第四話『この人を見よ』
『非難も賞賛もない生活を送った人々の悲しげな魂。
-ダンテ・アリギエーリ-』
セオドロスはキルケゴールとヤスパースを見つめる。
水色の髪に黄金の目を持つキルケゴールは先程であったアルキメデスに似ている。メソメソしがちなのも…似ているかもしれない。
ヤスパースは白い髪と黒い目がニュートンに似ている。ただニュートンの少し人間嫌いそうな雰囲気とは違い、ヤスパースの方は人間が好き…というか、全てを包み込む様な目をしている。
__何故似ているのだろうか?
セオドロスはヤスパースに撫でられている間ずっとジャリジャリと血により湿潤した髪の毛同士が擦れ合う音を聞いていた。
カミュとテグジュペリは言っていた。
孤児達が星の核を埋め込まれて継承者になる、と
セオドロスの頭の中でよぎった不安はそのまま口から溢れ出る事になった。
「貴方に兄弟はいるんですか?」
ヤスパースはセオドロスの心の内を見透かした様に笑った。
「いたかもね」
ヤスパースはセオドロスから手を離した。
「キミの事見てたよ」
ヤスパースが話している間、他の四人はただ黙って立っている。
「面白いねキミ、わざわざ継承者のことを呼ぶ時フルネームで呼ぶとかさ?」
ヤスパースがセオドロスの肩に手を置いて、ズイと顔を近付けた。
「衒学者かな。可愛いね。知識しか心の拠り所が無くて、さぞ辛いだろう?」
セオドロスは息を詰まらせる
「家族の死に涙も流さない。自身の身体的な損傷に対して苦しみ喘ぐ声すら出さない。同い年の子供達とは会話をしたがらないのに、偉人の概念を持った継承者には話しかけに行く」
ヤスパースがカミュが結んだ黒いリボンに触れる
「キミは特別なものが好きなんだ。特別な物に触れていると己も特別であると思えるからね。
合理的に考える癖がついたというより、そうでもしてないとダメだと抑圧しすぎた結果、そうするようになってしまったのかな。いや、キミのは天性の才能なのかもしれないね」
ヤスパースはギュッ…と力を入れてリボンを解こうとする
「抑えてちゃダメだよ。セオドロスくん。
キミの中にあるものを抑えてちゃいけない。もっとその心の泥濘を___」
「その子に触るな!!」
カミュが遠くから息を切らせて叫んだ。
叫ぶと同時にズカズカと二人の方へ歩いていく。
「これはこれはカミュ先生、お元気そうでなによりですよ」
「早くその子から手を離せ!なんだってこんな時間にお前らが!」
「仕事だったからだ。太陽-カミュ。」
デカルトが戦闘態勢に入る。
カミュはセオドロスをグイと引っ張りヤスパースから距離を離すと、ヤスパースの黒い目をその太陽の光のような黄色い目で睨みつけた。
「むしろ、貴方こそなぜこの時間に?…あぁ嘆かわしい。こんな夜に出歩くなんて………」
キルケゴールがズビズビと泣き始める。
カミュはキルケゴールの方を見ると顔を強ばらせ、セオドロスを抱き締める手を細かく震わせたがそれでも言い返した。
「愛する子が居なくなったら、探すのが親だろう!?」
「あぁ……うぅ…なんと、心を震わせる…しかし、私達は継承者…血など繋がってはいないのだ…」
キルケゴールは袖で涙を拭った。
「いたのではないてすか?」
セオドロスはキルケゴールに話しかけた
「…え?」
その声を漏らしたのはキルケゴールなのか、カミュなのか
「貴方には兄か弟がいたかと思われます。同じ様な雰囲気の方が記録チームにいまして、彼の名前はアルキメ__」
「もう帰ろうか!」
ヤスパースは声を張り上げた後に、泣いていたキルケゴールの傍にいって囁いた。
「キルケゴール、安心するといい。泣かないで、そう。私達に繋がりはない。でも、私達は実存の前に己を見せることができる。選択こそが我らが力。キルケゴール、キミの生前の努力は素晴らしいものだった。キルケゴール、キミへの試練は多くある。その苦痛を乗り越えることで、キミは一人の人間として神へと向き合うことができるんだよ」
長ったらしく囁かれた後のキルケゴールの目には光が宿った。
やがて恍惚とした笑みを浮かべ始める。
「私の選択!私の信仰!私の真理…あぁ美しい……!レギーネ、レギーネ…うふふ…」
キルケゴールが笑顔を浮かべた事に対して同じ様に笑顔を作ったヤスパースは、他のメンバーの様子を確認した。
「時間をここでかけていても意味が無い
エネルギーを無駄にした。帰るぞ」
デカルトがカミュとセオドロスの横を通り過ぎた。
その後に他の四人もぞろぞろと続いて歩いた。
ヴィトゲンシュタインはセオドロスの横を通り過ぎる時、何かを目で訴えてはいたがセオドロスには何も分からなかった。
カミュはセオドロスに向き合って出さなくてもいいほどの量の声を出した。
「大丈夫かい!?怪我は!?」
「していません」
セオドロスは淡々と答えた。
「…シャワー、浴びようか」
カミュはセオドロスの頭にべっとりとついた血を見つめながら言った。
「一人で大丈夫です」
「…そうか」
カミュが洗ってあげようか?などという前にセオドロスは先に答えておいた。
冷たい廊下を二人で歩く
空気は冷たくても、セオドロスの心は暖かい
セオドロスは時折カミュの方を見ながら、身体は冷たさを感じるのに身体の奥にある心が暖かいのは何故なのかと考え続けた。
数時間後、夜の孤児院のお風呂場でセオドロスはシャワーを浴びていた。
滝行をしている人の如くシャワーを頭にずっとかけながら椅子に座っている。
ヤスパースの発言の衒学者について考えていた。
衒学とは、学識や知識を必要以上にひけちらかして自慢する態度のことだ。専門用語を沢山使ったり、それを相手に教えることで自分の優秀さを見せつける行為でも衒学といえる。
セオドロスは自分の頭部に当てられたシャワーで水と血が綺麗なグラデーションで自分の体を伝って排水溝に流れていくのをただただ見つめていた。
確かに、自分は何かと偉人とはこうでないとおかしいと思っていたこだわりを見せた。
カミュに対しては襟が立っていないとアルベール・カミュではないと言ったり、フロイトとユング、アドラーの件に怒ったり、などだ。
他の人は知らないだろうことを当然知っているという態度をすることは褒められる行為であり、セオドロスにとってその時に得られる快楽物質は多いものだった。
セオドロスはヤスパースにそれを指摘されてもさほど気にしてはいないつもりでいた。
それは事実だからだ。自分がやっていることは全て傲慢のようなものだと自覚している。事実は覆せない。
しかしそれが衒学だと名付けられてしまってはセオドロスにとっては深い絶望になる。
衒学であると言われてしまっては、自分のやっていた行為は全て衒学であるということになってしまう。
一度名付けられてしまったものはその存在から逃れられなくなってしまう。
レプリカのケーキは、レプリカと名付けられてしまった時点でもう本物のケーキと思われることはない。
言葉とは、名前の強みとはそこなのだ。
この世の全てを洗いざらい調べても、名前の無いものなんて存在しない。
何故なら名前が無いものだと言われた時点で、その名前がついていることになる。
存在しない存在など、存在できない。
何故ならそれは認識できないのであって、認識できないのであれは存在しないのだが、それを認識できないものだとすることでそれを
__ゴンッ!
セオドロスは気がつけば自分が気絶しかけていて、呆然としたままに目の前の鏡に頭をぶつけていることをその痛みを持って知ることができた。
セオドロスはお風呂場から出て着替えた後に、自分の部屋に戻って眠りについた。
眠りたいと言うよりも、気絶して明日も目覚めなくなりたいという気持ちの方が強かったが
その日からセオドロスには異常行動が見られるようになった。
道で出会う継承者達に「貴方は誰ですか?」とよく聞くようになった。
記録チームに所属するアインシュタインにセオドロスは尋ねた。
「貴方は誰ですか」
アインシュタインはいつも通りムッとした顔で答える。
「私はアインシュタインだ」
するとセオドロスはがっかりとして、他のところに行った。
修復チームに所属するダーウィンにセオドロスは尋ねた。
「貴方は誰ですか」
ダーウィンは少し戸惑いながら答える。
「ダーウィンのはず、だ。曖昧とした答え方ですまないね。少し記憶に混乱があるみたいだ。」
するとセオドロスはニコニコとして、他のところに行った。
セオドロスはドストエフスキーのいる部屋の扉をノックする。
どうぞと言われた後に少し間を置いて扉を開いた。
「ドストエフスキー先生、質問いいですか?」
ドストエフスキーはさっきまで飲んでいた珈琲を机に置いてセオドロスに向き合うように椅子に座り直した。
「構わないよ」
セオドロスはドストエフスキーに尋ねた。
「貴方は誰ですか」
ドストエフスキーはセオドロスを冷たく見つめた。
教育チームのリーダーとして様々な子供達を見てきたドストエフスキーにはセオドロスは確かに特異な子ではあるが、何を求めているかがわかりやすい子でもあった。
だからドストエフスキーは彼の一番困る答えがなんなのか分かるのだ。
「私はフョードル・ドストエフスキー。ロシアの文学者にして一度死刑判決を受け、銃殺刑の直前に一命を取り留めた男…」
セオドロスは酷く嫌そうな顔を見せた。
「…そんな男を継承した男だ。私にはドストエフスキーを受肉する前の子供の時の記憶などもうないが、今の私はドストエフスキーを継承している。たった一人の男だよ」
セオドロスはそれを聞いて、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せ去っていった。
セオドロスは草原に座り込んでいた。
「考えあぐねているみたいだな」
横にサルトルが座った。
「ひとつ聞いてもいいですか」
セオドロスはサルトルに質問をした。
「私はサルトルだぞ」
「そっちではなくて…」
サルトルはふふと笑った。
「ではなんだね?キミが私に質問とは、一体どれほど高尚なものが出てくるのか楽しみだよ」
「継承者に行われる受肉は、星の核を孤児に埋め込むものだと聞きました。」
「その通りだね」
「認識が怪物を形作るので、継承者の方々も自分の作品や概念に姿が引っ張られているというのは足がタイヤになっていたり狐耳が生えているテグジュペリ先生を見て結論づけました。」
セオドロスはサルトルの頭部にあるその糸巻きや糸車、針を見ながら質問をする。
「サルトルさん。貴方に糸車の要素はないはずです。貴方としての概念ならばペーパーナイフが妥当でしょう。他の継承者もそう…ドストエフスキー先生の頭に刺さりっぱなしの矢も謎です。所々で偉人と関係ない要素があるのは何故でしょうか?」
サルトルはセオドロスの質問を聞いてふむと頷くと、セオドロスの胸を指でトントンと指し示した。
「星の核が何なのかは理解しているかね?」
「瀕死となった堕ちた星から出現するまさしく心臓部分です」
「その通りだね。それが認識により存在を変える力の源だ」
セオドロスは黙ってサルトルの話を聞いている。
「ま、簡単に言うとだね。倒した堕ちた星の核に、成り代わっていた存在のデータが既にログインしてあるんだ。
その元の存在の本能が出ているから、継承者の中には偉人と関係ない要素が出現するのだよ」
セオドロスは少し頭を抱えた。
サルトルは自分の頭を指し示した。
「例えば私に使われた星の核は運命の三女神だ」
「運命の三女神…ギリシャ神話に出てくる文字通りその者の運命を司る神々ですね」
「あぁ、その概念が現れているからこそ、私の頭部には糸巻きが着いてしまったんだよ」
「なるほど」
セオドロスは納得がいった。サルトルはもっとヒントをあげようと他の人の説明もした。
「カミュならイカロスの核が使われている。
蝋でできた翼で空を飛び、太陽に近付いたからこそ溶けて落ちた男だ」
セオドロスはへぇとうなづいた。
「気づくことはないかね?」
サルトルにそう言われたセオドロスは、今言われたことを思い返すが、何も気づくことはなかった。
「分かりませんね」
サルトルは再びふふと笑った。
「核と偉人が、ある程度共通性があるものになっているんだよ」
セオドロスはそれを聞いて先程の例を思い出した。
運命の三女神は文字通り運命を司る。
対してサルトルの代名詞として知られる実存主義は、自分達の選択で生き方や本質を作っていくというものだ。
人生を作るものでいえば確かに共通点があるのしもしれない
次にイカロス。ギリシャ神話のイカロスは蝋でできた翼で迷宮から逃げた後に、空を飛ぶ楽しさと自由に夢中になり太陽に近付きすぎて海へと墜落した男だ。
太陽、海、確かにキーワードでいえばカミュと共通点があるのかもしれない。
「…共通点は確かにありますね」
サルトルはセオドロスが納得いったような顔をしたのを見ると、説明を続けた。
「星の核の方には元の存在のデータがある。そのデータが全く違う奴の肉体に入り、知らない奴のデータを急に詰め込まれるわけだ。共通点がなければ自己の存在と他者の存在のギャップの差で破裂する
だから、ある程度の共通点があるもの同士で繋ぎ合わせる必要がある。
イカロスの太陽への上昇と海への墜落。アルベール・カミュの海と太陽への愛。そして継承者のカミュの…元の青年。ロレンツォの炎天下でのサッカーの記憶…とかね」
セオドロスは最後の言葉を聞き漏らさなかった。
「…ロレンツォ?」
「ロレンツォ、今の君が大好きな教育チームのカミュの元の孤児の名前だよ」
セオドロスは口を手で覆った。
「そんな、名前なのですね」
「ふ、良い名前だろう。もう今の彼はそれを覚えてはいないがね」
サルトルは立ち上がりズボンに着いた草や砂を払った。
去ろうとするサルトルにセオドロスは問いかけた。
「何故、私に色んな事を教えてくれるのですか?」
サルトルは少しだけ振り返ろうとしたが、直ぐに顔を前に向けた。
「キミだったからだ。理由はそれだけでいいね?」
サルトルは去っていった。
セオドロスの心の中の、水と血が混じり排水溝へと流れ落ちていくだけの心象風景の中に、一滴のインクが混じった。
排水溝に溜まった水を手で掬い上げても、血が混じった水しかなくて、そのせいで手に着いた汚れはすぐに落とせた。
血は簡単に落とせる。
しかしサルトルの落とした真実である一滴のインクはその排水溝の水を少しだけ黒く染めた後、もう一度と水を掬ったセオドロスの手に黒い染みを残す結果となったのだ。
『苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い心情の持ち主にとって、常に必然的なものである。
-フョードル・ドストエフスキー-』




