治安維持チーム篇 第三話 『神秘』
『我々の生まれてきた世界は無慈悲で残酷である
そして同時に、神聖な美しさを持っている
-カール・グスタフ・ユング-』
血の繋がった兄弟が挨拶をした。
ユングはゴッホに対して何も思っていない、いや思うところはあるだろう。
ゴッホを継承する者は適合率が哲学者と同様に乱高下しやすい。
生前の彼は不安定だった。
その逸話を有するのだから、ゴッホの継承者もそれに引っ張られてしまう。だから壊れやすい。
しかし、フィンセント・ファン・ゴッホは素晴らしい存在だ。
上手く継承できれば無類の強さを誇る。だから上層部も危険も分かりつつ、作り続けるのだ。ニーチェも同様の理由だったはず。
それで、だ。ゴッホは適合率が乱高下しやすい。だからフロイトが週二でカウンセリングに入っていた。
今週はこれで週四になる。通常の継承者にはありえない対応だが、仕方ない事なのだろう。
ユングも今の話を知っている。フロイトとの仕事仲間なら尚更、どれだけ彼が忙しいかと、どれだけゴッホが難解かを分かっているだろう。
今のユングの目付きはフロイトを苦労させる病人を見る目付きだ。髪や目の色が同じということは気にしてないらしい。
実の兄を見て、何も思わないみたいだ。もう思えないぐらいにユングが染み付いているらしい。
対してゴッホの方はユングに対してかなり思う所があるのか
ずっとユングのことを見ている。
テオドルスはさっき飲んだ水と同じくらいの汗を出している。
「テオドルスさん。暑いですか?」
ユングがテオドルスに話しかけたことで、ゴッホの視線はテオドルスに向いた。
「…テオ!テオ!大丈夫?」
すかさずゴッホはテオドルスの元に行き、わたわたとしながらハンカチを出して手渡した。
「大丈夫だよ。兄さん。ちょっと疲れてたかもね」
テオドルスはそのハンカチで弱みを隠すように、汗を拭った。
ゴッホはテオドルスの横に座り、ユングのことを歓迎するかのように拍手をした。
「フロイト先生より優しそ〜!」
「フロイト先生は何でもかんでも性に結びつけるし、自分の意見を譲らないところがありますからね。大変でしょう」
ゴッホとユングはあくまで、ゴッホとユングとして会話していた。
これが当たり前で、普通かもしれないが、事情を知る側としてはこの雰囲気は何とも言い難いものだった。
ミケランジェロの部屋から出てきていたフロイトは、こちらを見て少し驚いたように目を見開いたあとにすぐロダンの部屋へと向かった。
続けて出てきたミケランジェロは手にノミと布を持っている。
ダイニングテーブルからも見える位置にあるアトリエの一角で彫刻の制作を続ける気だ。
ダイニングテーブルの四人には目もくれずに歩いていくミケランジェロにドストエフスキーは声をかけた。
「ミケランジェロ」
呼び止められたミケランジェロは振り返る
「…なんですか?」
「フェルメールの事、ありがとう」
「…」
「一緒に探してくれてありがとう」
「…私だけじゃない。ロダンもゴッホもテオも一緒に探した。お礼なら私以外にも言ったらいい」
「でも見つけてくれたのはキミだ。だからお礼を言いたかった。耳飾りもありがとう」
ミケランジェロはふんと言うと、前を向いた。
その時に見えた片耳にはピアスが無かった。
治安維持チームは全員耳にピアスをつけている。チームの目印になるものであり、皆がどんな耳飾りをつけてくるのか楽しみだと言ったフェルメールの提案だった。
「キミの片耳のピアスはどうしたんだ?」
ドストエフスキーに問われたミケランジェロはピアスをつけていない方の耳に手を触れた。
少しだけ穴が空いていたはずの部分をさするとすぐに元の位置に手を戻す。
「対価だ。
面倒なやつに頼み事をした対価で、ピアスをひとつ強請られた。それだけだ」
「そうか」
ドストエフスキーにはミケランジェロの言う面倒なやつも頼み事の事もよくわからなかった。
ただ頼み事の内容は流れを考えるにフェルメールの死体の場所の事だろうか。だとすると相手は死体の位置が分かる継承者だったのか?捜索を頼むのではなく対価という契約のような事をしてピアスを強請ったのかも分からなかった。
しかし、そこまで追求することでもないだろうと思いドストエフスキーはミケランジェロを見送った。
フロイトはロダンの部屋からすぐに出てきた。
部屋から出るとすぐに葉巻を取りだし、先を手馴れたようにハサミで切り、ハサミをしまって口に咥えるとライターを探しながら落ちた先を拾ってポッケに突っ込んだ。
そして火をつけて、煙をふかしながら歩いてきた。
「け、煙たい」
ゴッホが文句を言った
「すぐに出る。もう用は済んだ。」
ユングは席から立ち上がり、フロイトの口から葉巻を強引に奪った。
「あ、おい!何をするんだ!」
ユングは葉巻を持った手を上にあげた。フロイトの身長では絶対に届かない。
ましてやフロイトのプライドからして、ジャンプなんてものは絶対にしない。
「まだ残っているでしょう。テオドルスさんが」
「はぁ!?」
フロイトは呆れたように声を漏らした。
「いや、カウンセリングをテオドルスさんにはしてないでしょう?しないんですか?」
「適合率にさほど変化もない。やる意味が無い」
「先生は数字しか見てないんですか?」
「適合率の安定がしてればそれでいいだろう!?」
フロイトの叫びをユングは聞き届けると、少し哀れみを込めた目でフロイトを見つめた。
その哀れみの目で見られたのをよくよく理解しているフロイトは余計に怒りに満ちた顔になった。
「私に逆らうのか!?」
「違います。違いますよ。…はぁ」
ユングは葉巻をフロイトに手渡した。
フロイトはそれを強引に取り、舌打ちをした。
「…いい、私は先に帰る!」
フロイトはあからさまに怒っているのが分かるように、足音を立てながらアトリエから出ていってしまった。
「先生は適合率という数字しか見ていない」
ユングが聞こえるように愚痴をこぼす
「あの人は長い間務めすぎたのか、人の心を助けるということを忘れているんです。
何かを強く恐れているとも言える気がして、適合率を安定させることに執着している……これも、完成者の存在が怖いからですかね」
ドストエフスキーはフロイトのことを全て理解してはいないが、恐らくそうであるとして首を縦に振った。
「…しかし、適合率で人の心は測れません」
ユングはミケランジェロにも目を向けた後にテオドルスとゴッホの事を見た。
「フロイト先生が忙しくて来れない。適合率さえ安定できたらそれでいい__と思っているのなら、大間違いであることを私は証明したい」
テオドルスの内心はハラハラしている。余計な事を言い出す雰囲気なのを理解している。
「私がここに通います。そして、適合率の数値に関係なく私は貴方達の心の影を____」
「いりません!」
テオドルスが大声で言った。
大理石を削っていたミケランジェロは少し音にびっくりしたのか手を止めてこっちを見ている。
「適合率さえ安定できてたらそれでいい、フロイト先生の言う通りです。貴方だって普段心療チームで忙しいでしょう!?」
「時間を作ります」
「いやだから、いらないって!」
「うるさい」
ミケランジェロがノミを持ったままこちらに歩いてきた。
「何の話だ。テオ」
「ッ、リーダー……心療チームの影-ユングがですね…定期的に通ってカウンセリングをしたいと…」
「いいんじゃないのか」
ミケランジェロは許可した。
「はぁッ!?」
「ボクも欲しいかも…えへ」
ゴッホも了承した。
現状テオドルスだけが嫌がっている状態だ。
「なんで嫌なんだ」
「適合率さえ安定できれば、それでいいしユングさんも忙しいだろうし…!」
「ユングは時間を作ってくれるらしいぞ。それに…」
ミケランジェロは自分の胸に手を当てた
「話を聞いて貰える、会話をする。自分がなぜ今辛いのかを分かってもらえる……それだけで心は温かくなるものだ」
ミケランジェロは珍しく笑ってみせた
「適合率に関係なく、そういう機会はいくらあってもいい
…治安維持チームリーダーとして、許可する」
ミケランジェロは言いたいことを言うだけいい、また大理石を削る作業に戻って行った。
「…どうです?」
ユングはテオドルスとゴッホをチラチラと見た。
チームリーダーが言うのなら逆らえないことを知っているのかテオドルスも渋々OKを言った。
後に部屋から出てきたロダンにも話を伝えると、「構わないぞ」と許可を得てすっかりご機嫌になったユングは軽い足取りでアトリエを出ていった。
ドストエフスキーも皆にフェルメールの件の礼を言い、ユングについていった。
_帰り道、廊下を歩くユングにドストエフスキーはついて歩いている。
「フロイトは大丈夫なのか?」
「怒るのはいつもの事です」
本当にいつもの事なのだろうとドストエフスキーは察した。
「テオドルスのあの態度が気になりましてね」
ユングは続けて話をした
「影がある。何かを抑圧しすぎている気がするんです。多分それは、我々で言う所の元の肉体の記憶や思いなんだと思います
ここではそういうものは要らないものとして扱われがちですが、そういった部分も人として必要なものだと思っていましてね」
ユングとドストエフスキーは廊下を歩く
もう夕暮れだ
「フロイト先生は今まで、色んな経験をされたんでしょう。それは同じ時期に生きている貴方の方が良くお知りなのは分かっています。あの人は私やアドラーに全てを話してはくれませんから
あの人は私が受肉して…フロイト先生に対して生前の決別した時の記憶を思い出していた時に言いました。
次のお前はいつまで持つだろうと」
ユングは笑ってみせる
「言われた時びっくりしましたよ。私は…ユングとして、生きて死んだ記憶があって、フロイトには言いたいこと山積みだったのに、次のお前はとか、いつまで持つか、とか消耗品みたいに言われましたから」
「フロイトの悪い癖だ」
ドストエフスキーはそう付け加えた
「でもそれも、私が知らない以上に色んなものを見てきたんだなって
だから私はその分、フロイト先生の力になりたいんです。
アトリエではちょっと、思いが溢れすぎました。きっとこれはユングではなく、元の子供としての思いだったのでしょう」
ユングは立ち止まる。
ちょうど心療チームの診察室の前だ。
「着きました。ドストエフスキー先生、また何かあったら教えてください」
「あぁ…」
夕暮れの赤い光の中でも尚光るユングの目を見ながら、ドストエフスキーはお別れを告げた。
「また何かあれば…フロイトにもよろしく頼む」
「えぇ、それでは」
ユングが部屋に入っていったのを見届けると、ドストエフスキーはそのまま孤児院に戻った。
子供たちは夕食を他の三人と共に食べており、少し遅れてドストエフスキーも食事を子供たちと楽しんだ。
「せんせー帰ってくるの遅かったー」
「用事があったからね」
ドストエフスキーは近くの子の頭を撫でながら答えた。
「せんせ!後で本読み聞かせて!」
「良いですよ。本は2冊までですからね」
ドストエフスキーはご飯を食べ終わった子供たちの様子を見ながら、その未来を憂いた。
ドストエフスキーは他三人の様子を見た。
カフカは子供達に身体から生えている蜘蛛の足の部分や触角を触られている。
子供たちからすれば大きなジャングルジムに見えているだろう。
彼は動揺しやすく、自分の意思を通すのが苦手だ。しかし注意深く見ていて、子供たちの異変があればすぐに駆けつけていける。
子供たちの受肉に対しては肯定も否定もなく、仕方ないことだからしているだけと言った態度だ。ここでの生存に特化している考え方だった。
テグジュペリは外で子供たちと植物や虫の観察をしながら遊んでいる。時折翼を使って子供を抱っこしながら空を飛んでいた。
危ないからやめろと注意はしているが、本人と子供が楽しそうならいいだろう。
テグジュペリは受肉に対して肯定的だ。
それは新しい生き方であり、それを得た上で子供たちがどう生きていくのかを見ていたいと…美しい意志だ。
大人が忘れてしまった感情を彼はよく分かっている。
カミュは外で子供達と共にサッカーをしていた。ゴールキーパーをしていて子供達のシュートを難なく受け止めてしまう。子供には手加減をしろと言っている…それに最近適合率が上がり結核が再発したのだからあまり無理をするなと言っているが……
彼は、受肉には否定的だろう。しかしそうせざるを得ない…逆らえないからしているだけだ。その反発心はこの先危険因子として残り続けるだろう。
そもそもとして、彼がアルベール・カミュである以上そういった反抗心を持ったままなのは、適合率が上がり続ける原因になるからどうにかしなくてはいけないが…
彼は、恐らく、受肉をするくらいなら子供が子供のまま死んでくれたらと望んでしまっているのだろう。
12年前に脱走していったセオドロス……孤児のままにも関わらず受肉を受けても自我を貫いた彼のことを酒に酔ったは未だに話し続ける。心配であると共に、彼もまた惹かれているのだろう。
ドストエフスキーは子供に本を読み聞かせ、全てが終わったあとの自室でゆっくりとウォッカを飲みながら本を読んでいた。
本に関係ない事を考えながら本を読むのは疲れる。
ドストエフスキーは栞を挟んで、本を机に置いてそのまま寝る事にした。
ユングの治安維持チームの定期検診はなんだかんだ2年続いた
その中でユング自身も治安維持チームの彼らのことを把握しきったようで、テオドルスのゴッホへの執着を異常だと話していた。
そしてドストエフスキーは食堂でユングと二人で話しながら、その結果の内容とフロイトへの愚痴を聞くのだった。
テオドルスが拒否をせず続けていることと、自分の子であるミケランジェロとロダンの調子が良いことを知れるのはとてもいい
ドストエフスキーは自室で子供たちに行う授業の準備をしていた。
__アラーム音が響いた。
いつも使っている端末ではなく、施設中にある放送機器からだ。
ドストエフスキーは自身の部屋にも取り付けられていた監視カメラとスピーカーに目をやった。
何が告げられるかを待っていた。
『あー、マイクテスト、マイクテスト…よし、いいね』
フーコーの声だ。
パノプティコンで監視カメラを見続けている彼からの放送__嫌な予感がした。
『葬儀屋、正面ゲートを突破』
『現時点で職員およそ35名はぐちゃぐちゃだ。場所は__』
フーコーの声はノイズ混じりになる
『_あ?___待っ_』
ブツッとスピーカーが切れた。
葬儀屋__テロリストだ。過去に何度もスターバーストを襲撃しては継承者を殺し、その死体を加工しては武器に作り替えいくつから裏ルートで流している。
たった一人でそれを行えるのは、継承者の死体武器ありきだ。
ドストエフスキーは過去に殺された同僚や継承者達の姿が過ぎった。
すぐさま引き出しからフェルメールの真珠の耳飾りを取り出し、祈るようにポケットにしまった。
「………まずは子供たちの安否だ…!」
ドストエフスキーは荷物を放り出し、皆のいる教室へと向かった。




