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第五話『悪霊』

『自負、嫉妬、貧欲。

これらは人の心に火を放つ火花である

-ダンテ・アリギエーリ-』

ある日の放課後、セオドロスは右側を照らす太陽の光と暖かさを左目から見ていた。

「まだ残るんだね」

カミュはトレンチコートの襟を立てながら教卓の本をまとめた。

ホワイトボードには今日の授業の内容がそのまま残っている。カミュはホワイトボードイレーザーを手に取るとホワイトボードの文字を消していった。

今日の講義は一人の小説家についてだ。

今まさにヴィクトル・ユゴーのヴィクが消えたところ


「ヴィクトル・ユゴーの逸話で好きなものがあるんですよ」

カミュはセオドロスにそう話しかけられたのを耳で感じると、少しイレーザーの手を止めたあとにまた消す動作を始めた。

今はヴィクトル・ユゴーのヴィクトルが消えた。

「それは、なんなんだい?」

カミュがそう聞き返すとセオドロスは興奮したのか高い声から始まりいつもの声で淡々と答えた。

「てが…手紙です。レ・ミゼラブルを出した時の手紙のやり取りが好きです」

「へぇ〜。なんの手紙?」

「ギネス?というものに登録されていたもので、世界一短い手紙と言われています。レ・ミゼラブルの売上が気になったユゴーは出版社に尋ね、出版社は売れていると返しました。そのやり取りは「?」と「!」のみです」

ユゴーのユゴーが消えた。

「…なんで好きなの?」

カミュが名前の次は作品のタイトルを消し始めた。

レ・ミゼラブルが消えていく。

「記号のみでの会話を成立させたからです」

レ・ミゼラブルが消えた後、次はノートルダム・ド・パリが消えていった。

「一緒にいたら話さなくても相手に伝わると言うけど、中々面白いものだよね」

カミュが少し笑いをこぼした。

「ボクはそういうものが羨ましいのです。言葉にせずとも相手を理解でき、交流することができるのは良い」

「はは……キミらしいね」

カミュはホワイトボードの文字を消していった。もうほとんど残っていない


「彼らはなんなんですか」

セオドロスはカミュの後頭部から生えてきている翼を見ながら言った。

「…彼らって?」

「この間、私の頭を血の着いた手で撫でた男達です。

彼らはそれぞれデカルト、キルケゴール、ニーチェ、ヤスパース、ヴィトゲンシュタイン。そう名乗っておられました。」

カミュは頭をポリポリとかきながら話し始めた。

「アレは…君には伝えてなかったチームだね。処刑チームだよ」

「名前からして嫌な予感がしますね」

「スターバースト…この組織の上層部直属の組織さ」

カミュはたった今綺麗にしたホワイトボードに丸と線を書き始めた。

「スターバーストはAIと人間の上層部が上にいる。彼らが私達を管理し、運営させている…けど、私達は抑えられてはいるものの構造は殆ど堕ちた星と同じ怪物みたいなものだ。向こうも警戒してる」

セオドロスは黙って説明を聞いていた。

「怪物を制するなら怪物を使う。それで生み出されたチームが司令チームさ。司令チーム、観測チーム、対策チームの三つが主軸となって他のチームにいる私達継承者を管理している。でも例外がある。それが、処刑チームだ。」

「何を処刑するんですか?」

「スターバーストの運営において邪魔な存在をだよ。この邪魔は単に反乱者だ。とか危険人物だ。とかではなく、組織の運営において本当に邪魔な存在。例えば他国の…スパイとか、こう…スターバーストとアルデバランに危険を及ぼそうとする人とかね。そんな人達を影で暗殺するのが処刑チームなのさ」

セオドロスはチームの説明を聞き、頷いた。

「では何故、哲学者なのですか?いやそもそも…」

セオドロスは以前ホワイトボードに書かれた名前を思い出していく

「戦闘チームにはアリスや赤ずきん等の名前もありました。あれは明らかに童話です。そしてその処刑チームもそう。哲学者です。戦闘や処刑などといった誰かを害する存在ではないはずです」

セオドロスの発言にカミュはその通りだと言わんばかりに指をさした。

「分かる。私もそう思うよ。でもこの選出理由を私は知らないんだ。私の…教育チームの権限では知っていい情報が限られてる」

カミュは拳を震わせながら床を見た

「…司令チームのサルトルのやつとか、心療チームのフロイト先生なら知れる情報がある。私は知ることを許されてない…」

カミュがため息をついてから深呼吸をしてセオドロスの方を見た。

「私が答えられるのはここまで、他になにか質問はある?」


セオドロスは少し考えた。

サルトルが以前言っていたことを思い出す。

目の前で今自分の為に何かを答えてあげようとしているアルベール・カミュであり、その継承者を名乗る人物の名前はロレンツォというらしい。

今目の前で、セオドロスを見ている人物は果たしてカミュなのか?ロレンツォなのか?

いやそもそも…

「教育チームの役割とは、孤児へ偉人を継承させる為の知識や、その偉人に近い存在とする為に彼らの思い出を体験させるのですよね」

「そう、だね」と、カミュは少し言葉に詰まった。

「あのような方々も、貴方達が生み出したのですね」

カミュはしばらく沈黙した後に首を縦に振った。

「彼らも元は孤児なのですね」

カミュは首を縦に振った。

「彼らも貴方も同じ、子供であった、と」

カミュはセオドロスを見つめた。

「子供は殺されたのですか。先生?」

カミュはセオドロスから目を逸らした。

「そうなのかもしれない」

「貴方は殺されたのですか?先生?」

「………」

「先生、貴方はどう思っているんですか?自分を愛し、また自分が愛した子供達が殺されるのを」

カミュは項垂れた。

「分からない…分からないんだよ…。やってはいけないとも思ってる。でも、やらなきゃいけないとも思ってるんだ。これは…これは誰かがやらなくてはいけない」

「貴方でなくてもいいはずです」

セオドロスはカミュのいる教卓へとゆっくり近づいていく

「ボクは貴方の本音が聞きたいのです。

貴方はどう思っているんですか?」

カミュの内側にタール状のものが疼く

それはひたすらドロドロとしていて、口に入れられるような流動食のように優しい感触ではなく、ただただ不快な程にボドボドと塊を保って地面に落ちながらこちらに何かを這い上がらせるもの

それが胃の中に眠っていて、今しがた喉まで来ていた。

暖かいような冷たさを感じる。


声に出そうとすると自分の吐いた息の冷たさにやっと驚く程にそれは鋭さを伴っている。一方で肺から満ちるゴポゴポとした感覚は風邪を引いた時に吐きたくても吐けずにずっとむせてしまうような位置にあり、一度むせようと口から空気を出せばたちまち自分は永遠の呼吸困難感に襲われるだろうという恐怖を思わせた。

感覚すらも分からなくなっていくほどの泥濘が口から出ようとしている。

これを言ったらダメなのだと、カミュは理性ではなく肉体で理解しているのだ、

カミュは教卓にうつ伏せるように項垂れる。

セオドロスはそんなカミュを近くで見ていた。

セオドロスは目の前にいる男がどうするのかを楽しみにしていた。

言葉に詰まっても、言葉が出なくても、泣いても、吐いても、笑っても、何かを長ったらしく話しても、はぐらかしても、どれをしてもセオドロスには良いものとして捉えられた。


教室の扉が開く音がする。

セオドロスは音の方を見た。動く触覚にカチャカチャと鳴る虫の顎__カフカだ。

「あっ!お取り込み中…だっ…たねぇ〜?…ごっ、ごめ…ごめんねぇ…?」

カフカはすぐにピシャリと扉を閉めた。

「取り込んでいないので構いませんよ」

セオドロスがそう言うとカフカは再び扉を開けた。

「そ、そうなの〜?よ、良かったよ〜、僕どうしようかと思ってぇ〜……」

カフカは教室の中に入ると項垂れていたカミュの背中をポンポンと叩いた。

「カミュ、カミュ…もう休んだ方がいいよ。一旦部屋でココアでも飲みなよ…」

「………………」

カミュはそれを聞くとゆっくりと顔をあげた。

汗ばんだ顔に張り付いた髪の1本1本は太陽の光に反射されて美しい色を見せる。

熱が籠っていたのか少し頬を赤くさせていたカミュの顔にセオドロスは目を奪われた。

カミュはそのままフラフラと扉の方に向かい、扉を支えにして外に出る前にセオドロスに告げた。

「私がどう思っているのかは、君が自由に解釈してくれて構わないよ」

そう言って去っていった。

それを聞いたセオドロスは少しだけ苛立った顔を見せた。


「あ、あのぉ…セオドロスくん」

「なんですか?」

カフカはおずおずとしながらセオドロスに定期検診の説明をした。

孤児院の子供達は身体の健康と精神の健康の状態を見る為にスターバーストの治療チームと心療チームのところに行くという話だ。

「身体と精神の健康……」

セオドロスは今までの話を考えて、嫌なものを思いつく

「それって現段階でこの子がどの偉人を継承しやすいかとかを見るためではないですよね」

カフカは言葉に詰まって、いつもよりもあからさまに焦り始めた。セオドロスはその態度で理解したのかフンと鼻を鳴らした。

「治療チームは…ノストラダムス、ハンター、ゼルチュルナー、ナイチンゲール…それで、心療チームはフロイト、ユング、アドラー…と、中々の人選ですね」

「皆いい人達だよ。ゼルチュルナー先生とか凄い親近感あるし…」

どういう意味での親近感なのか、セオドロスは少し考えたがゼルチュルナーという人物の名前に聞き馴染みがなかった。

「ゼルチュルナーってどういう偉人なのですか?」

カフカは少し驚いた様に目を見開いた。

「君でも分からない偉人がいるんだねぇ〜…ゼルチュルナー、フリードリヒ・ゼルチュルナー先生だよ。薬剤師…なんだけど」

セオドロスはそこまで聞いてもピンと来なかった。

「モルヒネ、分かる?」

セオドロスはピンと来た。

「鎮痛剤ですよね。前世界の歴史ではその強い鎮痛性と依存性により廃人を生み出したとか聞きました」

「そう、それを生み出した人なんだ」

「それは凄い」

セオドロスは声に出したはいいものの、そもそも薬物とは縁がない人生だったのでどこか他人事のように感じた。

モルヒネという薬物ばかりが有名になっているからか、それを生み出した人なんて気にしたこともなかったなと思いつつ、セオドロスは定期検診に行く旨の発言をした。


定期検診ではほとんど流れ作業のように子供達は並び、身長体重、視力や口腔内のチェックをされていた。

目の前にペストマスクの男が座っており、セオドロスはその男の前に座ってお腹を見せた。

「お腹の音を聞くぞ〜深呼吸するのじゃ!」

「はい…」

セオドロスは目の前の男がノストラダムスである事を察しながら、お腹を出した。

誰かの体温で少しぬるくなっていた聴診器が胸に当てられる。

火傷のせいかほとんど感覚のない右側は別に構わなかったが、左側に聴診器が触れた時に少しビクついた。

静かな部屋と呼吸音だけが響く間にそれはすぐに終わった。

「肺は良いじゃろ。右側の皮膚や関節の様子はどうじゃ?」

「感覚が麻痺しているのか皮膚表面の触覚はありませんが、生活に支障はないです」

「そうかそうか。他に体調面で困ってることはないか?」

「ありません」

「ふむ、ならば良し」

ノストラダムスはノートに色々と書いていった。

「じゃあ次はフロイト先生の所に行くのじゃ、扉を出て右を真っ直ぐ行ったところじゃぞ」

「ありがとうございます」

セオドロスはノストラダムスにお礼をして椅子から立ち上がり、部屋を出ていこうとした手前で止まった。

「ノストラダムス先生」

「なんじゃ?」

「砂糖はお好きですか?」

「左様。健康に良いぞ」

「それは良かった」

セオドロスは部屋を出て、フロイトの診療室へと向かった。


「座れ」

セオドロスは目の前の人物を見下ろした。

自分よりも小さい子供がいる。

頭部に刺さっているのが何かは分からないが、そこから伸びたチューブと管から煙を吸って吐き出している。

「頭のこれが気になるらしいな。これはシーシャだよ」

子供はそう言って苛立ちながら煙を吐き出した。

「いいからとっとと座れ」

子供はふかふかとした長椅子を指さした。

「自由連想法でもしますか?」

「やってる時間もやる意味もない。座れと言ってる。」

セオドロスは座った。

セオドロスの視線は目の前の子供に釘付けだった。

「貴方がジークムント・フロイトですか?」

「…そうだ」

セオドロスは唸った。

「なぜ子供の姿なのですか?」

フロイトはため息をついて、持っていたシーシャを指で弄りながら答えた。

「お前が来てからは私には仕事が増えて困ったものだ。答えよう。私が子供の姿なのはね、受肉に失敗したのさ」

フロイトはギィと椅子を鳴らして立ち上がった。

「孤児の身体に星の核を入れ、偉人としての概念を上書きする手術…正式名称あるが、通称としてそれは受肉と言われている…」

セオドロスは座った長椅子にかかった布をぎゅっと掴んだ。

「名乗ってやろう。私は心療チーム所属 夢-フロイト。このスターバーストという組織で500年も昔から生きる古株の継承者だ」

セオドロスは少し唇を歪ませた。

「500年も、ここでですか」

「あぁ、それでだ。子供の姿なのはそれが故だ。昔の技術ではね。今のように完璧ではなかった。だからだ。不本意ながら子供の見た目で定着してしまったのはね」

セオドロスは納得したように頷いた。

「私は君の求める質問に何でも答えてやれるだろう」

フロイトは椅子を持ち上げ、セオドロスの目の前にガンッと力強く置き、深く座った。

「500年も生き続けた。多くの継承者を見送ったし、多くの歴史を知っている。組織の秘密も知っている。」

フロイトは甘い香りのする煙を吐き出した。

セオドロスはその煙の濃い色の中に混じるフロイトの青い目を見た時に、ヴィトゲンシュタインに見つめられた時と同じような感覚を感じた。

ただその甘い香りが鼻腔をついた時、セオドロスの口からは笑い声が漏れた。

『力は、あなたの弱さの中から生まれるのです

-ジークムント・フロイト-』

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