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集約篇 第六話 『神の見えざる手』

『神の見えざる手(英:The Invisible Hand)

市場において個人が自身の利益のみを追求することが結果として社会全体の繁栄をもたらすという価格の調節機能のこと


経済学者のアダム・スミスが提唱した』

セオドロスはその日の朝、指輪を手に取った。

横を見たらミヤザワとボッティチェリが同じ指輪を持っている。

前夜、イーハトーブにて作戦会議をした。

あらかた対話の時の流れを言うと、ヴィドックはスターバーストへ完成者の解放の為に向かうと伝えた。

目標としてはカムパネルラの解放であり、解放後は仮称:Nの所に向かうというものだった。

ここで二つの反対意見が出る。

ボッティチェリとセオドロスからだ。

ボッティチェリからはダンテの解放もしたいというもの

セオドロスからは葬儀屋の事を放っての本来の時間軸より先の解放は危険というものだ。

前者は対面するのなら窓越しにすること、解放させるとしてもカムパネルラの制御が効かなかった場合、セオドロスがループをする為の最終手段とする為だけに行う事を納得させた。

後者はヴィドックが「必ずしもそうしないといけない決まりは無い。やるならここで流れを変えたパターンも見ておくべきだ」といい、セオドロスは概ね納得をした。

与えられた指輪は三つ。この指輪で存在を認識できなくさせるらしい。

朝はいつも通り朝食を済ませる事にした。

完成者の解放だ。何が起こるか分からない。

もしくはそこで全員がここで終わるということを何となく分かりきっていたのかもしれない。


朝食はいつも通りミヤザワの手料理だった。

初めてここに来た時と殆ど同じで、もやしと肉の炒め物にきんぴらごぼうとお米だ。

いつもはたわいもない会話をしていたが今日は誰も喋ろうとはしなかった。

そんな空気を破るように、ミヤザワが少しウキウキとしながら話した。

「カムパネルラに会えるの楽しみだなぁ〜」

「なんだかんだ、会いたがってたもんな」

「うん!」

「私だってダンテ様に会えるの楽しみですが!」

「はいはい、良かったねー」

「なにーっ!?」

いつものように会話している。

完成者の解放は世界を終わらせる手引きをする行為でもある。

上手く引導すればいいと皆結論づけたし、あの仮称:Nにも伝えたがそもそもとして自分達はどのような形であれ、あれらの存在の脅威を知っている。

完成者の解放をして、そしてそれをなんの被害もなく外にまで連れ出すことなど成功しない確率の方が高いことを知っている。

食事が終わり食器はシンクで水にさらしたまま放置して、行く準備をした。

セオドロス、ミヤザワ、ボッティチェリの三人は左手に確かに指輪を持った。まだつけてはいない。

行こうとしている玄関前で五人は最期の別れを告げた。

でもそれそのものを伝えることは無く、あくまでも生きて帰ってくるはずだと言う希望を持ち続けている。セオドロス以外は

「せめて、生きて帰ってくるんだぞ」

「職員にも継承者にも姿を見せるなよ、たとえその首輪が認識されないものだったとしても…だ。効果は昨日に確認済みだがな」

ヘルシングは昨日のことを思い出しながら話した。

「まさか本当につけた瞬間にあ〜なんか居ないなぁ〜みたいな、ふんわりじんわりとくる感じで…凄かったよね」

ミヤザワも昨日のことを思い出している。

「映像機器も試したけど写ってるけど、写ってなかったな

指輪をつけた相手だけが認識できる…これで、フーコーの監視カメラも無効できるはずだ」

「ヘルシングったらそういうことばっかり気にするじゃん」

「黙れ。処刑チームの連中に捕まって拷問の末情報を吐かされて殺されて欲しくないだけだ」

「素直じゃないんだからぁ〜」

ボッティチェリはヘルシングを肘でつついてからかっている。

ヴィドックはミヤザワと話したあと、セオドロスの方に歩いてきた。セオドロスはそれに対して特に何も反応を示さない。

「セオドロス」

「なんですか」

「私と君は、ここで一生の別れだ」

その言葉を聞くと、他の三人もヴィドックの所に来た。

「また会えますよ」

「でもね、セオドロス。この世界では、もう最後だ

次また出会ったら、今度は初めましてになるだろ?」

「私達は君と過ごした5ヶ月間の記憶すらも無くす。無くす…でもないのかもね。そもそも存在していなかったのだから」

「忘却は死と同義だ!芸術も燃えたら意味が無いんだからね!」

ミヤザワは特に何も言わなかった。

セオドロスはどう返していいか分からず、黙ったままだ。

ミヤザワはその様子を見ると、初めて会った時のように優しい声色でセオドロスに話しかけた。

「もしも次になって…一人で寂しい時、怖い時、誰かと一緒にいたい時はいつでもイーハトーブにおいで

初めましてになってしまうかも知らないけど、僕らはいつでも歓迎するよ」

ミヤザワは両手を広げた。おいでと合図をしてる。

セオドロスは恐る恐る歩み寄り、ミヤザワの元まで同じように両手を広げた。

そのままミヤザワはハグをした。

ミヤザワの声は震えている。

「また会おうねえ…。僕らが僕らとして忘れてしまっても、また会おうねえ、またねえ…」

セオドロスはミヤザワが何故泣いているか分からなくて、理由が分からない自分自身が嫌になった。

最期の別れも程々に、三人はイーハトーブを出た。

程なくして指輪をつけると、同じく指輪をつけている三人以外誰からも認識されなくなった。

三人はたわいもない話をして、お互いにダンテとカムパネルラの良い所の布教大会をした。セオドロスは聞いているだけだったが


三人はスターバーストに着くと、夜になるまでの最後の約束破りとして、ボッティチェリは治安維持チーム、ミヤザワとセオドロスは教育チームに行くことにした。

最終的に地下で待ち合わせを約束に、元々居たチームで、かつての仲間と会おうということにしたのだ。

セオドロスは気乗りしなかったが、ボッティチェリとミヤザワがなんだか楽しそうだったので了承した。

ボッティチェリが一人なので変なことをしないか心配だが、フェルメールとミケランジェロぐらいしか元々の知り合いがいないとも言ってたので大体は安心か?と、セオドロスとミヤザワも思った。

しかしミヤザワとセオドロスの場合はまた別だ。

教育チームの全員お世話になっている。セオドロスにとっては育ての親であり、ミヤザワにとっては同僚でもある。

そして両方にとってカミュは大切な人だ。

ミヤザワはカミュがいなければそもそも脱走できていなかった。

セオドロスは過去に自分のたった一言でカミュの適合率が上がり、結核が再発したことを覚えていた。その事に対しては何とも言えない感情が残っていた。

孤児院に着いた二人は、お昼ご飯を食べる子供達と教育チームの先生達を建物の外から見ていた。

その後ご飯を食べ終わってまた外で遊び始める子供たちと、それに同乗してサッカーを提案するカミュや、外の花に水を一緒にやっているテグジュペリを物陰から二人で見ていた。

「………」

ミヤザワは指輪に手をかけながら建物の中に入っていく。

何をするのかわからなくて、セオドロスはとりあえずついていった。

ミヤザワはメモ帳に何かを書くと、ドストエフスキーの部屋の扉をノックし、扉の前にメモ帳を置いた。

セオドロスはその意図が分かった。…止めなければならないと思ったがもう時すでに遅かった。

ドストエフスキーは扉を開けた先にあった本を手に取ってパラパラとめくった。

「………」

ドストエフスキーは廊下と、自身の部屋にある監視カメラに対してハンドサインをした。それは直接フーコーに伝わるものだ。

ドストエフスキーはしばらくすると台を使って監視カメラに手を伸ばすとどこかのスイッチを押した。

静寂の中にカチと音だけが響いたあと、ドストエフスキーは扉を開けた。

「入りなさい」

その一言を告げられたミヤザワはセオドロスに目で合図を送ると、指輪を外してドストエフスキーの部屋に入った。

セオドロスも、同じように続いて入った。


「久しぶりだね」

ドストエフスキーは椅子に座りながら、慈しみを持つ目でミヤザワとセオドロスを出迎えた。

「読んで、分かった。何をしようとしているのか」

「ドストエフスキー先生、僕は……悪い事をしようとして、やるんじゃありません」

「分かっているよミヤザワ。君なりの幸いの為だろう……成すべきことを、成すといい

この決断を下すのも、かなり勇気があっただろう

これが最後になろうと、久しぶりに出会えて良かったよ」

ドストエフスキーは椅子から立ち上がるとミヤザワにハグをした。

「すみませんドストエフスキー先生…僕は何から何まで、不義理でした……」

「いいんだ」

「先生、僕はもうその名前を呼ばれても、僕だとは分かりません。しかし貴方の口から、私の本当の名前を呼んでください…」

「…アウル、頑張ったね」

「ハハハ…全然、日本の名前じゃない…!不格好!でも、しっくり来ます」

「君の名前だからね…」

セオドロスはその光景を見ながら、居心地の悪いものを感じた。

気味悪さを感じた。吐きたくなった。

ドストエフスキーはミヤザワから離れたあと、セオドロスにもハグをしようかと両手を広げて歩み寄った。

セオドロスは断る理由も無いため、ハグに応じた。

セオドロスが会話を求めていないこともドストエフスキーは理解していたし、何を言っても響かない事も分かっていた。

だからドストエフスキーはせめてセオドロスの心の重荷が軽くなるようになにか言えればと思った。

「セオドロス、君は、確かに異常者として排斥され、誰からの理解も得られない。私も、君を理解することができない。しかし君が成し遂げんとすることは偉業そのものだ。自分を強く持ちなさい。

お前が苦しむ以上にお前の事を思い続けてくれる相手がいる事を、たとえどんなに世界が敵となっても絶望に染まられようとも覚えていなさい」

セオドロスはそれに返答することはなかった。

部屋の壁に這う蜘蛛を見ていた。

「フーコーには蜘蛛が電線を噛み切ったとでも言い訳しろって言って、監視カメラを切らせたさ

夜、向かう時は……人払いするように頼んでおこう」

ドストエフスキーはセオドロスからそっと離れると、二人にそう伝えた。

セオドロスは全身を包むその温かさがなくなると、少し寂しさを感じた。

「何から何までありがとうございます」

「私なりにも、せめてもの贖罪のつもりだ。

せめて後悔のないようにやり切るんだよ」

「もちろんです。ドストエフスキー先生……行こうセオドロス」

セオドロスはドストエフスキーに礼をしてミヤザワについて行った。廊下に出たところで指輪を再びつける。

廊下を歩いていると子供たちを寝かしつけ終わったのかカミュとテグジュペリが向こう側から歩いてきた。

ミヤザワとセオドロスは指輪をつけているから大丈夫とはいえ、ちょっぴり息を止めながら歩いた。

無事に通り過ぎたあと、外への扉にはカフカが立っていた。

出るためにはどうしてもカフカに当たってしまう位置にいる。

ミヤザワは迷うこと無く指輪をつけたままカフカの肩に触れた。カフカはその肩に触れた衝撃に重ねるように手を置いた。

「僕は行って欲しくないですけどね

貴方達の身の危険もそうですし、他の皆も、死ぬかもしれないのに……」

カフカは独り言を呟いた。

ミヤザワはそれをちゃんと聞いて、カフカの頬を人差し指でつんつんした。

「……僕は皆に死んで欲しくないだけですから」

カフカはいつも以上に悲しい顔をしながら、人の居ない廊下を歩き、部屋に戻っていった。

「……行こっかあ」

ミヤザワは無理した笑顔をセオドロスに向けた。

「無理して笑顔を向けなくても、私は別に笑顔ではないからと言って何も言いません」

「ふふ、君はそうかもしれない。でも、僕は違うからねえ」

「ボクに笑顔でいろということですか?」

「そうじゃないよ……んふふ、行こうか。ボッティチェリが待ってるかもしれないからね」

「はい」

ミヤザワとセオドロスはボッティチェリと約束していた地下への道へと向かっていった。


地下室で合流をしたあと、誰もいない地下室を歩いた。

「ドストエフスキー先生…本当に人払いしてくれたんだ…」

「ドストエフスキーからの、フーコーだからね…まぁそもそもとしてここの警備したがる人なんていないから仕事がなくなって良かったでしょ」

ミヤザワとボッティチェリはそんな会話を交わしながら冷たい廊下を歩いた。

やがて辿り着く天井も高く、広すぎる空間。目の前の四つの扉の内二つ、完成者は全員分厚いガラスの向こう側に収容される形で存在している。

カムパネルラは収容室の中では自由に過ごしている。扉さえ解放すれば、いつでも自由の身だ。

対してダンテは身体中を槍で貫かれ、棘付きの首輪で声も出ないようにさせられた上で拘束されている。

ボッティチェリにはせめて見るだけで終わらせとは言ったが…あそこから解放するにしてもどうすれば良いのだろう。

(今まではロダンが地獄の門から召喚という形でしか、やってなかったぞ…)

しかしそれはあくまでも、ダンテが自ら破る方法が無いというだけだった。

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それにセオドロスが気付いたのは、ボッティチェリがなにかに取り憑かれたように走り出し、権能により生み出した絵を現実に投影させ扉を破壊してからだ。

ミヤザワはそのボッティチェリの様子を見て、焦りを感じたのか「セオドロスくんはそこに居てッ!」と叫んで同じように急いでカムパネルラの収容室に向かい、ボタンを押して解錠させた。

(破壊する事で警告が出る可能性が高いしな…ボッティチェリはどうしたんだ…)

しかし動く理由もなく、ミヤザワにはそこにいてと言われたセオドロスは素直に待っていた。


二つの扉からボッティチェリとミヤザワが出てくる。

ミヤザワはかなり焦っている様子で、横のボッティチェリを忌々しそうに見ていたが、ボッティチェリの方は様子が明らかにおかしい。

「地獄の主が来たる!地獄の主が来たる!あは!あは!あは!」

セオドロスは嫌な予感がして急いで二人の元に来た後、二人を掴んで自分が立っていた位置まで引きずった。

両方狼狽状態だ。自分がせめてまともな判断と、せめてでもこの二人が死なないように動かなくてはいけない。

片方は完全に解錠された扉から、片方は破壊された扉から這いずり出でる。

3mほどの大きさで下半身は足が長い芋虫のようで上半身は首がちぎれたように浮かぶ…深い川の底のような冷たさを纏う存在_カムパネルラだ。

片方は4mの大きさで腕は拘束され、内側にも棘の着いた首輪をつけ、今も鳥のような足に巨大な尾を引きずり三対の骨だけの翼と、大きな翼を持ち全身を槍で貫かれながらもそれを引きずっていく、魂ごと罪を焼き尽くす火のごとく炎を揺らめかせるのは…

「ダンテ」

ダンテはその熱気で槍をドロドロに溶かしていき、拘束具が外せるとそのまま身体に刺さっていた首輪や槍を引き抜いた。

「カムパネルラ!カムパネルラ!汽笛を鳴らさないで!カムパネルラ…!大勢がそれでいなくなっちゃう!君に人殺しをさせてしまう!僕はここにいるよ!カムパネルラ!まだ停車したばかりなんだ!汽車を動かさないで!」

カムパネルラはミヤザワの声に呼応したのか、静かに佇んでいた。

問題はもう片方の方だった。

「__嗚呼!ダンテ様!この世界を、地獄に、貴方の歩んできた世界に、貴方の染めたいような世界に_!」

ダンテの行動理由は不明だ。

ただ人類に強い敵意を持っていることは確かだ。

ダンテはその人類であるミヤザワ、ボッティチェリを見た。

セオドロスの事は視界に入れてはいるものの、眼中に無いといったようだ。

ダンテはその巨体と翼を尾を持って三人の元へ炎を纏わせながら走ってこようとしていた。

しかしそれよりも早くカムパネルラが動き、三人を守れるように前に立った。

「カムパネルラ…ぁ…!」

ミヤザワは動揺していた。

ダンテは少し後ずさるものの、怒りに満ちた顔で飛びかかろうとしていた。

カムパネルラはダンテを押さえるように巨体を巨腕で掴み、そのまま壁にまで押し付けるように走った。

壁が崩壊する音と、鈍い音が聞こえる。

「__ァァアア!!!」

ダンテは強い力で払い除け、なおも人間を殺そうと三人の元へ向かおうとする。それを、何度もカムパネルラが止めていた。

「お互いに力が上手く使えないの…?」

ミヤザワが二人の様子を見ながら呟いた。

セオドロスもよくよく注目して見ると、確かにダンテが地獄を溢れさせた次に、カムパネルラがそれを相殺させる形で天国の光をぶつけている。

「…天国と地獄で拮抗しています。両方死後の世界であり、司る概念も真逆ですから単純な力だけでは決着がつきにくいのでしょう。それでも、このままではカムパネルラの方が根負けします。

カムパネルラと共鳴しているのは、作者である貴方だけであり、物語の範囲も広いですが…神曲はそれ以上におぞましいほどに世界に影響を与えた存在です。この場にはベアトリーチェの概念を奪った私と、神曲の挿絵を描き、また地獄の見取り図を描いた画家ボッティチェリの概念を有するこいつがいます」

セオドロスは目の前のダンテとカムパネルラを見た。

両者とも拮抗しているものの、守るものがあり、防ぎ続けることしかできないカムパネルラはかなり劣勢だ。

セオドロスは、何故か酷く笑えてきていた。

「…失敗致しましたね」

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