処刑チーム篇 プロローグ『心身を蝕む者』
『本当に重大な哲学の問題はただ一つ、自殺である
-アルベール・カミュ-』
路地裏を二人の男性が走っている。
「ハァッ……ハァ……ッ!ハハ…ッ!足の調子はどうだ!?ミヤザワ!」
トレンチコートを着た男性は横にいた黒いコートを着た男性にそう話しかけた
話しかけられた方は息を切らしながら答える
「今…話しかけないで……息きれてるから…カミュ…」
ミヤザワはカミュのコートの袖を掴んでカミュに引っ張られる形で着いて走っている
「ハハ…」
「楽しそうだね。カミュ、どうせ時期にボクらは殺されちゃうのに」
「やった事に意味があるのさ!ミヤザワ……でもそうだな。キミにはせめて逃げ切って欲しい!」
二人は背後から聞こえる鎖の音に聞き覚えがある
角を曲がってそのまま立ち止まる。
カミュは深呼吸を繰り返す呼吸をしながら、ミヤザワの肩を両手でがっしりと掴んだ
「もう一回言う。キミに逃げ切って欲しいんだ」
「囮になる気?」
「もちろん。そもそもこれに巻き込んだのは私だしね」
カミュはただ笑って答えた
「私は、脱走したこと自体に意味を見出して逃げた。でも君にはイーハトーブがある。そうだろ?」
「それは…」
「イワテケンだっけ」
「それは…あの…うん。モチーフが…ね?でも、そんなのあるわけない」
カミュはミヤザワの肩を強く揺らした
「君が諦めてどうする?追い求める限り、それは必ず存在する。こんな狂った世界だ。あるに決まってる。我々が、キミの本を見た多くの人が、それを夢に見たのなら!」
カミュの強い意志により、ミヤザワの瞳は少し揺らいだ。
「私にはゴールは無い。サイコロを振ったっていうきっかけだけ。でも君には?イーハトーブというゴールがある。私が君に託したいのはそういうことさ」
カミュはミヤザワから手を離して肩をぽんと叩いた
「共倒れよりマシだろ?」
「……生きてて、せめて死なないで」
「お互い様ね」
ミヤザワは一切振り返らずに走って去っていった。
鎖を引きずる音が近付いてきている
カミュは煙草をポケットから取り出し、口に一本加えて火をつけた。
そのまま対峙なんてする訳もなく、限界まで逃げ切る為にミヤザワとは反対方向に逃げた。
その時に見えた姿は鎖を纏う女だ。
オーバーに羽織られた上着と、四肢と首を繋ぐ首輪がまるでマリオネットのように頭上の輪に取り付けられている
「キルケゴール…」
処刑チームに所属させられている継承者であり、哲学者のカテゴリーには法則がある。
鎖の数が抑止力の数だと、それが多いほど恐ろしい存在であると視覚的にも伝えられるようになっている。
司令チームのサルトルからの言伝__
デカルトは拘束無し、ニーチェは両腕をリーチの長い手錠で、ヤスパースは両足、ヴィトゲンシュタインも同様に両腕と口に枷を……それを聞いていたら、あのキルケゴールの拘束の数はおぞましいとさえ言える。
__では何故そこまでの存在をわざわざ洗脳してまで駒にしようとするのだろう?
カミュが余計なことを考えている間にキルケゴールからの攻撃が来る。
射出された鎖はカミュの横を貫いていき、かすった左頬からは血が滲み出た。
「…ッ」
カミュは血が滲む左頬の傷に少し触れた。
気にしている場合ではない
次の攻撃がどの方向から来るのか見る必要がある。
カミュは少し、キルケゴールがいるであろう方向を見た。
_泣いていた。
泣いている。両目からボロボロと涙を零している。
何を言っているかまでは自分の息がうるさすぎて聞こえない。
でもここでカミュは思った。
したくない事をさせられているのでは?
やはり洗脳によって捻じ曲げられているだけで、本当はしたくないのだ!__と
普段ならしない誤認をしたのは、そうであって欲しいという願望の方が今の絶望より強かったからだ。
カミュは対話しようと立ち止まった。
「キルケゴール…?セーレン…キルケゴール……」
獣を宥めるようにカミュは静かに声をかけた
キルケゴールはそれが聞こえたのか、カミュが立ち止まった事を認識して同様に留まった。
頭上の輪から鎖を鳴らしながらキルケゴールはその場に少し浮いて止まっている。
見てくれだけなら本当に、等身大のマリオネットだ。
「…キルケゴール、あの、キミは__」
「なんて可哀想だ!あぁ…嘆かわしい!!」
キルケゴールは先程よりもずっと激しく泣き始めた。
それは大袈裟な演技のように
それは本当に悲しんでいるように
「カミュ……ミヤザワはどうしたんだ?」
「…逃がしたさ」
「キミは囮だ___と?」
「そうだ」
キルケゴールはより泣いた。ずっと袖で涙を拭っている。
「なんと素晴らしい友情…自身が死んでも友の命だけは守ろうと言うのか……!」
「…キルケゴール、キミは…やりたくてこんな事しようとしてるんじゃない。そうだろ?」
カミュは少しの期待を込めてキルケゴールに語りかける
「洗脳されて、殺人は良いものだと思い込まされている。…だろ?」
「…そうですね。殺人は良いものではありません」
「…だ、だったらもうこんなこと……」
「ですがその苦痛こそ、神へ信仰を見せる時なのですよ」
カミュは一瞬、頭の中身が真っ白になった。
「は?」
「人を殺したくはない。痛みに悶える人…苦痛に喘ぐ人…そういった人々を何度も見てきました。その分多くの人間を殺しました。
しかしだからこそです
罪を犯せば犯すほど、私という存在は存在している
この苦痛の罪こそが…!神への唯一の真理なのだと!!」
「クソッ、何言ってんだお前………!」
カミュは煙草を吐き捨て、懐から拳銃を取り出した。
できれば撃ちたくはない。むしろ、撃てる気はしない
威嚇射撃だけで見逃して欲しい!暴力どころか、人を殺す事なんてきっと自分にはできはしない!
ましてや目の前の怪物の言葉を聞いた後に引き金を引けるなんて思ってもいない。
カミュは、拳銃をキルケゴールに向けて構えた。
「可哀想に、なんて美しい魂……自己を犠牲にして、他者のために死ねるなど!」
「美しい魂って呼ぶの、サルトルだけにして欲しいね!」
カミュはキルケゴールから外れる位置に弾丸を放った。
もう少し近くに撃つつもりだった。
自分が頭の中で理性的に自分を分析できていた分、思いのほか自分が怖がっていることに撃った後に気付いた。
「ふふふ…」
キルケゴールはわざとらしく外れた弾丸の後を見て、上着から鎖を伸ばし、射出した。
それを見たカミュはすぐさま後ろを向いて逃げる姿勢に入る。しかし躱しきれなかった鎖がカミュの左足に直撃する。
左足に突き刺さった鎖は、今までそれがあったのが当然かのように癒着していた。内部では、鎖が鎖として存在している異物感が確かに感じられるものの、痛みはない
「これは……」
違和感を口にする暇も与えられず、グンッ_と引っ張られ、カミュは地面に打ち付けられた
「ぐぁ…!」
硬い地面に強く打ち付けられ、強くむせた。
鎖でカミュを引き戻しながらキルケゴールは歩みを進めた。
カミュはその結末から逃れたい一心で指を地面に突き刺そうも引っ張る力の方が強く、爪の方がベキベキと割れては剥がれていくだけだった。
「哲学上の自殺でしたっけ…?
貴方、私の考えをそれに入れていましたよね…?酷い…」
キルケゴールの袖口からまた別の鎖が伸びる。
それはカミュの背中に突き刺さる
「あ…ッ…!」
背中にじわじわと異物感が広がる
「神への信仰を……よくも自殺という低俗な考えで穢してくれましたね……!!」
キルケゴールの絶望と怒りに呼応するように、体内に差し込まれた鎖が強い熱を帯びる。いつの間にか体内に広がりすぎていた鎖は内蔵だけでなく皮膚表面にまでその苦痛が及んでいる気がしたカミュはただ身体を包むように蹲る
「あ…!あぁあ……!」
「…いけません。殺さなければならないのでした…!」
キルケゴールは剣を取り出し逆手に持った。
「刺すのは首でよろしいですね!」
キルケゴールは少し微笑んで、刃を振るった
「__待て!」
その声が響くとキルケゴールはカミュの首に刺さる直前で手を止めた
キルケゴールは少し起き上がり、声のする方向を見た。
カミュも体制を変え、そっちの方を見た。
二人の目線の先に居たのはサルトルだった。
酷く息を切らしながら、端末を持って立っていた。
「命令だ。止まれ」
「嫌です。私達は上層部の指示しか聞きません」
「黙れ、上層部からの命令でもある。カミュの処刑をやめろ」
「……」
キルケゴールは改めて自身の端末を確認した
確かにそこには中止の文字があった
「………」
キルケゴールはカミュに刺していた鎖と、刺す直前だった剣をしまった
地面に伏せているカミュを一瞥すると「命拾いしましたね。その分どうぞ、苦しんでいてください」と言い、キルケゴールは去っていった。
助かったという気持ちと、先程までの苦痛から解放されたカミュはそのまま気絶した。
「__あ!おい…お前………!」
最後に見たのはサルトルの焦り顔だ。
次に目を覚ました時は治療チームの病室だった。
点滴が繋がれているのを見て、心拍数を表す機械の音が鳴っているのを聞いてカミュは自身が助かったのだというのを理解した。
ナースコールを押すと、看護師が入ってきた。
「あ、目を覚ま…ま、待っていてください。ナイチンゲール様!」
看護師がバタバタとどこかに走るのを見送ると「急いでいるからと言って廊下は走るなと教えたはずです!」と怒るナイチンゲールの声を聞いた5秒後ほどに、ナイチンゲールが病室に入り状態の確認をとった。
まだ目覚めたばかりなので、数値は不安定だが概ね健康であるというアセスメントだった。
後にノストラダムスが来ると、正式に大丈夫だとお墨付きを貰った。
それでも休めとの事なので、カミュは白色ばかりの病室で寝てばかりいることにした。
大丈夫との連絡を受けて次の日にサルトルはフーコーを連れてやってきた。
最初にフーコーが話す
「貴方のお陰で、より死角を見つけれましてね。監視カメラを設置する仕事ができて光栄ですよ。この節はどうもありがとうございました」
「そりゃ良かった。キミはパノプティコンに引きこもりすぎなんだよ」
フーコーが殴りかかろうとするのを、サルトルが止めた
続けてフーコーは「今後どこかに行く時は司令チームの誰かと共に出ること。教育チームではありませんからね。あくまでも監視内に貴方がいることが重要です」と説明した。
言いたいことを言った後、フーコーは立ち上がってかがみながら病室を出ようとして、独り言のように話した
「処刑チームが動くということは上層部も認知をしたということです。普段なら私が見なかった事にしてあげていましたが、今回ばかりは庇えなかったんですから…反省してくださいね」
そう言うと、フーコーは去っていった。
「…彼には苦労させたかなぁ」
そう呟くと、すかさずサルトルはカミュにゲンコツを食らわせた
「苦労しかかけてない。この反抗期が」
「…」
「まぁ、ミヤザワは逃がせたようだな。良かったね」
「ふん……」
サルトルは持ってきたリンゴの皮を剥き始める
「サルトル…処刑チームの人たちが洗脳をされている…無理矢理人殺しをさせられているというのは、本当なんだよな」
サルトルは手を止めない
「本当だ」
「…………」
「洗脳自体も限界だとは思うが…お前が死にかけてた間、新しいメンバーが加わっている」
「…誰なの?」
「ヤスパース。二つ名は包括者だ」
カミュはゾッとした
「処刑に一番相性が悪い偉人じゃないか、彼も、彼すらも洗脳でねじ曲げてまで………」
サルトルがナイフを差し込んでまで剥いていたリンゴは、原型がない。
下手くそな剥き方だ。実まで削っている。
「最悪だ…」
「上層部の考えていることはよく分からないがな」
そっちじゃねぇよとカミュは言いたくて仕方なかった。
サルトルは潰した空き缶のようなリンゴを「私が剥いたのだからありがたく食べたまえ」と差し出した
カミュはありがとうを言わなかった
サルトルはそれを長年の信頼関係のものだと思ったまま、端末を弄る。
「処刑チーム…改めてメンバーを話しておいてやろう。その危険性もな」
サルトルは一人ずつ話し始めた
「デカルトは確実なもの以外を一切認めない
ターゲットが許しを乞おうが、何しようが、彼がこの個体は排除すべきと理性的・数学的に判断した瞬間、君は座標軸から消去される点に過ぎなくなる。…まぁ最近は拷問しかさせてないみたいだがな」
「人殺しはさせてない…んだ。拘束もされてないんだっけ?」
「彼は上層部の職員の玩具にされているよ。もっと体良く言ってやろうか?着せ替え人形だよ」
「何も良くない」
サルトルは鼻で笑った
「キルケゴールは…君も身を以て知っているはずだ。彼は申し訳なさそうに相手を殺せる。それが一番性質が悪い。
自分の内なる神と真理の為に相手を殺す罪の苦痛に悶えているんだ。最悪のマゾの女だよ」
「…酷いな」
そうだねと、サルトルは言った
「ニーチェは、不思議だ。名前とその思想の影響なら世界でもかなりの威力を誇るが、彼自身はどこが芝居がかったような雰囲気がある。良くも悪くも、世界の思うニーチェ像を演じているようなものだ。大声で弱者を否定し、力と意志を肯定するニヒリストと思うだろうが……ん〜、ま、キミが唯一対話して見逃して貰えるとしたらこいつだけだろうな」
「…なんか意外かも」
私もそう思うと、サルトルは言った
「ヴィトゲンシュタインについて、語るものはなにもない。。彼は言語の限界を知っている。相手がどれだけ言葉を尽くして説得しようとしても、彼はそれを無意味な音としてしか捉えない。彼が銃口を向けた時、世界はただ沈黙する。……反論する隙すら与えられないんだ」
「一番処刑というか…暗殺っぽくはあるね」
サルトルは同意した
「ヤスパースは…ターゲットを死の直前まで追い詰め、どう崩れるかを観察する男だ。彼との対話は、魂を削り取る儀式のようなものだな。いいか?対話に応じてはいけない」
「デカルトよりも拷問に向いていそうだな」
「確かにな。ヤスパースの処刑の記録は…黒塗りで分からないのもあるが、他のメンバーに比べて直接的死因が書かれてない。謎だ。データが少ないのもあるかもだろうがな」
一通り伝え終わると、端末の電源を落とした。
「…どの道、処刑チームに喧嘩を売るような行為…それも、上層部に対して立ち向かうような意志を見せるのはやめろ」
カミュは不貞腐れたように下唇を突き出した
「お前に死んで欲しくない。今回だってどれだけ上層部の説得に苦労したと思ってる」
それを聞くと、カミュは渋々了承した
「逆らえないのは面倒なことだな」
「継承者になったのだから仕方ないだろう。この身である限り、逆らえない。唯一逆らえるのはタガが外れた完成者だけだ」
サルトルがそう言うと、カミュは追記するように今の言葉を否定した。
「孤児院で見ている子供達も、彼らに刃向かえる子達だ」
「笑わせる。たかが無力な子供だ。私達がそれを一番わかっているはず」
「分かってないのはそっち…いつか現れるさ。私達も上層部もびっくりさせるような子供がね。子供は…無限の可能性を秘めてる。私達が思う以上にね」
カミュがそういうのをサルトルは黙って聞き届けると、「さっさと治して現場に復帰しろ、教育チームの奴らも心配しているんだ」と言って、帰っていった。
カミュは白い部屋で、やっとうるさい隣人が消えたのを確認するとリンゴを芯まで食べきってゴミ箱に捨て、そのまま眠りについた




