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集約篇 最終回 『功利の怪物』

『功利の怪物

アメリカの哲学者ロバート・ノージックによる思考実験

架空の存在である功利の怪物は他の誰よりも遥かに多くの幸福を感じることができる


一つのお菓子を食べて1の幸福を得る人間と、1000の幸福を得る怪物ならばお菓子がいくつであろうと全てのお菓子を怪物に与えるべきだというものである。

功利主義は個人の幸福の総数が社会全体の幸福であり、これを最大化するべきという考え方である。この功利の怪物は一人で幸福の総数を上げる為、功利主義の弱点を突いたものである』

セオドロスは目の前の出来事に焦りを感じると共に、警告音が聞こえないことから建物が上手く機能していないと考えた。

セオドロスは監視カメラの方を見る。

フーコーがわざと見逃しているのだろうか

ダンテはずっとカムパネルラを押し退けて目の前の人間である者を殺そうとしてきていた。カムパネルラはミヤザワを守る為にもその攻撃を塞ぐように身を挺して護っている。

ミヤザワは介入することもできずカムパネルラの無事を祈りながら様子を見ていた。

ボッティチェリはダンテを見つめては恍惚の笑みを浮かべている。

「本物だ……ぁは…」

セオドロスはそう呟くボッティチェリを見ながら、何が本物なのだろうと思った。

目の前の怪物がダンテ・アリギエーリな訳がない。

ボッティチェリの祈る手に光る指輪を見てセオドロスは気付いた。

「仮称:Nの指輪をつけているのに、何故彼らは両方我々のことを認識できているのですか?」

その言葉にハッとしたミヤザワも、自身の指輪を見た。

「……本当だ」

セオドロスは最早指輪は意味の無いものだろうということを伝え、指輪を外すように言ってから自分の指輪を外した。

ミヤザワは言う通りにしたが、未だ恍惚状態のボッティチェリを説得するのには苦戦しながらも外す事に成功した。

「地獄の主!我らがダンテ…!」

ボッティチェリはダンテにそう呼びかける。

その声を聞き入れたのか、ただ煩い羽音の主を先に殺す為なのか、ダンテはカムパネルラに対して攻撃を与えながらボッティチェリの方を向いた。

誰かを愛して、誰かの為に苦悩をする事を繰り返して生きる人間という生き物への慈悲と慈愛を無くした瞳がボッティチェリを捉える。

ボッティチェリはそれと目が合った時、言葉を失った。

セオドロスはボッティチェリのその様子を見て、より異常なことが起きていることを理解しボッティチェリの肩を揺すった。

しかし反応はない。反応が無いうちに目から血を流し始めた。

「ボッティチェリ!?」

セオドロスはより強く揺するが、ボッティチェリはただ「地獄が見える…」とうわ言だけを漏らしニコニコとしている。

「……じ、地獄の幻視………」

確か三回目のループであった事だ。ダンテと目が合った人間は総じて地獄を目にする。

その地獄は人に許されない範囲での凄惨さを見せる。

それを見せられたものは苦しんだ後に死んでいったのだ。傍から見ればただ恐怖に震えているだけに見えていたが……

「ああ!なんて美しいんだ……っ!今すぐに画用紙をッ!この美しさを遺さなければ…!それこそ我が使命!我が天啓!!」

ボッティチェリは嬉しそうにしながら、病人のように震えながら立ち上がり、鞄から画用紙と銀筆を取り出した。

セオドロスはその様子をひとまずは正常と判断し放っておくことにした。

現段階で行うべきはダンテの封じ込めだ。

どうにかして元の檻に戻さないとまずいだろうと思ったセオドロスは自身の内にある天国篇の力を出すことを試みた。

圧縮した光を指先に集中させ、ダンテを撃ち抜こうとする。

過度な集中を行うことに加え、カムパネルラがダンテから離れた時であり、ダメージを与えた時の負荷が高い所を狙わなくてはいけない。

もし尾の先端などのさほどどうでもいい所を狙ってみよう。あの怪物はすぐさまそれを再生させてみせる。

そしてセオドロスの存在に不可解さを感じ、2射撃目を警戒することだろう。それだけは避けないとまずい。

ミヤザワはセオドロスがやろうとしている事を理解して、タイミングを見てカムパネルラに避けさせる声掛けを行うことを目で合図した。

ダンテは尾を翻し、地獄の炎で形成した槍を投げる。今までに無い攻撃方法だったソレは今まで以上の殺意と憎悪を込められていた。

カムパネルラは今までと同じようにミヤザワ達の前に走り出し、地獄の炎を相殺しようとするも間に合わず槍が胴体を貫いた。

貫通した周囲の皮膚を焼き焦がすように肉が焼けていく。燃え盛る炎はカムパネルラを内側から焼き尽くさんとしていた。

「カムパネルラ!しゃがんで!」

ミヤザワが思わず叫ぶと、カムパネルラは足を折りながら床に伏せた。

セオドロスは床に伏せたカムパネルラより上の、ダンテに標準を合わせる。

ダンテはカムパネルラという邪魔者を退けることに成功し、目の前の人間を殺そうと走り出した。

前のめりの姿勢になったダンテの胴体にセオドロスは光弾を発射した。

天国篇の光の概念を圧縮して放たれた光弾は、反動により少し起動がズレたもののダンテの右半身に直撃した。

内蔵ではなく地獄が詰まった肉体の中身からはタールのようなものがボトボトと落ちている。

ダンテは自身の軽くなった体重を支えきれず、地面に崩れ落ちた。時期に再生し切るだろうと、セオドロスは2射撃目を構える。

全て破壊し、肉体を軽くしてから元の収容室に戻すことが今求められることだ。

ミヤザワはこの隙にカムパネルラから炎の槍を引き抜こうと、両手で掴み引きずり抜いた。

「…熱ッ!」

抜いた後にその炎の熱さを認識したミヤザワは服に手を擦り付けて炎を消そうとする。

しかし、それは消えることなくミヤザワの手をじわじわと焼いていった。

カムパネルラは自身の身体を蝕む地獄に苦しみながらも、ミヤザワのその様子を見て焦って近付いた。

その巨体から息を一生懸命に吹きかけて、カムパネルラは炎を消そうとするも叶わない。

ミヤザワは焦りながらもカムパネルラを心配させないよう激痛に耐えながら笑ってみせた。

「カムパネルラ…なんだかこれ、サソリの炎みたいだねえ、覚えているかなあ、女の子が言ってたねえ、サソリは……サソリの炎は…」

ミヤザワの腕の炎は胴体を目指して燃え盛る。

セオドロスはミヤザワの手が焼け焦げているのを横目で確認した。

「ミヤザワ…腕を上に上げてくれませんか!」

その声を聞くと、ミヤザワは言う通りに両腕を上げた。セオドロスはその両腕に対して光弾を発射する。

光弾が当たった両腕はちぎれ、炎を纏ったままその破片は床に落ちた。

ミヤザワは最初は驚いたものの、燃え続けて焦げて焼き消えた己の腕の肉片を見た後、セオドロスの意図を理解した。

「…ありがとう」と、ミヤザワはセオドロスに笑顔を向けるが、激痛が走っているようですぐに苦痛に顔を歪ませる。

カムパネルラが涙を流しながらミヤザワに寄り添うと、ミヤザワのその両腕の苦痛は火が空に溶けるようになくなっていった。

「カムパネルラ……こんな時にまで君は……」

セオドロスはミヤザワとカムパネルラの無事を確認すると、ダンテの方を見る。

殆ど肉体は戻ってきていたものの、天国を与えられた衝撃は強く再生させても動きは鈍い。

地獄と煉獄に縛られた罪ありきの存在に神の愛は理解しえない甘美となる。ダンテは怒りの表情をしているものの、その甘美を享受している。

天国にも、神にも抗いアレは人類を根絶やしにしたがっているんだろう。

そんな怪物に対してセオドロスは今度こそという期待を込めて構えるも、横からボッティチェリが止めに入る。

「邪魔しないでくださいボッティチェリ!」

「まぁ待てセオドロス!見ろよ!あの地獄の主を!天国の甘美を知りながらもそれに甘えることなく、縋ることなく人に罰を与えんと立ち上がるあの主を!美しいだろう!?素晴らしいだろう!?」

ボッティチェリは完全にタガが外れている。

元々影響下にあったのがダンテに遭遇したことで拍車をかけているのか、ボッティチェリ自身がそれに傾倒しすぎているかは分からない。しかし目の前の男を異常だと判断したセオドロスは腕を振りほどこうとした。

「全然素晴らしくないです!美しくもありません!貴方は異常者です!!」

「セオドロス…!?ぁあはは!あはは!セオドロス!お前は分かっちゃいない!あの美しさ!分かったろう!?お前が何を異常者といったかは知らないが!正常か異常かを人が勝手に判断するように!同じように!美とは理解できるか理解できないかだ!!お前はまだそれを分かっちゃいないんだな!?可哀想に!可哀想に!可哀想に!!」

「ッ!分かりたくありません!!離してください!今ならまだ間に合う!アレを無力化させなければ皆死んでしまう!」

言い争いをするセオドロスとボッティチェリの間を、両腕がないミヤザワが割り込み、ボッティチェリを抑え込むように上に乗った。

「セオドロスの言う通りです…!落ち着いてくださいボッティチェリさん!普段から分かり合えないとは思っていましたが、今だけはこのご無礼をお許しください!」

そう言うとミヤザワはボッティチェリの頭に思い切り頭突きを与えた。

「ぐえっ!?」

ボッティチェリは頭を抑えてうずくまり、静かになった。


「ギャァアアアアアア!!!!」

ダンテは雄叫びをあげる。

その声は地獄で苦しむ罪人の叫び声のようで脳に衝撃を与えられたミヤザワとセオドロスは耳を塞いだ。

カムパネルラも身を縮めて音から逃げるようにミヤザワ達の後ろに回り込んだ。

荒い息づかいをして肩を上下させながら身体を再生させたダンテはよろめきながらも立ち上がる。

カムパネルラは再びダンテの前へ出て、それに合わせセオドロスもカムパネルラの横でいつでも撃てるように手を構えた。

ダンテは地獄の炎を床から湧き立たせ、攻撃に備え始める。

「__待って!」

廊下の奥から二人組が走ってきた。

テグジュペリとカミュだ。

テグジュペリとカミュはダンテとカムパネルラの間に割り込んだ。

「この子に攻撃をしないで!セオドロス!カムパネルラ!」

ミヤザワはテグジュペリの様子を見て、カムパネルラに落ち着くように話しかけた。

カムパネルラは警戒を解いてミヤザワの傍へと戻る。

しかしセオドロスは攻撃の姿勢を崩すことなく構え続けている。

「セオドロス、聞いていただろう?警戒を解くんだ」

「カミュ、嫌です。目の前のアレは怪物です。何しに来たかは知りませんが__」

「君たちを止めに来たんだ!」

カミュは話の途中だったセオドロスに飛びかかり、両腕を後ろに回すように押さえつけた。

「…カミュ!カミュ……離してください!」

「嫌だ!落ち着け!頼む!落ち着いてくれ!」

セオドロスが押さえつけられている間に、テグジュペリはダンテへと語りかける。

「ダンテ……ダンテ…出てきちゃったんだね…」

ダンテは自身に歩み寄るテグジュペリに驚きながら、彼を傷つけない為にも炎を弱めた。

「…?」

セオドロスはそれを見ると、違和感を感じた。

「ダンテ、ガラス越しじゃないの…久しぶりだね

元気そうで嬉しいよ……久しぶりに外に出て、色々とあって…ビックリしちゃったんだね」

優しく語りかけるテグジュペリの元に、おぼつかないながらもダンテは近付いて甘えるような声を出して頭を差し出した。

差し出された頭をテグジュペリは優しく撫でる。

「…どうしてですか?ダンテ・アリギエーリとアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリに関係性はないはずです」

セオドロスの質問に、カミュは「君は…それでしか考えられないのか」と苦言を呈した後に語った。

テグジュペリが教育チームの先生だった時期に、メテロという孤児を愛していたことと、そのメテロが目の前にいるダンテだと言うこと。

ダンテという完成者と成った後も、ダンテはテグジュペリのことを微かに覚えていて、テグジュペリ自身もよく面会に来ていたこと……

「信じられません。アレは偉人そのものに成ったのですよね?」

セオドロスは質問した。カミュはそうだと答えた。

「では何故、覚えているのでしょうか」

カミュはさぁねと答えた後に「彼が彼だったからだ」と答えた。

セオドロスが落ち着きを見せたことを確認して、カミュはセオドロスの拘束を解いた。

セオドロスはカミュの方を見ることなくダンテとテグジュペリを見ていた。しかし、セオドロスの思考を邪魔するようにカミュはセオドロスに話しかけた。

「セオドロス、その黒いコートまだ着続けてくれてたんだな」

セオドロスはカミュの質問を少し煩わしいと思いながら「えぇ」と答えた。

「お前が居なくなって…悲しかったんだぞ」

「…そうですか」

「無事で良かった」

「……」

「変わらないな」

「変わりませんよ。ボクは」

「そのままでいてくれ、セオドロス」

「言われなくてもそうします」

「………」

カミュはセオドロスの横に立った。

セオドロスはダンテとテグジュペリを見続けていた。

「そんなに気になるか、彼らが…」

「ボクには理解できないものなので、ダンテが何故テグジュペリにあそこまで懐くのか」

「それが心だよ。あと絆」

「分かりませんね」

「はぁ〜……その調子だと、私がどこまで君のことを想っていたかも、分からないね?」

「分かりませんね」

「…これくらいだよ」

カミュはセオドロスの頭を撫でると、そのまま抱き寄せた。

「カミュ、急に抱きつかないでくれませんか?苦しいです。あと、ダンテが暴れた時に攻撃ができません」

「しなくていい…しなくていいんだよ…全く………ドストエフスキー先生から聞いた。ミヤザワのメモ帳の又聞きで…お前、何回も同じ時間繰り返してるんだってな。セオドロス」

「そんなに多く繰り返していません。まだ7回です」

「…多いんだよ。セオドロス」

「分かりませんね」

「その7回の間で、私はどうなっていたんだ?」

「全て、死にました」

「そうか、7回の間で、お前はここに帰ってきたか?私はお前と会っていたか?」

「いいえ」

「……そっか」

カミュはセオドロスを抱く腕の力をより強めた。

「苦しいですよ。カミュ」

「セオドロス…なんで、時間を繰り返してるんだ」

「堕ちた星を殺す事と、継承者達の…子供としての自我を偉人の概念から、堕ちた星という核の本能から救い出す為です。その…それが目的なのですが、その道中で……色々と起きるので、それを止める為にも」

「……ありがとう」

「何故感謝をするのですか?まだボクは何もできていません」

「してくれようとしてくれるだけで、嬉しいんだよ」

「まだ、終わっていません」

「それでも、それでもだ」

「……」

「セオドロス、誰にも…君は理解できないんだと思う」

「ボクは理解されたくありませんし、人の事なんて誰も分かりせんよ。ボクだって、貴方の事が分かりません」

「セオドロス…それでも人は、その分からないを超えて愛せるんだよ」

「分かりません。分かりませんよ。カミュ…貴方が何故強くボクを抱きしめるのかも、そもそも…なんでそんな無意味な話をするのかもです」

「私は君を愛しているからだ。セオドロス」

「そうですか」

カミュは目の前のダンテとカムパネルラを見ながら、諦めたように話し続ける。

「きっとこの世界もダメになる。お前はまた繰り返すことになる」

「………」

「セオドロス、そのままでいてくれ。その目的が何回目で達成されるかも分からない。私には、君の苦労を知れるほどそれを話してもらえる時間が残ってない」

「次こそは必ず」

「セオドロス……あぁ…どうしてそんな事に…」

「なぜ泣くんですか。カミュ」

「別れは悲しいものだよ。セオドロス、それもただ死ぬんじゃなくて新しくやり直すのなら尚更だ。君は何度も誰かと出会っては別れて、それを何度も繰り返すんだろう?

それはとても辛いんだよセオドロス…」

「ボクは辛さを感じていません」

「セオドロス…私はそんなお前が、オレは悲しいんだよ……

それを辛いと思わないとダメなんだ

何回も繰り返して、何回も挫折して、何回も何回も同じことや、また別のことをやり直して、周りのように死ねず、死ぬことも許されずに生き続けて……それも、他者のためならもっと辛いはずなんだよ。誰かの為に生き続けるのは、自分の為に生き続けるより辛いんだ。

辛いと思わないとダメだ。セオドロス……」

セオドロスは自分に抱きついて泣くカミュの気持ちを、なんとか分かりたいと思った。

しかしどうしても分からないセオドロスは、ただ立ち尽くしていた。

「利己的に動く人間は、欲望のままに他者を使う人間は良くないですよ。カミュ」

「いいんだ。いいんだよ。やったって…誰だってそうだ。利己的な人間なんだ。だからそれをダメだと思っちゃいけない。誰かに迷惑をかけるからやってはいけないだとか、他の誰かの事を思わずに生きて、人に迷惑をかけて、自分のやりたいことをやる。それをやる事だって人間にとって必要なんだよ

オレはお前を人間にしたいんだ。セオドロス

だから、だからなにか望みを言ってくれ。自分の心のそこから…何がしたいって願望を、言ってくれ」

セオドロスは分からなかった。

ミヤザワとテグジュペリとの接触でカムパネルラとダンテは落ち着いているものの、制御が効かなくなる時間が来ないとは考えられない。

こんなことをしている場合ではないのに、何故カミュは自分の為に泣き、まだ終わるとも限らないのにもうすぐ死ぬとも言わん限りに最期の言葉を告げるのだろうか

そんなことを考えるセオドロス自身も、どこかもうすぐ終わりが来るのではないかという思いが渦巻いていた。

だからセオドロスはそんな戯言を言ったカミュの言う通りにして欲しいことを頑張って思いつくようにした。

「考えても分かりませんでした。こういう時人ってキスするんでしたっけ」

「お前はロマンチックな本ばかり読みすぎだ。バカ、男同士だぞ」

「愛に性別は関係ないのでは?唇同士を触れさせる行為は人間という形に囚われず様々な動物間で行われる行為でしょう?犬に対してもそうです。

人は…愛や祝福を表す時にキスをするんじゃないんですか?カミュ、だからボクは貴方とキスがしたいです」

「ッハハ…いいよ」

カミュはセオドロスに抱きつくのをやめて、涙を袖で雑に拭き取ったあとにセオドロスの顎を引き寄せてキスをした。

傍から様子を見ていたミヤザワは「わぁ」と声を上げてカムパネルラが見ないようにお目目を塞いだ。

セオドロスは3秒で終わると思っていたその行為がいつまで経っても止まない事に疑問を持ちながらもカミュが口を離すのを待っていた。

自身の唇から割り込むようにカミュの舌が入るのに気付くと、セオドロスは驚いてカミュを引き剥がした。

「何をするのです!?」

「アハハ!冗談、冗談さ。セオドロス……にしても良かった。

恥らえるくらいには、感情があって」

セオドロスは真っ赤になった顔に気付かず、カミュに対して困惑が入り交じった目で抗議をした。

「キスという行為に舌を入れる工程などありません!二度としないでください!」

カミュはセオドロスの抗議を笑って聞いていたが、しばらくして笑うのをやめた。

「セオドロス、どうかそのままでいてくれ

何があろうとも、自分を変えないでくれ」

カミュはセオドロスの肩を掴んだ

「私は…お前がベアトリーチェの受肉に失敗するように仕向けられて…殺されて欲しくなかった。いや、それより前に…

私は孤児達に、継承者になんてなって欲しくなかったんだ…私自身だって、気が付いたらカミュの継承者になってて……自分っていうものがわからなくなるんだ。

子供の未来を潰して別の誰かを擦り付けるのは、子供を殺すのとなんにも変わらない。だから、それで生まれたオレは、それがそもそも嫌いだったんだ……」

「………」

「だからお前がセオドロスのままでいてくれて嬉しかったんだ」

「…カミュは、カミュでいることが嫌なんですか?」

「嫌じゃないんだ。周りの人達も、嫌いじゃない…けど、そもそもとして人間は誰に決められた訳でもなく生きられる。その選択をこんな形で無駄にして欲しくないだけだ」

「…カミュ、貴方の望みはなんなんですか?」

「私の願いは多いよ。セオドロス、でも君にだけの願いは三つだけだ」

「三つは多いですよ」

「七回を多いと言った人に言われたくないです」

「ハハ……セオドロス、どうか私を忘れないでくれ。アルベール・カミュでも、カミュという継承者をじゃなく、今ここにいる私という存在を忘れないでくれ

二つ目…いつか、その意味が分からないとしても幸せになってくれ。必ず目的を果たして、皆を救ってあげて…そのお前の目的を果たした先に、幸せがあるはずだから…

三つ目……三つ目は…」

「三つ目はなんですか?」

カミュは少し悩みながらも、三つ目を伝えた。

「どうか人の愛を知ってから死んでくれ」

「………分かりました。貴方の望みを必ず遂行しましょう」

「本当かなぁ、100回くらい繰り返したら、忘れてしまいそうだ」

「忘れません」

「本当?」

「えぇ、約束です」

「……ありがとう」

カミュはセオドロスから手を離して、笑顔を見せた。

セオドロスは何となく離れて欲しくないという気持ちが心の中に渦巻いたのを感じると、それをかき消すように頭をポリポリと搔いた。

ダンテとテグジュペリの方を見ると、ダンテはすっかり落ち着きを見せてテグジュペリの周りを囲むように立っていた。

カムパネルラとミヤザワも同じように落ち着いていて、一番忙しそうにしているのは床で銀筆を走らせながら画用紙で地獄の風景を描いていたボッティチェリだ。

ミヤザワはボッティチェリの近くに行くと「こら」と言いながら頭をぽこんと殴った。

「何をするんだ〜!まだ地獄は描ききれていない!」

その様子を見ながらカミュは笑っていた。

セオドロスは今なら、そもそもの目的である仮称:Nの所へカムパネルラを連れていくという目的を達成できると思った。

「動くな!!」

その安寧を打ち砕くように大人数の足音と、銃がカチャカチャとぶつかり合う音が響いた。

セオドロスは音のほうを見ると、武装をした集団が武器を構えている。

恐らく上層部の特殊部隊だ。武装を見るに完成者の鎮圧の為のもので…その奥に……

「長く時間をかけることほど、愚かなものはありません

ドストエフスキーが提案した時間を越えたのでストップをかけに来ましたよ」

フーコーが立っていた。

カミュは手を挙げて膝を着く。敵意はないから撃つなという姿勢だ。

ボッティチェリは正気を取り戻したのか絵の続きを書くことなく、怯えたように手を挙げた。

ミヤザワもカムパネルラの前に立ち、同じように手を挙げた。

セオドロスは何も支持されていない状態で降伏をしても意味が無いと思いながら、棒立ちでいた。

しかしダンテは、彼らを見た途端に怒りの表情を露わにする。

地獄の炎が再び燃え盛らんとしていた。

部隊の人間は銃口をダンテに向け、ダンテに敵意があるとして発砲をした。

ダンテの前にいたテグジュペリはそれを庇い右肩を撃ち抜かれる。

ダンテはそれに気付くと、より憎悪を沸き立たせていた。

「お願い!お願い!撃たないで!この子を怒らせないで!やりたくてやっているんじゃないんだ!お願いだから来ないで!貴方達に敵意があると分かると、この子が反応してしまう!!」

テグジュペリは必死に部隊に対して撃たないことを訴える。

すぐさまダンテの体を押さえつけるように、撃ち抜かれた右肩の痛みを感じたまま抱きついた。

「お願いダンテ、彼らを攻撃しないで、彼らは悪気があってやっているんじゃない。指示で、やるしかないんだ。彼らには悪気がない。お互いに争わないで、ボクは大丈夫。すぐに治せるから…だから落ち着いて、落ち着いてダンテ。思い出して、人は…暴力を使わずに分かり合えるから、お願いだから人を傷つけようとしないで……地獄に堕ちていかないで、ダンテ…」

テグジュペリの必死の問いかけを、ダンテは聞き入れたのか怒りを露わにしながらも攻撃はせずに待っていた。

「さてどうしましょうか。素直に戻っていただければこちらとしても安心なのですが、貴方達はここからそれらを連れ出すことが目的なのですよね

そうであれば、私も見逃すことはできません。

十分に時間を与えたつもりでした…その時間を越えてしまっては私自身も我慢できないので……

それを世に解放する恐ろしさたるや、被害はとんでもないことを分かっているはず、最悪力ずくでやらなけらばなりません」

フーコーはあくまで冷静に全員に対して伝えた。

「もちろん。貴方達のお陰でダンテとカムパネルラが落ち着いているのもご理解の上です。どうかそのまま降伏していてくださいな。お互いが安全でいる為に」

フーコーの言葉を無視するように部隊の人間が声を荒らげた。

「ッおい!フーコー!何を言っているんだ。アレは一刻も早く無力化させないといけないだろう!何のためにお前も連れてきたと思っている!権能を使え!あれを抑え込め!」

フーコーは声を荒らげた人間の方を見ると、言い訳ばかりを述べた。

「そう言われましてもね。確かに私の権能は、抑え込める事には長けておりますがその為には相手を視覚内に入れないといけなくて…それも完成者を二体となりますと不可もお強いですし、今はミヤザワとテグジュペリの干渉で落ち着いているのですからそう力だけを行使しなくても……」

「黙れ…!言うことを聞け!使えといったら使えよ!」

「はぁ」

「目の前にいるのは大勢を殺した怪物だ!ゴミみてぇなやつだぞ!それを抑えなきゃならないんだ!早く権能を使えよファッキン野郎!命令通りに動かないなら、強制的に言うことを聞くようにもう一度調教してもいいんだぞ!」

フーコーはそれを聞くとさっきまでの笑顔をやめた。

「…ということになりましたので、どうやらまともな交渉とやらはできなくなりました。どうかお互いに生き延びているといいですね」

そういうと、フーコーの目の色は途端に赤くなる。

「フーコー…ッ!」

叫んだカミュは一瞬にして身体が硬直するのを理解した。

「なるほど、動くなという指示を無意識下に与えたのですか」

フーコーは権能の負荷で鼻血を出しながらもセオドロスにそうだと答えた。

「喋るな!」

そう言われて放たれた弾丸はセオドロスの腹部を貫いた。

「うわ、痛いです」

「セオドロス…!」

カミュは咄嗟に庇うようにセオドロスの前に移動した。

「動くなって言ってるんだ…!」

弾丸は次にカミュの右腕を貫いた。

「おい!動くなという指示は下してんだろ!なんで動いてんだ!?」

部隊の人間が困惑しながら自身へと問いかける時、フーコーは権能を行使しながらうざったそうに返答した。

「それが人間だからですよ。いいから私が押さえつけている間に早くしてください」

銃を構えながら歩き出した部隊に対して、痺れを切らしたダンテは翼を大きく広げて飛びかかった。

翼を使い、尾を使い、全身を使ってダンテは人間達を突き飛ばしていく

弾丸を撃たれても構わずに動き回る

その一方的な蹂躙を目の前にしてフーコーは「あーあ」と呆れた。

「人間ってやはり面倒ですねー、カミュ〜」

フーコーは笑ってカミュに話しかけた。

そうしている間にもフーコーの周りの人間はダンテに握りつぶされていく。

「フーコー!そこにいたら危ない!」

「もうどの道ですよ。カミュ…足が震えて動けないので

それに…彼から見たら平等に罪人ですから…逃れられませんよ」

フーコーは笑顔を保ったまま、ダンテに踏み潰された。

握り潰した時よりも嫌な音がその場に響く。

「ダンテ……」

右肩を抑えながらテグジュペリは泣きそうな目でその光景を見つめていた。

死に呼応したのか、恐怖に怯える存在を目にしたせいか、カムパネルラも自身を抑えきれずに動き出さんとしていた。

「カムパネルラ…!落ち着いて!落ち着いて…」

どう声をかけたらいいか分からないまま、ミヤザワはカムパネルラを宥め続けた。

セオドロスは腹部の痛みを感じつつも、目の前のカミュに寄り添った。

「カミュ、腕は大丈夫ですか」

「っそれより、お前の方が心配だ。腹は大丈夫か!?」

「痛いですが心配は必要ありません。カミュの腕はどうですか?」

「大丈夫だ」

セオドロスは目の前の光景を見ながら諦めたように呟いた。

「ボクらが何となく思っていた通りに、この世界はダメのようですね」

カミュは冷静に言うセオドロスを目の前にして、悲しい表情をした。

「………行くんだな」

「えぇ」

セオドロスは立ち上がり、今も尚残りの部隊の人間を殺しているダンテの元に行く

「ダンテ、こちらを向いてください」

ダンテはその言葉を聞くと、セオドロスの方を見た。

何を行うかを察したようにセオドロスの元へと向かった。

セオドロスはこの世界から居なくなるのが何となく嫌だと思った。

しかし今までと何も変わらない。今までも同じように失敗したらやり直した。今更しないなんてダメだ。例え、別れたくないと思っても。目的を果たすまで死んではいけないし、弱音を吐いてもいけない。

セオドロスはカミュの方を見た。

カミュは悲しい顔をして、泣いていた。

でも力強く笑顔を作って見せて「無事でいて」とセオドロスに叫んだ。

セオドロスはなんとなく辛くなった。腹部の痛みよりも強い痛みが何処かにあって、それは心臓を貫いていると思った。

「カミュ………」

噛み締めるように、セオドロスは自分の内に渦巻く分からない感情を味わった。

「もう逢えませんが、いつか会う日まで」

セオドロスはそういうと、ダンテと共鳴するように天国篇の力を解放させた。

それは強い光を世界に与える。多くの天使が集合しているようで、中心に光が存在していて…その光は美しく、ダンテはそれを天上の薔薇というものを正しく言い表させていた。


_________

葬儀屋の隠れ家、血液が辺り一面に飛び散っていた。

「ハァッ…ハァッ……ァ…」

葬儀屋は攻撃を受けた腹部を押さえるものの、腸が漏れ出している。

「ッ…お前さん……誰なんだ…?」

葬儀屋は目の前の人物を見上げた。

「何者だ……俺らの仲間を…ッ…迷いなく…殺しきっちまって…いやぁ、凄いよ……ほんと」

葬儀屋は手を挙げた。

「降参だ……何が目的か知らねぇが、いっちょ見逃してはくんねぇか?」

死体を掴んで、血塗れの手を離した相手はくすりと笑った。

「命乞い…大勢を殺しておいて、自分は生きても良いと思っておられるのですか?」

「あぁ、人間ってほら……利己的だろ?俺は人間だからさ、いつでも生きたくて仕方ねぇよ」

「あはは、あは」

それでも相手が武器を下ろさないことを見ると、葬儀屋は諦めたようにため息をついた。

「お前さんは何のためにこんな惨い事をしているんだ。一方的な虐殺だって、理由がないとそうそうしねぇが、やったとしても辛かろうに……」

相手は、葬儀屋の目の前に立つ。

蛍光灯の光で照らされている目の前の相手はまるで聖人のように思えられた。美しく光を纏っている。

その様子を、相手の目を、葬儀屋は恍惚としながら見つめた。

「悪を全滅させる為ですよ。そして悪というものは順位がありしも全ての人間が生まれながらにして持つものと思っています」

「じゃあ俺らは悪だった訳か」

「そうでございます」

「その理論で言ぃや、この世の人間を全滅させる気なのか、もしくはもう全滅させたのか……どこから来たのか知らねぇが、なんとも不可解なもんだよ」

「無駄話はもうおしまいでよろしいですか?」

「最後に1個だけ、1個だけ聞かせてくれよ。最期にだ。どうせ殺すんだろ。命乞いじゃねぇからよ」

「はぁ、なんですか?」

「あんたの名前を教えてくれよ」

「…最期に聞くのがそんなにつまらないものなんですね

初めてですよ。どの世界線でも貴方に名前を聞かれたのは…どのような影響でそれが起きたのかを考える場合ではありませんが…良いですよ」

相手は剣を構える

「代行者と申します。どうせ二度と会わないので、死後も覚えていなくてよろしいですよ」

そのまま相手の腹部を抉るように剣を突き刺す

「〜〜〜ッぐぁ!あっ……ぐ…っ」

「まぁ死後など、あるかどうか知りませんけど、天国ならあるんじゃないですか?」

腹部を貫き抉り、臓物を撒き散らさせた後に剣の先で子宮を引きずり出す

「……ッ…!……!…」

葬儀屋は声も出す力も無いままに刺激に応じて痙攣をするだけだ。

「そもそもとして貴方は行けないでしょうがね」

そして子宮の中に核があることを確認すると、勢いよく剣を突き立てた。

葬儀屋の痙攣は止まり、ただぐったりと動かなくなった。

剣を引き抜くと代行者なる人物は遠くで汽笛が鳴るのを確認する

「もう残りは彼らが消し切りますか、この世界の人類は…」

代行者は扉を開いた。扉の先には森が映っている。

「では、別のところに行きますか」

_静かに扉が閉まった。


そして再び、汽笛の音が世界に鳴り響いた。

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