集約篇 第三話 『チェーホフの銃』
『チェーホフの銃
物語に登場させた要素は後に意味を持たせなければいけない。活用しないのならば登場させるべきではないという創作の原則
ロシアの劇作家アントン・チェーホフの「第1幕で壁に銃を掛けるなら、第3幕ではその銃が発砲されなければならない」という言葉に由来する。』
晩御飯の時間が来たセオドロスは、頭を抱えた。
目の前には大量のご飯がある。そう、大量の……
「これ五人用ですか?」
「セオドロス、心して聞け……これでいつもの半分だ」
ヘルシングから助言を貰ったセオドロスは、恐る恐る目を目の前のご飯に向けた。
信じられないくらい大量のご飯がある。
米に薄茶色のスープ…多分これは味噌汁だ。豆腐とネギが浮かんでいる。あと、人参と茶色の野菜の炒め物に多分メインでもやしと肉の炒め物がある。メニューなら、メニューならまだ、いい。全部量が多い。恐ろしい程に、米が山盛りに積まれている。お茶碗一つについでいい量じゃなさすぎる。米はエベレストにはなれないんだぞ。
皆でいただきます。と両手を合わせたあと、セオドロスは恐る恐ると先割れスプーン(お箸使えないので貰った)をもやしと肉の炒め物に刺して口の中に入れた。
「美味しい…」
そのままお米を掬いバクバクと食べていると、ミヤザワはとても嬉しそうな顔をしていた。
30分が経った。
セオドロスは泣きそうになっていた。これは悲しくて泣いている訳じゃない。何故だろう。涙が出てきている。
胃はおそらく、許容範囲を超えている。
「もっと…食べな。普段からあんまり、食べてないだろう?」
横から綺麗な動きでしゃもじからご飯が追加された。
「oh…My god……………」
思わず神の名を出したセオドロスは、こんなこと如きに神の名を呼んではならないと思った。
それはともかく、周りを見ればヴィドックとヘルシングは大量にかっこんでいる。普段からよく食べる方なんだろう。
ボッティチェリはもういいとガードをしている。
ミヤザワは他三人の量をちゃんと分かっているらしい。
つくづく人と親密な関係を築いておくことのメリットに気付かされている。
食べられない申し訳なさと、食べる為の時間稼ぎにセオドロスは他三人に話しかけることにした。
やっぱりボッティチェリに話しかけるのは最後にして、自分よりも多い量を食べているヴィドックとヘルシングに昼間はどこに出かけていたのかを聞いた。
「仕事だな」
「仕事…ですか」
セオドロスは当たり前のようであまり聞かなかったその言葉を米の代わりに噛み締めた。
「私は裏から手に入れた情報を売ってる。探偵だから慣れたものでね…ヘルシングは用心棒さ。スラム街と言えども危険は多いからね」
「スラム街だからこそ、な…」
「へぇ〜」
セオドロスはちまちまとご飯を食べすすめていた。
「それでは、あの、ボッティチェリさんは?」
自分に話を振られたのが嬉しく、ボッティチェリはニマニマとしながら「絵」と答えた。
シンプルながら画家ならそりゃあそうだろうなという答えに、「そうですよねぇ〜」とセオドロスは愛想笑いをしながら答えた。
笑顔を向けるとより嬉しそうな顔をボッティチェリはした。
この人、詐欺師とかに騙されないだろうか。心配である。
「…こんな世界でも絵は売れるんですねぇ〜…」
セオドロスはつい声に出た。
絵で生計を立てている人の目の前でする発言でもなかったかもしれないと思うと、「不適切な発言でした。すみません」とすぐに謝った。
しかしボッティチェリは別に気にしていない様子で「こんな世界だからこそ、絵というものが欲しいんだろう。絵は人によっては救いになる」と言った。
その様子にふと星を砕くものの事を思い出した。彼らは彼らなりの思想を振りかざして人に危害を加える形で芸術活動をしている。その死を伴った芸術品は高く売れているのだ。そんな残酷な事すらもまた芸術なのかと思った。思った事は、専門家に聞いてみるのもいいかもしれないと思ったセオドロスはそのまま聞いた。
ボッティチェリは少し頭を悩ませて「持論だけど」と先頭にクッションを置いて答えた。
「彼らの芸術も、確かに君や周りからしたら訳の分からないもので忌避すべきものかもしれない。君の言う通りに人に危害を加えるものなら尚更だ。しかし、それらも誰もがやりたいと思ってもできなかったもの…にならない?危険にロマンはつきもので、昔から人は危険な所に冒険という形でその満たされない心を満たし続けてきた。
私が思うのは、一部の人は死が好きなんだよ。死ねば感じられるそれを、死なない程度に味わいたいんだ。死にたいからでもない。いやそれもあるかもしれないが、生きていたいんだよ。総じて、しかしそれを生きている限り、味わえない。死ねば終わるからね
だから人は極限までに死を伴うものを求める。
ギャンブルもそう、冒険もそう、戦闘もそう……それらの最終地点は自己の破滅だろ?程度はさておきね
それを感じる為の嗜好品が芸術なのさ
絵を見て、感じたものは全て己のものになる。
残酷な絵を見て残酷だと感じるように、幸せそうな絵を見て幸福を感じるように、絵だけに限らずとも、芸術はそれらの感情を湧き立たせる。
見て感じれないのなら作る側に回る。作っている最中はより感じられるんだ。それとの一体感を……それってのは、なんて言うんだろうね。心の内というか、本当の神との接触のような体験だ
それでだ。長くなったけど…この世界では死は軽いものだ。容易く人は死ねる。そんな世界で死を感じる最も簡単な方法はその死そのものを使った芸術が一番なのかもね
だから、それを使った芸術は最も完成された芸術なんだと思う。倫理という禁忌から解放されることこそ、ヒトという怪物の本当の完成なんだよ。神に見放される行為をしてこそ、人は自由なんだ。やっべ〜ダンテ様に会いたくなってきたわ」
後半聞き流してもいい言葉を聞いたあと、セオドロスはある程度は納得をした。
死という禁忌を犯したいのは人という倫理という概念がある生き物にのみ存在するものなのだろう。
「そういうお前はどうなんだ?セオドロス」
セオドロスはご飯を食べることを再開させていた時にヘルシングに問われた。
「………」
セオドロスは迷った。言うか言わないか
しかし隠し事をしても意味がないだろうことと、隠し事を暴く時間も意味がないことを改めて考えると、正直に答えた。
「してませんでした」
ヘルシングが明らかに怪訝な顔をした。
「それなら普段の…言ってたスラム街の悪の粛清は個人的な…ものだったのか。誰に頼まれたものでもなく?金をもらってもいない?
……本当に、幸福の為のものだったのか。他者の…幸福の為の…」
「弱者の命を食い潰す悪人は、消えた方が幸福でしょう」
セオドロスは自分に与えられた食事以外のなにかの感情をおかずに食事をすすめた。米がよく進む
「覚悟を聞いて、コイツは肝が座ったガキだと思ったが想像以上だったな」
「全くだ…」
ミヤザワはセオドロスにご飯をつぐのをやめると、セオドロスの発言に危うさを見た。
「君は…君自身の声ではっきりと、やるって、はいっていったけど……本当にやりたいと思ってやろうとしてるの?」
ミヤザワはセオドロスのこれから行う事の意志の決定よりも、その心の内を聞こうとした。
セオドロスの発言にはセオドロス自身の気持ちが無いように感じた。
他者を救うということは、他者への愛が無いとできない行為だ。その感情が愛だけでなくても、慈しみの心が無ければやろうと言う気持ちすらまず湧かないだろう。
ミヤザワは考えた。自分が羽織る概念の宮沢賢治は他者を救うことを幸せとした。それは善だ。素晴らしいことだ。
しかしその綺麗事だけで世界は成り立っていない気がする。
それでもその世界含め全てに希望を持っていたからこそ彼は他者を救うことこそ幸いとしたのだろう。
セオドロスの発言にはそれ以上に冷たいものを感じた。
「救うべきだと考えています」
「それはなんで?」
「その質問には答えたような気がします」
「経緯は聞いた。それをするようになった経緯は…君は助けたいって思ったんだ。それは聞いたんだよ」
「それ以上何を求めるのですか?」
「気持ちが知りたいんだ」
「何故ですか?」
セオドロスはその質問に対する不快感を隠さなかった。
「君の発言からは感情が抜け落ちてる気がしたの。人を助けたいっていう気持ちはやりますという意志だけでできるものじゃない。これは…ヴィドックが聞いたかもしれない。君はやるって言った。自分のエゴを押し付けてでもやるって……
でもその根本的なものが知りたいんだ。
君は世界と人が好き?」
セオドロスは答えあぐねた。
「好きという感情で、それを救うかどうかを決めてはいけないと思います」
ミヤザワは肩を竦ませた。
「おや、前提を覆されてしまったかな」
「そういったつもりはありませんでしたが…」
「欲しい回答は、そうじゃなかったんだけど……」
二人の間にはご飯が十分に冷めるほどの時間が流れた。
ヘルシングとヴィドックは黙ってセオドロスとミヤザワを見ていた。必要最低限の手助けはしないのか、セオドロスを警戒しているのかのどちらか、それか両方だ。
ボッティチェリは冷蔵庫からワインを取り出してグラスに注ぎながら付け加えるように言う
「君は神の愛を知っているか?セオドロス」
「知っております」
「素晴らしい!至高天を見たものならば、そうだろう
ダンテは至高天をベアトリーチェと共に見てこの世を動かすものが神の愛であることを知った。
それを表したものが天国篇最後の…「太陽や他の星々を動かす愛」だ。それが神の愛であり、ダンテはそれと完全に調和した。
でだ。君はそれを知ってると言ったな。天国篇の概念を有するのなら、神の愛そのものや救済こそ貴方とも言えるのかもしれない」
セオドロスは不快感が段々と嫌悪感に変わっていくのを理解していた。この感情がどこから来るものか分からない
「だからなんですか?それとこれは関係がありますか?」
「その疑問こそが不思議だよセオドロス。君には好きな物という概念はあるのかい?」
セオドロスはそう聞かれ、何かを思いつこうとした。
「好意を寄せているものだ。誰かを救おうとした時最初に出てくる物や人は?」
ボッティチェリは、セオドロスの思考を邪魔するように口出しをする。
そう言われれば、そう言われたものを思い浮かべるしかない。
ただえさえも今頭の中の感情には嫌悪や不快感があるというのに、嫌うものではなく好きなものを思い浮かべなど無理な話だ。
食べきっていた茶碗を見て、次に自分の手元を見て頭痛がするほどに長い時間を考えて頭の中に浮かんだ物は太陽だった。
その次…その次に…
「……カミュ」
ボッティチェリは口笛を吹いた。
「いいね」
ボッティチェリはワインを持ちながら人差し指でセオドロスを指すと、機嫌が良さそうにワインを飲んだ。
ミヤザワもどこかホッとしたような顔を見せた。
ヴィドックとヘルシングの二人は「恩を返したいんだろう」「なんだかんだ人間らしいじゃないか」と会話していた。
セオドロスには意味が分からなかった。
頭の中に浮かんだ人物を答えただけだ。カミュに対しては確かに育てて貰った恩を感じているし、孤児院でもカミュには何度も助けられたし、また問題行動を起こした時に叱ってくれたのも彼だった。
孤児院で共に過ごした時間が長い人物だったから覚えているだけだ。だから、今名前に出やすかっただけだ。
セオドロスだけ五分前に置いていかれたまま、世界の時間だけが過ぎた。
気がつけばミヤザワの部屋でベッドの上だ。
入浴中とベッドの上は尚更緊張がほぐれてより孤独感を感じやすくなる。
入浴中にはミヤザワがいたが、ミヤザワはセオドロスを邪魔しないように静かにソファーの上で本を読んでいた。
それがなんの本であるかまではセオドロスは聞く必要がないと思い、先程まで自分が問い続けている答えにたどり着こうとした。
何故、頭の中にカミュのことが思い浮かばれたのだろう。
そう答えた時の、あの四人の反応の意図はなんなんだろうか。
確かに神の愛を知った。知っただけだ。それで終わりだ。だからなんだというのだ。
人を救うという美徳は素晴らしいものだ。
神は人を救ってきた。善い人間は救われるべきだ。
人間の命を、それを罪と分かっていて尚も穢すような罪人は死んでも仕方ない。むしろ殺した方が世界の為だ。
…普通?
普通に生きる人とは何なのだろう
生活の何かもを危険に脅かされることなく安全に生きて幸せになる事だ。
幸福?幸福………
セオドロスはその二文字を思い浮かべた時、それらは自分には許されていないものだという結論に至った。
それらは今を生きる人間にだけ許されているものであり、自分はそれを与える為に生きているものだ。
根本として世界が違う気がする。
選民思想というものなのだろうか、これが誇大妄想なのだろうか
善なる人を残して、悪を殺して何が悪いというのか
それが実現できる力を持つ自分は、神の愛を見た自分を、特別と思って何が悪いのか
そもそもとして何もかもが理解できなくなったセオドロスはベッドの中で頭を抱えて丸まった。
_天国への道は地獄から始まっている。
全ての人間は罪を持って産まれてくる。
そんな己を恥じるからこそ、人は産まれて初めて涙を流すのだ。
人生でもう一度生まれ直す機会を得たのならその次は、涙を流すことすらもしないだろう。それが当たり前だと知るのだから
セオドロスは丸まって寝た。母親の胎内で眠る赤子のように
ベッドの枕に頭を乗せている。胎児でいうなら逆子だ。
セオドロスは久しぶりに家族の夢を見た。
パンを焼く母親の後ろ姿が見えた気がして、その次に堕ちた星により家屋に潰される自分を、その時の子供の姿よりずっと大きい自分が見下ろしていた。
自分はそのまま潰れてる家を見て、母親はどこで潰れてしまったのかを考えた。
自分が潰れているところから見て、キッチンの方を見た。
現実では意識が薄れていたから、覚えているはずないのに。
しかしその方向を見た途端に自分は潰れる前のキッチンにいて、シンクに立っていた。
横を見たら、母親が魚を焼いていた。見えているはずなのにどんな表情なのか分からない。眉毛も目も鼻も口も全部が顔としてあるのに、そこから導き出される感情の答えが分からない。
セオドロスは手に待っていたものを洗おうとした。
さっきまでは何も持っていなかったはずだが、手には拳銃があった。それに気づいた時には、手元の拳銃はなくなり両手には大量の血液がこびりついていた。
驚く間もなく、シンクの中に心臓が落ちていた。
恐る恐る触れれば冷たいそれを拾い上げて蛇口からお湯を出して心臓にかけ続けた。
横を見ればもう母親はいなくなってた。
手の心臓は赤子に変わってた。血に塗れてお湯にかけられても泣きもしない。
両手で強く握ったその物体を、セオドロスは引きちぎった。
赤子の鳴き声が聞こえる。ぎゃあぎゃあといって、うるさく感じた。
赤子の泣き声が聞こえる。可哀想になってきた。きっと、生まれたくて生まれてきた訳でも
生まれてきたことを、世界から祝福された訳でもないのだ。
可哀想になってきたセオドロスはその泣き声が自分の内側から聞こえてくることに気づいた。
「お母さん……」
ミヤザワは本を読んでいたソファーの上で、セオドロスがそう呟くのに気付くと本を読むのをやめた。
「………」
再び寝息を立て始めたのを確認すると、ミヤザワはセオドロスが寝言を言っていたのだと結論づけた。
読んでいた本に栞を挟み、近くの机に置いた。
ソファーから立ち上がりセオドロスの方に近付くと顔にかかった髪の毛を払い汗ばんだ額に手を置いた。
ミヤザワはセオドロスの苦痛を肩代わりしてあげようと思った。
自身の権能を使うと、セオドロスの苦痛に歪んだ顔は安らぎ、穏やかな顔になった。
反動でミヤザワの鼻からは血が出て絶望というものが心に襲いかかるが、セオドロスの顔を見てミヤザワはその絶望を希望に変えてみせた。
布団をかけ直し、ティッシュで十分に鼻血を拭き取ると、読んでいた本であるよだかの星に手をかける。
しかしきりもいい所である為。ミヤザワは手元のライトの紐を引っ張り電気を消すと、そのままソファーに寝転がって眠りについた。




