観測チーム篇 第一話『地下室の鍵』
『君という人間は君の行為自体の中に宿っている
君の行為こそ君なのだ
もうそれ以外のところに君はない!
-アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ-』
テグジュペリは地下室の廊下を歩く。
いつも通りならすぐに職員が飛んできてもおかしくない所まで来ても、誰一人来ないことに違和感を覚えていた。
(この区域は危険だからとすぐに来る癖に…)
しかし誰一人も来ない廊下を、テグジュペリは好機として歩いた。
「そりゃあ、今宵の門番は私ですから」
上からひょっこりと、フーコーが現れた。
「フーコーくん!」
「ようこそ、監獄に」
「その言い方やめてよ…」
「同じでしょうよ」
フーコーは鍵をデグジュペリの前で見せびらかした後、ゆっくり掌の中にしまい込んだ。
「完成者の区域に、なんの用です?」
「いつも通りの事さ。君は知ってるんだろう?」
「えぇ、しかし間違いがあればいけません」
「……ダンテに会いに」
「かしこまりました。それではどうぞ、着いてきてください」
廊下の壁に転々とある灯りを頼りに、フーコーは先を歩いた。
「にしても貴方も中々に好き者ですね。2日に1回、必ず会いに来るとは」
「別にいいでしょ……」
「ふふ…」
フーコーはテグジュペリ側の事情を把握している。
過去の記録で、覗き見た内情はフーコーにとっては在り来りだがそうでもない面白いものだった。
元来として、教育チームが育てている孤児達は一定期間を得れば全員受肉を受けて継承者になる。
自分自身も、もう記憶は無いもののそこでお世話になった。
継承者として受肉を受ければ子供の頃の記憶など無くなる。当たり前だ。
だが、ダンテが受肉し、完成者となるまでを起点とした。前期継承者はそこの認識があやふやになっている。
孤児の記憶と自我が、偉人としての記憶と思想と共存している。
テグジュペリも前期継承者だから、孤児の頃の記憶を持っているはず……だが、継承者として長く生きすぎたのか記憶なんてほとんど無いらしい。
そういうフーコーは後期継承者であり、当然記憶は持ち合わせていない。でも、テグジュペリやドストエフスキーに会った時どこか気持ちがほぐれる。
このなんとも言い表せない安心感こそ彼らの元で育った自分自身の気持ちが溢れているのだろう。
継承者の記憶とはそういうもの……そして問題のダンテも、前期継承者だからこそ子供の頃の記憶を持ち合わせていて、ダンテとして受肉した後もテグジュペリとは交流を続けていた。
子供の頃にダンテを溺愛していたのがテグジュペリだったから、ダンテもテグジュペリのことは強く覚えていたんだろう。
ダンテとテグジュペリは長く交流していた。ダンテは司令チームに行き…教育チームは地位的に言えば下だが、それでもダンテは教育チームこそ司令チームよりも上にあるべきだと言ってたらしい。
しかしそんな仲良い時間もすぐに無くなる。
きっかけは一つの堕ちた星、神曲のルシファーの降臨だった。
堕ちた星は神話や伝承の姿を羽織る…これは、ただそう言われていただけだ。
実際の生態は、人々の認識を食らう怪物……人々の思い浮かぶソレを怪物たちは真似るのだ。
神話や伝承も人々が信じてきたものだ。それと同等に、人々が認識するものといえば物語に登場するモノだろうか。
…何はともあれ、神曲の怪物はダンテが生み出したただの創作物だ。しかし、ソレは人々の認識を得て堕ちた星に食われることになった。
自分が生み出したものが人を食い殺す所を見るなんて、最高のトラジェディだ!
ダンテは神曲をコメディアと言った。しかしこれじゃあトラジェディだろう。
その時のショックかなにかを思わせるものがあったのか。彼はそのルシファーの出現場所に行ってから同じ怪物に成り果てたらしい。
そんな怪物であり厄災を、上層部の奴らは殺せずに今も地下室に監禁している。…いや封印か?
「にしても難儀でしたね。テグジュペリ先生」
「なにが?」
「変わり果てた教え子を、ずっと通い続けるなんて辛いでしょう」
「別に……」
「アレとの対話は不可能なのに、よく10分も入れますね」
「あの子をアレって言わないで…!」
いつもは笑顔で子供たちといることが多いテグジュペリは、この地下でのみ珍しく激昂を示す。
フーコーはゾクゾクと背筋を震わせながら、愉悦ながらに笑って見せた。
「…笑わないでよ」
「いや、ごめんなさい。貴方にもちゃんと貴方らしさがあったのだと思うと面白くて……」
「私が怒っているのがそんなに珍しい?」
「珍しいともです」
冷たい廊下を二人は歩く。この場で一番暖かいのは二人の心臓ぐらいだ。
「先生はダンテをどうしたいんですか?あそこから解放したいんですか?」
「え?……んー…」
テグジュペリは考えながら歩く。
暗い廊下の壁は冷たくも壁を見るテグジュペリ自身の顔を映し出す。
「今のダンテは…身体中を力を抑え込む為の槍で突き刺されて、首にも棘付きのものを突き刺してまで声を出せなくさせられて……確かにいつも苦しそうだよ…?」
「えぇ」
「でも、あそこから解放しても、今の彼は視界に映る全てを殺し切るだけだ。彼は神曲に囚われてる。ベアトリーチェやウェルギリウスもいない今じゃ、彼は自身が地獄のシステムとして機能してる。地獄と煉獄と…天国を巡る旅人ではなく、物語の舞台としてそれを内包してて……だから……封印から解かれた彼の方が、ずっと苦しそうに見える…だから、解放したい訳じゃなくて…」
フーコーはテグジュペリが酷く頭を悩ませていることを話の途切れ方から察した。
「すみませんね。どうしようもないことを聞いて」
「あ、いいんだよ。謝って欲しいわけじゃないし、私も……彼をどうしたいのか改めて考えなきゃいけない…ずっとこのままも良くないはずだ」
「そうですねぇ」
二人はダンテが監禁されている部屋の前まで来た。
フーコーが持っている鍵でしか開かないが、開ける前から地獄の重圧をひしひしと感じさせる扉の鍵を開ける時はフーコーも意図せず手を震わせた。
「セオドロスがいたら、もしくは救いになりますかね」
「…どうだろう」
フーコーが言うセオドロスは、十数年前に脱走した人だった。
人を困らせる事ばかりしていたから上層部が受肉に失敗したとして裏で殺そうとしたが為に、彼に似ても似つかないベアトリーチェを受肉させられた子だ。上層部のその企みはセオドロスの強靭な自我によって無効とされた。
全員不思議だったのは何故彼が受肉を得てもセオドロスという個を保ち続けたか、だ。
結局その謎を解明させる前に、彼は何故か消えてしまったが
「彼は確かに、ベアトリーチェとしての力を使えるよ。でもそれはただの強奪のようなもので……ダンテとしては、あまり気に食わないんじゃない…かな」
「一理ありますね。ダンテは多分……セオドロスをベアトリーチェとしては見ないでしょう。姿も何も違いますから、ベアトリーチェの継承者として生まれていても、恐らく完全にそれではないからこそ拒絶するでしょう…うん、これは無しでしたね!」
フーコーはニコニコとしたまま、鍵を開けた。
「ごゆっくり、何分いてもいいですよ。門番は私なので、そこら辺自由自在です」
「ルールを破る気はないよ。フーコー」
「あら、お厳しい」
テグジュペリは扉を開けて貰った礼を言って、すぐに扉の中に入っていった。
フーコーは扉を一旦閉めたあと、扉を背にして暇潰しに煙草に火をつけた。
テグジュペリの目の前には分厚いガラスがある。
その扉の奥に、ダンテがいる。
ダンテはずっと首輪で喋られないようにされているものの健気にも呪詛を呟いている。それは呻き声のようにしか聞こえない。声帯を貫かれているのだから当たり前だ。
「ダンテ、ダンテ……」
ダンテは自分の名前を呼ぶ存在を目に入れると、呪詛を呟くのを辞めた。
身体を貫く槍を、できる限り肉を抉らせたままテグジュペリの方に向かおうとする。
しかし槍や鎖の限界がある事が分かると、不服そうに限界まで近付いて止まった。
どこか甘えるような声を喉から鳴らしている。
「グゥルルル…グ……クゥー…」
目の前の彼は、ダンテ・アリギエーリでも、ダンテでもない。
あの頃の……メテロでもない。テグジュペリはそれを分かりきってるからこそ、目の前の相手は誰なのかを考えながら、名前を呼んだ。
「ダンテ、元気だった?」
その問いかけにダンテは同じように甘い声しか出さない。
自分の言葉が通じているのかも、相手が何を言いたいのかも分からない。
目の前の怪物は、人々が夢にまで見た地獄や死の集合体なのだ。
「こっちは元気にやっててさぁ…子供たちが今日、花の冠作ってくれたんだ……キミもよく、不格好ながら作ってくれたっけ…」
テグジュペリはガラスの表面に手を添える。
彼自身を撫でれはしないが、ガラスの奥にいる彼を擬似的に撫でれはする。
「今日作ったご飯、塩コショウ入れすぎちゃって、不評だったっけなぁ〜!」
テグジュペリは笑顔で語りかける。ダンテもそれをただ静かに聞いていた。
地獄の王と、星の王子はいつも通りに10分間会話を交わしていた。
フーコーの煙草は二本目に突入していた。
火のついた先を冷たい壁に押付け、吸い殻は下に投げ捨てる。
端末を使い、自分しか見れない監視カメラの映像を映し出す。
ダンテとテグジュペリは楽しそうに会話をしていた。
テグジュペリが一方的に話しかけてるだけだが…
二本目の煙草が半分になった時、テグジュペリは出てきた。
時計を見るならちょうど10分が過ぎた頃だ。
「ルールを破っても良かったはずですよ」
「言ったでしょ、ルールを破る気はないって」
「っふ……流石です」
フーコーは煙草を壁に押し付け、ダンテの部屋の鍵を閉めた。
そのまま煙草を捨てようとすると、テグジュペリにちゃんと拾ってちゃんとゴミ箱に捨てなさいと怒られる。
「うへー、似たようなこと昔言ってきませんでした?」
「君が子供の頃ね!君ってば切り紙しても切った後のゴミ床に捨ててたでしょ!」
「…そんなことあったんですねー…」
「不貞腐れながら掃除の時にどうせ箒ではくじゃないですか…とか言ってたんだよね」
「うわ、今同じこと言おうとしてました。どうせ職員が掃除するからいいかな…ってね!」
「もぉー!」
フーコーはケラケラと笑いながら、ハンカチを取り出し中にタバコの吸い殻を包んでポケットにしまい込んだ。
「偉い!」
「どうもどうも、それでは送っていきますよ」
フーコーとテグジュペリはさっき通った道を再び通る。
行きと帰りでは、また違う風景が見えてくる。
「結構汚れてるね」
「ここは完成者の封印施設ですが、その分怖がって誰も来ませんし、ここを警備している人達も雑ですから……溜まり場ですよ」
「…良くないなぁそういうの」
「ですから見つけ次第、私が指導しています」
「そうなの?」
テグジュペリは歩きながら、そこら中にあるお菓子や飲んだあとの缶のゴミを見ていた。
「仕事と私事を仕分けもできないゴミは、全うを知るべきですから」
「偉いねぇ」
「…さっきから先生モードになるのやめてください……」
「アハハ!」
出口に差し掛かった時、フーコーが扉を開けてテグジュペリが出た。
ついでにフーコーも出ると、そのまま鍵を閉めた。
「そういえば今日は君が門番だって言ったけど、鍵開けっ放しは大丈夫なわけ…?」
「少しだけ便所に行ってました。そしたらあの、貴方が入っていったのが見えて急いでですよ」
「あ、やっぱりダメだった?」
「ダメです。さっきルールがどうこう言ってましたけど初手貴方が破ってますからね」
「あれれ〜」
テグジュペリは頬をカリカリと掻いた。
「ふふ、そもそも封印など警備員がいてもいなくても変わらないくらいには破られることはありませんから、大丈夫ですよ」
「大丈夫って安心し続けるのも不安だけどね」
「言いたいことは分かりますとも、だから日々、開発チームのノーベルさんとかはもっと頑丈に、もっと的確に抑え込めるように色々と開発しているらしいですよ」
「そうなんだ…」
テグジュペリは堅苦しい地下室から出て安心しきったのか、伸びをしていた。
「じゃあ…寝ようかなぁ……ふぁあ」
テグジュペリはそのまま大きなあくびをした。
「お疲れ様です。テグジュペリ先生、私はもう少し監視を続けねばなりません」
「…んー、君って観測チームより観測チームらしいや…」
「見るものが全然違いますけどね…」
「だね……眠い…もう帰るね…またね…」
ダンテと会って安心したのか、それともそこに至るまでにだいぶ我慢をしていたのか、テグジュペリはフラフラとしながら教育チームの方に戻っていった。
フーコーは手元の端末から四つの画面を表示した。
ダンテ、ファウスト、ドン・キホーテ、カムパネルラ
完成者と呼称される彼ら四人の監視をしなければならないのもまた、フーコーだ。
フーコーはそのまま電源を切った。
「なんてつまらない!」
フーコーはそのまま、パノプティコンに帰っていった。




