治安維持チーム篇 第二話『額縁に飾る為の絵はいずこ?』
『もし、黄色と橙色がなければ、青色もない
-フィンセント・ファン・ゴッホ-』
フェルメールの遺体は地下室の死体安置所へと送られた。
継承者の死体は腐らない。かと言って生きてもいない。
多くの人の思う死は停止だ。継承者達も勿論人間だからそう思っている。
だからこそ、死を思えば止まるのだ。
体内の核がそれを死と思って、その概念を模倣するのだから
「なら、その死を覆せるほどの生きる意思を見せれば彼らは死体から生き返るのではないか?」_と、誰かが言った。
しかしそれも無理だろうと、誰もが言った。
生き返ると、言っている時点でね
ドストエフスキーはフェルメールの片耳のピアスを指でコロコロと弄んだ。
ただ真珠があるだけじゃなく、金の網に真珠が中に閉じ込められている。
だから真珠自体には傷がついていない
網の間に指を滑らせて、中の真珠をコロコロとしながら、ドストエフスキーはフロイトの所へ訪れた時のことを思い出した。
何も思うことはなく、平気だという彼から漂う煙の匂いの強さと彼が流したくても流せなかった涙の量は比例する
__ドストエフスキーには一つ杞憂があった。
フェルメールの失踪するまで、アトリエにいたのはテオドルスとミケランジェロだ。
ミケランジェロの性格はよく分かっている。彫刻に集中しすぎる癖も昔からで、その面倒な性格の末に他の継承者と喧嘩になって頭をかち割られたこともある。
今もその跡はミケランジェロの左側に刻まれていて、脳に当たる場所には赤い宝石が見えている。
顔にもその傷によるヒビ割れがあるが__本人は痛くないらしい。
石に感覚なんて存在しない___と、なるほど
自分の子供だったという事実を抜いても、目の前で人が人でなくなっていく様を見せられるのは心にくるものがある。
ドストエフスキーは次にテオドルスの事を考えてみた。
問答の通り、彼はゴッホの弟であるテオドルスとして振る舞うことを嬉々としている。振る舞う性質上、彼は自身がテオドルスでないことを分かっている。元の人間として、愛する人のために他人の役を羽織っている。
彼の性格の全てを把握している訳では無いが、テオドルスとしての彼が見えない限り、把握するための素材が無い。
だから本心が分からない。彼とは親しい訳でもなく、フェルメールから聞いている限りも真面目でゴッホを支えるいい子とだけだ。
しかし、所々にエゴイストである部分が垣間見える気がする。
だからドストエフスキーには一つ杞憂があった。
やり方は考えてはいないが、テオドルスがフェルメールを見捨てたのではないか?と
ただテオドルスにはフェルメールを殺す理由がない、人を疑うのは良くない癖だとは分かっている。ましてや親友の死の時に、親友の仕事仲間を疑うなんて以ての外だ。しかし、疑わざるを得ない。
それほどまでに、フェルメールが一人で、日傘を持たずに外出するなんて有り得なかったからだ。
「都合が良ければそれを奇跡と呼び、都合が悪ければ人は事故と呼ぶ」
フロイトは治安維持チームのアトリエを見ながら立っていたドストエフスキーの前に煙をくゆらせながら歩いてくる。
ドストエフスキーの内心を、心の支配者はよく分かっている。
「お前にとってそれは都合が悪かったらしい。原因があるとでも思ったのかね」
フロイトは吸い終わった葉巻を口から取り、しばらく置いた後にポッケにしまった。
「フェルメールは限界だった。ましてや、未来に絶望も希望もあったものじゃなかった。その時が来た。それだけだろ?」
平然と言ってのけたフロイトに、ドストエフスキーの大きい手が伸びた。
「__ッ!」
小さなフロイトの体は、床に打ち付けられる。
その上にドストエフスキーが被さった。
ドストエフスキーの大きな手は、フロイトの細い首を掴んだ。
「理由があるはずだろ!なんの理由もなく、死んでいいわけない…!」
ギリギリと絞まっていく自身の首を、フロイトはどうでも良さそうに無視しながら話す。
「そういう時もある」
「お前は全てに原因があると言っただろ…!」
「それは、フロイトとしてか?」
フロイトは声には出ずとも、笑うように口角を上げた。
「諦めろ、ドストエフスキー。お互いに意味は無いことをする必要は無い。フェルメールは死んだ。それだけで終わりだ。」
もう少しで首を折る事ができる。
ドストエフスキーはただ分かって欲しかっただけだ。自分の中の鬱憤を
フロイトに散々言われて、怒りに狂える自分と、救われたように嬉しい自分が同居していることも事実だった。
だからドストエフスキーは首を今折ることができずにいる。
「__何してるんですか!」
ドストエフスキーは力強く襟首を掴まれフロイトから引き剥がされた。
思わず打った頭を抑えて、自分を正気に戻した相手の顔を見るなら__そこにはユングがいた。
「ユング、邪魔しに来たか」
「邪魔とは何ですか!邪魔とは!」
ユングはフロイトにも同様に怒りながら、彼を立たせた。
フロイトは少しだけ体はふらついているが、平然とその場で立ってドストエフスキーを見下した。
「ここにいる限り命は平等だ。お前らしくない」
フロイトの頭をユングはゴンと殴った。
「親友が死んで悲しくない人間なんていません!」
フロイトは殴られた頭をさすって「お前も偉そうになったものだ」と悪態をついた。
ユングはフロイトの前で握り拳を再び作り見せつけると、フロイトは黙った。
「にしても何故孤児院へ?」
フロイトとユングはお互いに目を合わせて、ドストエフスキーに呆れたようにため息をついた。
「この男は親友の喪失にのみ囚われて本来の仕事を忘れたらしいな。孤児院のガキがやれ悪夢を見ただ。ストレスが溜まっているわで、カウンセリングに来ただけだ。話すだけで終わるからガキ共の調整は早く終わって助かるね」
フロイトの頭をユングはゴンと殴った。
頭をさするフロイトを見ながら、ドストエフスキーはユングに頭を差し出した。
「…?なんのつもりですか」
「私も殴ってくれ。気持ちに踏ん切りをつけたい」
「私に殴らせるんですか…?」
「頼む」
ドストエフスキーの頭をユングはゴンと殴った。
その衝撃はまさに痛くて、すぐさま殴るように頼んだ自分を恨んだが、それでもフロイトと同様に殴られた頭をさすっていると、心の底から喜びが湧いてきた気がした。
「アッハッハ!」
ドストエフスキーは思い切り笑った。
その時の顔を自分は見れないが、フロイトとユングは酷く驚いた顔をして、二人も笑っていた。
ドストエフスキーとフロイトとユングの三人は治安維持チームのアトリエを訪ねた。
チームのメンバーが一人死んだのだ。適合率にもやはり乱れがあるから様子をついでに見に行きたいというフロイトの提案だ。
いつもは開いているはずの扉は閉まっていて、どうしようかと悩んでいたドストエフスキーとフロイトの横で、ユングは平然とチャイムを押した。
しばらく経って扉を開けたのはテオドルスだ。
三人の顔を見て、ユングの顔を見て露骨に嫌な顔をすると、フロイトには本心から笑顔を見せて挨拶をした。
フロイトが用件を話すと、テオドルスはしばらく考えた後に素直に全員をアトリエの中に通した。
アトリエにあるダイニングテーブルに座ると、テオドルスが水の入ったコップを三人の前に置いた。
フロイトは端末を見ながら治安維持チームの現状について軽く説明をした。
「光-フェルメールの死後の適合率変動についてまずはチームリーダーの神ごとき-ミケランジェロから言う。
神ごとき-ミケランジェロ。適合率が84%から68%まで低下。現在は75%まで回復傾向。
門-ロダン。適合率が64%から60%まで低下。現在は72%に上昇。こっちは上がりすぎた。
炎-ゴッホ。適合率が80%から55%。現在は__60%だな。早朝は75%だったがまた下がった。面倒だ。
画商-テオドルス。適合率が35%から32%低下。現在は34%。何とも言えんね」
一通り伝え終わると、フロイトは端末の電源を落とした。
「冷静だな。テオドルス…あーいや、ベンジャミンって呼んだ方が心地いいかね?」
「どちらでもいいですよ。フロイト先生。先生は本名で呼ばれた方が心地いいですか?」
「いいや、私はいい……もう遠い昔だ。名前で呼ばれても困る。お前はまだ受肉して40〜50年程だろう?」
「ははは、分かりました」
テオドルスは自分の為に持ってきたグラスで水を飲みながら、この楽しい問答を続けていた。
フロイトはテオドルスから出された水を半分ほど飲むと、ふと思い出したように机に置き直してグラスを傾けた
「ピーター・F・ドラッカーはコップの水理論を世に出した。
コップの水が半分しか入ってないと考えるか
コップの水が半分も入っていると考えるか…
リフレーミングだ。物事を見る枠組み(フレーム)を変えて別視点から捉え直す…と」
フロイトはコップの水を一度に飲み干した
「どう捉えるかが重要なものだな。どの世界においても」
フロイトは立ち上がり、「一度適合率を安定させてくる」と言ってまずはゴッホの部屋に入っていった。
「フロイト先生行っちゃった」
少しだけしょんぼりとしたテオドルスは、対面に座っているユングを少し睨むと、ドストエフスキーに目を向けた。
「教育チームの方はどうですか?」
ドストエフスキーはすっかり忘れていた元の子供たちの状況を、いつも通りの日々だと言って誤魔化すことにした。
「子供たちは先生たちと仲良くやっているよ」
「喧嘩は起きてないですか?」
「今のところはなにも」
「それは良かった」
テオドルスは心の底からホッとしたような顔を見せた。
「テオドルスさんは適合率が低いですが、大丈夫ですか?」
ユングが横槍を入れた。
ドストエフスキーはそれを心配から言っていることだとわかっていたが、テオドルスからはそれは皮肉に聞こえたらしい
「…大丈夫です。貴方には関係ないので」
ユングもフロイトと同じように多くの人間を見てきている。
だからこのあからさまに人間らしい感情を見過ごさなかった。
「影が潜んでいる」
ユングがテオドルスと同じように冷たく言い放った。
同じような相手には、同じような態度を返すのがユングのやり方らしい。
「貴方の心には影がある」
テオドルスはあらゆる動作を止めて、じっとユングを見つめた。
後ろではフロイトがゴッホの部屋から出ていた。
ユングがテオドルスに言い返しているのを見て、フロイトはほくそ笑んでいた。
そのままミケランジェロの部屋へと向かっていった。
「貴方は何かを抑圧している。そうでしょう?」
ユングからのその問いかけに、テオドルスはイエスもノーも返さなかった。
ただその沈黙すらも心の解剖医の前では必ず意味があるものになる。
「フロイト先生は、私の知っていない以上のことを知っているでしょう。貴方とフロイト先生にはその知らない事を言える関係性があるらしい」
ユングは笑っている。その様はフロイトとよく似ていた。
「率直に申し上げると、羨ましい限りですね」
ユングは少し咳払いをして、恥ずかしそうに言った。
その言った内容に、テオドルスとドストエフスキーは少し固まった。
「嫉妬と思うでしょう?別にそう思ってもらえていいんですけど、フロイト先生とあんなに仲良くて羨ましいなぁって、そりゃたかが患者の貴様と、同じ心療チームで、フロイト先生と決別しちゃったユングとなった私は立場が違うんですけど、スタートダッシュは私の方が高くてですね。生前に決別した分私は少し好感度が低いんですけど___」
ユングはベラベラと話し始めた。
テオドルスは気まずそうに水を飲み続け、気が付けば空っぽだ。
ドストエフスキーは一切水を飲まず、ユングの語りを聞いていた。
とどのつまりユングはテオドルス嫉妬している_というのがドストエフスキーの見解だ。
フロイトへの執着が言葉の節々に見られる。それはフロイトとユングを覆すようなものだ。
ドストエフスキーは元々のオズはどんな奴だったか__を、思い出す。
心理学に興味がある子だった。フロイトもそれを見てドン・キホーテの襲撃により死亡したユングの代わりに欲しいと言ったのだった。
今見える執着は……気付かなかったオズの部分が、ユングとの融合により顕著に見え始めただけなのだろう。
人の心とは難しいものだ。この執着はフロイトでさえも知らないのだろう。
自分にだって、他者にだって、恋心というのは特に分かりはしないのだから。
フロイトはしばらくミケランジェロの部屋から出てこない。
あらかた語り終えたユングは水を飲んでいる。
しかし依然としてテオドルスの影には警戒しているのか、心理学者としての鋭い目つきは変わらずだ。
しばらくして部屋からゴッホが出てきた。
頭が痒いのかわしわしと頭を掻きながら、水を求めてきたようだ。
「フロイトさんにお世話になってぇ〜…心ちょっと元気になったかも」
ゴッホは顔の右半分が星月夜の絵に侵食された顔で、両目を見開いてユングを見た。
ユングもゴッホを見た。注意深く、彼の様子を観察している。
ゴッホはクルス、ユングはオズ。元は兄弟だ。
両方とも髪色は同じ赤毛で、黄金の目を持つ。目付きはクルスの方が丸っこく、オズの方が鋭い。
似ていると、言える。外見では
しかし彼らはゴッホとユングなのだ。
どうなる?とドストエフスキーは思った。
両方とも孤児院で大切に育てていた子供達だ。ドストエフスキーは少し、ここで彼らが兄弟の絆を取り戻してはくれないかと、思ってはいけないことを思ってしまった。
しかしテオドルスはかなり焦ったようにゴッホとユングの両方をチラチラと目で追っている。何かを話さないといけないと思っていても、何かを話した途端に不味くなるのではないかと口を閉ざしている。
そうしているとユングが口を開いた。
「初めまして、炎-ゴッホ。私は心療チームのユングです」
ゴッホも返した。
「初めまして……治安維持チームの、ゴッホです…?」
二人の兄弟は再会をした。お互いを他人として
ゴッホの右側の顔にまとわりつく星月夜と、ユングの左側の顔に張り付くペルソナはとても絵になった




