第三話『審判』
『我が後に続け、人々には言わせておけ
-ダンテ・アリギエーリ-』
朝食を食べ終わると教室を模した部屋で授業が始まった。
担当はドストエフスキーだ。
心の中で冗談でも賭博の授業でも始めるのかと思ったセオドロスは少し身構えたが、そんな事はなくドストエフスキーが話し始めたのは国についてだ。
この国アルデバランではなくかつてあったはずの国…
ドストエフスキーはその人の故郷、ロシアについて話し始めた。
まるで当事者のように
周りの子供たちはその話を聞いて思いつく話題といえば「寒そう」や「ピロシキ美味しそう」とか「賭博の話の時だけドストエフスキー先生ワクワクしてない?」とかそれくらいだ。
対してセオドロスは辺り興味が無さそうだった。
授業が終わるや否やセオドロスのことを知ろうと子供たちが話しかけに行く、セオドロスは一応話しかけられる事を受け入れた。
セオドロスは子供達の質問に淡々と答えていく。
セオドロスからしてみればさほど考える必要のない質問なら短く事実のみ伝えられた方が良いと思っている。
だからセオドロスの返答はどこか冷たく感じる。その冷たさはカミュとテグジュペリの二人がよくよく理解出来るほどだ。子供達ならそれがより敏感に伝わるだろう。
言葉に詰まった子供達の反応をもう何も言うことがないから黙ったのだと理解したセオドロスは休憩時間に廊下に出た。
目的地はあるもののそれそのものの存在があるのか分からないセオドロスは孤児院の中を一人で歩き続ける。
「あの…セオドロス、くん?どぉしたのかなぁ…廊下で……」
色んな書類を両手にかかえたカフカがおずおずとセオドロスに話しかけた。
「図書館はありますか?」
「図書館……孤児院にだったら子供達向けに小さいのがあるけど…」
「子供達向けでも小さいのでもなく、もう少し大きいのは無いのですか?」
「あっ、あっ…そうだよね……いや、カミュ先生からあの子は賢い!とか聞いてて……あっ、これって本人に言うべきではないよね…ごめんね……」
カフカは近くの棚に荷物を置いたあと、ノートにガリガリとペンを走らせた
セオドロスは書き終えるのを窓の外の景色を見ながら待った。
「…えーっと分かりにくかったら周りの人に聞いたらいいんだけど、多分君が見たいと思ってそうなのは記録チームの書庫にあると思うんだ」
カフカがノートを破りセオドロスへと差し出す。
切れ端には教育チーム所属 変身-カフカの名前と共に図書館利用許可証という文字が並んでいた。
「こういうのって手書きでいいんですか?」
「今手元に…その書類の紙なくて……それにこれぐらい適当な紙でも通してくれるからね。向こうのチームは…」
セオドロスはそれを聞くと、なら良いかと受け取った
「これって燃やした方がいいですか?」
「!?ダメだよ…!い、一応公的な書類?になる…から燃やさないで…記録チームの人に渡してね……それは、作品とかじゃないし…」
ビクッと触覚を伸ばしたカフカは頬をカリカリと掻きながらしどろもどろに返した。
「はい、渡しておきます」
セオドロスは満足してカフカに渡されたもうひとつの紙に書いてある地図を見ながら記録チームの所へと歩いていった。
「…」
セオドロスは廊下で立ち止まった。
頭部が落ちている。水色の髪を持ち、左側の頭にはガラスでできたツノが生えている。
しかしそのガラスは割れており、中に入っていただろう水が周囲に散っている。
すすり泣く声が聞こえた
「うぇっ…ヴェ………頭取れちゃっ…た……」
セオドロスは悩んだ。これを無視して歩いて行くかどうかを
「すみません。通報した方がよろしいですか?」
セオドロスが声をかけると頭だけの人は声だけを張り上げた。
「ギャーッ!?人がいる!ヘルプヘルプミー!!」
「分かりました。何が起きてるんですか?」
「俺の首と体が分かれちまったんだよ〜…!また部下に怒られるわ…」
「そうですか」
セオドロスは頭部を拾って頭部が前を向けるように抱いた。
「視点は低いけど目の前が見える…!」
「そりゃあ床に落ちてたら床しか見えないでしょうね」
「それはそうだね」
頭部は思った数倍重かった。
「俺今どうなってる?」
頭部が話しかけてきた。
「頭のツノ割れて中身出てますし、首から下は無いですね」
頭部はメソメソと泣き始めた。
「えーん。俺の知恵の泉流れてっちゃった。俺ねぇ〜…角の中の水が無いと頭パーで…」
「へぇ」
セオドロスは話を聞きながら濡れた地面をピチャと踏んで歩く
「……!」
頭部が思いついた。
「エウレカ!!ツノが割れて中身溢れたってことは水道水ぶち込んだら俺は賢くなれる!?」
セオドロスはこの頭部を置いていきたいなと思った。
「アルキメデスですか?」
「なんで分かったんだ…!?」
「急にエウレカ!などと叫ぶのは、その人くらいかなぁと……」
「すっげぇ〜!」
アルキメデスと話してる…割には頭部は賢くない気がしたセオドロスは改めて頭部の重さを確かめる。
「なんで首が取れてるんですか?」
「いい事思いつくと首が飛ぶんだよね」
「アルキメデスはそんなことしません。全裸で街中を走___」
セオドロスに電撃が走った。
頭部が話しかけてきてることはもうどうでもいいのだが、体がない。そしてアルキメデスはエウレカ!と叫んだ後に____
「貴方の身体は全裸で走り回っている…!?」
「そんなことないよ!!!!!!!」
頭部は必死の弁解をした。
セオドロスは何とか歩いていった後に記録チームの部屋に辿り着いた。
「お、なんの用だったの?」
「図書館に行きたくて」
「そりゃ任せてくれ」
頭部はニコニコと笑った。
「まず体を探さないと」
セオドロスが頭部を抱きながらどうやって扉を開くか考えていると、向こう側から扉が開かれた。
「……リーダァ…何をなされているのですか……」
顔の半分が樹で侵食されている黒目の男性だ。
背中から生えた樹の触手からは林檎のようなものが成っている。
「ニュートン!見ての通り!身体知らない?」
「はぁ…知っておりますよ。リーダーアルキメデス……ちょっとこれ借りるね」
ニュートンと呼ばれた男性はアルキメデスの髪を片手で掴むとスタスタと奥に歩いていった。
数分後、完全復活をしたアルキメデスがニコニコとしてセオドロスを歓迎した。
「命の恩人だよ!君は!」
「この程度で命の恩人なら、この組織にはどれほどの恩人がいることだろうね」
アルキメデスとニュートンを見ながらセオドロスは二人を見比べた。
おおよそ自分の知っているアルキメデスとニュートンっぽくはないなと思った。特に前者。
「で?なんの用なんだ」
「図書館に行きたいです」
「子供が?……教育チームの人間の許可証は?」
「あります。カフカ先生はこれでいけると言ってました。いいですか?これで」
セオドロスはアルキメデスの件でびちゃびちゃになったノートの切れ端を渡した。
流石にダメかな…と思ったが、まるで汚いものでも触っているかのように親指と人差し指で限界まで持たないように切れ端を持ちながら見つめたニュートンはOKを出した。
「この字は確かに教育チームのカフカ先生のものだし、それにこれが濡れたのはうちのリーダーのせいだしね。いいよ」
「ありがとうございます」
セオドロスは図書館の扉へと向かった。
「あぁっと…待った!」
セオドロスは扉の前でピタリと止まり、ニュートンの方を見た。
「中に一人いるけど、気にしないでね」
「図書館は元より、人がいるものですよ」
セオドロスは図書館に入った。
図書館に入ったセオドロスは満足した。
求めてた本が沢山あるからだ。
ジャンル分けが丁寧にされており、フランス文学やロシア文学、哲学や数学に歴史など様々だ。
どれもこれも綺麗だが、綺麗すぎている。
電子機器が流通しているからこそ、本で読もうという人が少ない。
セオドロスは目的の本を手に取り机に座った。
向こう側の席には小柄な男性が座っている。
男性は紫の髪を持っている。眼鏡をかけているが左目はどこかおかしい。機械のような構造をしていて、黒いパーツが蠢いている。
頭の近くには車輪が動いていて…それに紡がれている糸はその男性の頭部にある糸巻きに収納されていっている。
セオドロスはもう驚かなかった。
そんな奇怪な見た目をしているということは彼も継承者なのだ。
糸の要素を持つ偉人…?
セオドロスは1枚も捲っていない目次のページを見つめながら考えた。
「…で、キミがカミュの言ってた教え子ってことね」
男性から声をかけられた。
「カミュ…先生がどうかしましたか?」
「キミが昨日、来た子供なのは分かっているよ。ただ勉強熱心だねと言いたかっただけさ」
男性が机に本を置き、椅子から立ち上がった。
セオドロスはその拍子にその男性が読んでいた本のタイトルを見る。
「…フランス哲学の歴史………」
セオドロスはそう呟くと男性の方を見た。
「勉強熱心で相当に賢いキミなら、これを聞けば分かるだろうね」
男性はセオドロスに近付いた。
「実存は本質に先立つ……どうかね?」
「ジャン…ポール・サルトルですね?」
「正解だ」
サルトルはパチパチと拍手を送った。
「キミは偉人については詳しいと聞いたことがある。無論カミュからね」
「………」
セオドロスは持っていたロシアの歴史の本を閉じた。
「…サルトルがカミュを語るだなんて、面白いですね」
「おや、そう思うかい?」
「カミュ=サルトル論争は有名ですよ」
「ははは…」
サルトルは近くの本棚に本を戻した。
「カミュ先生とは仲良いんですか?」
「一応ね。今はなんだかんだ仲良くやってるよ」
セオドロスはその言葉を聞くと納得いかないように本を強く握りしめた。
「……あそこは、決別した仲だからいいんですよ」
「…」
「サルトルとカミュを合わせて、今は仲良いですよ?ですか?
面白くもないコメディア見せられても、嫌な気分になるだけです」
「そうか、キミはそう思うのかね
かつて死んだ奴らは、そのままそこで忘れられて朽ち果てるべきと?」
「忘れ去られてなどいません。偉人は偉人です」
「死後も記憶されるその人は、もうその人本人ではなくただの別人になるのだよ。キミ…」
サルトルは鼻で笑った。
「カミュが亡くなった時は、悲しかったさ」
「嘘をつかないでください」
「私は今、また彼に会えて嬉しいと思っているよ」
「……両方もう死んだんですよ」
サルトルはポケットの中にタバコとライターがあるのを触って確認すると、一服する為に外に出ようと思った。
その前に伝えておくべきことがあるという使命感がサルトルの思考の中に入り込んだ。言っておかなければいけないかもしれない言葉だ。
「…そのままじゃキミは生きづらいだろうね」
セオドロスはムッとした。
「私は生きづらさを感じておりません」
「今は…ね。いつかは」
「来るかも分からない未来のことなど、考えていても意味はありません」
サルトルはせせら笑うとセオドロスの横に近づいて囁くようにヒントを与えた。
「恐らく未来で、キミが求めるだろうものはこの図書館のあそこ…3階の奥の鍵が着いた部屋にある」
「…は?」
セオドロスはサルトルの方を見つめた
「このスターバーストにおける…偉人ではなく継承者の歴史がまとめられた記録の保管所だよ」
セオドロスはサルトルを凝視していたものの、それを聞くやいなやサルトルが指し示した扉の方角を見た。
「………」
「キミのわだかまりはきっと、キミ自身で見つけていくしかないものだ
まぁ、頑張りたまえよ」
サルトルはセオドロスの肩をぽんと叩くと、そのまま出ていってしまった。
セオドロスはサルトルが読んでいた本を本棚から取り出し、次に読む本として今読んでいる本の横にドサッと置いた。
すっかり夜になっているのか、時間の感覚がわからなくなっていてももう遅い時間だと言うのが体感でわかる。
そろそろ帰らないといけないと思ったセオドロスは大量に読んだ本を読む前のワクワクと探し出していた時間と同じかそれ以上かけて元に戻した。
本を戻す時、どこにあったかを思い出すまでにその本があった隙間を探さなければならないのは大変な作業だった。
持ち出した本が多ければ多いほどに
セオドロスは図書館の扉を開けた。
開けた拍子に外から流れてきていただろう冷たい風が頬を撫でる。
セオドロスは帰るために歩き始めた。廊下の窓から見える夜空を見ながら
冷たい空気は、嗅覚を鈍らせていく
吐く息は白く、それが視覚的にも今は寒い冬だと言うのを分からせてくる。
セオドロスは足を止めた。
鉄の香りではない、確信を持って言える。血の香りがする。
冷たい夜の廊下で立ち止まると、途端に自分がこの建物を構成する心臓になったのではないかと誤認する程に心臓の鼓動が大きく聞こえる気がする。
心臓の動きで、思わず足が浮きそうな程に強く鼓動する自分の体は向こうから来る存在がどれほど見た目よりおぞましいのかを本能で分かっているようだった。
五人組が歩いてくる。
見た目は今までの誰よりもちぐはぐな気がした。
中心にいる人間には獣のような耳と、鯨の尾がついている。
その左には女性が鎖を連れて歩いていて、その左の人物は手に付いた血を拭いながら歩いていた。
右側には黒いコートを着てハンカチで顔の半分を隠している人物と、兎耳を持ち口枷をつけた人物がいる。
ただパッと見でおかしいと思えるのは血塗れの彼らの殆どが拘束されている所だ。
「…子供がいる。邪魔な点は消し去るに限る」
鯨の尾を苛立たせながら相手はセオドロスに対して話しかけてきた。
「デカルトリーダー…。教育チームの孤児院の子供ですよ。殺すのはやめておきましょう?まだ命令が来た訳でもありませんから…」
手を拭いていた男性はデカルトを優しく諭すと、デカルトはいつの間にか持ち出していたナイフをしまった。
「ヤスパース…お前のその甘い癖はどうしたら直るんだ…」
デカルトが忌々しそうに漏らした。
「勉強熱心は良い事だ!頑張りたまえよ…!ハッハッハ!なぁ、お前もそう思うだろうキルケゴール!…キルケゴール?お前はまだメソメソしているのか…!ハッハッハ!!弱者め!」
コートを羽織った男は血濡れた鎚を持ちながら大声で笑って女性の背中を強く叩いた。
「う……これ程までに勉強をしている子供も…いつか、いつかは罪を犯し、殺されるのですね…なんて絶望なんだ…あぁ…!」
キルケゴールと呼ばれた女性は涙を袖で拭きながらコートの男から逃げるようにヤスパースの後ろに隠れた。
「ニーチェ、キルケゴールを強く叩くな…」
デカルトはニーチェを制止させた。
「ふん、弱きが故に悪いのだ」
セオドロスは一連の流れを見て大体を察した。
鯨の尾がルネ・デカルト
手を拭った男がカール・ヤスパース
泣いている女性がセーレン・キルケゴール
コートの男性がフリードリヒ・ニーチェ…
あと一人は分からない。ずっと喋っていない事と、兎の耳鳥の嘴…そして彼らが恐らく哲学者の集団から察するに…
「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン…?」
兎耳の男は驚いたように耳をピンと立てた。
「凄いなお前、私達を見て恐怖よりも先に偉人を当てるか」
ニーチェが話しかけてきた
「恐怖する気持ちもありますが、それをしていても仕方ないので」
「仕方ない…ね。面白い人間だ。貴方は」
ヤスパースがセオドロスに近付く
セオドロスは不思議とヤスパースに包容力のようなものを感じた。
どこか拒絶できない、全てを委ねたくなるような感覚。
「キミがどんな偉人を継承するのか楽しみだよ」
ヤスパースは拭えきれずに血で濡れていた手でセオドロスを雑に撫でた。
「あぁ…!少年の髪が、血で汚れてしまいます!」
キルケゴールは泣いていた。
セオドロスはそこまで近くに来たヤスパースの黒い目と、メソメソ泣いているキルケゴールを見ながらふと思った。
つい先程出会った記録チームのニュートンとアルキメデスに、やけに雰囲気も髪も目の色も似ているな。と
『言葉とは、弾丸が装填されたピストルである
-ジャン=ポール・サルトル-』




