処刑チーム篇 第六話『トリガーとハピニスト』
『善悪は、主体によってはじめて成立する
そして、主体は世界に属さない。それは世界の限界なのである
--ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン』
ヤスパースは一人、端末から継承者全員のバイタル情報を見ていた。
ジャンヌ、サンソン、カミュ、サルトル__バイタルロストと
ヤスパースはその様子を見て満足だった。
惨劇を起こすことが目的…という訳でもなく、ただ自分の手でここまでの被害が出たということが何より面白く感じていた。
やがてキルケゴールの絶望はこのスターバーストだけでなく世界そのものを飲み込んでいくのだろう
ヤスパースは一つの信号を見た。
かつての脱走者__セオドロスが侵入したと通知が来たのだ。
そういった厄介事が起きた際、潰しに行くのは我々処刑チーム…しかし今はその処刑チームのキルケゴールが率先して暴れているのだ。
初戦自動で送られたメッセージ、向かう価値はない…が、相手がセオドロスなら尚更、面白そうなものが見れないかと思ったヤスパースはヴィトゲンシュタインの部屋の扉にノックをした。
ヴィトゲンシュタインは少しだけドアを開けてヤスパースを睨んだ。
開かれた空間から見える部分では端末に電源が着いていた。
おおよそ、自分と同じようにバイタルロストがいないかどうかを見たのだろう
…それか、自身の兄であるフロイトと連絡を取っていたか、だ。
「ヴィトゲンシュタイン…通知は見ましたよね」
「……」
「セオドロスが戻って来ました。この事態ですが…貴方行けませんか?」
「お前が行く気は無いのか?」
「私は…」
ヤスパースは言葉を濁しながら笑う
「私はあいにくあの怪物と殺し合えるような力は持っていないんですよ。貴方もお分かりでしょう?」
ヴィトゲンシュタインはさっきまでのヤスパースとキルケゴールの会話を聞いていた。それをヤスパースも分かっているはずだ。
分かっていて尚自分に行けと命令するのは、愉快犯のする事だろう。
「お前が何を目的にしているのかは知らない
しかしお前の悪意はよく分かる」
「あぁ…そうですか、照れますね」
「………」
ヴィトゲンシュタインは会話をする気力を会話をする度に無くされていった。
しかしとどのつまり___そういうことなのだろう
「私を殺す気だな?いいだろう。死地に赴いてやる」
ヤスパースはにんまりと笑った。
「ありがとうございます」
ヴィトゲンシュタインは棚から銃をいくつか持ち出すと、ヤスパースが邪魔だと言わんばかりに扉を勢いよく開けた。
「ターゲット、セオドロス。処刑開始……」
ヴィトゲンシュタインは扉から出ていった。
ヤスパースは後ろからこっそりと着いていき、端末の録画機能をオンにしてヴィトゲンシュタインを写し続けた。
ヴィトゲンシュタインは物陰に隠れて拳銃を持った。
普段ならもう少しご丁寧な物を用意するが、短時間であり、他の怪物たちが蠢いている場では選んでいる場合でもない。
_ターゲットが見えた。セオドロスだ。
セオドロス自身もなにかが起きると察しているのか、もう何かが起きていると分かっているのか、警戒しているようだった。
ヴィトゲンシュタインは人差し指を立てて世界に向けて呟く
「語りえぬものについては沈黙しなければいけない__」
セオドロスの動きが止まる。
ヴィトゲンシュタインは銃を構えて、撃つ
左腕に着弾。セオドロスは途端に腕を抑えた。
破裂した傍からじわじわと治っている。…どうやら継承者ではなく完成者に近い存在だと言うのは本当だったらしい。
ヤスパースはその光景を物陰に隠れてずっと撮っていた。
いいように写っている。最高の画角だ。
ヤスパースはヴィトゲンシュタインの権能を思い返す。
語りえぬものへの強制的な沈黙…無音化だ。
それは概念に作用する。
単純に周囲の音を消すものと同時に、相手の思考すらも沈黙……つまりは思考停止に陥らせる。
ヴィトゲンシュタインはその状態にしたターゲットに対して弾丸を放つ。
完全に暗殺向きの権能だ。タイマン向けとも言える。
このフィールドはヴィトゲンシュタインの独擅場だ。
しかし、相手は強固なエゴを持った存在であり、脱走者……
スターバーストでは脱走したの一言で終わらされていた彼は他の国やスラム街ではかなりの被害を生み出していたらしい。
最大多数の最大幸福を掲げ、善の為に悪を殺そうとしたダークヒーロー……少数派の虐げられていた存在からは敬われ、多数派の悪辣な支配者からは嫌われていた。
違法な研究所や、治安を悪くしている悪党共を殺して回っていたらしい。
処刑チームよりも、処刑をしていて、治安維持チームよりも治安維持をしている。
全くもって面白い存在だった。
アルベール・カミュが彼のことを知れば、きっと嫌うだろう。
太陽-カミュがどう思うかは知らないが…
セオドロスはヴィトゲンシュタインの姿を認識するまでに沈黙させられてしまう。
ヴィトゲンシュタインは心臓、脳、肺、喉、腹部に至るまで弱点と言える部位を次々と撃つが、どれも効果は無いらしい。
いや、痛みや行動不能には繋がっている。しかしそれらはセオドロスが行動をする上で支障がない程度に、無いものとして認識されているらしい。
彼は自分という存在を扱き下ろすことが何よりも得意のようだ。
セオドロスは段々と、沈黙を無視していく。
黙るのをやめていく
何かを話し続けている。
その音すらもヴィトゲンシュタインの権能でかき消されたままで、セオドロスは何かを叫びながら立ち向かう。
読唇術を使うのなら__彼が言いたいのはおそらく___
「意味は無い事を、どうしてし続けるのですか?」
「私は殺せませんよ」
「これ以上するのならば、貴方を殺さなくてはなりません」
「それはお互い嫌ですよね?」……らしい
あの子は自分が優位な立場であると分かっているようだ。
思考停止をさせ、撃ち続けても回復し続ける。
ヴィトゲンシュタインにはあれ以上出せる手はない。
やがて弾切れになってきたのだろう
ヴィトゲンシュタインがそのままセオドロスの前に出て、殴り飛ばした。
その拍子にヴィトゲンシュタインが持っていた銃などが地面に散らばる。
セオドロスはそれを確認しながら、ヴィトゲンシュタインに対して殴り返した。
相手を掴み、蹴り殴る。
ヴィトゲンシュタインが指を一つ立てる度にセオドロスは思考停止を余儀なくされる。
……どちらかが倒れるまで終わらないそれはしばらく続いた。
そもそもなぜ戦っているのだろう?
セオドロスは自身を殺そうとするヴィトゲンシュタインを撃退するためだ。
それでは、ヴィトゲンシュタインは何故こんな事をしているのか?
この非常事態に彼はなぜ、セオドロスの対処をさせられているのだろうか?
新たな驚異を、己の手で消す為もあるのだろう。
セオドロスという脱走者の脅威は処刑チームには充分知らされていた。
次にヤスパースがそれを行うように唆したからだ。
彼は声に従うままに、無意識下でそれを行わなければと思想を矯正されただけに過ぎない。
語りえぬものは沈黙しなければならない…と、常に対話を拒絶していた彼に言うことを聞かせることに成功したヤスパースはビデオに撮りながらほくそ笑んでいた。
自分の言葉たった一つであのヴィトゲンシュタインが動き、今も血みどろの抗争をしているのだから
ヴィトゲンシュタインに蹴り飛ばされたセオドロスは、地面に散らばった拳銃のひとつを手に取った。
死にかけとも言えるほどに体を動かさないセオドロスを見たヴィトゲンシュタインはゆっくりと歩み寄る。
ヴィトゲンシュタインがセオドロスを掴む直前に、煙が昇った。
ヴィトゲンシュタインの肉体から血が飛び散り、ヴィトゲンシュタインはその場にしゃがみ込む。
セオドロスが拳銃を持つ手は震えている。
そのまま銃口をヴィトゲンシュタインに向けると、何度も何度も引き金を引いた。
銃口から放たれる弾丸はヴィトゲンシュタインの肉体を容易く貫いていく。
あの拳銃は…M1911。通称コルト・ガバメントだ。
装弾数は8発…セオドロスは今4発撃った。
残りも次々に撃っている。ヴィトゲンシュタイン自体は抵抗もできずただ撃たれているだけで、セオドロスが拳銃の引き金を引き、撃つ度にヴィトゲンシュタインの身体が着弾の反動で浮立っている。
……あれはトリガーハッピーだ。
おそらく、自身の権能も使わず、近くで、殺すという生々しい触感で人を撃ち殺すなんてあの子供には初めてだったのだろう。
最後の8発目を撃った時、世界から音が蘇った。
セオドロスが引き金を引き続ける音だけが響く。
ガチガチガチガチと、何度も空間にひびきわたる。
その音を持って、ヤスパースは一つの事実を導き出した。
ヴィトゲンシュタインは死亡した__と
セオドロスは緊張状態からやっと開放されたのか引き金を引くのを辞めるとそのまま力尽きたかのように地面に座り込んだ。
ヤスパースには満足のいく結果となった。
ヤスパースはビデオを切り、保存をした。
端末の連絡用のアプリを開き今までの映像をそのままフロイトに送信した。
「セオドロスがヴィトゲンシュタインを殺害しました」
ヤスパースはフロイトにそう送った。
既読はすぐに着く。しかし返信はすぐにはつかない。
1時間程ある映像だ。飛ばし飛ばしに見ても長くかかる。
しばらく待ちながらヤスパースは他に死亡した継承者はいるのかどうかを見た。
…かなりの死者がいるらしい。
ヴィトゲンシュタインとセオドロスの方を見ていて気が付かなかったが、ダンテすらも収容違反したみたいだ。
ダンテは…他の完成者と違い、その驚異から厳重に拘束されていたはずだが………
ダンテが収容違反した時間の次には、ミケランジェロとロダンのバイタルロストが来ていた。
ヤスパースには一つ合点がいった。
おおよそ、ロダンが地獄の門を使い、ダンテを召喚してみせたのだ。…理由は分からない。嫌になったんだろう。この世界そのものが
ヤスパースはニコニコとしていた。
そうしている間にフロイトから返信が来ていた。
「お前は見ていただけか」
ヤスパースはキーボードをタップする。
電話越しでもなければ文字だけのやり取りである今は、自分の人心掌握の権能が上手く扱えない。
つまり、嘘が書きにくい。
「えぇ、私は戦闘用の権能を持っておりませんので」
「白々しい言い方はやめろ。私の弟を唆して、見殺しにしたんだろう」
「おや、なぜそんなことが言えるのですか?」
少しの沈黙の後、フロイトは再び文字を打ち込んだ。
「私の弟が、この事態の中私の連絡を無視してセオドロスという名の怪物の討伐になど行くわけが無いからだ」
ヤスパースはその返しを見て笑い声を漏らした。
「そうですか、良い絆ですね」
「黙れ」
「黙ります。そろそろ連絡を取る意味などないので……
あぁそうそう、ユングさんはどうしました?生きてます?」
「記録で見たはずだ。殺されたよ。お前が同じく唆しただろうキルケゴールの仕業でね」
「そうですか。それでは良い夢を」
「お前の筋書き通りに行ったようで、反吐が出るよ。ハロルド」
ヤスパースは端末の電源を落とした。
フロイトに最後__本名で呼ばれた。
「ハロルド…ハロルドだって……ッハハハ!」
ヤスパースは端末をそこら辺に放り投げると、立ち上がる。
目の前には……セオドロスがいた。
「お久しぶりですね。ヤスパース」
「あぁ…久しぶりだね。セオドロス」




