観測チーム篇 第四話『歴史に縛られる者』
『真実とは、あらゆる瞬間に、各人が正しいとみなされうる言表を口にすることを許す一連の手続きの総体といったものです
-ミシェル・フーコー-』
フーコーが夜の街に出かける前の、司令チームはいつも通りといった様子だった。
サルトルは他のチームが真面目にやっているかの巡回に行っている。
サンソンは仕事が特にない時間は常にジャンヌに文字を教えていた。
(※ジャンヌ・ダルクは識字能力がなく「Jehanne」以外は書けなかったとされる。またジャンヌ・ダルクという名前はジャンヌ・ダルク自身は名乗っておらず、ジャンヌと呼ばれるようになったのはフランスに来てからで故郷ではジャネットと呼ばれていたと裁判で本人が話している。ジャンヌ・ダルクは自分自身をジャンヌ・ラ・ピュセル(乙女ジャンヌ)と名乗っている)
ベートーヴェンは一人でピアノに向かい演奏をしている。
部屋にピアノがあるのも司令チームだけだろう。
「ジャンヌ、スペルが間違っているよ」
「ありゃ…難しい……はぁ、音声入力にいつも助けられているからなぁ〜…」
「ふふ、それもまた良いやり方だけどやはり文字は書けた方がいいからね」
「うん…頑張る…!でもそろそろおやつにしない?3時だしさ」
「それもそうだね、ジャンヌ、用意をしててくれないか?私はベートーヴェンを呼んでくる」
一つ返事で引き受けたジャンヌはキッチンに向かうと冷蔵庫からホールケーキを取り出した。
棚から包丁を取ったあと、悩んだ挙句にサンソンに大声で話しかける。
「ケーキって五等分?」
「四等分でいい。フーコーはどうせパノプティコンから出てこないし、受け取ることもないからな」
「…はぁい」
ジャンヌはケーキを四等分にした。
サンソンはピアノを一生懸命に弾き続けるベートーヴェンの肩をポンポンと叩いた。
ベートーヴェンは口に咥えていた棒を離し、サンソンの方を見る。
サンソンはベートーヴェンの前に「おやつの時間」と書いた紙を見せた。
ベートーヴェンはほとんど前が見えていないだろうボサボサの髪の隙間からその紙を凝視し、やがてピアノから離れて机と椅子に着いた。
(※ベートーヴェンは難聴になった後、指揮棒を口に咥えピアノ本体に接触させる事でピアノの音を認識していた。これはピアノの振動が歯、顎、頭蓋骨を通って内耳に伝わり音を感じ取っているもので今で言う骨伝導イヤホンである)
「サルトルは?」
ベートーヴェンがそう声を出すと、サンソンはすぐさまベートーヴェンの会話帳の新しいページを開き「巡回中」と書いた。
続いて「呼びますか?」とも、書いた。
ベートーヴェンはそれを見て時計の針を見ると、「呼べ」と言った。
「じゃあ連絡を入れておきますね」
サンソンは手元の端末を使いおやつだから帰っておいでとサルトルへ連絡を入れた。
会話帳を閉じ、ジャンヌの入れる紅茶を待った。
基本ベートーヴェンの会話帳は識字ができるサルトルかサンソンがしていたがジャンヌも役に立ちたいとして文字を書く練習をしていた。
先程の練習はその為だ。
サンソンは明日ぐらいに任せようかと思いながらジャンヌが紅茶を注ぐのを見ていた。
(※ベートーヴェンは難聴となった後会話帳を使っていたとされる。ベートーヴェン自身は喋れるため、相手が書いたのを見て口頭で会話していた。彼の補佐人であったアントン・シンドラーはベートーヴェンの伝記を記した人であるが、400冊はあったとされる会話帳を半数以上を自らの伝記に折り合いをつけるために廃棄したり改竄したりした為、現在のベートーヴェンの伝記は不確かなものだとされている。
尚、ベートーヴェン自身はシンドラーの事を信用しておらず「軽蔑すべき男」や「彼の悪い、狡智に長けた性格」とまで書いている。一度関係が拗れたあと、新しい秘書が翌年に和解した。この時身寄りもなく病気に苦しんでいたベートーヴェンの世話を引き受けたのがシンドラーである)
サルトルの手元の端末に連絡が来た。
サルトルはポケットからそれを出さず、目の前の男を見ていた。
「いや、確認しなよ。大事な話題だったらどうするんだ」
「いい」
「司令チームが真面目に仕事しないのもどうかと思うけどねぇ」
「教育チームが子供たちに隠れてタバコを吸うのもどうかと思うがね」
サルトルは目の前のトレンチコートの男が咥える煙草に、火を差し入れた。
「メルシー、サルトル」
「構わんよ、カミュ…ふっ、にしてもここにはただの煙草しか売っていないのが難点だ。ゴロワーズが無いのはレモンのないニコラシカのようなものだ」
「それ、ニコラシカじゃないじゃん…わがままかよ」
「ふん…」
カミュは煙を二回吐くと、サルトルの発言を掘り返すように愚痴を吐いた。
(※ゴロワーズはフランスの煙草、サルトルとカミュはゴロワーズを愛飲していた。両方ヘビースモーカーであるが、カミュに至っては猫にシガレット(煙草)と名付けるぐらいには猫も煙草も愛していた。前提としてカミュは結核を患っている。患ってはいたが、ヘビースモーカーだ。)
「ずっと思ってたけどさ、最近私に会う度に昔の…生前の話をするのやめてくれない?」
「そんなつもりは無かったが」
カミュは壁に寄りかかるのをやめ、サルトルの目の前に来る。
ちゃんと目が合う位置だ。サルトルが顔を少し上げさえすれば
「私が結核を再発してから君はずっとそう。ずっとずっと…会う度に生前の話ばっかりだ…ッ!」
カミュは苛立ちを隠せないかのようにサルトルの胸を人差し指で強くトントンとさした。
「キミが何にそこまで怒っているのか分からないな、カミュ」
「お前のすっとぼけ方、老化か演技か分からないよ、サルトル」
カミュは両手を壁に寄りかかったサルトルの横に置く
傍から見ればサルトルがカミュに逃げられなくされているような、脅迫されているような絵面だろう。
カミュはそのまま何も言わずサルトルが咥えたままにしている煙草に、自分の咥えたままの煙草を近付ける。
「ん」
察しろと言わんばかりにカミュは唸った後、サルトルとカミュは息を合わせた。
シガーキスは互いが同時に息を吸う時じゃなければ成功しにくい。
通知音が響いた静寂の中でサルトルの煙草に火がついた。
サルトルは一つ息を吸い、指で煙草を掴んで口から離して同時に煙を吐き出した。
「シガーキスでの煙草は不味い」
「不味くしてやったんだ。ざまぁみろよ」
カミュは意地悪に笑って見せた。
「ふん」
サルトルは変わらず煙草を咥えた。
カミュは微動だにせずサルトルを見下ろした。
器用にも唇、歯、舌を使い絶妙な角度で煙草を保持しながら話し続ける。
「適合率が上がって結核が再発して、まずいというのにお前はその現実に縛り付けるかのように嫌な話しかしないな」
「カミュ、あまり気を荒立たてるな。発作が起きれば辛いだろう」
「黙れ…!お前のせいでこんなにも肺が苦しいんだッ!」
カミュはサルトルの目を見つめる。
カミュの黄金の瞳の中には十字架が刻まれている。
継承者は外見がその偉人の概念を羽織ったものに依存される…黄金の瞳は彼が愛した太陽だろう。だとすれば、この十字架はなんなのだろうか。
サルトルはカミュの瞳の中にある一つの信仰と目が合った
カミュの両目はサルトルという一人の罪人を捉えている
「お前がそこまで私を過去に縛り付けるのは、友情を無くしたくないからだ。そうだろう?来るべきあの時が再現されるのをお前は恐れているだけだ」
「カミュ=サルトル論争…」
サルトルは自分自身が恐れていた言葉をついぞ声に出した。
「お前はそれが怖いんだ。私がその時の思考に囚われるのが怖いんだ。お前は…アルベール・カミュが死んだ後のあのあたかも悲しいですよと言わんばかりのジャン=ポール・サルトルだ。そうだろう?だから歴史通りにならないようにと、お前は仲良い時をずっとと上書きし続けている」
煙を口から吐きながらカミュはまるで罪状を述べる裁判官のように次々とサルトルの心を剥がしていった。
サルトルはそれに否定も肯定もできずただ、瞳を見つめている。
「愚かだな。サルトル、私は私で、アルベール・カミュはアルベール・カミュだ。歴史は歴史…過去は過去、起きた事は起きた事……同じ事がまた起きるなんてあると思うか?結核などの病気じゃなくて、人間関係の拗れが、論争が再び起こるとでも、この世界で?」
カミュの声は後半から震えてきている。
「こんなおかしい世界で……?私達が生きていたフランスは怪物なんていない…星なんて、降ってこない。こんなおかしすぎる世界で……私は生きるために生まれてきた訳じゃなくて……こんな、異邦人しか読んだことのない名前なんて知らなかった小説家の概念を羽織る為にオレは…ッ!」
サルトルはカミュの顔に煙を吹きかけた。
急に来た煙に目が染みたのかカミュは両手を壁から離しサルトルから距離を置いた。
煙草を口から吐き出してゲホゲホと咳き込みながら目をこすっている。
「なにを__ッ!ゲホッ」
目の前の男が身体の調子を整えるのを待ちながらサルトルはサンソンからの連絡を確認した。
今のこの荒れた状況には似つかわしくないほど平和ボケしたような内容は、サルトルの心境を変えるには最高の一手だった。
「見ろ、アルベール・カミュ。サンソンがおやつの時間だとさ…未読通知が溜まっていた。後でベートーヴェンからお叱りだろう」
サルトルは端末の画面を十分見せつけてから、サンソンに「遅れてすまない。すぐ行く」とだけ連絡し、再びポケットに入れた。
「教育チームもそろそろおやつの時間だろう?テグジュペリが探してるんじゃないか?」
「……」
カミュはしばらく地面を見つめたあと、ゆっくりと立ち上がった。煙草を踏みにじりながら
「そうだね!行ってくるよ。
……じゃあな。ジャン=ポール」
「あぁ、またな。アルベール」
孤児院へと歩くカミュの背中をサルトルは目で追った。
彼は戻ったらまた、発作で血を吐くことだろう。
サルトルはカミュの土まみれになった煙草を拾ってポケットに入れると、不味い煙草のその不味さを肺まで味合わせながら司令チームに戻っていった。
司令チームの部屋の扉を開けたサルトルは既に机に座って待っていた三人を見ても何も言わずに入り、部屋にある灰皿に自分のすっかり短くなった煙草を押し付けた。
「煙草を吸うだけで連絡無視とはな」
サルトルを見つめながらベートーヴェンは話を続けた。
「煙草はお前の愛人か?」
ベートーヴェンの皮肉にサルトルは鼻で笑って返す。
それは彼に聞こえていないことを分かりきっているサルトルは急いでベートーヴェンの元まで行き、ベートーヴェンの会話帳に「偶然の愛を見つけたまでだ」と書いた。
ベートーヴェンはその意味が分からないのか、しばらく見た後に「哲学者は難しい言葉ばかりで分からん」と言った。
「音楽家も専門用語は多いからたまらないね」と言ったが、それは別に筆談で伝えるほどでもない。
サルトルはそのまま席に着いた。
サンソンはいつも通りと言ったように微笑ましく見ている。
ジャンヌは全体的によく分からないといった眼差しで三人をキョロキョロと見渡した。
(※ジャン=ポール・サルトルはシモーヌ・ド・ボーヴォワールと契約結婚を行った。二人同士を必然の愛として、それ以外を偶然の愛としてお互いに他者と自由に恋愛や肉体関係を持つ事を認めたもの。サルトルはこの関係を成立させる絶対条件としてお互いに一切の隠し事をせず、全てを告白することを求めた。
サルトルはボーヴォワールに対して浮気相手との生々しい行為を事細かに書いたものを送っていた。お互いに相手に対する嫉妬や愛憎を繰り返していたこの関係はサルトルが亡くなるまで続いた。サルトルが亡くなった後、ボーヴォワールはサルトルが送ってきた浮気相手との行為や愛人宛の手紙を世間に公開している)
「今日のケーキはガレット・デ・ロワです!」
ジャンヌが空気を変えようと、今日のお菓子の名前を伝えた。
サンソンはそのままそれをベートーヴェンに筆談で伝える。
フランスの菓子である為、フランス人ではないベートーヴェンには馴染みはあまりないだろう。しかしベートーヴェンは知っていると言わんばかりにくすりと笑い、「陶器の人形は入れているか?」と聞いた。
ジャンヌはその問いかけに少し悩んだ後、「確かアーモンドが入っているらしいです…これ、修復チームの人達に貰ったので…」と言った。
サンソンはそのまま伝える。ベートーヴェンは満足そうに頷いた。
「修復チームの人達は街によく行くから色々貰いやすいよね」
「治安維持チームもね」
サンソンとジャンヌは通常通り会話を続けた。
「司令チームはといえば、他の国に行くばかりで高級なものしか貰えんのが気に食わんところだ。これくらいのものがいい」
「言いたいことはよく分かりますけどね」
サルトルの愚痴をサンソンは笑って聞き流す。
「そうだ。明後日私は他の国に行かなきゃいけないので行ってきますね」
「へぇそれは何故?」
「死刑制度の導入についてプロの言葉が聞きたいと言われたのでリゲルの方に…」
「あぁね。気をつけて」
「えぇ」
サンソンは自分がリゲルに行くこととその目的を簡潔に会話帳に書いた。
ベートーヴェンも同じ言葉を言った。
「気をつけて」
サンソンはOKのハンドサインをベートーヴェンに向けた。
気をつけてなんて言葉は、言っても言わなくても変わらないかもしれないが、言うに越したことはない。
ジャンヌとサンソンは神に祈りを捧げた後にケーキに手をつけた。
その後、アーモンドを引き当てたのはベートーヴェンだった。




