるのだ。」
「偉人…の……堕ちた星」
「例えばお前の故郷に出現した堕ちた星はサラマンダーだ。燃えるトカゲを見たらしいな」
「えぇ…あぁ、サラマンダーだったのですね」
「そしてこの間そのサラマンダーの核を使い、ジャンヌ・ダルクの受肉をさせた」
セオドロスは特段驚きはしなかった
「ジャンヌ・ダルク…火刑の炎とサラマンダーの炎を合わせましたか」
「ご名答。孤児の方は精神性を分析した結果ジャンヌ・ダルクへと適合する確率はまぁまぁと言ったところだったが、まぁまぁでも繋がりはあるという事でね。上手くいったよ」
「にしてもジャンヌ・ダルクなんですね」
「その偉人の持つ人を導く力はこの組織に必要だからな。チームとしては…司令チームに行った。まだまだガキだよ」
フロイトは我慢できなかったと言わんばかりにシーシャの煙を吸い、吐き出した。
「そこでだ。今は上手く彼女も均衡を保てている。しかし、堕ちた星であったサラマンダーとしての性質も持ち彼女には鱗や尾が出現している。別にいい、ジャンヌ・ダルクとしての意識もあるみたいなのでな」
「それでは、仮に偉人に呑み込まれるならどうなるんですか?」
「彼女の場合、人々が想像するジャンヌ・ダルクとして暴走をする。人を導いたその力は洗脳のように働き、人々をありもしない戦争へと駆り立て、火刑の炎で世界を焼き尽くすだろう」
セオドロスはその説明を聞き、アインシュタインの時よりも具体的であると思った。そのまま赤裸々に伝えた。
「ジャンヌ・ダルクの方が、アインシュタインに比べて空想の事実を持っている。ドラマがあるのだ。星はそこに反応している。我々がジャンヌ・ダルクという存在に憧れと想像を抱き、ジャンヌ・ダルクという存在とは何かを各々で定着させ、またあのガキもそのジャンヌ・ダルクに染まり切ると堕ちた星が生まれる時と同じ現象により、言ったようにジャンヌ・ダルクとしての堕ちた星と成るのだ。」
フロイトは何か忌々しいものでも思い出すような顔をして歯軋りをした。
「この話はね。仮にこうなるだろうというものではなく、こうなった前例があるから語れるのだ」
セオドロスはそのフロイトの様子に並々ならぬものを感じ、フロイトが次に何を言うかを受け止める準備をした。
「最初の…偉人の完成者。ダンテ・アリギエーリは、偉人に呑み込まれるや否や、この施設の大半を地獄に作り替えたよ。我々がダンテと聞いて想起した地獄を、奴はそのまま持ってきた」
セオドロスはその名前を聞いて、頭の中に黒い森が出てきた。
「今は封印が施されてはいるが、時間の問題だろうね」
フロイトは天秤の皿に乗せたライターと葉巻を回収した
次にさっきまで何も乗せられることがなく片方の器の重みで上に上がったいた方の皿にライターと葉巻を置いた。
さっきと逆に傾いた。
「堕ちた星の核として、それに飲み込まれるならお前が想像できるようにその元の核としての怪物が表に出てきて暴れるようになる」
セオドロスは先程のジャンヌの例を持ってそれに答えることにした。
「ジャンヌ・ダルクならば、サラマンダーになるということですね」
「ご名答。そして怪物にもならないように、完成者にもならないように事前に確認し続ける為に生まれたのが適合率というものだ。私が作った」
サラッと言い切ったフロイトを目の前にセオドロスは少し感嘆の声を漏らした。
「星の核のエス、孤児の自我、偉人の超自我のバランスが上手く取れているかとして平均値を60〜70にしてある。これが偉人に近くなり完成者となると適合率は100。星の核に近くなり怪物になると適合率は0になる訳だ」
フロイトは説明しきると、ポケットにライターと葉巻を戻し、天秤を元の棚へ戻す為に立ち上がって棚に向かった。
セオドロスは今までの話を聞いて、多くの犠牲が出たのではないかという結論を出した。そして次に浮かんだ疑問をフロイトへとぶつけた。
「受肉というのは同じ人物を何度も継承者として生み出せるのですか?」
フロイトは何当たり前のことを言ってるんだと言わんばかりに笑い飛ばし、天秤を戻した棚を少し見た後に椅子に座った。
「私は初代のままだがね。さっきお前の肺の音を聞いたノストラダムスは2人目だ。お前によく知識を与えるサルトルは3人目。お前の近くで寄り添い、支えるカミュは4人目だ。」
セオドロスはそれを聞くと心の中で憎悪のようなものが芽生えるのを感じた。その怒りはフロイトにも伝わったようでフロイトは真剣な眼差しでセオドロス見つめた。
「今お前は何に怒りを抱いた?」
「分かりません」
「まるで偉人が物のように扱われた事か、自分と会った継承者は特別、特別ではないからか…。他にも色々だろう」
フロイトは時計を見ると、セオドロスを急かし始めた。
「話が長くなりすぎた。孤児院はお前がいないことに心配しだすかもな」
「そうは思えませんが」
「もう少し愛嬌を持った方がいいぞ」
「持つ必要が感じられないので、構いません」
フロイトはふんと鼻で笑うと、セオドロスに帰るように言った。
それに対して言い返す意味もごねる意味もなかったセオドロスは孤児院に戻り、自由時間として遊んでいる子供達の校庭へと足を踏み入れた。
遊ぶ意味もないので部屋に戻ろうと建物に入っていくセオドロスは子供たちに声をかけられる
「帰ってくるの遅くない?」
セオドロスは正直に答える
「フロイトに色々と教えて貰い、話し込んでいたので」
「はぁ?」
子供たちにはその答えが信じられないように受け止められ、子供たちは皆で意見を合わせながら「フロイト先生は淡々と最近の調子はどうだ?と聞くだけで特別誰かの為に1時間も使いもしない」と小さな愚痴を言い出した。
「お前だけズルくない?」
「ズルくはありません。貴方達もなにか質問があるのならばすれば良いではないですか」
孤児院に来てからというもの誰とも関わろうともせず今まさに感情をゆらがせず淡々と答えるセオドロスの様子は子供たちにとってははなにつくものであった。
しかも普段より自分達がいつかなる憧れの存在としての継承者達と話す機会が多いのも子供たちには怒りとして認識されていた。
「サルトルさんやカミュ先生やフロイト先生とよく話してるけど、お前だけ特別ですと言わんばなりの鼻につく態度腹立つんだけど」
「それを言ってボクにどうしろと言うんですか?」
セオドロスは早く話を終わらせるために結論を聞いた。
しかし子供たちにその意図は通じなかったようだ。
その態度を見てセオドロスは一つ引っかかった所を突っ込んだ
「継承者が憧れですか。あぁなりたいのですか」
子供たちは当然と言ったように頷いた
「当たり前だろ?!俺らも先生みたいにかっこよくなりたいし!」
「私は強い偉人を継承して沢っ山敵を倒してみたい!」
「僕は科学者の偉人を継承して色々と実験してみたいなぁ」
セオドロスはその偉人をあたかも自分を表現する為の物品とした子供たちの態度に吐き気を催した。
その嫌悪感はそのまま子供たちに伝わっており、彼らはセオドロスの反応に対して疑問と自分たちを馬鹿にされたかのような反感を持った。
「…なにお前?ここに来てからずっとウザイんだけど」
「右側使えないからって可哀想な自分を尊重しろよとか思ってんの」
「思っていません。ボクはできる限りボクだけの力で生きたいと思っています」
セオドロスは事実を伝えた。
「貴方達は偉人達を強化アイテムか何かと思っているらしい。その認識は良くないです。自分達は自分達として強く生きなくてはいけません」
セオドロスのその少し焦ったかのような話しぶりは子供たちに何か理由があると思わせはしたものの、子供たちは受肉の事を良いものとして思い切っているため響くことはなかった。
セオドロスの一貫として感情を表に出さない態度は子供たちには気に食わないものだ。
子供の一人が吐き捨てるように言った
「そのカミュ先生の黒いリボンだって、ただの依怙贔屓だろ?」
その言葉を聞いて、次に意識が戻ったセオドロスは目の前に血まみれの子供がいるのが見えた。
自分は子供の上に馬乗りになっていて、先程まで殴っていただろう右腕が白い何かに掴まれているのが目視で分かった。
ふと、自分を掴んでいる相手の顔を見るならそれはとても美しいと言ったものだろうか。透き通るように白い肌とルビーをはめ込んだような瞳を持つ相手はセオドロスを鋭く睨みながら抑えていた。
相手の顔には亀裂のようなものが見え、隙間からは赤いキラキラとしたものがある。その一部の欠損こそ全体としての美しさを見出しているのだと、セオドロスは目の前の相手に惚れ惚れしながらそちらに意識を向かせた。
「貴方は誰ですか」
セオドロスはホットココアを飲み終わり、暖かな甘さを噛み締める為のため息を着く時のような、柔く吐くように相手へ尋ねた。
「まずは名乗りを聞くのか?」
白い男性は腕を離し、自身の手に着いた血を拭った。
「治安維持チーム所属…チームリーダー。ミケランジェロだ」
ミケランジェロはセオドロスと、セオドロスに殴られた相手を見て呆れたように言った。
「殴るなら鼻の方が屈辱的だぞ」
『美は、余分なものの浄化である
-ミケランジェロ・ブオナローティ-』




