処刑チーム篇 第四話『フォールアウト』
『事実というものは存在しない
存在するのは解釈だけである
-フリードリヒ・ニーチェ-』
葬儀屋達の起こした事態の被害はとても大きなもので、孤児院の方は被害が無かったのは良いものの他の所はどこも酷い被害を受けていた。
全員が集まる中で話を聞いていたが、観測チーム、治療チーム共々リーダーであったユゴーとノストラダムスが葬儀屋に持ち帰られたのは不味いのだろう。朝からバタバタとしている。
心療チームのアドラーが殺されたと聞いた時カミュは心の中で何かが渦巻いた気がしたが、その正体は分からないまま孤児院へと思った。
何はともあれ、自分たち教育チームの人間が成すべきは子供の育成だ。
カミュは自室からサッカーボールを取り出して、子供たちにサッカーをしようとお誘いをしてグラウンドに出た。
__自室でニーチェは一つ考え事をしていた。
ここまでの被害が出たのにも関わらず全員上層部の指示に従って生きるしかないのは、人生を損しているのではないか…?と
人生を損得で考えてはいけないのは百も承知だ。
ニーチェは机の引き出しからドストエフスキーから受け取ったフェルメールの真珠の耳飾りを取り出した。
かつての孤児として、お互いがフェルメールとニーチェである前から兄弟だった私に持っておくべきだと言われもらった遺品。
記憶が無いが血の繋がりがあるのだろう兄…フェルメールの事を思い返す。
処刑チームと治安維持チーム…街や人を守る意味では裏と表のような関係だった二つのチームは交わる事はなく、互いが偉人となった後には会話すらなかった。
果たして何故兄は自殺をしてしまったのだろう?
死を見届けたドストエフスキーの報告書には空の青色に惹かれていくように落ちていったと書いてあったが、なんだ。事実を書くにしては小説家の本性が出てきているような気がする。
…普通に飛び降り自殺とだけ書けばいいのに
青色……フェルメール・ブルーの事を言ってるんだろうか
だとすれば兄は最後まで偉人のまま死んだといえる。
継承者とすれば、それは名誉ある死なのか?
時計を見るともうすぐ昼ごはんの時間だった。
仕事の無い日は各々やりたいように過ごすが、いつも食事を用意するのはヤスパースだ。
彼が来る前までは全員順番で作っていたな…
デカルトは良くも悪くも普通の味だ。徹底してメニュー通りに作るのだから…
キルケゴールのは思い出したくもない。美味しくないと言えば、彼女の料理の評価としては満点な方だ。……常に不味い。調味料がどうしてその量であると言われているのか分かってない。
ヴィトゲンシュタインの料理は上記の人達に比べれば美味しかった。作る料理の内容といえばシンプルなものだったがそれでも温かさのようなものがあって私は好きだったな…
……私の料理は普通であったと思いたい。
私は…私の料理がマシだったとは思う。傲慢にも私の料理が一番だとは言わないようにするので…
ヤスパースの料理は一番美味しい。彼自身が料理を引き受けたのは、その腕に自信があったからなのだろうか。それとも自分の美味しい料理ばかり食べているから舌が肥えているのだろうか。
何はともあれ、彼の料理は美味しい
ニーチェは椅子から立ち上がると、すぐさまリビングへと向かった。
ヤスパースが自分含め五人の料理を机に置いていっている。
既に他の人達は座っている。
デカルトの顔は葬儀屋の襲撃以来良くないままだ。
常に怒ったような顔をしていたが、最近はずっと疲れている顔をしている。
ヤスパースが傍に座ってカウンセリング…矯正をしようものの彼の精神の主導権は上層部が握っている。
既に心というものが上層部の手により握り潰された彼の心にはヤスパースの囁きによる快楽物質など伝わるとしても極少数のみで、日に日にやつれているように見える。
食事自体は全て取るように命令されているからこそ、全て食べきっているが……
過去にフェルメールの死後にフロイトとドストエフスキーが飲み会を交わしている場にこっそり忍び込んで会話を盗み聞きしたことがある。
理由としては…なんとなくしたくなっただけで……
その会話の中ではフロイトの弟はヴィトゲンシュタイン、フェルメールの弟はニーチェだと言っていた。互いに上層部の洗脳を強い自我で跳ね除けて生きてはいるが、人を殺すのはさぞ辛いだろうと…
フロイトの言った事が鮮明にも思い起こされる。
「__奴も私のも、良く耐えている方だ。デカルトのようになった方がいっそ幸せだろうに………いや、これも決めつけてはいけないかな」
そう言っていたのを、ニーチェはずっと覚えていた。
それを聞いてからずっと、報告書で死んだと書いてあっただけのフェルメールは自分の兄なのだと思うと、途端に報告書に書いてあったフェルメールについての文字列が愛おしく、憎たらしく感じた。
そんなことを考えながら食事を頬張っていると、ヤスパースから「キミは大丈夫?」と声をかけられる。
優しく心に浸透するようなその声は、どこか上層部の在り方ノソレを感じさせた。
「大丈夫だとも!私は超人なのだからな!」
精一杯声を張り上げて食事を全て平らげたあと、すぐに寝室に戻った。
おそらく虚勢を貼っているのにヤスパースは気付いてる。
おおよそどうでもいいのだろう。ほっとかれている。
彼の執着は自分にとって操作しやすい相手であるキルケゴールにしか向いていない…と、思う。
神への信仰と真理に生き、洗脳により歪まされた信仰心を振りかざすキルケゴールは、その信仰という点で唆しやすいのだ。
「まるでイブを唆す蛇だ……」と、ニーチェは呟いた。
蛇はイブに善悪の果実を食べさせた。そして、イブはそれをアダムと共に食べた。
彼ら二人は自身が裸であるということに恥ずかしさを抱いてイチジクの葉で隠し、それを神に指摘されたのだ。
ヤスパースはその逆で、盲目になる果実をチラつかせてキルケゴールから善悪という真理を隠している。
それらは…彼らが偉人だからできることだ。
ヤスパースの方はその偉人性を振りかざしすぎている節があるが…両方、神への信仰者として、人の心に寄り添う者として生きた偉人だった。
偉人の概念はフロイトが言うには超自我に当てはめられるらしい。核として埋め込まれた本能はエスと…
そうして、今こうやって思考している私のようなのが自我だと。
それで言うならヤスパースとキルケゴールは超自我に潰されてしまったのだろう。と、ニーチェは結論づけて再びフェルメールの耳飾りを見た。
兄もそうだ。自分の兄という自我を潰されて偉人に染まって死んで行った。
自分も長い間ニーチェとして生きていたのを上層部の洗脳に捻じ曲げられて人殺しをさせれて生きてきた。
そんな狂った生活の中で、思いの外やっていけるものなのだと驚いていたのは私だけなのだろうか?
_果たしてそれは、我々として名誉ある死なのだろうか?
いいや、違う。
我々としての名誉の死は、上層部の指示も、偉人の概念にも己の意思で拒絶し、己自身の選択で死ぬ事だ!
_私が私として生きた証明になる為には、どうする必要がある?
ニーチェは仕事用の棚を漁り、拳銃を取り出した。
コルト・シングルアクション・アーミー…SAA
通称ピースメーカーだ。
これから先、全ての継承者へ目覚めを与える為のものとしては素晴らしい銃だ。
ニーチェはその拳銃を__机に置いたフェルメールの耳飾りに対して向けた。
弾が入っていたか、弾が入っていないかの確認
引き金を引くと、その重みが十分に理解できた。
次に強い反動と、火薬の音、壊れる耳飾り。えぐられる机。
ニーチェの望みは達成された。
そのままポケットに拳銃を入れる。
手は何ともない。反動が来ると分かってた。
弾が入っていると分かっていた。
その弾丸は、全ての未練を消すのに十分な衝撃をくれた。
ニーチェは次にカレンダーを見た。二日後には集団での会議がある。
葬儀屋の襲撃に対してのこれからの対策を全ての継承者が話し、聞くことになる。
デカルトが何かを言ったようで、珍しく処刑チームも参加できるようだった。
だから狙うならそこだ。
ニーチェは壊れた耳飾りを見ながら、椅子に腰掛けて昼寝を始めた。
__望んでいた二日後が来た。
全員が椅子に座り、司令チームと対策チームが前の方にいる。
各々暗い顔をしてしまっている。仲間を失ったからだ。
ここにいる何人が、偉人として嘆いているのだろうか?
ここにいる何人が、自我に従い己を奮い立たせているのだろうか!
ニーチェは静かにその時を待った。
懐に忍び込ませた拳銃の重みを感じながら
フーコーが司会を務め、今後について話していた。
葬儀屋サイドの危険性と、上層部に持ちかける今後の方針と施設のセキュリティについてだ。
フーコーが言うには「上層部は我々の権能に頼り過ぎている。私達だって万能ではないのにね」…と。その通りだろう。
彼らが我々という偉人に依存せずにいたならこんなにも被害はなかったはずだ。
会議も終了に差し掛かり、フーコーは「他に意見のある人はいる?」と言った。
__遂に来た!待ち望んでいたこの時が!
誰も手をあげない中で一人だけ、手をあげた。
フーコーは驚きながら、私の名を呼んだ。
「処刑チーム……ニーチェ…どうぞ」
ニーチェは椅子から立ち上がると、堂々と前のマイクに向かった。
「あー…あー…うむ、よろしい」
マイクをポンポンと叩き、声が伝わることを確認した。
デカルト、キルケゴール、ヤスパース、ヴィトゲンシュタインの四人は困惑した顔で見ている。
ヤスパースは珍しく真顔だ。あの気持ち悪い笑顔ではなく
自分が何をしでかすのか分からなくてさぞ怯えていることだろう!
「諸君!聞こえるかな!私の声が!!」
ニーチェは両腕を広げる。分かりやすくジェスチャーを交える。
その様はまるで、死後ニーチェの本を利用した独裁者のように見えているだろう。
「今我々は境地に立たされている!
多くの仲間が死に、多くの損失を得た。
平穏というものは、我々がかつて生きていた時代よりも遠い場所にある!
それもこれも、誰のせいか?…そう!上層部のせいに他ならないだろう!」
「ニーチェ!」
デカルトが叫んだ。
ニーチェはすかさず、デカルトに対し有効なコマンドを伝えた。
「デカルト!お座り、…喋るな」
それを聞くとデカルトはその通りに座り直し、喋らなくなった。
なんて可哀想に、彼は偉人の概念とも、体内の核とも、己の自我とも違うまた別のものの奴隷なのだ。
彼も解放させてあげられたら、なんて幸せか!
「神は死んだ。我々が殺したのだ」
ニーチェはそう言い、マイクを机に置いた。
「悲しみも喜びも全て含めて我が人生!
それをそのまま受け入れ、愛し抜くと決めた!
だからこそ、戦う物が呑み込まれ、怪物となる前に!…だ」
私は懐から拳銃を取り出して、自分の顎に添えた。
アルキメデスは悲鳴をあげている。何をするのか分かったんだろう
私は精一杯の笑顔を全員に見せた。
「私はこの人生を何度繰り返してもいい!
何度でも、この人生をもう一度と、思えるような生き様を見せてやろう!」
ニーチェは引き金に指をかけた
「私の死をもって、お前達に目覚めをやろう!」
耳飾りを壊した時より軽く感じた引き金を、引いた。
どこか空を飛んでいるような浮遊感がある。
兄もきっと、この中で死んだのだ。
ニーチェはそのまま、崩れ落ちた。
__カミュはその一部始終を見て、しばらく動くことができなかった。
治療チームがニーチェの死体に向かうのを見ながら、命が簡単に消えていくのを知った。
横に座っていたキルケゴールの方を見る。
酷く狼狽していて、ニーチェがなぜ死んだのかも分からないのだろう。
「何故彼はあんな事を…」
震えた声でそう呟くキルケゴールを、後ろに座っていたヤスパースはそっと包み込む。
「キルケゴール…落ち着いてください。彼はね…自分の真理のままに生きたのですよ」
「真理に…」
「彼は彼として生きることを選択し、死んだのです。彼は…幸福ですよ」
死人がもう口を開くことが無いからといって、ヤスパースは好き勝手に解釈をキルケゴールに語り続ける。
良い気休めになるのだろう。
死んだ事を後悔している相手に対して、彼が選んだ死は幸せなものだと囁くのは
やがてキルケゴールはヤスパースの囁きを聞き続けると、悲しみではなく喜びの涙を流し始めた。
見ているだけで気味が悪い光景をカミュはずっと見続けた。
「嗚呼…彼は素晴らしい人間でした……。私達もあのように生きなければなりませんね…己の意思で、大衆に抗うのです…!」
恍惚としたキルケゴールは運ばれていくニーチェの死体を笑顔で見つめていた。
ヤスパースは少し疲れを見せていたが、キルケゴールのその結論に満足が言ったように笑顔になった。
ニーチェの死から一ヶ月後、深夜にデカルトはリビングに居た。
近くには葬儀屋の襲撃によるユゴーの死に様の報告書があった。
__妹だった。ユゴーの死に様について、見た。
デカルトは天井の照明に縄を括り付ける。
「リーダー。何しているんですか?」
「……」
デカルトは声のする方__ヤスパースを見つめた。
天井に縄を括る時点で、ヤスパースには何をするか分かっていたはずだ。
彼の声には心配や焦燥というものはなく、ただ事実を確認したいが為の冷淡さを感じた。
「……」
「…対策チームのユゴーさんの死がそれほどお辛いのですか?」
ヤスパースは一つ一つ、既に定められた事項にチェックをつけていくような話しぶりでデカルトに問いかける。
「そうだ」
「妹さんだった…と聞きましたが」
「合っている」
まるで拷問されている気分だった。
「死ぬのですか……今のお気持ちは?」
ヤスパースはやっとチェック事項に無いことを聞いた。
自由回答の枠だ。ヤスパースの本当に聞きたい…趣味の枠だった。
デカルトはしばらく沈黙をした。
報告書の方を見る。
「もう何も分かりはしない…」
デカルトはそのまま、椅子の上に立つ
「あの子の為にと、今まで自分を削ってきていた。あの子を守るために…だ。」
目の前に作った縄の輪っかを己の首にかける。
「妹は…私にとっては始まりで、全てだったんだ」
デカルトはヤスパースの方を見る。
彼はいつものようににこにことしてこちらを見ていた。
「…ヤスパース」
「なんですか?」
「私もお前も満足には死ねないだろうな」
そう言うと、デカルトは立っていた椅子を蹴り落とした。
自分の重みで首が縄に引っ張られる。
ギチギチとした縄の声は、デカルトの身体の重さにつられて大きくなる。
しばらく苦しむと、やっと首の骨が外れる音が響いた。
ヤスパースはその様子をずっと見ている。
対して悲鳴もあげず、死への恐怖で暴れることもせずゆっくりと死んでいくデカルトを見ながら先程言われた言葉を噛み締めていた。
「貴方が死んで暇になりますね」
「でも、良いんですよ」
「貴方のお陰でまた別の暇の潰し方を思いついたので」




