治安維持チーム篇 第五話『血を分けた誓い』
『肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること
そして、芸術家である以前に、人間であることだ
-オーギュスト・ロダン-』
「…オズ?」
ゴッホは顔を上げ、ユングと目を合わせてそう言った。
ユングはユングで、今の自分の発言と状況を分かっていなかった
その困惑の中、フロイトはユングとテオドルスを振りほどいてドストエフスキーの傍に立った。
ゴッホ、テオドルス、ユング…この三人がどうして行くのかを見守るつもりだろう
そんなフロイトの思惑に対し、テオドルスはずっと狼狽していた。
そりゃあそうだ。
孤児の頃、ベンジャミン出会った頃、クルスとオズに助けられてからクルスの傍に居る事を希うようになって、フロイトからの教唆によりゴッホの弟であるテオドルスになることで、擬似的に兄弟になる事に成功したのだから
だからこそ実の弟のオズは邪魔だったわけで、それがユングを受肉したから良かったものの、今この状況で記憶を思い出されてはベンジャミンにとってはかなりの絶望だ。
まずベンジャミンは目の前のゴッホがフィンセント・ファン・ゴッホなのか、クルスなのかを知っておく必要があった。だからこそ問いかけた
「兄さん、大丈夫…?」
ゴッホは落ち着いたように「大丈夫」と告げ、ユングの方を見た。
「オズだよね…オズで合ってるよね」
ゴッホの問いかけに、ユングは何とも言えない様子だった。
「ゴッホ、何を言っているのか私には分から__
ユングが言い切るより先に、テオドルスが片腕でゴッホを掴んで肩を揺らした。
「…貴方はフィンセント・ファン・ゴッホ!ゴッホなんだよ…!私の兄さんなんだ!だから、だからオズなんて知らないはずなんだよ!」
テオドルスはゴッホの記憶を塗りつぶしにかかった。
「テオ…!?落ち着いて、テオ……」
ゴッホはテオドルスを宥めるように抱きしめ、背中をさすった。
「…でもごめん。今のボクは殆ど記憶が戻ってきちゃってさ」
ゴッホはテオドルスをそっと離した。
「………ね、ベンジャミン。キミは、ボクの弟じゃない…」
テオドルスはガチガチと奥歯を鳴らしている。
ユングだけが未だによく分からないようだった。
「あの、どうなっているんです……?フロイト先生…?」
ユングはフロイトの方を見たが、フロイトは続けろの意味のハンドサインをした。
フロイトは端末でゴッホの適合率を映し、ドストエフスキーにも見せつけた。
今の適合率は__95%。数値でいえば少ないが、確かに下がっている。
「オズ、キミは…オズだ。ボクの弟」
ゴッホはユングに語りかけた
「それで、ボクはクルス。オズ、…いや、ユング、キミのお兄ちゃんだよ」
ゴッホはテオドルスを見つめる
「…ベンジャミン、ねぇ、オズ?覚えてる。虐められてたこの子を一緒に助けたの……」
ユングは少し思う所があるのか、動揺したのかキョロキョロと視線を変えている
「ぁ…あ…ぅ」
アラームが鳴った。フロイトは手馴れたようにそれを切った。
すぐに確認すると、今度はテオドルスの適合率がおかしくなってきていた。
今まで35%だったのがいきなり61%にまで上がっている。
ゴッホの方はユングが思い出すまで話しかけているようだ。
テオドルスの方を少しは見ているものの、興味関心はユングに向いている。
「…て」
テオドルスは震えながら、声を絞り出した
「僕を見て…!僕を見て!クルスさん!」
ゴッホはテオドルスを見た。さっきよりも、はっきりと
「ベ、ベンジャミン…」
「あ、あ、なんで、なんでこんなことに…」
テオドルスの傍にゴッホはずっといる
ユングの方はもう少しといったように、何かを思いつく直前で直ぐにわからなくなる…といった思考を繰り返しているようだ。
「…フロイト先生はあぁ言いましたが、これは思い出した方がいい…って事ですか。仮面を剥がせと」
ユングは自分の左側につけていた仮面に手を伸ばした。
ソレは適合率の上昇に伴いできていたもので、ユングが引き剥がそうとするとブチブチと皮膚がちぎれる音が響いた。
仮面と皮膚の間に差し込まれたユングの指から、血がボトボトと落ち、白衣を赤く染めていった。
ゴッホはそれを見つめながら「綺麗」とだけ呟いた。
やがて皮膚を剥がし終えて取れた仮面を地面に落とし、血で濡れたまま左側の髪をかき分けて耳にかけたユングは「あー…」と言ってため息を吐いた。
「思い出せたわ。やろうと思えば何時でも思い出せれたけど、いやはや面倒な事にさせたもんだな」
血を皮膚の表面から滴らせながらユングはゴッホを睨みつけた。
「それでだ。クルス、思い出させて何がしたいんだ」
「記憶の整理がしたくて…」
「そんな物しなくても要らんだろうが…」
ユングはテオドルスに目を向けた
「なぁ、おい、ベンジャミン。お前はなんだ、ずっと見てたけど気持ち悪いたらありゃしない。フロイト先生と手を組んで?弟の座にいれて良かったねぇ。オレとしてはどうだっていいから、どうぞと言うけど」
「オ、オズ……」
「そこまで言わなくてもいいじゃん!オズ!」
オズに責められてタジタジなベンジャミンを、クルスは庇った。
見た目はあの時とはかけ離れているが、あの時のように会話しているのを見てドストエフスキーは少し微笑ましくなっていた。
フロイトはずっと端末を見つめている。
「ずっと思ってたんだ。なんで皆フィンセント・ファン・ゴッホにこだわるんだろうって」
クルスはそういうと、立ち上がった。
ベンジャミンも何とか、片腕が喪失したことによりバランスは取りにくいものの、フラフラと立ち上がった。
「…ボクはボク、オズはオズ、ベンジャミンはベンジャミンで…ゴッホはゴッホだ」
オズは頭をボリボリと掻く
「だから何が言いたいんだよ」
「え!?…えーっと、えーっと……平和に…生きよう?」
オズは本当に呆れたのか、ゴッホとテオドルスから距離を置いてフロイトの横に行った。
そしてフロイトに聞こえるように「一体、どこまでが貴方の思惑通りだったのですか?」と言った。
フロイトは端末を見つめながら「大体な」と答えながらシーシャを咥えた。
クルスとベンジャミン、ゴッホとテオドルスはお互い見つめ合っていた。
先にベンジャミンが口を開く
「…貴方の傍に居たかった。貴方の傍に居れるっていうから、ずっと…テオドルスとしてここに居て……でもずっと、貴方が私に向けている感情は、オズへのものなんだなって思うと、なんか胸が苦しくって…何やってんだろうって、ずっと、ずっと…」
涙を浮かべながら、嘲笑しながらテオドルスは自分の心の内を話した。
ゴッホはそれを全て受け入れる。
「いいよ。キミもボクの弟で。フィンセント・ファン・ゴッホとテオドルス・ファン・ゴッホは血を分けた兄弟だ。そんな彼らを身に宿した僕らも、血を分けた兄弟なんだよ」
テオドルスはそれを聞くと、ゴッホに抱きついた
「あぁ、あぁ…!この騒動が終わったら、手紙を出すからさ!あの兄弟みたいに文通しよう?」と、テオドルスは縋った
「いいよ」と、ゴッホは受け入れた。
「捨てたら嫌だから、嫌だから、ね?」
「分かった。絶対に捨てないよ」
「これからも一緒に生きていよう!?」
「うん。当たり前だ。兄弟だもん」
「いいの、いいの?良かった…」
ゴッホは弟の背中をポンポンと叩く
ゴッホはふと、生前のフィンセント・ファン・ゴッホの人生が自分の自我を塗り潰していく感覚を覚えた。
彼の苦悩と絶望と、弟との日々がクルスの自我を潰してく
でもクルスは彼宛に囁いた
「フィンセント、もっと楽しく生きようよ」
一通り見届けた後、フロイトは端末の電源を落とした
「こうしている間に、葬儀屋と他の仲間共も去っていったらしい…我々は他の奴らの適合率を抑えなくてはいけない。ドストエフスキー、あとは任せたぞ」
フロイトはそういうと、ユングを連れてそのまま去っていった。
その後は大変なものだった。
施設中は荒れに荒れ、負傷者と死亡者の数も多く殆どのチームで損害が出た。
観測チームはコペルニクスとエニグマ、対策チームはユゴー、修復チームはダーウィンに、治療チームはノストラダムス、心療チームではアドラーが殺され、記録チームではニュートンとアインシュタイン、開発チームではコルト……散々な有様だった。
この内ダーウィン、ユゴー、ノストラダムス、コルトは明確に葬儀屋に殺されたとして武器に加工されたとの事だった。
葬儀屋の残りの仲間の四人だが、後々のフーコーの監視カメラとフーコー自身の証言から継ぎ接ぎの獣の人、火炎放射器を持つ人、脳の解剖をしていた人、ネグリジェを着た人…という情報があった。
フーコー自身はそのネグリジェを着ていた人物に気がついたらパノプティコン内に入られており、動けなくされていたとの事だった。
明確な襲撃事件だったそれは、多くの継承者の心に傷をつける結果となった。
__それから二ヶ月が経った。
どのチームもその欠損を補えないまま、何とかやっている最中だった。
これからを決める会議が始められた。
いつもならチームリーダーだけで行うはずのそれは、対策チームのリーダーだったユゴーと治療チームのリーダーだったノストラダムスの死亡により新しくチームリーダーを決めなくてはいけなかった二チームの配慮と、全員で行先を決めたいというジャンヌの要望から継承者全員で行われた。
大きな部屋に全員が集まった。
司令、観測、対策、修復、治安維持、教育、治療、心療、記録、開発、戦闘、探索……珍しく処刑チームも来ていた。
フーコーが司会を務め、今後について話していた。
葬儀屋サイドの危険性と、上層部に持ちかける今後の方針、施設のセキュリティについてだ。
フーコーの意見としては「上層部は我々の権能に頼り過ぎている。私達だって万能ではないのにね」…らしい。
新しいチームとして施設を守るチームを作るべきだという声もチラホラ上がっており、そこについても考えてみるとサルトルは答えていた。
会議も終了に差し掛かり、フーコーは「他に意見のある人はいる?」と言った。
誰も手をあげない中で一人だけ、手をあげた。
フーコーは驚きながら、相手の名前を呼んだ。
「処刑チーム……ニーチェ…どうぞ」
ニーチェは椅子から立ち上がると、堂々と前のマイクに向かった。
その時見えた耳にはフェルメールの耳飾りが着いていた。
「あー…あー…うむ、よろしい」
ニーチェはマイクをポンポンと叩いてチェックをした。
デカルト、キルケゴール、ヤスパース、ヴィトゲンシュタインの四人は何も知らされていなかったのかやや困惑混じりの目でニーチェを見ていた。
「諸君!聞こえるかな!私の声が!!」
ニーチェはまるで独裁者のように演説を始めた
「今我々は境地に立たされている!
多くの仲間が死に、多くの損失を得た。
平穏というものは、我々がかつて生きていた時代よりも遠い場所にある!
それもこれも、誰のせいか?…そう!上層部のせいに他ならないだろう!」
「ニーチェ!」
デカルトが叫んだ。
ニーチェはすかさず、洗脳されきったデカルトにだけ有効なコマンドを伝えた。
「デカルト!お座り|、…喋るな」
それを聞くとデカルトはその通りに座り直し、喋らなくなった。
「神は死んだ。我々が殺したのだ」
ニーチェはそう言い、マイクを机に置いた。
「悲しみも喜びも全て含めて我が人生!
それをそのまま受け入れ、愛し抜くと決めた!
だからこそ、戦う物が呑み込まれ、怪物となる前に!…だ」
ニーチェはどこからか拳銃を取り出して、自分の顎に添えた。
どこからか悲鳴が上がる
「私はこの人生を何度繰り返してもいい!
何度でも、この人生をもう一度と、思えるような生き様を見せてやろう!」
ニーチェは引き金に指をかけた
「私の死をもって、お前達に目覚めをやろう!」
破裂音が響いた。次に聞こえたのは肉の音と、誰かの悲鳴。
それがしたら直ぐに治療チームのナイチンゲールとハンター、ゼルチュルナーが急いでニーチェの元に駆けつけた。
今しがたのニーチェの行動を理解できなかったドストエフスキーが処刑チームの方を見ると、デカルトは負荷が来たのか鼻血を出している。デカルトは対策チームの方を見ながら誰かを探している素振りを見せたが、しばらくすると思考停止状態に戻ってしまった。
ヴィトゲンシュタインは黙ったまま、フロイトと目を合わせると少しハンドサインを交わしてまた元の姿勢に戻った。
_そういえばヴィトゲンシュタインの元の肉体のウィルと、フロイトでありカーターは兄弟だったな等と思い出しながら残りのキルケゴールとヤスパースを見た。
動揺しているキルケゴールをヤスパースが落ち着かせている。
何かを耳打ちし続けていて、ヤスパースが語りかければ語りかけるほど、キルケゴールは落ち着き、また恍惚とした顔でニーチェを見つめた。
しばらく心労が募る日々が多い
ドストエフスキーは何とか元に戻った孤児院で、先生達と遊ぶ孤児たちの様子を遠くから見ていた。
今いる孤児は7人。受肉の話は現在停止していて、上層部から何も言ってきてはいない。
ここまで施設が崩壊させられていては、今受肉をするのはコストが高すぎるのだろう。
孤児達は楽しそうだ。先生たちも笑顔で遊んでいる。
しかし平和はそう長く続かなかった。
フェルメールの死後からずっと、ドストエフスキーにとっても、周りにとっても、嫌なことしか起き続けていない。
ニーチェの自殺から1ヶ月後、フロイトからの連絡で聞かされたのはデカルトの自殺と、キルケゴールの暴走だった。
ドストエフスキーはふとカレンダーを見た。
今日は3月25日だった
これはかの詩人が神曲の中で地獄・煉獄・天国を巡る旅が始まった日とされている。
ドストエフスキーは嫌な予感がして、思わず外に出た。
カフカが血だらけで座り込んでいた
そっと、そっと近付くとそこには7人の子供の死体が散らばっていた。
「__ド、ドストエフスキー…先生」
「カフカ、気を確かに…何があった?」
「分からないんです…汽笛が鳴ったら、急に子供達の首が爆発して、それで…こんな事に……」
「汽笛……。分かった。落ち着いてまずは孤児院に戻って水を飲んで落ち着きなさい。外は危険だ。処刑チームのキルケゴールが暴走しているらしい……。カミュとテグジュペリは?」
「テグジュペリは、偵察をすると言って飛んでいきました。カミュくんは分からなくて…急にどこかに走っちゃって……」
「分かった。分かった。そうか……」
ドストエフスキーはカフカを孤児院まで連れていき、休ませた後、胸騒ぎを覚えたが為に治安維持チームのアトリエに向かうことにした。




