治安維持チーム篇 第六話『地獄の開門』
『主よ、私がいつも、成し得る以上のことを望むことを許したまえ
-ミケランジェロ・ブオナローティ-』
その日は何ともなかった日で、葬儀屋の襲撃とニーチェの自殺からやっと立ち直ろうとしていた時期だったはずだ。
治安維持チームはわだかまりが解けたゴッホとテオドルスを再び迎えて、ミケランジェロとロダン合わせて四人で朝食を取っていた。
いつも通りに街をパトロールしようかなんて話し合っていた時にアラームが鳴った。フロイトからだ。
キルケゴールが暴走したとだけ伝えられ、即座に対処して欲しいとの要望だった。
それを見た時、ミケランジェロは誰を向かわせるかを考えた。
処刑チームのセーレン・キルケゴールの継承者…死に至る病、絶望や不安……。しばらく考えているとゴッホが手をあげた。
「ボクが行きたい」
ミケランジェロはすぐに却下した。
キルケゴールほどの強大な精神体に、ゴッホではすぐに不安定になって絶望に取り込まれてしまうと説明した。
しかしゴッホは譲らなかった。
「ボクはゴッホだけど、クルスでもあるんです。フィンセントと一緒に生きようって決めました。」
ゴッホはテオドルスの腕を引っ張った
「それに弟のテオドルスが居れば、もっと安定してます。それにミケランジェロさんとロダンさんじゃ物質的すぎるし、やるなら同じ概念に近いボクが最適かな…って…」
段々と自信がなくなってきたのか声が小さくなっていたゴッホの意思を尊重して、ミケランジェロは許可を出した。
「死にはするなよ」と、付け加えて
「もちろん!行こ!テオ!」
「…うん!ゴッホさん!」
ミケランジェロとロダンは二人を見送った。
しばらく連絡があるまで待機していた時、汽笛が鳴った。
_その音に聞き覚えがあったのはミケランジェロだけだった。
「…伏せろ!」
「はぁ!?」
ミケランジェロはロダンを掴み、一緒に床へと伏せさせた。静寂が続く。
「何を言われても、頷くな。絶対に乗るな」
ミケランジェロがそう言うと、背後から誰かがこちらを誘う声が聞こえてくる。
__一緒に電車に乗ろ?
__一緒に行こ?
__天国まで行こう?
子供の声が聞こえる
「…乗らない。私達は私達で死に様を選ぶ。去りなさい
お前の親友はここにはいない。カムパネルラ」
ミケランジェロがそう言うと声は遠ざかっていった。
「…今のはなんなんだ?」
ロダンがそういうとミケランジェロは少しだけかいつまんで説明をする
「元探索チーム。親友-カムパネルラだ。今は……完成者の、鉄道-カムパネルラだ。
アレは天国へと引き上げる怪物だ。自殺したいなら着いていくことをオススメしよう」
「……」
ロダンは少し顔を曇らせた。
ミケランジェロはその様子を見て、ロダンに寄り添った
「悩み事か?」
「この状況で無いと思うか?」
「………」
ロダンの心には自殺したニーチェの事が残っていた
「上層部なんて、この世界なんて終わらせた方がいい気がするんだ」
ミケランジェロはその愚痴を黙って聞いたまま、気分転換に外を見ようと誘った。
二人は外に出た。
ミケランジェロもロダンも両方、端末をアトリエに置いてきた。連絡も、誰かが死んだかも確認はできない。むしろしたくないから置いてきたのだ。
ロダンは数歩歩いた先で、振り返って両手を広げた
「…世界終わらせちゃおっか!ミケランジェロ!」
満面の笑みでそう言った。
「…何を言ってるんだロダン」
「もうさ!もう嫌なんだよ!こんなのさ!何の為にこんな事をしてるのか分からなくなっちゃって…!」
「世界を救う為だ」
「その世界に!!」
ロダンは一呼吸置いた
「その世界に……私達は入ってない」
「この世界が救われるには、堕ちた星が消えなきゃダメだ
じゃあ私達は?同じように星の核を持つ、同じ怪物……それじゃあ、それじゃあ…私達も死なないといけないじゃないか…世界を、救う為なら…」
「ロダン………戻ろう?」
ミケランジェロにはロダンのやろうとしている事が分かっていた。
それを考えたくないからこそ、ロダンに背を向けてアトリエのドアノブを掴んだ。
…ロダンは完成者となったダンテを都合よく動かす為に造られた存在。結局それもできなかったが故に、同じ芸術家だからと治安維持チームに置かれていたが、上層部からの扱いといえば他の継承者に比べたら雑なものだろう。
いつの日か上層部の職員達が話しているのが聞こえた「低レアキャラだからいつか死ぬだろ」と、低レアというのが彼らの中で何を意味するのかまで考えるのはしたくなかった。
ミケランジェロはその時のことを思い出し、憤怒によりドアノブを掴んでいた手が震えた。
ロダンが地獄の言葉を紡ぎ始める。
_我を過ぐれば憂ひの都あり
ロダンは跪いた
_我を過ぐれば永遠の苦患あり
ロダンは両手を祈るように重ねた
_我を過ぐれば滅亡の民あり
ロダンの祈る手が震えている
_義は尊きわが造り主を動かし
ロダンの背後に門が現れる
_聖なる威力、比類なき智慧
詠唱を続けるロダンの気管から血が溢れ出す
…第一…の愛、我…を造れり…ッ
地獄の門が開き始める
_永…遠の物…のほ…か物としてッ…我より…さきにッ!
開き始めた門から炎が溢れる
_造られしぁ…は…なし、しか…ッ…してわれ永遠に立つ!
開き始めた門から絶望が溢れる
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよッッ!!
開き始めた門から地獄が溢れ出した
ミケランジェロは振り返った
急いで走り出し、ロダンを抱え込む
ロダンの背後にある門から溢れる炎が二人を焼く
身体の全てが大理石であるミケランジェロにその熱さは分からない
しかし、炎で熱せられた部分は変色し始める
変色し始めた所からボロボロと崩れ落ち始める
「熱ッ…」
まだ身体が人間のままのロダンはその熱に耐えきれないようだ。その痛みに悶えるロダンを、ミケランジェロはもっと強く抱きしめた。
そして二人ははっきりと見た
ロダンが開いた地獄の門からダンテが現れた。
自分達よりもずっと大きく、地獄の門でさえも小さいのか、少し屈んでから出てきたその詩聖は、最早人間の姿を保ってはおらず下半身は鳥のように逆関節であり、地面を掴みながら歩いている。
大きな翼と尾を引きずらせながら四つの角と天使の輪を頭上に浮かばせ、詩聖は太陽を見た。
胸部に開いた口のような部位から眼球がひとつ覗いており、それは何処か目指しているかのように別の場所へ向いている。
「…ァーアーアー……」
詩聖は発声をした。それは地を揺るがす程に低く響くものだった。
未だ人を保つ顔を揺らして、目からは涙のようにも見える月桂樹が伸びている。
ダンテはミケランジェロとロダンを見た。
自身に着けられた拘束具を地獄の炎で焼き尽くしていく
やがて腕のベルトが消え、腕が自由に動かせるようになるとそのまま首に手を伸ばして内側にも棘が付き、喋れないようにされていたのをやっと解いた。
「ガ…グゥ……ゲホッ……ゲホッ」
ダンテはそのまま口から溜まっていた血を全て吐いた。
その拍子に体がよろけてしまうが、何とか体制を戻して再びロダンとミケランジェロを見た。
お互いに寄り添い合う二人を見て、ダンテは手を伸ばした。
「…先生……先生も私も…奴らは…後ろに……マーレブランケが…恐ろし……」
「…地獄篇第二十三歌だ」
ミケランジェロは呟いた。
「天上の思し召しで……鬼…どもには、第五の園谷でこそ……」
ダンテがミケランジェロに触れる直前に、ドストエフスキーは矢を放った
放たれた矢はそのまま触れようとしたダンテの腕に深く突き刺さった。
ダンテは痛みに悶える様子もなく、ただ自分に刺さった矢を見た。
汽笛が鳴った。
それに導かれたのか、ダンテはミケランジェロとロダンに興味を失わせ、音がした方に飛び去っていった。
ドストエフスキーは別の建物の屋上で矢の狙いを定めていた。
既のところでやれたが、地獄の門は開き続けている。
ミケランジェロとロダンの為にもドストエフスキーは急いで建物の階段を下っていった。
ミケランジェロとロダンは互いに抱き合っていた。
ミケランジェロの身体の殆どは変色してすっかりボロボロだ。
ロダンも同様にミケランジェロに守られているとはいえ、地獄の門を開けた負荷で足先から身体が壊れてきている。
二人は遺された時間を、二人だけで過ごすことを決めた。
ロダンは強く、ミケランジェロにしがみつく
「…俺達兄妹だもんな」
ミケランジェロは、それを聞くとロダンの名を呼んだ
「私の名前は覚えているか?エリーゼ」
「覚えてない」
「嘘をつくな」
二人はお互いに笑った。そこだけがまるで地獄もなにも関係ない日常の延長線のようだった。
「覚えてるよ。グレイ兄ちゃん」
「良かった…本当に、全部偉人に染まって、忘れちゃってたらどうしようってずっと悩んでたんだ」
「時々忘れて、時々思い出して…を繰り返してたよな。俺ら」
「お互いの顔を見れば、すぐに思い出せたさ」
「当たり前だ。私達は誰よりも人の顔を覚えやすいんだ」
地獄の炎に焼かれ続け、遂にミケランジェロの両腕とロダンの両足が崩れた。
二人はそのまま地面に寝転がるように落ちた。
衝撃でまたどこかが割れた音がしたが、痛覚すら無くなってきていた二人からしたらもうどうでもいい気がしていた。
「冷たい体温と硬い身体の中で、今久しぶりに温かさとやわらかさを知ったよ」
グレイはエリーゼに笑顔を見せた。
「もっと最初から知っておけ、バカ兄貴」
「それもそうだな」
「お兄ちゃん」
「…なんだ?」
「愛してる。地獄の底まで着いていけるくらいに」
「勝手に人を罪人にするな」
「…ふふ」
ロダンは微笑むと、残った両腕でミケランジェロを近くに引き寄せた。
そしてお互いに、お互いの呼吸と熱を感じながら二人は最初で最後の祝福のキスを交わした。
ドストエフスキーが二人の元に辿り着いた時、アトリエは地獄の門の開放により崩壊していた。
周囲の建物は地獄の業火や地獄から溢れた怪物たちに蹂躙されていた。
瓦礫が散乱している。煤の香りもする。
地獄の門は固く閉まっていて、ボロボロと崩れていった。
ドストエフスキーは地獄の門の元へと急いだ。
散乱した瓦礫が足を奪う、頭が真っ白になる。
ただ二人の元へ向かわなければならないという気持ちだけがあった。身体は二の次だ。
何度も転び、何度も岩にぶつかり、擦りむけていく身体は気がつけば泥だらけだ。上層部から着るようにと言われ続け、500年間の間ずっと気付けた白い服もすっかり茶色く、灰色に、また血が滲んでる。
それでもドストエフスキーは這いつくばってでも進んだ。
そして辿り着いた
__実の二人の子の亡骸の前に
ドストエフスキーは少し、分かっていたような、どうしようもなかったような、思いだけが頭の中を回っていた。
ドストエフスキーにとって死は悪いものだ。嫌なものだ。最悪なものだ。
でもどうしても、自分の目の前で死んでしまう人達は皆、死を良いものだと思っているようだ。
いや、良い悪いと考えてしまう自分が悪いのかもしれない。きっと彼らにとって死は来るべきものだったもので、それを拒絶し続けた自分がおかしいのだろう
「どうして全員、罪に囚われたままになってしまうのか…」
ドストエフスキーは地面に膝をついて項垂れた。
涙が溢れ出してくる。ドストエフスキーは涙が落ちるのをポタポタと地面に落ちていく音で感じていた。
決して声を出してはいけないと思った。泣き喚いてはいけないと。それをしてしまえれば、自分は高潔な大人なんかじゃなく、わがままな子供に戻ってしまうと思ってしまった。
「何が悪いとか、誰が悪いとかじゃなかったはずだ…!」
「これが、私への罰という訳か?」
ドストエフスキーは自分の頭を掴んだ。強く強く締め付けるように掴んだ。やがて手を握り、髪を引っ張った。
呻き声をあげる。
そのまま、そのまま…嗚咽をあげた。
息をする度に肺と喉と唇が震える。
蹲って泣いた。
今だけは、ドストエフスキーは子供に戻ってきていた。
でもまだ戻りきれなかった。
ドストエフスキーは改めて、二人の死を受け入れた。
そしてこの世の絶望を思い知らされた。
ドストエフスキーは声を上げて泣いた。激しく泣いた。
叫びながら、地面を殴り続けた。
瓦礫で、石で、硬い床で、手の皮膚が裂けようが構わない
ただひたすらに、殴り続けた。
涙と鼻水と、閉じるに閉じれなかった口から出る涎とでグチャグチャだった。
そのまま悶えるように泣き続けるドストエフスキーはまるで、産声をあげた赤子のようだった。
ドストエフスキーはしばらくしてやっと落ち着くと、ミケランジェロとロダンの遺体を抱き上げ、服を整え、髪をかき分けて額にキスをした。
そして崩壊していない建物の中で見つけたタオルケット床に敷いて二人を寝かせた。
ドストエフスキーはよろけながら、雑に置き去りにしていた弓矢を持ち直した。
携帯の着信音が響く
__出れば、フロイトからだった。
ドストエフスキーは、自分より地獄に引きずり込むだろうその電話の主からの、応答を許可した。
「…フロイトか、どうした」
「ドストエフスキー…処刑チームに送り込んでいた…スパイの…ヴィトゲンシュタインが殺されたよ」
「なっ……!」
「セオドロスとの戦闘中にバンだ。いや、正確に言うならバンバンバンバン……トリガーハッピーに陥ったんだろう。彼奴は何度も死体を撃っていた。未熟な精神のガキだが、その分恐ろしいね」
ドストエフスキーは久しぶりに聞いたその名前の主を思い出していた。
十数年前に脱走した、ベアトリーチェを受肉させられたはずが、自我を強く保っていた子供。
脱走してから消息を絶っていたが、今改めて現れるとは
「………そうか、ヴィトゲンシュタインが、お前の弟がか……」
「弟…?……そうか、弟が死んだか。可哀想に…」
「…お前の弟だ。フロイト、ウィルだ。忘れたか?」
「………忘れてた。もう、私も長くないかもしれない」
「そんな事を言うな。言っちゃいけない」
フロイトは長い沈黙の中、葉巻を吸っているようだ。何度も吸っては吐く音が聞こえる。
「最期に声を聞きたかった」
「そんなことを言うものじゃない」
「ははは……まぁ、生き残ったら、また酒でも飲もう」
「…あぁ、そうだな」
フロイトから電話を切られた。
ドストエフスキーは携帯をしまう。
同時に汽笛が鳴った。カムパネルラが呼んでいる。
地獄を司るダンテは、天国を司るカムパネルラの汽笛に引き寄せられる。
恐らくあの汽笛の元にダンテは向かうだろう。
ドストエフスキーはそれを知った上で、再び弓矢を握り、音の元へと向かった。
死んでもいい。しかしその前に、全てを見届けるために




