開発チーム篇 プロローグ『薬剤師の受難』
『私はこの物質を、仮定された麻酔性物質とは区別し、眠りをもたらす物質と名付けることにする
-フリードリヒ・ゼルチュルナー-』
「あの本当に…勘弁してください……」
「3時間後に、勘弁してやるが…?」
「そうじゃなくてぇ……」
「じゃあなんなんだよ」
ゼルチュルナーは目の前に置かれた実験器具と材料、配合について書いた紙を見ていた。
「ボク仕事中なんですけど」
「奇遇だな。私もだぞ」
「だからァ……」
パラケルススはずっとゼルチュルナーの訴えを綺麗に回避している。
「治療チームに返してくれません?」
「帰して、な?お前自分が物扱いされてる自覚あるのやめてくれ
お前は尊い一人の薬剤師だぞ」
「その優しさがあってなんで仕事の邪魔するんですか」
パラケルススはゼルチュルナーの訴えをケラケラ笑って聞かないことにした。
「おいこのクソホーエンハイム!!!ぶちのめすぞ!!」
扉を壊す勢いで入ってきたのはノストラダムスだ。
ゼルチュルナーは頭を抱えた。こうなるともう止まらない
「そっちで呼ぶんじゃねぇぞクソヤブ医者!!!!」
「お互い様だろうがよ!!!後世から見たらな!!」
「うぅ……うぇ……」
ゼルチュルナーは咽び泣いた。自分のせいで目の前の二人が喧嘩しているからだ。
パラケルススの実験に付き合わされることと、パラケルススとノストラダムスの諍いに巻き込まれる時間は全部自分が黙っていればすぐ終わる___終わるのだが、ゼルチュルナーにはそれだけで終わらせてはいけない用事があった。
教育チームのカミュへ薬を届けなくてはいけない。
こうなると見込んでアバウトな時間を伝えて届けるとは言ったが、本当に面倒なことに巻き込まれるとは想定外だった。予想内ではあったもののだが。
「あの…ボク薬を届けなきゃいけなくてぇ」
「んぇ!?薬!?なんのだ!何の薬だ!」
パラケルススは薬という響きに目を輝かせた
「あの一緒に開発してた…概念作用薬です……堕ちた星の核を使って…概念に干渉するやつ……カミュさんが結核を再発させたから……」
「あ〜…どうだ?効いているか?!成功したか!?」
「うぅ〜……ん。ま、まだそんなに経過を細かく知ってはいないので…効いてるかどうかは…い、今から聞かなきゃ分からないです」
「なら私も行こう!」
「来るな!」
ノストラダムスはパラケルススを掴んで羽交い締めにした。
この医者、強い!
「おい離せ!!」
「お前は患者を実験体か何かだと思ってんだろ!行かせるか!」
「うるせぇ〜薬が効いてたら良し!効いていなかったらダメ!悪化かもしくは別の症状が出てたら最悪!これを確認する為だ!お前と違ってこっちは真っ当に薬開発してるんだぞ!」
「うるさーい!カミュもお前が来たら辟易するだろうよ!ゼルチュルナーだけで行かせんか!」
実験室の扉がまたも開く
「さっきからうるさいんだけど」
ノーベルだ。この中ではゼルチュルナーの次にまともだったなと、ゼルチュルナーはノーベルに対して期待をした。この事態を収めてくれる期待を。
「爆破するか……?」
「なんでそうなるんですか…?」
「待て、もったいない」
「そっちですか?」
「怪我人が出たら俺ら治療チームがみなきゃなんねぇだろ嫌だよこいつのことみるの」
「は?うるさいわ。実質的に世話してくれるのは医者のお前ではなく看護師のナイチンゲール女史だろうが」
「これ以上騒ぐのやめてくださいって言ってるんですよ…?」
ノーベルは懐からダイナマイトを取り出すと、導火線に火をつけた。
「えっ?」
火花を散らせながら、導火線はどんどん短くなっていく
「えっ本当につけた…」
パラケルススは引いた。
「ノーベルお主…やるな?」
ノストラダムスも引いた。
「いや、待ってください。やばい、やばいですって!ガチの爆弾は本当にやばい!」
ノーベルは導火線が十分短くなったことを確認すると、爆発のタイミングに合わせて地面にダイナマイトを投げた。
地面に触れたダイナマイトは地面から跳ねる間もなく、爆発した。
研究室を襲ったのは火でも爆風でもなく_濃い煙だった。
「う、うわーっ!煙が目に沁みろう!」
ペストマスクはつけているものの、つけている部位は顔下半分の鼻と口元だけで目は守っていなかったノストラダムスは目を擦った。
「ゲホッ……ゲッホ……コホッ…ぅ」
ペストマスクはつけているものの、つけている部位は顔上半分の鼻と目元だけで口は守っていなかったパラケルススは煙を吸ってむせていた。
「ふえぇ…」
どっちも守ってないゼルチュルナーは袖で口と鼻を覆い、少しだけ目を開けながら周囲を見た。しかし濃い煙ばかりで何も見えない。
「はいはい、こっち!」
ノーベルはゼルチュルナーの袖を掴み、共にパラケルススの実験室から出たあと、換気扇をオンにした後に実験室の扉を閉めたあと外側から頑丈に鍵をかけた。
「えっそれ大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではないね」
「えっ…」
「いい薬になるといいな……パラケルススだけに(笑)」
「何が…何がどこにかかってたんですか!今!?」
ノーベルはゼルチュルナーの肩をぽんと叩いた。
「…ともかく、これでキミは窮地を脱したという訳だ!
二人のことは私に任せて、キミはカミュの元に行きたまえ!」
「えっあっ……ほ、本当に大丈夫なんですか…?」
「……任せたまえよ!」
ノーベルのオーラに、ゼルチュルナーは負けた。
「君はもう少し自分に自信を持った方がいい。私が作ったものはダイナマイト……悪いものと言われがちだが、確かに便利なものではあったろう?鉱石発掘の場などでは…ね。キミのモルヒネも素晴らしい発明だった!多くの人を救っているんだよ。キミは」
ゼルチュルナーは下を向いた。なにかがあった訳ではなく、前を向くのができなくなったからだ。歴史に対する負い目から
「そんなこと言われたって……」
ノーベルのダイナマイトは最初は鉱山での活動などで使われるために作った。しかしその後、戦争で使われた。
ノーベル自身はダイナマイトが戦争で使われる事も分かっており、ダイナマイトという強大な武器がある事で抑止力になると思っていたが予想は外れ、戦争は激化することになった。
対してゼルチュルナーのモルヒネは、ゼルチュルナー自身がその依存性や危険性を前もって警告していた。しかしゼルチュルナー自身も、他の人も皆モルヒネの鎮痛作用と依存性に魅了されることになった。その後の南北戦争では軍人病とも言われるモルヒネ依存症の被害者を40万人出した。
「お互い様だろ?」
ノーベルはニコニコと笑った。お互いに、人の為に作ったものはどうやら余計に人を苦しめる結果に終わったらしい。
「でも_キミは違う。モルヒネはその後医療現場でも使われてる……無害なのがね」
「ふ、副作用は…ありますよ……!」
「でも、使われてる……歴史は歴史、今は今、今を生きている人達を救えているんだから、自信を持つべきだよ。キミが暗いとこっちも悲しいからさ」
ノーベルは照れくさそうにした後、ゼルチュルナーの背中をバンバン叩いた
「痛た…!」
「さぁ!救うべき患者の一人!カミュのところに行ってあげたまえよ!うだうだしていると、彼も可哀想だ!キミの事だから正確な時間を伝えてはいないかもしれないけど、薬が届くのは早いに超したことはない!」
「そっ…そうですね…い、行ってきます……!」
ゼルチュルナーは少し小走りで孤児院に向かって走り出した。
ゼルチュルナーは走りながら、手で掴んで持っている薬の事を考えていた。
実験段階のものを使用してしまってはいるものの、自分自身でも効果を確かめて、ちゃんとした製法で、ちゃんとしたもので、正確に作り上げたものだ。
モルヒネのようなことが起きてはいけない。
特にカミュやフロイトのように、モルヒネによって被害を受けた人達は……
力を入れすぎて薬を入れていた袋がぐしゃりと歪む
ゼルチュルナーは友人であり薬の利用者となる継承者の全ての情報を頑張って頭に入れていた。所々忘れてはしまうものの、確実に覚えている部分がある。
_モルヒネの項目だ。
カミュは一人目の妻がモルヒネ中毒で、医者と浮気していたはずで、フロイトは友人がモルヒネ中毒で、モルヒネ中毒を治すために当時は魔法の薬と思っていたコカインを勧めてしまって、友人はモルヒネ中毒を克服するどころかコカイン精神病になって、激しい苦痛の中亡くなった。……これはフロイトにショックを与えると共に、医者として泥を塗る結果となった。
だから余計に、この二人には会いにくい。
そしてほかの人よりも覚えてしまっているのは、この二人が他の継承者よりも出会いやすい人だからだ。
カミュは適合率上昇による結核の再発…これは概念的な発症であり本来の結核治療で用いる薬や治療法が効かない。痰の吸引を行ったりで症状を和らげることはできるし、結核の最大の脅威でもあった空気感染が起きない__アルベール・カミュのみにあった不治の病だからだ。彼の概念に強く蝕まれている。だからこそ、治らない。治らずに生涯を終えてしまったのだから、治ったという成功記憶を持っていない。
持っていないものを、どうして得れようか
考えていても仕方ない。渡さなければならないのだから、あくまでも事務的に接しなければいけない。
走り際に廊下にある鏡が自分の顔を反射させた。
苦しんでる顔をしてた。
鏡の自分と目が合った時、相手が自分ではないかのような感覚に襲われた。
ゼルチュルナーは孤児院のチャイムを押した。
すぐに顔を出したのはカフカだ。
ゼルチュルナーの顔を見るとわたわたとしながら「カミュですよね?」と言った。
ゼルチュルナーが「そうです」というと、彼はすぐに奥に引っ込んだ。
しばらくするとカミュがすぐにドアを開けた。
「中に入ればよかったのに!カフカってば…私を呼ぼうとしたのを最優先に、貴方への配慮が頭からすっ飛んでたみたい。ごめんね?」
「いっ、いえ……大丈夫…です!どの道、薬を渡すだけですので……」
「…そう?お茶飲んでかない?いいお菓子もあるけど」
「大丈夫です!本当に……大丈夫ですから……」
ゼルチュルナーは押し付けるように、薬の入ったクシャクシャの袋をカミュの胸元にやった。
カミュは戸惑いながらもその袋を手に持った。
カミュが手に持ったことで軽くなった袋を、ゼルチュルナーはそっと手放した。
カミュの顔を見れず、手元だけを見ていたゼルチュルナーは己の手をじっと見た。__手汗が酷い
「あの、汗かいてるけど本当に大丈夫__」
「大丈夫ですから!!」
ゼルチュルナーは白衣に手を擦り付けながら汗を拭った。
人を拒絶する時はいつも以上に意思が強くなる。
だから、ゼルチュルナーは相手の目を見てしまった。
カミュは本当に心配そうにしていた。演技か?いや、違う。心配そうにする演技だなんて、やる意味なんて無いんだ。
「……すみません……あ、あと、あの…薬の効き目は…どうですか?」
「…ん!いい感じですよ!完全に無くなる…って訳でもなくてまだ咳や痰とか息苦しさとかはあるんですけどね……あと気になるので言えば変な喀血…ですかね」
「…変な喀血?」
カミュは自分の顎に手をやった。
「吐いた血がネズミになるんですよ」
「ネッ…ネズミ……?」
「えぇ……自分の書いた本に、ネズミが変死していってペストが蔓延する内容のものがあるんですけど……これが表に出てきた感じです」
ゼルチュルナーは少し考えた。
「概念作用薬が……不治の病であった結核を軽減させていると言うより…カミュが結核の経験を元にして書いた部分の多い、ペストの一面を強くする事で釣り合いを持たせた……?」
独り言をカミュもちゃんと聞いていた。
「めっちゃファンタジック…?」
「……?」
しばらくお互いにお互いがなんて言おうとしたのかを脳内で処理をする時間になった。10秒ほどかかった。
「……そ、それ以外になにか症状は?」
「あ、無いです…」
「スーッ…あっ…はい…あの、分かりまし…た。こちらでもその喀血の鼠がどのような経路で起きるものなのかまた詳しく見たいので、今度二日間ほど開発チームの方に言ってきてもらってもいいですか?パラケルスス先生からはこちらから伝えておくので…ちょっと…あの人はテンション上がりすぎるかもしれませんが」
「はい…ふふ、あの人は見てて飽きませんから大丈夫です」
「良かった……えと、それじゃ…また、2週間後に来ますね…」
「はい、またよろしくお願いします〜!」
「お大事に……」
ゼルチュルナーはすぐに振り返り、元の治療チームへと戻ろうとした。
歩き出しても孤児院の扉が閉まる音が聞こえず、ゼルチュルナーはビクビクしたまま教育チームの管轄外から出て、治療チームのある建物へと入った。
ゼルチュルナーは帰り際、また同じ鏡で顔を見た。
今度は急いで走る理由がないから、さっきよりもずっと長く顔を見た。
…自分の顔が分からない。
ゼルチュルナーは心底教育チームに行きたくなかった。
自分自身が、ゼルチュルナーではない自分自身がいた場所になんて行きたくなかった。
ゼルチュルナーは端末から自分自身の適合率を見た。
30%だ。継承者の中では最下位に近い。
だからその分、元々の人間としての記憶もうっすらと残ってる。それを辿るのが恐ろしく怖い。
自分の顔を見ても、過去の自分であったと分からない。
かと言って今の自分が、フリードリヒ・ゼルチュルナーである自信もない。
「どうしようもない……」
ゼルチュルナーは己の肉体に生えている蠍の尾を動かした。
フリードリヒ・ゼルチュルナーの概念を上書きする為に自分に使用されている堕ちた星の核はマンティコアだ。
適合率が低い分、元の肉体としての記憶と、マンティコアとしての本能が滲み出てしまう。
だから目の前の鏡に映る人間を、食べたいとも思ってしまう。
ゼルチュルナーは目をそらすように端末をもう一度見た。
適合率が低い理由は、フリードリヒ・ゼルチュルナーの概念を上書きする上で、他の人達よりも概念が薄いからだ。
パッと聞いて、「あぁこの人って」となる人物はそれぐらい歴史に、世界に影響を与えた人ほど適合率も上がりやすい。共感する所も多ければ、その人をよく知れているからだ。
フリードリヒ・ゼルチュルナーと言って誰が「あぁその人って」となるのだろう。
上層部の人間は、自分をモルヒネを作り出した人だったから造り出した。
鎮痛だけを目的とされていて、自分だったから…ではない。
できることの幅が少ないと感じる。二つだけだ。
痛みを無くす事と、薬を出す事。これぐらいしか自分にはできなくて、だからこそ早朝のパラケルススとノストラダムスが自分の事を取り扱ってくれる時は、酷く嬉しく感じれていた。
(やましい思いを抱いておくのも、大変宜しくないが)
先程のカミュを思い返す。
適合率の上昇に苦しんではいるものの、今の自分よりはずっと幸福なはずだ。そこには自由があるのだから。
(他人を羨んでも仕方ないが)
カミュはカミュなりに、苦しんでいるのだろう。
しかし、今の自由がない自分に比べてしまうとなんとも、嫌な気分になった。
(行動しない、自分が悪いが)
…行動してどうする?それが失敗したら?意味が無かったら?やった後に、やらなきゃ良かったと思ってしまったら?やった後に嫌な思いをしてしまうかもしれないなら、今行動しない方がいい気がしてきた。
ずっと、責任を負うことの言い訳をしてばかりだ。
__一人が怖いのなら、二人になればいいんだよ
頭にチラついた声をゼルチュルナーは頭を掻きむしることで聞かないことにした。
自分以外に、頼れる人なんていない。
自分という孤独と、自分という存在の不安定さを知れる人物なんて、自分しかいない。
心療チームにだって行けるわけが無い。
__やけにネガティブだな。その年齢で
…年齢?自分はもう25歳のはずで………
ゼルチュルナーは頭の整理がつかなくなった後、その日の仕事を直ぐに切りあげ、お風呂にも入らずすぐにベッドに倒れ込んだ。
眠りをもたらすものとまで名付けたモルヒネは飲まず、睡眠薬のハルシオンを飲んだ。
効果が現れるまで30分くらいかかる。
薬の調合をしていたらずっと短くて、一人でいるとずっと長いその時間を待ち続けるの時間はまさに拷問のようだった。
しかし早く眠りたいという焦燥感に駆られていたからか、そもそも体内時計自体狂っていたらしい。
案外早く訪れたその時に、ゼルチュルナーは全身を預けた。
夢の中では、同じような夢を見ていた。
誰かと一緒に逃げている夢。多分この夢は、かつての自分の記憶なのだろう。
これが、自分の根底にある自己否定に繋がっている気がしていた。
その誰かは自分の手を引いて、酷く悲しそうな顔で言った
「…一緒にここから逃げよう?」
そこで、自分はいつも目が覚める。
彼が誰であったのかは、恐らくずっと分からないままなのだろう。
ただ、子供ではなかった。彼は大人のはずだったんだ。
時々聞こえてくる彼の声をかき消せるように、フリードリヒ・ゼルチュルナーとなる為に、ゼルチュルナーは朝起きて直ぐに、白衣を着て仕事場に向かった。




